第10話

 出入り口は犬蜘蛛の巨体でふさがれていた。


 壁に無数の穴が空いてはいるが、光がかすかにこむむ程度で脱出できるようなものではない。


 今、このミュータントから見てディアスはどういう存在だろうか。巣を荒らし、獲物えものを横取りし、子供を殺した大罪人である。


(道に迷って入っちゃったんだ、すぐに出ていくから許して……で、許してもらえるわけがないよな)


 ディアスはカーディルを背にかばうような形で犬蜘蛛へと振り向き、片膝かたひざを立ててライフルを構えた。


 犬蜘蛛に一瞬で蹂躙じゅうりんされた惨劇さんげき脳裏のうりよみがえる。1対1、ライフル1丁で勝てるような相手ではない。せまい室内で敵も自由に動くことはできないが、それでも戦力差は歴然れきぜんとしている。


 銃を構えている、などと立派なものではない。恐怖が全身に侵食しんしょくし手が震え、銃を落とさないようにするだけで精一杯であった。


 軽く首を回してカーディルを見る。


(これ以上苦しまぬようカーディルを撃ち殺し、俺も頭を吹っ飛ばして自害するべきか。二人揃ってミュータントの保存食になるよりはいっそのこと……)


 そのとき、目のはしに映るものがあった。ディアスは己の血がスッと冷たくなるのを感じた。


 光明こうみょうと呼ぶにはあまりにも血なまぐさい。だが、ハンターとしての冷酷な覚悟と判断が、それを躊躇ためらわずに拾わせた。


 今にも飛びかからんとする犬蜘蛛の眼前に放り投げられた。それは、子犬蜘蛛の頭である。


 一瞬、動きが止まった。


 ディアスの目に、暗い光が宿る。震えは治まった。


 闇のなか爛々らんらんかがやく赤い瞳にピタリと照準しょうじゅんを合わせる。乾いた破裂音、弾丸が瞳のなかに吸い込まれる。まるで真紅の宝石を砕いたかのように、鮮血せんけつが散らされた。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」


 建物が砕けてしまいそうな絶叫が響き渡る。犬蜘蛛は暴れだし、壁に天井に、無茶苦茶に体をぶつけだした。


 大小さまざまな瓦礫がれきそそぐなか、ディアスはライフルを右手に、カーディルを左に抱えあげて犬蜘蛛のわきを走り抜けた。


 走りながらディアスのなかに、どっと苦い感情が流れ込む。


 死体を利用したこと、親子の情を利用したこと。


 人間とミュータントの戦いは主義主張の違いによるものではなく、憎しみあっているわけでもなく、ただの生存競争せいぞんきょうそうだ。そんななか、自分はやってはならない卑怯ひきょうな振る舞いをしたのだという罪悪感ざいあくかんがディアスの肩にのしかかる。


 岩影いわかげにカーディルを下ろし、背負い直してロープでくくりつける。背嚢はいのうは前にけ、ライフルは右手で掴む。日除けのマントでカーディルごと包み込み、二人羽織ににんばおりのような形にした。用意はできた、半日歩けば街に着くはずだ。


 それから30分ほど黙々と歩き続けた。振り返ると、まだ廃墟が見える。


 犬蜘蛛が追ってくる様子はない。何故なぜだろうかとしばし、歩きながら考えた。


(ひょっとすると、子供を守るためではなかろうか?1匹殺されているのだ、念のためその場に残り警戒していてもおかしくはない。片目を潰された怒りも抑え込み、何よりも子への愛情を優先させたのではなかろうか……?)


 犬の気持ちなどわからない。ましてや狂犬病のようなミュータントの想いなど。


 だが、今にして思えば子犬の頭を放り投げたその瞬間、犬蜘蛛の表情に変化があったような気がした。赤い瞳に浮かんだ哀しみの色を、自分が潰したのだと。


 気分は際限さいげんなく沈んでゆく。だが、歩みを止めることはなく、その両足にはますます力が込められた。


 己に残り、背負った命。たったひとつの大切なもの。


 これを守り抜くことが出来なければ、俺は本当にただのクズだ、と。

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