第21話

 狩りに出て、一日休み。狩りに出て、二日休みと、休む時間が長くなってきた。


 カーディルの神経衰弱しんけいすいじゃく度合どあいが激しく、目を離せなくなってきたのだ。


 ある日、狩りから戻るとカーディルはベッドにぐったりと横たわり、ディアスが部屋に入っても何の反応も示さないことがあった。視線はぼんやりと宙をさまよい、口のはしからよだれれている。


 まさか、と思いあわててり、首もとに手を当ててみゃくを計った。生きている。


 水を飲ませ、軽くほおを叩きながら名を呼び続けると


「あ、ディアス……?」


 などと、今気がついたような声を出した。


 カーディルのディアスに対する愛情あいじょう依存いぞんが大きくなればなるほど、失うことへの恐怖が際限さいげんなく増え続け、帰りを待つ間の精神負担も大きくなった。それがもう限界げんかいを迎えた。


 ディアスもまた、部屋に残したカーディルのことが気にかかり、狩りの最中さいちゅう注意力散漫ちゅういりょくさんまんとなって死にかけたことが何度もある。

 最低の悪循環あくじゅんかんができあがっていた。


 今は二人、身を寄せあって部屋でぼんやりとしている。


 言葉は無い。ただお互いの体温を感じているだけだ。それだけが唯一残された安らぎであった。


 愛用のライフルさえも売ってしまい、一週間分の水と食料に変えたが、それも尽きようとしていた。


「ねえ、ディアス……」


 カーディルのハッキリとした声を聞くのはとても久しぶりのような気がする。ディアスは少しおどろいて彼女の顔をじっと見つめた。


「私のこと、うらんでいない……?」


 正気に戻っている。だが、それは蝋燭ろうそくの火が消え去る前に一瞬、さかるようなものだと理解していた。


「恨む? なぜそんなことを?」


「だって私、あなたの足手まといになっているでしょう?私さえいなければ、あなたは自分の人生を歩むことができたでしょう?」


「それは違うよ、カーディル」


 ディアスは優しく語りかけながらカーディルのほおでてやった。彼女はくすぐったそうな顔をして笑う。


「カーディルがいてこその、俺の人生だ。今だから言うがね、君がミュータントにさらわれたとき、助かるだなんて思っちゃいなかった」


「えぇ……それじゃあ、なんで来たのよ? ちょっと様子を見に行こうって距離でも場所でもないでしょう? 観光名所にするには悪趣味あくしゅみすぎるわ」


格好かっこうつけて死にたかったのさ。つまらない人生。この先、生きていても良いことなんか何もなさそうな人生、そんなものにさっさとおさらばしたかった。ただ死ぬだけの理由も無かったから生きていただけだ。正直なところ、いい口実こうじつができたって思ったよ」


 あきれた顔をするカーディル。話しながら苦笑にがわらいをしていたディアスはふと、何かを思い付いたようにいった。


「いや、違うな。死ぬとばかり考えていた訳じゃない。頭の片隅かたすみでこうも思っていた、君を手に入れるチャンスじゃないかって」


「いきなりぞくっぽくなったわね……」


「男の妄想もうそうなんてそんなものさ。仲間のうち、他の男が助けに行こうと言い出していたら、俺はひょっとして逃げていたかもしれない。何のメリットも無いからね」


「結局、来てくれたわけで。おんに着せて抱くのが目的だったとして、あなたの口からそういう台詞せりふを聞いたことがないわ。俺のおかげで助かったんだぞ、わかっているだろうなグヘヘ……とか」


「それどころじゃなかったからねぇ……」


 顔を見あわせ、二人は笑った。とても笑い事ではないが、もう笑うしかない。


「なにより意外だったのは君が処女おとめだったことだな」


「いきなり突っ込んできたわね……いや、色んな意味で突っ込んだのはあなただけど。何これ、本音をぶっちゃけていい流れ? いかにも遊んでいる女って、そういう風に見ていたの?」


「男遊びが激しいとまでは思っていないが、君の回りにはいつも男が沢山たくさんいたからなぁ」


「サークルの姫ならぬ、ハンターの姫か。あんまり格好のいいもんじゃないわね」


 カーディルは長いまつげを伏せて、つまらなさそうにいった。


「取り巻きどもに男としての魅力みりょくを感じたことは一度もないけれど、ちやほやされて調子に乗っていなかったかと問われれば、確かにそういうところはあったわ。いつかそんな空気とか、雰囲気ふんいきに流されて、あのつまらない連中のうちの誰かに抱かれていたのかと思えば本当にぞっとする」


