第16話

 カーディルのもとへと向かう途中、ちょうど病室から出てきた医者に出くわした。


「あの……」


 ディアスは思わず声をかけたが、それから何を言えばいいのかわからなくなった。


 カーディルの容態ようだいはどうかと聞くのもおかしな話のような気がした。彼女は病気で入院しているわけではなく、放っておけば手足が生えてくるわけでもない。精神の安定とか脈拍みゃくはくとか、当たりさわりのない答えが返ってきて、それで終わりだろう。


 何か聞きたいことがあったはずだ。頭の中で答えを探していると、男の方からにんまりと笑って話しかけてきた。


「いつも見舞みまいに来てくれているみたいだね。患者かんじゃ良好りょうこう精神状態せいしんじょうたいのためにもよろばしいことだ。ええと、確か……そう、カーディルくんの旦那だんなさんの、ディアスくんといったかな」


 患者かんじゃとその関係者をいきなり「くん」付けで呼ぶのもどうかと思ったが、この男の持つ学者ふうの雰囲気ふんいきがそれを不自然に感じさせなかった。


「いえ、俺とカーディルは夫婦ふうふというわけでは……」

「ふぅん、さっさと結婚したら?」


 余計よけいなお世話せわだ、と思いつつほおあたりがゆるむディアスであった。カーディルとは愛しあっているという自信はあるが、第三者からしてもそう見えるというのは愛情の保証ほしょうを得たようで、彼の心を喜ばせた。


「ああ、もうし遅れたね。僕はマルコ。この病院の正規せいきの医者って訳じゃないけど手伝いにされてね。先生というより博士と呼んでくれたほうがありがたい」


「ディアスです、この街でミュータントハンターをやっています」


 マルコと名乗った男が右手を差し出す。

 ハンターがき手を預けることはタブーではあるが、さてどうしたものかとディアスは少しだけ考え込んだ。


 いや、命をあずけるような行為だからかこそ信頼の証明になるのだろうと考え直して、マルコの手をとった。


 その瞬間、ディアスの背に冷たい感覚が走った。マルコは顔全体でにこにこと笑っているが、目だけが笑っていない。元々細い目が近眼用のメガネのせいでさらに細くなったように見える。


 ゆるやかなえがく目の奥で、化け物でも飼っているのではないかとすら思えた。

 手を離すと、危険な感覚は消え去った。目の前にいるのは柔和にゅうわな笑顔をたたえた普通の医者である。


「それで、何か聞きたいことがあったんじゃないのかな?」


 先ほどの悪寒おかんはなんだったのかと考える間もなく、マルコが話をうながした。


 信頼というよりも、この男に隠し事はできないという判断がディアスの背を押した。背筋をまっすぐに伸ばし、マルコを見据みすえていった。


「この病院の地下で、手足の欠損けっそんした女たちが客を取らされているというのはまことですか」


 一歩間違えればおのれの知らぬにカーディルがそこに放り込まれていたのかと思うと、自然と表情がけわしくなる。


 対照的たいしょうてきに、マルコはカエルのつら小便しょうべんとばかりにけろりとした顔でいった。


「うん、そういう慈善事業じぜんじぎょうをやっているみたいだね」


(こいつは今なんと言った?じぜんじぎょう?正気か?)


 ディアスはあきれといきどおりで、ぽかんと口を半開きにしたまま固まってしまった。


 不快な珍獣ちんじゅうを見るような視線に気付いたマルコは、ようやくディアスの考えを理解した。


「ああ、つまりあれだ、君はこう言いたいわけだ。不幸な女性を利用するような売春組織は許せん、と」


 人の思考しこう複雑怪奇ふくざつかいきであり、ただ一言で表現し、知った風な顔をされることはいささか不本意ふほんいではあった。しかし、特に反論する材料はなく、細かいことを言い出せばキリがないのでディアスは

「……そういうことです」と、能面のうめんのような顔でうなずいた。


 マルコはディアスの姿を上から下まで目を走らせ観察かんさつし、それからできの悪い生徒にさとすようにいった。


「ハンターがミュータントとの戦いによって手足や耳、鼻、あるいは眼球がんきゅうなど、体の一部を欠損することなど珍しくはないよね。まあ、カーディルくんほどひどい目に会うひとはなかなかいない……と、いうか犬蜘蛛の成虫さいちゅうさらわれたら普通は死んでるからね」


 あんに、死んだほうがマシだったと言われたようで、ディアスは暗澹あんたんたる気分に包まれた。考えすぎだとはわかっているが、自分のやっていることが本当に彼女の為なのかという思いはいつまでもこびりついていた。


「それで、だ。こっからが本題。重傷を負って仕事を続けられなくなったハンターは、それからどう生きればいいと思うね?」


「転職する、とか……」


 医師の口もとが意地いじの悪い方向にゆがんだ。どうやら、この即席そくせき教師の気に入る答えではなかったらしい。


「ハンターの前で言うのもなんだけどね。がくもなく、殺しの訓練くんれんだけしてきた人が手足を失いました。はい、誰がやとうんだそんな奴」


 考えをめぐらせるが、答えは出なかった。当然である。ハンターはつぶしのきかない仕事だとディアス自身が身にみて知っているのだ。他にできることがないから、たった一人で狩りを続けているのだ。


