薔薇香る憂鬱

きし あきら

紅薔薇と青つばめ

 ある国に、やさしい王さまが住んでいました。みやの庭には世界じゅう、一年じゅうの花や鳥がいっぺんに暮らしていました。ひろい国のひろい庭でしたので、そういうことができたのでした。

 なかでも愛されていたのは、あふれるように若いいちりん薔薇ばらでした。王さまは自分の部屋の窓から、朝も夜も花園の真んなかをながめては、色よい肌と、風にのる香りとをめるのでした。

 「この庭のだれよりも美しいおまえ。私はいつでも、おまえを愛しているよ」

 長いことそんなふうにされるうち、薔薇はだんだんとえらい気もちになりました。

 「ああ、王さまの言うことは本当だわ。あたしったら、なんてれいべにいろをしてるんでしょう。なんてうっとりする香りでしょう。それにこの素晴すばらしいとげ!」

 そう言って、すこしでも気に入らないことがあると、ほかの花をたたくふりをするようになりました。


 どれくらいかがったとき、悲しい顔をした王さまが花園までおりてきました。

 「薔薇よ。おまえのわがままがあんまり過ぎるので、このたびばつを与えなければならなくなった。それでも、私がおまえを想う心に変わりはないのだよ。どうか最後に考えなおしてはくれないか」

 「あら、そんなふうにおっしゃるなら王さま、ゆるしてくださったらいいじゃありませんか! だってあたしは薔薇なんですよ」

 これを聞いた王さまがひとつ息をつくうちに、まんの色と香りとは、すべて取りさられてしまいました。あんなに美しかった花びらは、ひからびてちぢみきり、くしゃくしゃの紙くずのようになりました。

 王さまだってずいぶん悲しがりましたが、薔薇も自分のつらいすがたに、毎日を泣いて暮らすようになりました。そのうえ、とげだけは残っていましたから、ほかの花たちは遠くから、かつての薔薇をながめているだけなのでした。


 みやの庭の真んなかにある花園の、その真んなかに立つ、ひとりぼっちの薔薇のところへ、一羽の鳥がいおりました。それは青い羽をもつ、つばめでした。つばめはずっと前から、この花に恋をしていたのです。

