第12話

 手術は成功した。とはいっても手足がえてきた訳ではない。止血しけつができたというだけの話だ。


 ベッドの上に転がったカーディルの、先端せんたんを失い丸くなったひじひざが痛々しい。


 カーディルはただ一本残った左腕に点滴てんてきし、うつろな目で汚れた天井を見上げていた。麻酔ますいはとうに切れているので意識はあるはずだが、ベッドの横で背もたれの無い椅子に座るディアスとはなんの会話も交わしていない。何を話せばいいのか、言葉が出てこないのだ。


 やがて、ディアスは腰を浮かせていった。


「それじゃあ、俺は帰るから」


「え?どこへ行くのよ!?」


 カーディルは心外しんがいだとばかりに目を見開いている。


「いや、自分の家に帰るんだが……」


「あ、そう、そうよね……」


 ディアスは右手を差し出し、あわててそれを引っ込めて左手を出し、カーディルの左手の指を軽くにぎった。握手あくしゅをしたかったわけではないので別に右手でもかまわなかったのだが、どうにもまだ心身しんしんともに傷ついた彼女への対応に戸惑とまどっているところがある。


「また見舞みまいに来るよ。明日も、明後日も……」


 その先はどうなる、考える余裕はなかった。一寸先いっすんさきも見えぬほど暗い未来。自分のやっていることが問題の先送りにぎないと自覚じかくしながら、ぼんやりとしたなぐさめの言葉しか口にできなった。


「手術代とか、どうしたの?」


「俺は無趣味むしゅみな人間だからな。貯金ちょきんだけはあるのさ」


 手術代にかんしてはそうである。だが、それでなけなしの貯金は使い果たした。入院費についてはこれから捻出ねんしゅつせねばならない。


 また二人の間に沈黙ちんもくが流れる。窓の外から聞こえる雑沓ざっとう、人々の生活の声がやけに遠いものに思えた。


 きびすを返し部屋を出ようとするディアスの背中に「ねえ」と声がかかる。


 再度振り返ると、カーディルが少し照れたような顔をして、唇に指先をあてていた。


「こういうときの、わかぎわにはさ……もうちょっと他にやることがあるでしょう?」


 男にびた、甘い声をだした。


 これが数日前の平穏へいおんな日常であれば飛び上がって喜んだことだろう。今となっては彼女の好意こうい行為こういがどのような意味を持つのか考えさせられる。


 共に死線を越えたことでそれなりに評価を得ることができたという自惚うぬぼれはある。だが彼女が今求めているのは愛の証ではなく、男をつなぎ止めておくための保証といった意味合いが強いだろう。


 それらを理解しながら、ディアスはき起こる理不尽を全て飲み込んだ。


 ここで彼女の誘惑ゆうわくを振り切ることは、ただ不安をあおることにしかならないだろう。自分は女の色香いろかまどわされ、馬車馬のように働く男、それでいい。


 ベッドに寝転がるカーディルにおおかぶさるようにして、唇を重ねた。二人とも肌にうるおいは無く、乾いた肌を押し付けただけだった。


 恋に恋するお年頃としごろ、などといったがらではないが、ファーストキスがここまで苦いものだとは思ってもみなかった。


 顔をはなして、軽く微笑ほほえみかけて部屋を後にした。これ以上、病室にとどまることができなかった。我が身のみじめさに泣き出したくなった。カーディルも今頃、ひとりで泣いていることだろう。


 同じ不安、同じ悩みを共有きょうゆうしながら、心だけが重ならない。

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