第14話

 ノックをして、返事も聞かずに病室へ入る。


 カーディルは顔を向けて、口許くちもとゆがめてみせた。作り笑いでもいい、歓迎かんげい意思いししめしてくれた、それだけで充分だ。


 少々大袈裟しょうしょうおおげさであり、ロマンティックに過ぎる表現ではあるが、二人の世界が壊れていないことにディアスは胸をろした。


「さっき、廊下ろうかであいつに会ったよ」


 名前を覚えていないので適当に言った。存在そのものは不快であるが、話の種になることだけは感謝していた。今日は無言で見つめあい、無言で帰るような後味の悪い見舞いにならずに済みそうだ。


「アルダが見舞いに来てくれたのよ。今さら」


 今さら、という単語に侮蔑ぶべつの色がざっていることに、ディアスは内心でにやりと笑った。二人の世界、その花壇かだんらされてはいない。


 アルダ、その名を聞いてようやく思い出した。


(そういえばいたな、いつもカーディルのまわりをちょろちょろしていて、男たちの人気のおこぼれにあずかろうとしていた奴が)


 そんな女が、今のカーディルを見て何を思ったか。そもそも何をしに来たのか。かつて羨望せんぼう一身いっしんに受けていた者が落ちぶれた姿を見下し、えつるためか。そう考えると、また暗い感情がいて出てきた。


 さっきから怒ったり安心したりといそがしいことだと、ディアスの冷静な部分が自嘲じちょうする。


「何を話していたんだ?あまり良い予感はしないが」


「ご名答めいとう。最初に、助けてあげられなくてごめんって形ばかりあやまって。後はほとんど、あなたの悪口ね。ディアスが先走ったのが悪い、みんなで協力していればこんなことにはならなかっだ。そればっかりよ」


「で、君はそれを信じたのかい」


 その問いに、カーディルは軽く鼻をふんと鳴らす。


「まさか。逆に理解できたわ、こいつら私を見捨てたんだって。自分は何も悪くないってことにしたくてディアスにケチをつけているんだ、ってね」


 一人を助けるために全滅するような危険は避ける。動けない者を切り捨てる。それはハンターの行動としては正しい。だが、それは責任を他人に押し付けるようなものではない。生きるために捨てたのだと、ハッキリ言えばいいことだ。


 やはり、あいつらは中途半端ちゅうとはんぱだ。仲間を切り捨てたうえで、まだ善人でいたいのか。ディアスの中にかつての仲間たちをなつかしむ気持ちは一片いっぺんたりとも残っていなかった。


一刻いっこくあらそう場面だと、そう思ったんだ」


「そうでしょうね。一旦いったん街に戻って休憩きゅうけい補給ぼきゅう。いくぞ、やるぞ、えいえいおー……なんてやっていたら、私は今ごろ首だけよ?」


 ふう、と息を吐いて天井を見上げる。汚れたキャンバスに彼女は何を見ているのか。


「メニュー豊富ほうふな悪口のフルコースを並べるアルダに聞いたのよ、あんたその時なにをしていたの、って」


辛辣しんらつだな。どう答えても恥をさらすことになるだろうが、あいつは何て?」


「別に何も。聞こえなかったふりをして一人でしゃべり続けたわ」


卑怯ひきょうな女だ……」


 ディアスの呟きに、カーディルは大きくうなずいた。


「ああ、それよそれ。あいつの人間性を表現するのに何かしっくりくる言葉があるような気がしていたんだけど、それだわ。うん、卑怯者だ」


 他人の悪口で盛り上がるのはあまり健全けんぜんな楽しみかたとは言えないが、こんなにも会話がはずむのは久しぶりで、めどきを見失った。


(すまない、卑怯者のアルダ君!)


 少しだけ生気せいきを取り戻したカーディルの横顔を、ディアスは目を細めてまぶしげに見つめていた。


「あなただけよ、私の話をまともに聞いてくれるのは……」


 熱をもった、うるんだひとみがディアスへと向けられた。長い睫毛まつげの奥の、蠱惑的こわくてき眼差まなざしに魅入みいられたディアスは今、ハッキリと自覚じかくした。自分は、彼女を愛しているのだと。遠くからながめ、あこがれ、そしてあきらめていた頃とは訳が違う。


(誰に命令されたわけでも強要きょうようされたわけでもない。義理ぎりでも義務ぎむでもない。俺だ、俺が彼女に生きて欲しいと願っているから戦っているのだ。こんな簡単なことを見失ったから、卑屈ひくつな顔をして荒野をいずり回ることになったのだ。俺は大馬鹿者だ!)


 光明こうみょうの見えぬどん底の生活ではあるが、ディアスの今までの無気力な人生で最も充実感じゅうじつかんを覚えた瞬間でもあった。


 消灯しょうとう時間がせまっている。カーディルは暗闇の中で独り残されると暴れることがあるので、あかりをつけたままの就寝しゅうしんが許されているが、見舞い客は帰らなければならない。


 入院費の支払いが遅れているのだ。ちょっとくらいいいだろう、と我儘わがままをいえば病院側の心証しんしょうがさらに悪くなる。名残惜なごりおしいが引き下がる他はない。


 ディアスは立ちあがり、カーディルのほおを優しくでた。少しだけつやを取り戻した肌は指先に吸い付くかのようだ。


「もう一度、その、いいかな……?」


 照れた顔で身を固くするディアスに、カーディルは微笑ほほえみ頷いた。視線がからみ合い、互いの指をもてあそび、そして唇が触れあった。


 以前のような、契約書に判を押すようなキスとは違う。今は体に生気があふれ、互いの気持ちが通じあっている。


 それだけで、こうまで違うものかとディアスは目を見開いた。しびれるような快楽が背にまで伝わり、ぶるりと身をふるわせた。


 カーディルの指先がディアスの手からするりと逃れ、そのまま首へと回された。


「ん……」


 彼女の方から求められているということが、ディアスの心を幸福感で満たした。


 空いた右手が自然と胸のふくらみへと吸い寄せられた。カーディルの身がピクリとねる。


(いかん、調子に乗りすぎたか……)


 杞憂きゆうであった。ディアスのあせりを感知かんちしてか、唇を離したカーディルがディアスの耳を舌先でなぞり、あやしくささやいた。


「あなたのやること、したいこと。私は全て受け入れる。何もこばまないわ……」


  ディアスの体を軽く押して、互いの顔が見える程度の距離をおくと、いたずらっぽい笑みを浮かべて、赤い舌をちろりと出した。


「ただこの部屋、かぎがかからないのよね」


 その笑顔に、ディアスさはかつての日常をほんの少しだけ取り戻したという確信を得た。感動で胸が熱い。


 ディアスはカーディルの左手を両手で包み込むように握り、深々と頭を下げた。


「ありがとう、カーディル」

「え?いや、お礼を言わなくちゃならないのは私の方だと思うわけで……」


「俺は、君のおかげですくわれた」

「いやぁ……どう考えても救われているのは私の方なわけで……ね、ちょっと、聞いてる?」


 カーディルの戸惑とまどいをよそに、ディアスはいつまでも頭を上げようとしない。にじみ出る涙が引っ込んでくれないので、身動きがとれなかった。


 結局、見回りの看護師かんごししかられて、ペコペコと頭を下げながら追い出されることになった。

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