第15話

「また、アルダが来たわ」

 ディアスに目を向けず、天井を見上げたままカーディルはそう言った。


 相変わらず感情の起伏きふくは大きいものの、以前に比べて好意を示すことが多くなっただけに、顔を見ようともしない態度にはディアスもいささか戸惑っていた。


(それにしても、またあいつか……)


 人をねたみ、あざけることだけが甲斐がいだといわんばかりの、あの女の顔を思い浮かべると不快感で眉間みけんしわがよった。


 カーディルとの仲を急接近させる切っ掛けになったことだけはいい。もう役目は終わったから二度と来るなというのが正直なところである。


「私に仕事を紹介してやるって、恩着おんきせがましく言っていたわ」


 カーディルは感情のない声で淡々たんたんと語り続ける。


 手足のないこの状態で、彼女を妬んでいるであろう女が紹介する仕事。何を言うつもりなのか、何を聞かされたのか、病室に不穏な空気が流れる。胃の中にコールタールを流し込まれたような気分だ。


 ディアスはこの日、病室へ来るまでは上機嫌であった。狩りが調子良く進み、十数体のミュータントを倒して換金したのである。ソロ活動の戦果として、これはかなり大きい。


 病院の受付で滞納たいのうしていた分と、これから先数日分の入院費をなかば押し付けるような形で支払い、その足で病室へやって来たのだ。


 狩りがうまくいったのはあくまで偶然。だか、ほんの少しでも余裕が出来たことをカーディルと共に喜びたかった。


(それなのに、あのアバズレが……ッ)


 き上がる憎悪ぞうおを抑え、カーディルの話の続きを待った。どんなに不快な話であろうと、正面から向き合い二人で分かち合わねばならない。


「この病院の地下で、手足のない女が客をとっているって話でさ……」


 予想はしていた。だが実際にカーディルの口から聞けば、言葉で頭を殴りつけられたような気分だ。


 唇が震える。固く握った拳に汗が滲み出る。それでも、話を聞き続けなければならないのか。


 カーディルがようやく、こちらに顔を向けた。痩せこけた頬、どこを見ているのかわからない空虚くうきょひとみ。死神を連想れんそうせる表情に、ディアスは戦慄せんりつおぼえた。


 いや、確かに取り付かれているのだろう。死よりも深い絶望に。


「世の中には結構いるみたいね。手足の欠損けっそん興奮こうふんする男とか、身動きの取れない女を犯すのが好きな奴とか……」


「もういい、やめてくれ!」


 ディアスの怒鳴り声が病室内で反射する。カーディルは一瞬、怯えた目を向けて、すぐに顔を逸らした。


 隣室の住人が激しく壁を叩きながらわめいているが、これは無視した。


 今まで、ディアスはカーディルの前で大声を出すことなど無かった。次々と体のなかに入り込む怒りや不快感も、彼女の前では極力きょくりょく出さないように抑えていた。


 理性の堤防ていぼう決壊けっかいし、流れ出してしまった。苦い後悔と共に、落ち着いて言葉を選びながら語りかけた。


「俺は、君を愛している」


 カーディルはじっと耐えるようにその言葉を聞いていた。何度も好意は示されてきた。面と向かって愛していると言われたのは初めてだ。

 だが、そんな辛そうな顔で言わないで欲しかった。


「君はどうなんだ。心がかよいあったと思うのは俺の幻想だろうか。モテない男がちょっと優しくされたからといって舞い上がっていただけという間抜まぬけな話だったのか」


「ディアス、私は……」


 吸い込まれそうな、漆黒しっこくの瞳から大粒の涙があふれ出した。カーディルが錯乱さくらんして泣きわめいたことは何度もあるが、瞳に理性の光を宿したまま泣くところは初めて見る。


「私は、いつまであなたの重荷おもにであればいいの……?」


 違った。ディアスの愛情を無視したわけではない。愛しているからこそ身を売ることを深く考えたのだ。


 愛する者が己のために、独りで無茶な狩りを繰り返していることはわかっている。いつか無理がたたって、荒野に死体をさらし二度と返ってこないのではないかと思うと胸が張り裂けそうになる。


