第22話

 外に出よう、その提案ていあんをカーディルは全力ぜんりょく拒否きょひした。彼女にとって外界がいかいとは悪意あくい視線しせんそそのろわれた地でしかない。


 愛する者に看取みとられてひっそりと死んで行く、それは彼女にとっての甘美かんびな夢であった。ディアスはカーディルを救えなかったことをやんでいるようだが、仲間に見捨てられたまま醜悪しゅうあくなミュータントの保存食ほぞんしょくとしてはしからかじられ死ぬことに比べれば雲泥うんでいの差であろう。彼女の心は充分に救われているのだ。


 覚悟は決まっている。それなりに満足もしている。今さら悪あがきをしようというのは、余計なことでしかなかった。


「もう、いいじゃない。私はここであなたと一緒に死にたいのよ……」


「俺は君と一緒に生きたいのだ」


 何事につけてもカーディルに甘いディアスも、今回は引き下がらなかった。


「君にとっては不本意ふほんいだろうが、俺はまだあきらめきれんのだ。どうか俺の、男の我儘わがままを一度だけ聞いてくれ」


 そういってディアスに重々おもおもしく頭を下げられては、カーディルは何も言えなくなった。


 カーディルを救うための行動だが、それを恩着おんきせがましく押し付けるのではなく、彼は自分の我儘だといった。誠実せいじつさにあふれる目でまっすぐに見据みすえられると、何もかもをこの男にゆだねたくなってくる。


(ああ、もうどうしようもないくらい私はこのひとが好きなんだなぁ。れた弱味だ、仕方ない。死にかたも選ばせてやりますか……)


 左手を伸ばし、ディアスの手を握って優しく微笑む。それだけで意思の疎通そつうは完了した。


 病院からこの部屋に向かったときと同じように、カーディルをかかえてマントでつつむ。


 車両用しゃりょうようのスロープを上がって外に出ると、何日かぶりの太陽が手荒てあら歓迎かんげいし、そのまぶしさにディアスは眉間みけんにシワをせて目を細めた。お前の来る世界ではない、そんなふうに太陽から拒絶きょぜつされたような気分だ。


 あまり人目ひとめにつきたくはないのだが、この街は昼よりも夜の方が人通りが多い。あらくれ者のハンターどもが昼には狩りに出かけ、夜に戻ってダミ声を張り上げながら酒を飲み歩くのだからそれも道理どうりといえよう。


 雑誌からやぶりとったページ、銃器の広告をポケットから取り出して、何度も住所を確認しながら丸子製作所へ向かっていた。


 数日の間、飯も食わず水しか飲んでいない状況で、炎天下えんてんかのなかカーディルを抱えて歩いているのだ。頭がぼやけ、れない道であることも合わさって何度も道に迷った。


(これでも、犬蜘蛛いぬぐもの巣から帰るときよりマシなんだから俺の人生どうなっているんだ……?)


 最近すっかりくせのようになっだ苦笑にがわらいを浮かべながら腰のホルダーから水筒を取り出しのど湿しめらせる。続いてカーディルにも飲ませると、なんだか動物の赤ちゃんにミルクをあげているようないとおしさを感じた。無論むろん、本人の前では言えないが。


 横顔が夕陽ゆうひの色にまる頃に、ようやく丸子製作所にたどり着いた。


 相変わらず道行く人々から注目されるが、心なしかその視線に侮蔑ぶべつの色は混じっていないように感じた。何故なぜかと考えれば、ここは義肢を取り扱う工場なのだから肉体の一部が欠損けっそんした人間は普通に見慣れているし、お客様でもあるのだろう。


 工場から出てきた研究者ふうの男を呼び止め、マルコ博士に面会したいむねげると、彼は事情をさっしたようでみずから案内をしてくれた。訳アリの客が突然訪ねてくるのも珍しいことではないのかもしれない。


 かばんを持っていたところからして、今まさに帰ろうとしていたところだったのだろうか。申し訳ないことをしてしまったと、ディアスは何度も丁寧ていねいに頭を下げて礼をべた。


 案内された応接室に入り、カーディルを革張りのソファーに座らせ、ディアスも隣に腰を下ろした。


 予想以上に尻が沈む。ディアスの部屋の安いベッドとは大違いだ。こういった何気ないところから貧富の差を感じて、尻以上に心が沈む。


 急な訪問にも関わらず、マルコは5分とたずに現れた。確かに、病院で出会ったあの男だ。


 しかしあのときとは違い、顔に薄笑いが浮かんでいない。あまり歓迎かんげいはされていないようだ。


「やあ、久しぶり。君のことは覚えているよディアスくん。それで今日はどんな要件かな」


 無駄話むだばなしをするなとくぎすような、少し早口の強い口調。回りくどい物言いは彼の心証しんしょうを悪くするだけだと判断して、ディアスも簡潔かんけつに要望を述べた。