 「薔薇さん、元気を出してください。どんなすがたになったとしても、あなたには綺麗な心があるじゃないですか」

 顔をあげた薔薇は、けれどもそれが鳥だとわかると、とてもいやそうにしました。声をかけたもらえたうれしさよりも、みじめな気もちのほうがずっと強かったのです。

 「だれかと思えば、つばめさん。べにいろでもなく、香りもなく、速くてうるさいだけのあなたが、なんの用」

 「あなたが悲しんでいるのを見ていられないんですよ。ね、またみんなで遊びましょう。楽しいことを思い出しましょう」

 薔薇はうんざりして言いました。

 「あなたに、なにがわかるっていうの。あたしはいま、とってもみじめなんだから、ほうっておいてちょうだい」


 それから、いく月かが経ちました。何度追いかえしても、つばめはたびたびさそいにやってきました。

 「いい加減にしてちょうだい。今日こそ、このとげでたたいてやるわ」

 うつむいてばかりいた薔薇は、前よりもっとくしゃくしゃになったからだを伸ばして、つばめをたたこうとしました。

 「いけません、薔薇さん。ぼくは知っているんですよ、あなたは一度だって、だれかを傷つけたことなんかないんでしょう」

 かわいそうな、意地っ張りの花はとうとう泣きだしました。

 「それはあたしが綺麗だったからよ。そんな必要がなかったからよ。でも、もうだめなの。あたしはもう、こんなにみにくいんですもの」

 つばめは、ぷるぷるっと羽をふるわせてたずねます。

 「それならもし、もとのように美しい見た目になったなら、またみんなと遊んでくれますか。そしてぼくのことを、すこし好きでいてくれますか」

 「そんなの、できっこないわ。もとに戻るものなんて、ひとつもないの」

 薔薇は本当にそう思っていましたので、投げやりな気もちで続けます。

 「だからそうね、もしできたならいいわ。色も香りも、もとのようにしてくれるなら」

 「わかりました。約束です。きっとなんとかしてみせます」

 それだけ言うと、つばめは花園を飛びたって、わずかのあいだ考えました。こんなとき、渡り鳥の知恵と勇気とがどんなに役だつか、園の花は知らなかったのでしょう。


 青い羽は速くはやく、王さまの庭を東へと飛びました。そのうちに夜になり、向こうから銀いろのお月さまがやってきます。

 「こんばんは、お月さま」

 「おや、こんばんは、つばめさん。こんな夜にめずらしい」

 つばめは、はばたきながら、ちいくる、ちいくる、話します。

 「ぼくは、お月さまにお願いがあってきたのです」

 「なんですか、言ってごらん」

 「薔薇さんに、あなたの香りを分けてあげてほしいのです」

 お月さまは、きよくはかなく、ほほ笑みました。

 「いいでしょう。ただし、あなたの声と引きかえですよ。わたしのすずやかな音が、あなたのさえずりほど遠くへみわたるように」

 「かまいません。でも、一日だけ待ってください。次にお会いするときに、必ず声をお渡しします」

 しょうして通りすぎたお月さまは、ぐんぐん西へといきました。


 飛びつづけるうちに朝になって、今度は向こうから金いろのお日さまがやってきました。

 「おはようございます、お日さま」

 「おや、おはよう、つばめさん。朝が早いのだね」

 つばめは、ぱたくる、ぱたくる、風をうちながら話します。

 「ぼくは、お日さまにお願いがあってきたのです」

 「いったいなんだい、言ってごらん」

 「薔薇さんに、あなたの色を分けてあげてほしいのです」

 お日さまは笑って、いっそう明るくなりました。

 「いいだろう。ただし、あなたの羽と引きかえだ。わたしの燃えるひかりが、あなたのはばたきのように、すみやかに、庭じゅうに行きわたるように」

 「かまいません。いますぐにだって、かまいません」

 「それでは、そうしよう」

 お日さまに羽を渡したつばめは、空を渡る声だけになって東に飛んでいきました。やがてふたたび夜になったとき、よく通るさえずりが、まっすぐお月さまへと飛びこみました。


 それで、一日が暮れ、一夜が明けるうちに、薔薇には日の色と月の香りがそそがれました。薔薇はもとよりももっと美しく、瑞々みずみずしく、かぐわしくなりました!

 「なんてことなの。つばめさん、本当にわたしを綺麗にしてくれたのね。でも、あなたはどこにいるんでしょう。つばめさん、つばめさん」

 生きかえった薔薇のところへ、毎日いろいろな花や鳥がやってきました。そして、とげでいじめられないことが分かると、挨拶あいさつをしてくれるようになり、遊びに誘ってくれるようにもなりました。けれども、薔薇はつばめのことが忘れられません。一日じゅうだって探しています。

 「いったいどこにいるの、つばめさん、つばめさん」


 これを見ていた王さまは、悲しそうな顔をして、また花園へとおりてきました。薔薇にすべてを聞かせるためです。王さまは庭の持ちぬしでしたし、えらいかたでしたので、なにもかもを知っていました。なにより、あの青くてかしこい鳥のことが大好きだったのです。

 薔薇は王さまの話を聞くと、いつかのように泣きだしました。そして、今度はどんな罰でも受けますから、つばめを庭へとかえしてくださいと頼みました。王さまは答えます。

 「薔薇よ。おまえが知っている通り、なにもかもを、もとに戻すことはできない。けれども、おまえがこれまでのことを忘れず、あの鳥に感謝をして生きることをちかうなら、別なかたちでそれをゆるそう」

 薔薇は迷うことなく誓いをたてました。そして王さまのお許しのおかげで、つばめは日と月とから、もう一度生まれたのでした。

 ただし、薔薇もつばめも、これまでのように庭にいるわけにはいきません。王さまが特別に呼んだとき以外、薔薇は土のしたへ、つばめは空のうえへかくされてしまうことになりました。それでいまでも、このふたりは束の間に、わたしたちの前にあらわれるのだそうです。

 ええ、一番残念ざんねんがったのは王さまでしょう。なぜなら本当は、いとしいものを毎日だって眺めていたかったのですから。


(おしまい)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

薔薇香る憂鬱 きし あきら @hypast

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