「雰囲気に流されて、か」


「できあがった空気というやつは馬鹿にできたものではないわ。あれはじわじわと精神をむしばむ毒のようなものよ。あなたが自分に価値がないとか、死んでしまいたいとか思っていたのも、周囲からの扱いによって蓄積ちくせきされた思考ではなくて?」


「そうだな、確かにそうだ。どんなに努力しても、働いても、周囲からは低く見られていたんだ。それこそ、明らかに俺より弱くてなまけている奴からもね。正しい、正しくないではなく、そういう風に扱っていい空気ができあがっていたのだろう」


 そんな扱いが続くと、何をしても無駄、何もかもがどうでもいいといった方向へ人格じんかくちていく。そうしてできあがったのが、今の何かと自己評価の低いディアスという男だ。


 やはり、カーディルは美しいだけでなく、聡明そうめいな女性だと、ディアスは自分のことのように嬉しくなった。


「ずいぶんと話が遠回りになってしまったが、俺が自分の生きる道とか、目標を見つけたのは君の存在あってこそなんだ。恨むどころではない、むしろお礼を言いたい。一緒にいてくれて本当にありがとう」


 彼女は満足げに、そして少し疲れた顔でうなずいた。目をつぶれば、もう二度と目をまさないのではないか。そんな不安にかられ、強く抱き締める。


 カーディルが少しだけ首を伸ばす。その意図を理解してディアスは唇を重ねた。


 結局、悪あがきをしていただけで彼女を守ることはできなかった。


 自分は何に負けたのだろうか。中型のミュータントにだって負けはしなかった。ひとを嘲笑ちょうしょうするかつての仲間の頭をふっ飛ばしてやった。

 現実という姿無き敵、あまりにも強大で醜悪しゅうあくな化け物に負けたのだ。


 カーディルに語った言葉に嘘はない。事件以来、一緒にいた時間は辛いことも多かったが、同時に幸せだった。


 今にも消えてしまいそうなカーディルの顔をじっと見ながら、過去に思いをせる。蜘蛛くもの巣、荒野、病院、地下……、何かが記憶のなかでかった。


 病室の前で出会った男、マルコ。病院のすけ、兵器工場のオーナー、義肢ぎしの調整を専門としたサイバネ医。

 調査を頼んだとき、カーディルはなんと言ったか。


人体実験じんたいじっけん被験者モルモットを探している……)


 聞いたときも思ったが、あまりにも非常識ひじょうしき無責任むせきにんうわさだ。


 だがもしも、噂が真実であったならば売れるものがまだあるということだ。

 頑丈がんじょうな肉体をもつ若者がここにいる。


(こんな話にすがろうとしていること自体が、俺の頭がいよいよイカれてきた証拠しょうこだよ。そもそも俺はマルコ博士の居場所いばしょだって知らないんだ……)


 床に落ちた雑誌が視界に入る。カーディルの無聊ぶりょうなぐさめになればと何気なにげなく買った本だ。


 拾い上げてパラパラとめくる。出版業界もきびしいのか、半分くらいは広告で埋まっている。その中で、銃器の紹介ページで指が止まった。


(おいおい、うそだろ……。偶然ぐうぜん買った雑誌に、偶然銃器の広告がっていて、もしも偶然マルコ博士の工場の住所なんか書いてあったら……)


 そのときは運命的うんめいてきみちびきを感じざるをない。とても神に愛されているとは思えないので悪魔の陥穽かんせいか何かだろう。


 水分が薄れ、ねばっこくなったつばみこみ、そのページにじっくりと目を走らせる。見当たらない。だが、広告に会社名が載っていないなどということがあるだろうか。商品が欲しくなったお客さんにどうしろというのだ。


 しばらく探してから気がついたが、ページの右下を自分の指でさえぎっていた。


 ゆっくりと、紙の上をうように親指をずらすと、そこに小さく書かれていた。


【丸子製作所】


「いや、だから、嘘だろ……?」


 信じられない、という顔をしながらも、怪しげな噂に賭けてみようかという気になっていたディアスであった。

 光明こうみょうと呼ぶにはあまりにもか細く、理論りろんたんしている。それでも彼女を救う可能性が残されているならば……と。


 余談よだんであるが、丸子製作所はその雑誌の大口スポンサーであり、広告は毎月載せている。

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