第4話

 煙草たばこ、アルコール、男たちの汗とあかよどんだ空気のなかをディアスは真っ直ぐに突き進む。両肩にそれぞれライフルとクーラーボックスを下げているのたが、重さを感じさせない堂々とした歩みだ。


 酒場をそなえたハンターオフィスである。薄暗い、きしむ床を突き進むディアスに誰も注意を払うことはなく。ディアスも他の連中に興味を示さなかった。


 カウンターの中で汚れてもいないグラスをつまらなさそうな顔でみがいている男がこの店のマスターだ。ディアスは担いでいたクーラーボックスを無造作むぞうさにカウンターへ置いた。


「キラーエイプの首だ。賞金をくれ」


 マスターはディアスを一瞥いちべつしたのみで、何も聞えなかったかのように、また顔を伏せてグラスを磨きはじめた。


「賞金をよこせ」


 ディアスがクーラーボックスを相手に向けて開けてみせる。巨大猿の頭が表れ、くさった血の匂いが辺りに広がった。

 クーラーボックスとはいっても、氷は入れておらずただ密閉するために使っているだけなので、この灼熱しゃくねつの世界では腐敗ふはいも早い。巨大猿の野性味も合わさった強烈な匂いは開けたディアス自身も眉を寄せるほどであった。


 悪臭に慣れきったはずの賞金稼ぎたちが一斉いっせいに振り向き、いくつかの舌打ちが聞こえた。


「聞こえている、そういうことするんじゃねえよ」

「聞いているなら反応しろ、己の職務を果たせ」


 マスターは答えない。ただ不機嫌な顔にさらにシワを寄せるのみであった。奥の手金庫から数センチ大の長方形のプラスチックケースをいくつか取り出し、カウンターに叩きつけた。


 透明なケースの中にはさらに小さな長方形の金が入っていた。


 国家、政府が機能していない状態で紙幣しへいは使えない。その価値を保証する者がいなければ、紙はただの紙だ。


 信用されるものは塩と金とダイヤモンドくらいのものだが、塩で買い物となると大量に用意しなければならないのが難点である。普段の買い物に行くだけでもカバンいっぱいに塩を詰め、大きな取引の度に塩のコンテナを用意しなければならないならないのでは、やはり通貨として適当ではない。


 ダイヤは流通量が少なく、純度、大きさにもバラつきがあるので価値の統一が難しい。


 こうして価値の高さと加工のしやすさで金が通貨として選ばれたのだが、砂金では交換しているうちに目減りする恐れがあり、むき出しの小粒や金属片では紛失ふんしつするトラブルが多発した。

 紆余曲折うよきょくせつ試行錯誤しこうさくごの結果、数グラムの金をプラスチックケースでおおい使いやすい大きさにした、クレジットと呼ばれる通貨が誕生した。


 その、カウンターに置かれた数個のクレジットであるが、ディアスはただじっとながめるだけで手をつけようとしない。


「おい、足りないぞ」


 またもマスターは露骨ろこつに無視した。さっさと帰れと言わんばかりに背を向けてグラス磨きを再開している。


 相手を無視していれば精神的に優位ゆういに立ったと思い込める人種か。ディアスは苛立いらだちをとおして、ここまでされたなら自分もやり返す権利があるだろうという、開き直りに近い思考に至った。


 ライフル肩から下ろし、片手で持ってマスターの背中に突きつけた。


「金を出せ」


 マスターはあせって振り返りながら銃口を手で払おうとしたが、ディアスはそれを予測よそくしていたようで、意地の悪い笑みを浮かべながらひょいと持ち上げてそれをかわした。


 怒気どきをあらわにしたマスターがにらみ付けるが、少し腰が引けているので迫力に欠ける。


「てめえ、正気か?」

「この街に正気の奴がいるとでも思うのか?」


 ハンターは街をミュータントから守り、この砂と岩の世界に人類の居場所を確保する防衛ぼうえいかなめである。それらを統括とうかつ、運営するハンターオフィスで強盗などやらかせば、街の有力者たちからたちまち賞金をかけられて追い回されることになるのだ。


 だが、ディアスは非難されるいわれは無いとばかりに堂々としていた。


「俺はただ、賞金を正しく払ってくれと言っているだけなんだ。何かを間違っているかい?」


 マスターは答えず、せめてもの抗議とばかりに顔いっぱいに不機嫌さを浮かべるが、ディアスにしてみれば賞金をねこばばしようとした奴のご機嫌などを取ってやる義理はない。


 銃口こそ下ろしたものの、射抜くような視線がマスターの手元を追っていた。


 やがてカウンターの上に追加でクレジットが置かれる。ディアスは目で数えると、間違いのないことを確認し、ふところから革袋を取り出してクレジットを放り込んだ。


「あまり、つまらん嫌がらせをしないでもらいたいな。ハンターオフィスの品位ひんいが下がるぞ」


 ひとこと釘を刺してから、ディアスはきびすを返し酒場を後にした。


 その背を睨みながらマスターは忌々いまいましげに呟く。


「ちっ、ダルマのヒモがえらそうに……」


 その言葉が終わるか終わらないかといった瞬間、風を斬りほおき、背後のたなに並べられた酒瓶さかびんのひとつがくだけ散った。水くさい酒とガラス片が板張りの床を叩く。


 何が起こったのか理解できない。恐怖で硬直こうちょくする顔を無理にでも起こすと、その視線の先に立ち去ったはずのディアスが居た。

 先程さきほどまでの嫌味いやみ応酬おうしゅうどころではない、明確めいかく殺意さつい宿やどる目でライフルを構えていた。


 腰が抜けてその場にへたりこむマスター。ディアスはその姿をしばらくつまらなさそうに見ていると、やがてふんと鼻をならして、今度こそ振り返らずに出ていった。


 カウンターの内側は安酒と小便まみれで掃除が大変だろうが、それはディアスの知ったことではない。

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