第18話

 病室から追い出されることになった。


 ミュータントにおそわれ重傷を負う者はハンター、行商人その他、職種を問わず数知れず、ベッドはいくらあっても足りないというのが現状である。


 これから先、医師の治療ちりょうを受けたところで良くなる見込みがあるわけでもなく、入院費をたまに滞納たいのうする患者など、真っ先に退院を迫られるのは道理どうりであった。


 ディアス自身、病院を介護施設かいごしせつとして利用していた自覚もあり、となえる材料は手札になかぅた。


 未払いの分は後で必ず支払いに来ると宣言せんげんするディアスに、受付の係は何の期待もしていない冷たい視線を返しただけだった。


 彼はその胸にカーディルを抱き抱えて立ち上がった。カーディルは左腕をディアスの首に回してぎゅっとしがみついている。

 見た目はまるでコアラをだっこする男のようだが、二人の胸中きょうちゅうはそんな微笑ほほえましいものではない。


 きびすを返すディアスの背に、「お大事に」という言葉が「さっさと失せろ」と同じニュアンスで投げかけられた。


 りつける太陽の下を、ディアスはややうつむき加減かげんで歩き続けた。カーディルはディアスの胸に顔を埋めて周囲しゅういを見ようともしていない。


 犬蜘蛛の巣から命からがら脱出し、病院に転がり込んだときと同じような奇異きいの視線にさらされながら、無言で歩いた。


 カーディルのふるえが、その身を抱く腕を通して伝わってきた。


 軽蔑けいべつの視線、侮蔑ぶべつ陰口かげぐち

 見ず知らずの他人の悪意が様々さまざまな形で二人に降り注ぐ。


 ディアスはちらと背に顔を向けた。カーディルを抱えた姿勢しせいではかなうはずもないが、ライフルを抜いて乱射したい気分だった。自分をめる奴、彼女を傷つける者、全てが憎かった。


 屈辱くつじょくに耐え、握る拳さえ彼女にはひとつしか残されていない。


「ねえ、ディアス……」


 顔を埋めたまま、くぐもった声でカーディルが呟いた。ディアスは悪夢から覚めたように顔をあげて、カーディルの背をいとおし気にでさすった。


「なんだい?」


「……ううん、何でもないわ」


 言いたいこと、聞きたいこと、話したいことと山ほどあるだろう。だが、それらが言葉にならないことはディアスも理解している。


「大丈夫、わかっている。わかっているから……」


「うん……」


 背に貼り付く悪意を振り払うように、早足で歩き出した。




 ディアスの部屋は地下駐車場を改造したつくりになっており、スロープを降りた先に小部屋がズラリと並んでいる、そのうちのひとつだ。


 電子ロックを解除し、重たい鉄の扉を開ける。


 中にはベッドとトイレ、そして机とびたパイプ椅子があるだけだ。

 殺風景さっぷうけい、ここにきわまれり。まるで鉄格子てつごうしのない牢獄ろうごくである。


  カーディルをベッドに寝かせ、ディアスはパイプ椅子に腰を下ろすと、疲労が一気にかってきた。体全体が鉛に変化し、もう二度と立ち上がれないのではないかと思うほどの疲労感である。


 その一方で、安心もしていた。ここならば誰の目に触れることもない、指差して笑われることもない。地の底の楽園だ。


「私たち、二人きりよね……」


 灰色の天井を見上げながらカーディルがポツリと呟いた。


「ああ、この部屋に二人だけだ」


「部屋というよりも……」


 首だけ動かしてディアスを見る。その目にはやはり、疲労とわずかな安心が宿っていた。


「この世界に、よ」


 その言葉の意味するところをしばし考える。外の世界に人間はいくらでもいるが、そのなかに信頼できる者はいるか、愛情を持てる者はいるだろうかと。


 ディアスもカーディルも、お互いのこと以外に興味はない、期待もしていない。


「そうだな。この世界に、二人っきりだ……」


 絶望の言葉のなかに、ほんの小さな甘美かんびの色が混じっていた。


 ふと、パンドラの箱の神話を思い出す。なぜ彼女は災禍さいかの箱を開けたのか。きっと、そうするだけの理由があったのだろう。


 ディアスもまた、その手に残った愛情を手放す気にはならなかった。たとえ幾億いくおく災厄さいやく見舞みまわれようとも、だ。

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