ツチノコとスナネコ②

高校3年、初秋


中間試験が終わった。秋が始まり、夏の思い出はすべて長袖の下に隠れてしまった。ツチノコにとっては、またパーカーを着られるようになって嬉しい季節である。やっぱり夏は嫌いだ。雲が程よく出て、空はまだらだった。


「ツチノコはこの後何かありますか?」


隣を歩いているスナネコが話しかけてきた。試験があった日は、教員が採点をするために午後が休みになる。試験自体は今日で終了したから、この解放感を阻むものは何もない。


「別に。図書館に行くだけだ」

「カラオケ、行きませんか」

「カラオケ?」

「知りませんか、カラオケ」

「じゃなくて、なんで」


責められてる気でもしたのか、スナネコの声が陰る。ツチノコとて、スナネコと居られるならカラオケでもマックでもやぶさかではない。しかし、スナネコと一緒にいることを理由にするのは恥ずかしいのだ。ツチノコとしては図書館よりカラオケを選ぶ客観的な理屈が欲しいだけであったが、スナネコが理詰めに弱いことを少し忘れていた。


「いや、別に」

「いやまぁ、いいけど」

「いいですか?」


ちょっと声が弾んだ。そのように聞こえた。太陽が雲の陰から出てきて、空気がほんのり暖かくなる。


「いいけど、あんま期待すんなよ。音痴だぞ」

「別にいいですよ。楽しいから歌うんです」

「みんなそう言い切れる訳じゃねえよ」

「ツチノコは、嫌いですか?」

「音痴だからな」


二人は、駅前の交差点で駅には向かわず、違う方向に曲がってカラオケボックスに向かった。平日の昼間の街はとても静かで、つくりものの街に迷い込んだみたいだ。受付の店員も覇気のない態度で、淡々と客の対応をしている。スナネコはこのカラオケの常連らしく、会員証を見せて手続きを終えると、慣れた動作でドリンクバーを準備して、ツチノコにもサイダーを持たせ、指定された部屋へ歩いて行った。

狭くて小汚い廊下を、スナネコの背中についていく。通り過ぎる他の部屋は暗くてよく見えないが、くぐもったポップスの音と、何を言っているか分からないシャウトが聞こえる。人の唄声って、いくぶんか獣の鳴き声に似てるんだなとツチノコは思った。前カラオケに来たのはいつだったか、もう覚えていない。


「ここですよ」


スナネコは伝票とドリンクを持ったまま器用にドアを開けると、するりと部屋の中に入っていく。ツチノコも彼女に続いて入る。スナネコはてきぱきとライトをつけて空調を入れ、リモコンの初期設定をしている。カラオケボックスは狭くて、スナネコがいつもより近くに見えた。カラオケボックスって密室だったなとツチノコは思った。


「狭いな、思ったより」

「ツチノコは、カラオケ初めてですか?」

「久しぶりだ」

「緊張しなくていいんですよ」

「してねーよ」


スナネコはふふっと笑った。やっぱりいつもより楽しそうである。一瞬その訳が自分と一緒にいるせいなのではないかと思ったが、スナネコは歌うのが好きなのだから当然なのだと思いなおした。一瞬入り込んだ淡い妄想が頭を離れなくて、ツチノコは物理的に頭を振った。ツチノコが独り相撲している間も、スナネコはリモコンをピッピッと操作している。


「なに歌うんだ?」

「ツチノコも分かるのがいいかなって思ったんですけど、ツチノコふだんどんなの聞いてますか? アニソンとかは?」

「あー、アニソンは別に抵抗ないけど、あんまり聞いてはないな。こういうとこで『聞いてます』っていって、実際曲出されたときに『わかりません』ってなるのも気まずいし、でも」

「そうですか、じゃあこれで」

「聞けよ」


モニターに「ようこそジャパリパークへ」という文字が現れた。軽快なBGMが始まり、歌詞が出てくる。ちょっと前に大流行したアニソンで、ツチノコも90秒版なら知っている曲だ。スナネコの歌が始まる。スナネコの歌は、ツチノコが考えていた以上に上手だった。普段の話し声とは全然違う、凛とした声。迷いのない音程と正確なリズム。違和感のない抑揚。スナネコの歌い方は相当慣れていて、真剣な練習をずっと重ねていたんだろうとツチノコに思わせた。


ツチノコがびっくりしている間に、スナネコは一曲歌い終えていた。思わず聞きほれてしまった。次に曲を入れていなかったので、モニターに流行り歌のプロモーションが流れ始める。


「ツチノコは何入れるんですか?」

「あっすまん。聞いてたら手が」


スナネコは得意そうに微笑んだ。


「ありがとうございます」

「は?」

「ツチノコが歌ってる間に僕は次の曲探しますね。何かリクエストがあればいいですよ」

「何でもいいな」

「そうですか」


ツチノコは何を歌うか迷って、結局いつも聞いているボーカロイドの曲を入れた。遊び慣れた女子高生はここで万人受けする曲を入れるというが、ツチノコはそれのどこが楽しいのか、さっぱり分からなかった。ツチノコがそのボーカロイドの曲を選んだのは、いつも聞いているからということと、『本人映像』というマークがついていたからだった。音程が合うかどうかなど、考えを至らせることはまだできなかった。意外と歌詞を忘れていたり、音程が取れなかったりした。歌が高すぎたり、低すぎたりした。ツチノコは不完全燃焼な思いを抱えたまま歌い終わった。スナネコにまずいものを聞かせてしまった気がする。


