第8話

 砂塵さじんを抜けてたどり着いた先は廃墟はいきょであった。元は高層こうそうビルであったものが根本ねもとから倒壊とうかいし、横倒しになっている。さらに下半分は砂に埋もれていた。


 高さ40階、それが今は建物の横幅であり、フロアの広さが高さである。


 ディアスは適当てきとうな壁穴から中に侵入すると、背嚢はいのうからヘッドライトを取り出し、握りしめたまましばし迷った。


 ぼろぼろの廃ビルには無数の穴、あるいは破壊された壁があり、それなりに太陽光は入ってくるのだが薄暗いことに変わりはない。あかりをつけることはすなわち自分の居場所を教えるということだが、さてどうしたものかと。


 しばし考えた後に、相手は蜘蛛型くもがたのミュータントなので灯りがあろうがなかろうが、こちらを認識していることに違いはないだろうという結論に至った。


 大した違いはないとはいえど、敵のテリトリーで灯りをつけることは精神的な負担があった。荒くなる息を抑え込み、ライフルを構えて探索を始めた。


 天井と床が壁であり、壁が天井と床である。歩いているだけて方向感覚が狂い眩暈めまいがしそうだ。特に横になった階段部屋を進むときなど、つまづいてもいないのに何度も転びそうになった。


 壊れ倒れた棚の間を避けて慎重に進む。役に立ちそうなものはすべて持ち去られ、残るものは壊されていた。


 何か乾いた枝のような物を踏んだ感触がしたので足元を見ると、変色した白い棒のようなものが見えた。この荒れようでは元が何の部屋だったのかわからないが、今はレストランになっているようだ。


「笑えない冗談だ……」


 不快感を振り払うように、砂混じりのつばを吐き出した。


 高層ビルが横倒しになった廃墟なので広さも相当なものである。へたをすれば探索だけで数日かかってしまうのでは、と不安になったものだが意外に手がかりはすぐに見つかった。ある地点で蜘蛛の巣があちこちに張られていたのである。


 通常のものとは違う、一目ではっきり白く見えるほどの太さをもった糸であった。敵は近い。ライフルの先端でクモの巣を払いながら、左右に目を走らせ、より慎重しんちょうに進む。


 やがて気配けはいはより色濃くなった。名状めいじょうしがたい悪臭と、生暖かい空気がディアスを包み込む。


 植物とは違う、昆虫独特こんちゅうどくとくの青臭さ。けだものの発する体臭。そして新鮮しんせんな血の臭いがブレンドされて、吸い込んだディアスの頭がガンガンと傷みだす。


 すり足のような形で部屋に入るとそのすみで、闇のなか何ががうごめいている。


 かさかさと大量の何かがこすれ合う音。


 そして、にちゃりにちゃりと、水気と肉が混じる音。人間ものとは違う、咀嚼音そしゃくおんであろうか……。


 本能が、この先に進んではいけないと警鐘けいしょうを打ち鳴らす。心臓が激しく収縮しゅうしゅくし、口のなかは唾液だえきが張り付くほどに乾いていた。


 何も見ずに逃げろ、そして振り返るな。精神と肉体がそろって出した提案に、ディアスは従わなかった。


(俺は格好かっこうつけて死ぬためにここへ来たんだ。俺をしいたげてきた連中と一緒になどされてなるものか……)


 男の意地。この場において何の役にも立たないどころか、害悪がいあくですらあるものがディアスをしばりつけていた。つかみかかる仲間の頭をくだいてまで来たのだ。今さら後戻りなどできるはずもない。


 理由はもうひとつ。ディアスはいつも目で追っていた花のごとき少女の笑顔を思い浮かべた。できれば彼女には生きていて欲しい。無事に助け出すことができれば己のつまらぬ人生にも、多少の意味があったと思えるのではないか。


 幸せになって欲しい。たとえそのとき、となりに居るのが自分ではないとしても。


 やるべきこと、やるべき理由を確認すると覚悟が決まり少しだけ呼吸が整った。


 意を決してライフルを構えた。その視線の先、ヘッドライトが切り取った光の輪に映るもの、それは握りこぶし大の蜘蛛であった。狂犬の顔を持った子蜘蛛であった。 数十匹の子犬蜘蛛が1ヶ所に集まり、うごめむさぼっていた。


 震える光の輪、子犬蜘蛛たちの狂宴きょうえんの中心に、左手を残し他の手足をもがれたカーディルの姿を見た。

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