「彼女に義肢をつけていただきたいのです」


「ふぅん、金は?」


「ありません」


 マルコは大きく、そして少しわざとらしく息を吐き出した。呼ばれたときからある程度ていど予想よそうはできていたのだろう。


「ディアスくん、僕は確かに君に対して多少の好意は抱いていたさ。今、全部消え去ったがね。自分は可哀想かわいそうな人間で、相手は金持ちなんだから、ちょっとお願いすればめぐんでくれるだろうだなんて考えているなら、それはちょっと僕をめすぎだよ」


 マルコの道ばたのくそを見るような視線を、ディアスは真っ直ぐに受け止めていた。これが物乞ものごいに来た奴の態度だろうかと疑問に思いつつ、マルコは話を続けた。


「そっちのカーディルくんに無料で義肢を与えたとしよう。それで、その先はどうなる?同じようにただで寄越よこせとむらがる連中にかたぱしからゆずらなければならないのか?僕は三日で破産はさんするな」


 同じような話は何度もしてきた。後悔もしてきた、裏切られたこともある。


 一度は好感を抱いた男に対してこんなつまらない話をしなければならないことに、段々だんだん苛立いらだってきた。


「僕は、弱者じゃくしゃ奴隷どれいになるつもりはないぞ……」


 地獄じごくからひびくくような呪詛じゅその声。


 だが、目の前の男はひるむどころか、わかりますとばかりに頷いてみせた。


 こいつはひとの話を聞いているのだろうかと、マルコはいぶかしく思い眉をひそめた。


(お話はわかりました、それはそうとして義肢を下さい……などと言い出したらどうしてくれようか)


 スイッチが切り替わるように苛立ちが怒りに変換へんかんされようかというそのとき、ディアスはまったく意外なことを言い出した。


対価たいかとして差し出せるものはあります」


「へえ?」


「俺の命です」


 何を言い出すんだこいつは。マルコとカーディルが同じような困惑こんわくした表情を浮かべた。特にカーディルは、ディアスに何か策があるとは聞いていたが、彼が生贄いけにえになるなどとは知らされていない。


 止めようとするカーディルを手でせいし、ディアスはさらに続けた。


「博士が何らかの人体実験を行い、その被験者ひけんしゃさがしていると聞きました。わかく、頑丈がんじょう身体からだの男。こいつに値段ねだんをつけていただきたい!」


 ディアスの咆哮ほうこう、そして沈黙ちんもくが流れる。


 マルコはここで笑って追い返すか、怒鳴どなって追い出すかすべき場面であったろう。事実じじつ、彼はそうしようとした。だが、ひとつ思い付いたことがある。彼らに付き合って欲しい研究がひとつだけ。


「ディアスくん。君は今、悪魔と契約しようとしているのかもしれないよ?」


「天使は俺たちに、何もしてはくれませんでした」


 その答えが気に入ったのか、マルコは笑って頷いた。いままでとは性質せいしつの違う、好奇心こうきしんき出しの笑顔だ。


「いいとも、中古の型落かたおちでよければ義肢のセットを譲ろうじゃないか」


「ありがとうございます!」


 デスクにひたいをぶつけんばかりに、ディアスは深々と頭を下げた。


 カーディルが自分で動けるようになれば気晴らしもできるだろう。義肢の動作に慣れれば一緒に狩りにも行けるかもしれない。


 これからどんな条件を出されるかわかったものではないので手放てばなしで喜ぶことはできないが、とにかく目の前に立ち塞がる壁が一枚、破壊されたのだ。


「それで、協力して欲しい実験なんだけどさ」


「あ、はい」


 頭を上げるとマルコの笑顔、その瞳の奥に狂気の光が宿っているように見えた。病院で感じた悪寒がよみがえる。


 だが、それでいい。狂人であればこそ、こんな話に乗ってくれたのだ。


 しかしディアスはマルコの顔をながめているうちに、さらに背筋が凍りつくような思いがした。


 この瞳は、自分を見ていない。


 マルコのゆがんだ口許くちもとから、はなたれる宣告せんこく


「君ではなく、となりの彼女にやってもらおうか」


 ついさきほど忠告されたばかりではないか。

 これは、悪魔との契約であると……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る