第11話

 かわき、ひび割れた大地をみしめディアスは一歩、また一歩と前へ進む。


 背負せおわれたカーディルが残った左腕でディアスにぎゅっとしがみつく。


 ロープでくくりつけてあるものの、落ちそうで心配なのか。あるいは別の不安におびえているのか。


「ねぇ……」


カーディルがれた声で、耳元でささやく。


「どうしてこんなことしたの?」


 抽象的ちゅうしょうてきな質問だが、その意味するところは間違えようがない。無茶をして犬蜘蛛の巣に潜入し、無理をして彼女を背負って歩いていることを指しているのだろう。


 どう答えたものかと考えたが、とっさに上手い言葉が出てこない。犬蜘蛛の襲撃しゅうげきを受けてから現在に至るまで、周囲の状況に振り回されてばかりいたような気がする。


 カーディルの救出を名目にあわよくば格好つけて死のうと思っていたら、予想以上にひどいことになっていて、とても放っておけなくなった。


 簡潔かんけつにいえばそういうことであるが、やはり上手く説明できる自信はない。


「色々あって引っ込みがつかなくなったのさ」


「なによそれ、意味がわからないわ」


奇遇きぐうだな、俺もだ」


 納得はしていないだろうが、それ以上の追求ついきゅうはされなかった。


 太陽が二人の頭上に容赦ようしゃなく降り注ぐ。ふと腕時計を見ると、すでに午後5時を回っているのだが、日差しが弱まる気配はない。


 できればすずしくなるまで岩陰いわかげで休んでいきたいところだが、夜になればミュータントの動きが活発になるので、時間を浪費することは自殺行為だ。


 また、他にも時間をかけたくない理由がある。


 カーディルは今まで1度も痛みをうったえてこなかった。手足が切り落とされているのだ、我慢がまんしようとしてできるものではない。


 ディアスはこれを、犬蜘蛛の麻痺毒まひどく痛覚つうかくおさえているのではないかと仮説した。


 時間が経つにつれ毒が薄れ、突如として激痛が襲ってくれば、カーディルの衰弱すいじゃくした体が耐えられるはずもない。


 さらに手足の切断面をふさぐ蜘蛛糸ががれかけているのか、血のしずくが彼らの道筋に点線を引いていた。


 ありとあらゆる条件が、ディアスに早く進めと追いたてる。


 もう、汗も出ない。吐き気がする、視界が歪む。


 本当にどうということはない、地面の小さなひび割れにつまづいて前のめりに倒れた。砂ぼこりをたててその場に沈む。


 立ち上がることができない。


 体力はすでにしぼり尽くし、背負ったものは重すぎる。


 数十秒か、数分か、時間の感覚もわからぬまま微睡まどろんでいると、頬をでられていることに気づいた。カーディルの残った左手だ。


「もう、いいよ……」


 背後から甘くささやく。何がもういいのか、聞こうとしたが言葉にならない。


「ここで一緒に死のう。来てくれただけでも、一緒にいてくれるだけでも嬉しいから……」


 そういって、ディアスの首筋に乾いた唇をわせた。


 甘美な死の誘惑ゆうわく。それこそディアスが求めてきたものではなかったか。


 だが、彼は立ち上がった。ひじをついて身を起こし、焼けた大地を手のひらで押し上げ、よろめきながらも立ち上がった。


 蜘蛛の巣で食われるにせよ、荒野で干からびるにせよ、それは彼女に相応ふさわしい死に様ではない。こんなところで死なせてたまるか、と。


「いい女は、男をやる気にさせるのが上手いものだな……」


 幽鬼ゆうきのごときディアスの顔にかすかな笑みが浮かんだ。


 体力はとうに限界を迎えた。彼を歩ませるものはただ、意地いじ見栄みえのみである。


(男が無茶をするのは、いつだって女の前で格好つけるためさ。そうさ、何も間違っちゃいない……)


 我ながらあまりの馬鹿さ加減かげんに声をあげて笑ってしまった。その拍子ひょうしに乾きひび割れたのどから血が吹き出し、あわてて飲み下した。血の一滴、汗ひとすじも貴重な水分だ。


 カーディルにはディアスが何故なぜ笑っているのか、これがわからない。気が触れたのかと思えばそうでもないらしい。


 すぐに考えることを止めた。正気だろうが狂っていようが、何ができるというわけでもない。


 今はただ、彼の大きな背中に身を任せよう。そう思い目を閉じて、すぐに気を失った。このまま二度と目を覚まさぬことを願いながら。


 数時間後、彼らは街に辿たど奇異きいの視線にさらされながら病院に転がり込んだ。


 その間の記憶はひどく曖昧あいまいである。

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