けものフレンズハイスクール

とがめ山(てまり)

第1話 ツチスナ①

高校2年、晩秋。


「お前、進学どうするんだよ」


フードを被ったツチノコが、隣を歩いているスナネコに話しかけた。制服の内側に派手なパーカーを着ているのは校則違反である。しかし誰もが、注意することをすでに諦めていた。スナネコはアイスの包装を剥がすのに夢中である。


「いい加減やれよな。今日もずっと他の事考えてたろ」


 文化祭も終わった11月のこと。夜は日々早くなり、夏の喧騒と青春はもう思い出せない彼方にあった。二人は放課後補修から解放され、駅へ歩いていた。別に成績が悪いとかではない、地方の進学校にはどこにでもある。

 駅へ向かうのに古い商店街を歩いてもいいが、二人は少し回り道して、人気のいない土手を歩くのが好きだった。風が吹いて、スナネコのうなじを舐めていった。スナネコは少し肩をすくめると、アイスをガリガリ食べ始めた。ツチノコはフードで風を防いだ。


「ツチノコは好きなんですか、勉強」

「好きとかじゃねえだろ」

「てっきり好きなのかと」

「できるからな」

「そうですか」


 ツチノコは、自分が勉強のできるのを引け目に感じていた。それが進学校の中でしか通用しない、驕りだったとしても。どうせ社会に出れば別の評価軸で測られ、お勉強ができたとしても上には上がいるというのに。二人はまだ、そのことに気づくような世界にいない。勉強をすれば、それだけで肯定される日々。


「ツチノコは、好きなものありますか」

「酒とか?」

「なるほど」

「お前はどうなんだよ」

「ボクは……音楽が」

「オレも好きだぞ、バンプとか」


 スナネコはうつむいて考え込むようなそぶりを見せた。ツチノコは、自分がバンプといったのが地雷なのかと思い、少し焦る。


「バンプがどうかしたのか?」

「……お酒飲んでるんですか」

「それはナシだ」


スナネコは物事をスマートに考えるのが苦手だった。否、傍目からは、物事を考えることができないとさえ見られていた。何を手にしても、関心はすぐほかのものに移ってしまった。よく言えば独特のテンポである。お酒のことを口にしながら、心はもっと別のことを真剣に考えていた。


「おすすめ、ありますか?」

「え? あぁ……最初はチューハイでいいと思うけど、好きになってきたら日本酒やウイスキーにしてみたらどうだ。ただ酔いたきゃストゼロでいいと思うが、あんなん酒じゃねえ。ドラッグストアはやめとけよ、制服で行くのもやめとけ。まぁほろよいとか……個人的には茜霧島とか、あれは焼酎だが飲みやすいぞ」

「あ、えっと、音楽」

「あっ、あ……先に言えよな」 ツチノコはきまり悪くなって赤面する。

「バンプっつっても長いからなぁ。オレならユグドラシルをおすすめする。てか聞いたことないのか、バンプ」

「バンプ……?」

「バンプオブチキン。バンドだよ、日本の」


 ツチノコは自分が飲酒でイキってしまったのを自省した。かといって自制しようもない。気づいたら得意にしゃべってしまうのだ。そもそも未成年という背徳感もある。この愉しみをだれかと共有したいか、例えばスナネコと。そんなことはやってはいけないと、ツチノコは自分を戒めた。酒による酩酊なんて逃避に過ぎないのだから。

 


「聞いたことありました。でもユグドラゴンは聞いたことないですね」

「ユグド……まぁ古いしな」

「ツチノコ」

「何だ」

「ボクは音楽をやります」

「そうか、でも程程にな」


スナネコの足が止まった。つられてツチノコの足も止まる。


「程々じゃ嫌なんです。ボクは真剣に音楽がやりたいんです」

「仕事として? お前正気か?」


ツチノコは、言ってからしまったと思った。スナネコを傷つけてしまったかもしれない。ツチノコは人間の理性というものを大事にしていたし、他人の理性も同じように大事にしたいと思っていた。そのことは、頭の良さで序列をつける社会の倫理とは衝突しやすい。


「わからないです。ボクはおかしいでしょうか」

「そんなこと俺に言われてもな……」

「でもボクは……きっとおかしい人です」


夕闇は深くなり、お互いの顔ははっきり見えなかった。


「ボクは音楽が好きなんです。勉強は嫌いです。ボクはきっとだめな人なので、音楽しかできないんです」

「そう思い詰めるなよ」

「ツチノコは……いいですよね、器用で。勉強ができて」

「悪かったな。お前ができれば良かったのにな」

「ごめんなさい」

「いいよ」


立ち止まると、晩秋の空気は寒かった。二人はまた駅へ歩き出す。


「音楽、そんなに好きなのか?」

「はい」

「しんどいんじゃねえのか。売れなきゃ食えないんだろ」

「でも好きなんです」

「そうかよ」


ツチノコにとってスナネコは理解不能である。この常時呆け面の少女が、いつも何を考えているか分からなかった。しかし、今この瞬間はスナネコが本心を語っているように思えた。そのスナネコは、いつになく大人びて真剣であった。


「いいよな。好きなものがあって」

「そうですか」

「俺にはない」


漠然とした不安が、二人の歩く先いっぱいに広がっていた。道はもう暗くてはっきりとは見えない。


「俺にはないんだよ。好きなものとか、やりたいこととか。今はただ要領がよくて、勉強で、こんな田舎でお山の大将やってるが、そんなものどうしたってんだ。いつか勉強が役に立たなくなるだろ。その時、オレは今まで何をしてきたんだ? 何が俺の中に積みあがってるんだ? わかんねえよ。好きなものも、やりたいこともない人生に、意味があるか?」


遠く、列車が川を渡ってゆく。


「ツチノコ。ボクが音楽をしたいってこと、どう思いますか」

「どう思うも何も、すればいいじゃねえか」

「愚かでしょうか」

「愚かなんてのは、凡そお前が使う言葉じゃねえ。さっきは正気を疑って悪かった」

「じゃあ応援してくれますか」

「極端だなお前は」


高校を出たら同じ道は歩めないのだという事実が、いまやっと現実味をもってツチノコの胸にやってきた。もっとも、最初からまったく違う人生が、たまたま高校という段階で交差しているに過ぎないことではあるが。


「すればいいじゃねえか。したいことしてみろよ、」


したいことのない俺の分までと言いそうになって、余りにクサいのでやめる。


「ありがとうございます」


スナネコの声は若干震えていた。一人、自室でアコギをはじくだけだった音楽が、一歩外に出た瞬間だった。


「でもお前、勉強はすれば? 大学ですればいいじゃねえか」

「大学で音楽?」

「そう。大学で音楽しろよ。サークルとかさ。何かっこつけて高卒で飛び込もうとしてんだよ」

「そうですね」

「まぁ高卒の方がかっこいいけどな、覚悟あって」

「そうですか」

「……まぁ知らんが」


この後二人は別々の大学に入り、スナネコは大学を卒業しきれないまま音楽家の道へ傾いていくことになる。

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