 また、カーディルを捨て、ディアスだけなら人生をやり直せるはずだ。いくら考えても行き着くところは、自分が足枷あしかせになっているという一点であった。


 答えの代わりに力強く、ぐいと肩を引き寄せられた。カーディルの体がディアスの腕のなかにすっぽりと収まる。


「重荷になっているだなんて思わないでくれ」

 低い、誠実さを感じさせる声がささやく。


「君に出会えたことが、俺にとっては最高の幸せなんだ」

 その言葉の全てが本心とは限らない。なぐさめの意味が強いだろう。そうとわかっていながら、ディアスの優しい声はカーディルの心身をとろけさせずにはいられなかった。


 全身に力が入らない。今、ディアスが手を離したらそのままベッドから転げ落ちそうだ。


 一方、ディアスはカーディルの身を抱き寄せながら、己の甘さを反省していた。


(状況は何も改善かいぜんなどされていなかった。ミュータントをちょっと多めに狩れた程度で何を浮かれているんだ。ふくらみ続ける借金から目を逸らして小銭こぜにを拾ったと喜ぶようなものだ)


 そうやって浮かれている間に、カーディルは独りで悩み、自己犠牲の道へ進もうとしていたのだ。


 さらに強く、痛くはしないよう考えながら抱き締めた。


「すまなかった……」


 何について謝られているのか、カーディルにはいまいちよくわからない。ただそれは自分のことを想ってのことだろうとは理解していた。


「うん、いいよ……」

 素直に頷く。


「アルダの言葉には耳を貸すな。あいつは君を地下娼館ちかしょうかんに引き渡して手数料をせしめたいのさ。あるいは君がどこまでもちるところを指差して嘲笑わらいたいのかもしれない。とにかく真面目に相手をしちゃあダメだ」


「うん、これからはあなたの言葉だけ聞くわ……」


 それはどうなんだろう、とディアスの心にブレーキがかかるが、カーディルの精神状態が極端に傾いた時などは依存いぞんしてくれていたほうが都合がいいのだろうか。

 もう、何が正解なのかよくわからなくなってきた。




 数日後、アルダの顔半分が吹き飛ばされ、即死した。

 対ミュータント用の弾丸で狙撃されれば人間の頭など熟れた果実かじつに等しい。


 荒野で双眼鏡をのぞき込むディアスの目に偶然映った、アルダの姿。


 別のチームにもぐり込んだのか、連れている仲間は以前の連中とは違う。


 ライフルに持ち換え、スコープ内にアルダの姿をおさめた。仲間と何事かを話している。どこか他人を馬鹿にしたような笑いかたをしていた。当人らは楽しんでいるのだろうが、第三者がみれば気分を悪くするような、そんな笑いだ。


 自分とカーディルのことを笑っているのだろうか。そう思うと、引き寄せられるように指が引き金へとかかった。そして、弾けた。


 まるで体が死んだことを信じていないとでもいうように、ゆっくり時間をかけて倒れた。アルダの仲間たちはまとまりなく、武器を構えて周囲を見回したり、物陰ものかげに隠れたりしている。


「当たるもんだなぁ……」


 ディアスは他人事のように呟く。彼らの狂騒きょうそう見飽みあきたとばかりにスコープから目を離し、その場を去った。


 目撃者のいない荒野、距離二千メートルの狙撃。犯人が特定されることはなかった。


 あの事件以来、変わったのはカーディルだけではない。ディアスは己の中から社交性が削られていくのを感じていた。

 元々人付き合いの良い方ではなかっだが、最近はカーディル以外の人間に対する興味が極端きょくたんうすれている。


「換金できるだけ、ミュータントの方がマシだな……」


 冷酷に、吐き捨てるように呟いた。危険な坂を転げ落ちていると自覚しながら、止まることはできなかった。

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