第20話

 他人から見ればひどくいびつな、だが二人にとって幸せな共同生活が始まった。


 狩りから帰れば出迎える女性がいて、夜は抱き合って一緒のベッドで眠る。


 ディアスは今まで、部屋に戻ってもやることなどなく、帰れば銃の分解と組み立てをひたすらやって、眠くなれば寝るという生活を繰り返していた。

 味気あじけないどころではない。今にして思えばひたすら気分が落ち込んで、死にたくなっていたのも当然であるような気すらしていた。


 人とまじわることでようやく理解した。あのころは異常であったと。なにより、それが己にせられたやくどころだと受けいれ、あきらめていたことが異常だ。


 手足を失った女の為に、ただひとりライフルをかついで荒野を走り回る、それを他人はおろかと指差ゆびさして笑うだろう。


 違う、そうではないのだとディアスは自信をもって言えた。彼女がいるからこそ、自分は路傍ろぼうの石ではなく、人間でいられるのだと。


 ディアスが帰るとカーディルはすぐにシャツをはだけて、ひざまでしかない足を開き体を求めるようになった。一晩に何度も、それが毎日だ。


 彼女はひょっとするとドスケベなのではなかろうかと考えつつも、ありがたく応じていたディアスであったが、事態はどうもそれほど単純ではなかった。


 カーディルの望み、思考方向はディアスの役に立ちたい、喜んで欲しいというその一点にのみ向けられている。ではそれを如何いかすかといえば、肉体的奉仕にくたいてきほうしの他にすべはなかった。


 他にも理由はある。ディアスが狩りに出かけている間、カーディルはこの部屋にただひとり残されることになる。


 地下の薄暗い小部屋で、何の娯楽ごらくも労働もなく、ただ灰色の天井をながめているしかない日々。


 入院していたときだってそれほど他人との会話があったわけではないが、街の喧騒けんそうは遠くから聞こえていたし、人の気配も感じられた。


 ここは、完全に外界と遮断しゃだんされているのだ。


 耳が痛くなりそうなほどの静寂せいじゃくのなか、何時間も恋人の帰りを待つしかない。だんだんと、自分の存在が希薄きはくになっていくように感じていた。肉体の熱さとよろびだけが、己の存在を確認させた。


 そんな彼女の心配をしてか、ディアスが本を買って来たこともあったが、この状態で文字が頭に入るはずもない。数行読んで放り出し、また数行眺めて脇に置くといったことを繰り返すだけであった。


 考える時間だけが、無限にあった。このような環境での考え事は常に悪い方へ、悪い方へと向かってしまいがちである。


 ドアを開けてディアスが出ていったまま帰ってこないのではないかという不安にかられていた。ミュータントに襲われ命を落とすか、自分に愛想あいそがつきて捨てて行くか。それはいつ、何の前触まえぶれもなく起こってもおかしくないことであった。


 ある日、ディアスが頭を負傷して帰ってきたことが、彼女の不安を増大させた。


 固く巻きつけた包帯ほうたいからうっすらと血がにじみ出ている。


「なに、ほんのかすり傷だよ」


 ディアスは心配かけまいと笑って言うが、カーディルは即座にうそだと見破みやぶった。


 彼女とて数ヵ月前までハンターとして活動していたのだ。どういった種類の傷なのか見ただけである程度ていどわかる。あれは一歩間違えれば致命傷ちめいしょうとなっていた傷だ。


「いやぁ、ちょいとばかし油断ゆだんしてしまってね。普段なら普通にけていたところなんだが……」


 嘘だ。彼は相手をめてかかって油断するような男ではあるまい。恐らく中型のミュータントを見つけて無理をしたのだろう。誰のためかと考えるまでもない、カーディルの為だ。


 ディアスはなおも下手くそな嘘を並べようとしていたが、カーディルがその体にしがみついて言葉をさえぎった。


「お願い、どこにも行かないで……」


「え?ああ、行かないよ。ずっと君のそばにいる」


 しがみつくカーディルの腕に力がこもる。ずっと一緒にいて欲しいとは言葉通りの意味だ。この生活を続けていこうという話ではない。それをわかって欲しい。


「おねがい、ディアス。どこにもいかないで、ずっとそばにいて、わたしをすてないで……」


 何かがおかしい。ディアスは背筋せすじ悪寒おかんが走るのを感じた。カーディルは泣きながら、不明瞭ふめいりょうな言葉を何度も繰り返している。


 ディアスはカーディルのほおを両手で包み、少し上を向かせた。目が、どこかうつろだ。正気の光が薄れている。


 この顔は見覚えがあった。犬蜘蛛いぬぐもの巣から助け出した直後の状態だ。しかし何故なぜだ、心の傷は完全とは言わずとも、治療できたのではなかったか?


 先程のカーディルの言葉を思い出す。どこにも行かないで欲しい、捨てないで欲しい。どちらもディアスに関わることだ。


 突如とつじょ、鉄球をんだような息苦しさと重苦しさに襲われた。脂汗が全身から滲み出る。


 一人にしておいたから、こうなったのか。薄暗い地下室でディアスの帰りをただ待つことしかできず、いつか帰って来なくなるのではないかという不安と恐怖に耐え、耐え抜いて、彼女の精神はけずられていたのではないか。


(俺が、彼女を追い詰めていたのか……?)


 だが、それでは、どうすればよかったというのか?


 生きるにも、前へ進むにも金が必要だ。己の能力を活かして効率こうりつよく稼ぐには狩りの他にはあるまい。


(結局、俺たちの運命は最初からんでいたということか。現実から目をらして悪あがきをしていたというだけの話だ……)


 カーディルの体を強く抱き締め、ほおをすり合わせながらいった。


「一日くらい狩りを休んだっていい。明日はずっと、一緒にいようか」


「うん……」


 意識が不明瞭ではあるが、どこか嬉しそうな答えが返ってきた。


 これが破滅への第一歩だと頭のなかで激しく警鐘けいしょうが鳴らされるが、もう、どうしようもない。

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