 野垂のたにこそ男の美学びがくとうそぶいてみても、一歩道をはずれればみじめなものだ。


「売春組織は、そうした女たちの受け皿だということですか」


「そういった一面いちめんもあるってことさ。僕だって、この病院の院長が聖人君子せいじんくんしだなんて1ミクロンたりとも信じちゃいない。どちらかと言えば、宿主やどぬしを殺さない程度ていど分別ふんべつがある寄生虫きせいちゅうといったところかな」


 ひどい言われようである。見ず知らずの院長いんちょう同情どうじょうせるディアスをよそに、マルコの演説えんぜつはますますなめらかとなった。


「人が人を救うということがどれだけ難しいか。今さら君に言うようなことでもないか。苦悩くのう実践じっせんを繰り返す君にはね」


「わかっている……つもりです」


「そうだろう。口笛くちぶえ吹いて鼻くそほじくりながら気楽に狩りをしているようには見えないからね。むしろなんだ、その顔色は。君こそ入院が必要なんじゃないか?」


 首をかしげてディアスの顔をのぞき込むマルコの表情は、医師として本当に心配しているようであった。


「いえ、大丈夫です。今は休んでいるひまもありませんから」


「そう、ならいいんだけどさ。君のような体力のありそうなタイプは疲れが表に出にくいだけで、確実かくじつまってはいるからね。無理をかさねると、ある日突然がくっとひざからくずちるのさ。もう本当に、何の前触まえぶれもなくね。倒れた本人も何が起こったのか理解できないくらい突然に」


 マルコは早口でまくしたててから、ちゅうに視線を放り投げて何事かを考え始めた。


「で、地下売春の件は納得できたのかい?」


 唐突とうとつな話題の転換てんかんであるが、ディアスは狼狽うろたえることなく、背筋を伸ばして深々と頭を下げた。


「先生の仰有おっしゃるる通りです。考えがいたりませんでした」


 しかし、上げた顔に貼り付く表情は納得とは程遠いものであった。とりあえず理解はしたからこれ以上文句は言わない、くらいのものだろう。


 それでいい、とマルコは満足気に頷いた。食っていくためには体を売るしかない、というのはあくまで次善じぜんさくであり、健全けんぜんな社会とは言いがたい。


 若者に、こんなくだらないことで納得されてたまるものか。現実とはこういうものだ、などと小賢こざかしいことを言わずに悩み、できることなら改善かいぜんしてもらいたい。


 マルコはこの、愚直ぐちょくであり、誠実せいじつでもある青年に好感をもった。


「結局は金、ここにくんだよねぇ。個人で戦車を所有しているようなかせげるハンターなら引退後に商売を始めることだってできるし、手足がなくなりゃ神経接続式しんけいせつぞくしき義手ぎしゅだって買えるだろうし……」


 突然、マルコの両肩はがっちりとつかまれた。ディアスが熱のこもった目でまっすぐに見据みすえてくる。


 ハンターの力とはこれほどのものか。なんとか身をよじってのがれようとするが、ぴくりとも動かない。


「それですよ、それ!」


「何がぁ?」


義肢ぎしですよ、神経接続式の!それさえあればカーディルだって元気になるはずだ、どうして今まで気がつかなかったんだ!?」


 天啓てんけいたりとばかりにディアスは興奮こうふんしていた。現実という牢獄ろうごくから抜け出すための手段がこんなにも身近に転がっていたのだ。


「うん、何か喜んでいるのはわかったが、とりあえず離してくれるかな。僕はウサギじゃないし、君はアリスじゃない。捕まえたってしょうがないだろう」


「や、これは失礼しました」


 ディアス両手をぱっと離して後ろに下がる。

 肩にあとが残ってはいないかと気にしながら、マルコは物憂ものうげにいった。


「どうしてその話が今まで君の耳に入らなかったかというとね……」


「はい」


貧乏人びんぼうにんに買えるものではないからだよ」


 はっきり言われてしまった。どうしようもないほどの事実ではあるが、もう少しオブラートにつつんで言ってほしいものである。


あきらめよう、この人はこういう人だ)


 出会って数分の付き合いだが、ディアスはマルコという人間を少しだけ理解した。

 彼に悪気わるぎはなく、相手をおとしめようというつもりもない。学者が淡々たんたんとデータをならべているようなものだ。


「具体的には、いかほどで?」


 ディアスはなおも食い下がった。かぼそくとも、ようやく見えた光明こうみょうである。貧乏人はせろ、で頷けるものではない。


「一番安いもので、軽戦車けいせんしゃ1両分くらいかな」


 甘かった。義手一本で背に回したライフルと同じくらいかと考えていたのだが、それらを数十本束ねたところで届かぬ金額である。


 戦車がないから徒歩とほでちまちまと小型ミュータントを狩っている。

 大きく稼ぐためには戦車が必要。

 義手は戦車と同じくらいの値段。


 三すくみの矛盾むじゅんが、ディアスをしばり付ける。


忠告ちゅうこくのつもりが、かえって混乱こんらんさせてしまったかな?」


「いえ、貴重なご意見をありがとうございました。これからどう動くか、しばらく考えてみたいと思います」


 一礼いちれいし、ディアスはカーディルの病室へと入っていった。


 その後ろ姿を、マルコはいつまでもまぶしげに見つめていた。

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