第27話

 カーディルを病室に寝かせてから、ディアスはマルコの執務室しつむしつを訪れた。

 特に、呼ばれてはいない。


 マルコは手元の書類から目をはなし、闖入者ちんにゅうしゃを確認するとつまらなさそうにいった。


「なんだい、泣き言でもいいに来たのか」


「博士、少し疲れていますか?」


 言われてはじめて自分の態度が気分の良いものではないと気付き、自嘲じちょうぎみに笑う。


「うん、今のは良くないな。悪かったよ。……それで、君の方はどうなんだい」


「どう、とは?」


「カーディルくんがつらそうにしているから、実験をやめさせて欲しいとか言いに来たのかな、って」


 書類をデスクに放り出す。数字の羅列られつはディアスがぱっと見ただけで理解できるようなものではないが、あまり楽しい情報ではないらしい。


「いえ、俺はこの実験、成功して欲しいと願っています」


「へぇ」


 マルコは眼鏡めがねの奥で目を丸くする。てっきり、ディアスは文句か弱音よわねのいずれかを吐くために来たのだと思い込んでいた。


「カーディルの闘志とうしは消えていません。戦車をものにしようという決意にあふれています。ならば俺のやるべきことは全力でサポートすることです」


「君はもう少し過保護かほごな奴だと思っていたよ」


「ただ危険から遠ざけるだけでは、愛情とは言えないかと」


同感どうかんだねぇ。隣で一緒に歩くのと、首輪を付けて歩くのではまるで意味が違う」


 顔を見合わせ軽く笑ったあと、話の仕切り直しだとばかりに真剣な表情に戻って指先で書類を叩いた。


「君の決意のほどはわかった。では、今回の用件はカーディルくんの体調についてかな?」


「はい。戦車に神経接続し、1時間もすると、めまいや吐き気を感じ、さらに無理をすれば嘔吐おうとします。」


「うーん、悪阻つわりかな?」


「心当たりが無いとは言いませんが、多分たぶん違うと思います」


「そんなこと真面目に答えなくていいから」


 黙って頭を下げるディアスを、マルコは変な奴だと考えながらながめていた。


「冗談はさておき、カーディルくんの症状は車酔くるまよいだね」


「車酔い、ですか……?」


 怪訝けげんな顔をするディアス。カーディルの症状について真剣に話し合いに来て、車酔いなどと言われてはこうもなろう。


「いや、もちろん車酔いそのものではないよ?それに近い症状だということさ。じゅんって説明するから、まぁ聞いておくれよ」


 そういうと、マルコは白衣はくいそでをつかんで腕まくりをした。ディアスの薄く日焼けした肌とは対照的な、白い肌があらわになる。


「義手が腕の形をしているのは、結構大事なことだったみたいだね。生身でない機械を無理矢理くっつけても、形が整っていれば脳は腕だと認識にんしきしてくれるんだ」


 袖を直し、急に顔をしかめて


「あー、これ腕? 腕なの? まぁ腕っぽい形をしているから腕ってことで動かすかぁ……みたいな感じで、とりあえず納得なっとくはしてくれるわけだよ」


 みょう顔芸かおげいは脳の気持ちを代弁だいべんしてのことか。その細かい気配りに感心しつつ、ディアスはうなずいて話の先をうながした。


「で、これが腕とは似ても似てかぬものがくっついていると、脳が混乱するんだ。その状態が続くと体調にも影響するというわけだねぇ」


 言いながらマルコは書類をパラパラとめくる。


 目当てのものを見つけたか、そのうちの一枚を引き抜いて一番上に重ねた。やはり、ディアスには何が書いてあるのかよくわからない。


「原因がわかったところで、次にどう改善かいぜんするかだが、まずひとつは情報量の削減さくげんかな」


「情報量……やることを減らすということですね」


「一人で何でもできるのが理想だったんだけどね。ときにディアスくん、君はライフルが得意だそうだが、今まで最長でどれくらい離れたものを撃ったことがあるね?」


「2キロメートルくらい、でしょうか……」


 ディアスは目をらしながら答えた。できれば何を撃ったかは聞かないで欲しい。さいわい、マルコの興味きょうみは距離であってその対象たいしょうではなかったようだ。


「そいつはすごい、名スナイパーじゃないか。それじゃあ君には砲手ほうしゅを担当してもらおうじゃないか」


「戦車の主砲を扱ったことはないのですが、俺にできるでしょうか?」


「練習すればいい。少なくとも、狙撃そげきのなんたるかを知っているだけでも上達じょうたつは早いだろう」


 それでカーディルの負担ふたんが減らせるならばと、ディアスは快諾かいだくした。


「先ほど、まずひとつとおっしゃいましたが、まだ方策ほうさくがあるということでしょうか?」


「あるよ。むしろこっちがメインだ……慣れよう」


「慣れ、ですか」


「頭にね、戦車は体の一部だって教え込むのさ。反復はんぷく練習の大切さはむしろ体を使う商売やってる君の方がよくわかるんじゃないか?」


「確かにそうですが、急にアナログな話になりましたね」


「人間である以上、何もかもがデジタルで解決とはいかないさ。僕は研究者で、サイバネ医師だが、科学に対してロマンティックな幻想げんそうを抱いているわけじゃない」


 ふん、と鼻を鳴らして肩をすくめてみせる。


「実験開始当時は30分でげろげろやっていた。それがいまや1時間もつようになった。慣れていけば2時間3時間ときて、いずれ自在に動かせるようになるさ」


「わかりました。では、明日からの訓練は慣らすことを目的とし、30分動いて休憩、また動いて休憩といった形にしたいのですが、いかがでしょうか」


「ううん……」


 マルコはなぜか返事をしぶっていた。


 話の流れとして何ら問題のない提案ていあんのはずだが、とディアスがいぶかしく思っていると、マルコは少し困った顔をしていった。


「そういうことからやっていると、結果を出すのに時間がかかりそうだねぇ……」


「博士、これはカーディルにも言ったことですが……」


 と、前置まえおきをして


「我々の行っている実験は人類史上初の、偉大いだい革新的かくしんてきな実験です。あせって結果ばかりを追い求めて、全てを台無しにするような真似をしてはなりません」


 カーディルを説得したときよりもかなり大袈裟おおげさだが、マルコをせるにはこれくらいでちょうどいいだろう。


釈迦しゃか説法せっぽうするがごとき愚行ぐこう、お許しください」


 背筋をぴんと伸ばしてから頭を下げる。態度たいど論理ろんりも、ここまで堂々とされてはマルコも返す言葉がない。


 マルコが実験を早く進めたいと願う理由は、本人が結果を見たいと思うこと。社員たちから、いつまでわけのわからない実験に金をながしているのかと文句を言われていること、この二点である。


 何かを言い返したところで、苦しい言い訳にしかならないだろう。


「わかった、その方向で訓練メニューを考えておくよ」


「ありがとうございます。では……」


 ディアスが去ったあとのドアを眺めながら、マルコは大きくため息をついた。


「どいつもこいつも、勝手なこと言ってくれちゃって……」


 だが、言葉とは裏腹うらはらに、その口許は楽しげに笑っていた。

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