「どうだった、俺の今の」

「良かったと思いますよ」

「そ、そっか。へへ」

「楽しいなら、いいと思います」


スナネコは『loveずっきゅん』という曲を入れていた。タイトルが愉快で、ツチノコは最初から笑ってしまった。さっきとは打って変わって、けだるげなロックンロールだった。

歌を歌っているときのスナネコは、まるで別人のようだ。歌に合わせてまとう雰囲気が変わる。歌詞は意味が分からなかったが、曲自体には不思議な気持ちよさを感じた。この歌詞はまるで、いつも学校でぼうっとしているスナネコそのものじゃないかとさえ思った。


「お前上手いんだな」

「この曲は好きですから」

「音程とかどうしてるんだ?」

「さあ。ずっと歌ってたら、少しずつ」


それから二人は、それぞれ好きな曲を順番に歌っていった。ツチノコの好きな曲は、どれも歌いづらかった。途中で声が出なくなったり、早口についていけなくなったりした。ツチノコはどんどん気が滅入ってきた。ついにツチノコは歌おうと思う曲がなくなり、予約リストの曲も底をついてしまった。すべての曲を歌い終わったスナネコが、うつむいて座っているツチノコを見る。


「ごめんな。下手で」

「そうですか」

「……お前って、妙に冷たいよな」

「んー」スナネコは少し考えるような顔をした。「ツチノコの歌ってる歌は、ちょっと難しそうだなって思いました」

「歌に簡単とか難しいとかってあるのか」

「ありますよ。例えば、こういう曲がいいと思います」


スナネコがカラオケ端末で見せてくれた曲は、誰でも聞いたことがあるような大ヒット曲だった。その曲が流行った当時、周りのみんなが狂ったように聞いていたのを覚えている。ツチノコはそういうのが嫌いであまり聞こうとはしなかった。聞こうとはしなかったが、当時の雰囲気のせいか、今でも口ずさめる程度には知っていた。


「あーこれか。知ってるけど、オレこういうのあんまり聞かないんだよな」

「歌えますか?」

「あーまぁ。だけどこういうのって音楽性がさぁ」


ツチノコが言い終わる前に、スナネコが曲を予約してしまった。スナネコはマイクを二本持つと、一本をツチノコに渡した。


「歌いましょ?」

「マジで言ってる?」

「ボクも歌いますから」

「まぁ……」


ツチノコはマイクを受け取った。曲が始まる。聞き飽きた、懐かしいキャッチ―なイントロ。どうやら本人映像が入っているようで、画面では下着姿の若い女の子が踊っている。ツチノコはどうせ自分は歌えっこないだろうと思っていたが、実際歌ってみると、さっきまでの歌えなかった数々の曲たちよりもはるかに声が乗せやすかった。びっくりするほど音を外さずに歌えた。それに隣でスナネコが歌っていたので、戸惑わずに歌うことができた。ツチノコの歌を、ずっとスナネコが支えてくれていた。スナネコと歌っていて、ツチノコは初めて歌っていることが気持ちいいと感じた。


「どうでしたか?」

「歌えた」

「そうですか」

「こういうの、お前は『まんぞく』って言うのか?」

「そうですよ」スナネコが笑った。彼女のこういう顔を見ると、ツチノコはなんだかうれしくなるのだった。「ツチノコが楽しんでるみたいで、ボクほっとしました」

「オレはお前の歌ってるの、聞いてるだけでも楽しいんだぜ」

「歌は歌っても楽しいんですよ」

「なんとなく分かる」


スナネコは次の曲を探している。


「ボクは普段から考え事をしてるから、お話するより歌う方が好きなんです」スナネコがぽつりと言った。「だから、ツチノコと歌うことができたらいいなって思ったんです。今日は無理やり誘ってごめんなさい」


「急に改まるなよ」ツチノコは急に緊張した。


「でも時間が時間なので、あと1曲」ふと時計を見ると、もう予定していた時刻に迫っていた。


「この前、ツチノコが言ってたバンドがあったじゃないですか」

「バンプ?」

「ボク、この曲が好きです」


最後にスナネコが歌う曲は『66号線』という歌だった。シンプルなイントロがあって、スナネコが静かに歌いだす。



—聞かなきゃいけない話が全く頭に入らないのは 役立ちたくて必死だから

―申し訳ないことだけどどうすることもできません あなたが聞けという横で僕はこれを書いてる



ツチノコは静かに聞いていた。スナネコの歌声には、なんだか強い思い入れのようなものを感じた。思わずじんときて、これが感動というやつなのかと思った。

歌い終わったスナネコは、ツチノコの隣に座った。


「ツチノコ、僕この曲が好きです」

「うん」


二人はそのまましばらく寄り添って座っていた。二人で余韻に浸っていた。


「ちょっと感動した」

「感動?」

「いや、いい」


スナネコはふふっと笑った。「今度、僕が作った歌を聞かせてあげます」

「作ってるのか」

「はい」

「いいぜ。今度聞かせろよ」

「はい」


カラオケを出ると、空はもう薄暗くなっていた。日に日に夜が早くなる。


「またな」

「また遊びましょ」


ツチノコは帰って本を読む。スナネコは帰ってギターを触る。

そして一緒に帰って、たまに歌を歌ったりする。

そんな日々がずっと続くと思っていた。

季節は巡る。


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けものフレンズハイスクール とがめ山(てまり) @zohgen

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