第37話 謎の女主人は危険!


 意識を取り戻した時、僕は自分の置かれた状況が理解出来ず、身じろぎをした。


「どうやらお目覚めのようね」


 はっとして声のしたほうを見ると、聖子がにこやかにほほ笑んでいた。


「ごめんなさい、スタンガンなんて物騒なものを使ってしまって。でもしょうがないのよ。こういう目的のためにわざわざインターネットで買ったんですもの」


 そうか、背後からやられたあれは、電気ショックだったのか。


 そう気づくと同時に僕は、自分が置かれている異様な状態にも気が付いた。椅子に縛り付けられ、ダイニングテーブルに向かわされていたのだ。

 隣には、ミドリがやや小ぶりの椅子に僕と同じように縛り付けられている。どうやら食事風景をイメージした軟禁らしい。


「窮屈でしょ?でも我慢してね、ちょっとの間だから」


 聖子は歌うような調子で言うと、テーブルの周囲をゆっくりと回り始めた。


「さあ、何から話しましょうか。泉美ちゃんの事?そうでしょうねえ。ミドリちゃんにとっては、それが一番、知りたいことですものねえ」


 ミドリはもごもごと口を動かした。てっきり聖子に向けて何かを呟いたのかと思いきや、そうではなかった。驚くべきことに、ミドリは聞こえるか聞こえないかと言う低い声で、僕にメッセージを伝えていたのだった。


『かならずどこかで彼女が目を離す。その時に逃げる方法を教える』


 僕は唖然とし、聞き返そうとしたが、ミドリのようにうまく発声できなかった。辛うじてできたのは『どうやって』という意味を視線に込めることだけだった。


『あとで教える。しばし待て』


 僕は嘆息した。心細い思いをしてるんじゃないかと祈る気持ちでやってきたのに。


「私が泉美ちゃんと会ったのはねえ、五年くらい前だったかしら。秋津さんには言ったことがあると思うけど私、クラブで歌手をやっていたのね。そこで働いていた時に妻子ある男性と親しくなって、半年後くらいに占いの店を持たせてもらったの。そこへなぜか小学生だった泉美ちゃんがやってきたのよね」


 まるで歌うように泉美との思い出を語る聖子に、僕は戦慄を覚えた。


「ちょうど私が占いをやっていたビルが、彼女のお母さんの職場に近かったのよ。それで泉美ちゃんはうちに時々やってきて、お母さんの事とかを話すわけ。

「私のお母さんはなぜか私をいじめる。私、おばさんの子供になりたい」ってね。


 辛いことを話し終えて、雑居ビルの狭く急な階段を下りていくあの子を見ていると「今、あの子はここから生まれなおしているんだ」という気持ちになったものよ」


 聖子は自分の抱いているイメージに酔っているようだった。


「お店を始めて一年くらい経った頃、不倫相手の本妻が乗り込んできて、部屋を荒らしていったの。ひどいでしょ?で、取っ組み合いになった挙句、私は階段から突き落とされたの。当時、私は相手の子供を身ごもっていたけど結局、産めなくなってしまった」


 自分を地獄に突き落とした女性に対し、憎悪が甦ってきたのだろう、聖子は怒りに唇を震わせ、何もない空間を睨み付けるようにして言った。


「そんなこともあって私はお店を閉め、泉美ちゃんとも連絡が取れなくなった。それから二年後、再びクラブで働くようになった私は、建築家の卵だという男性に求婚され、結婚したわ。私たちは夫婦でタワーマンションに住むことになったのだけれど、なかなか子供ができなかった。そんな時、私はいつも思った。泉美ちゃんはどうしているかしらって」


 一度思い出すといてもたってもいられず、聖子は夫には内緒で本格的に泉美の消息を調べ始めたのだという。


「苦労してやっと探し当てた時、泉美ちゃんは中学生になっていたわ。何より驚いたのは、泉美ちゃんが昔、あれほど憎んでいた実の母親と和解していた事。

 しかもしばらくぶりに会って懐かしいはずの私に対し、こう言ったの。『昔のことなんて忘れた』って。


 私は失望したし、泉美ちゃんを変えた色々なことを憎いと思ったけれど、やっぱりできれば昔のように仲良くしたかった。それで昔、よく日帰りでドライブに行っていたことを思い出したの。あの頃と同じ場所に行けば昔のことを思い出すだろうと期待してね。それで、泉美ちゃんが大好きなミュージシャンがお忍びで来ているって嘘をついて連れ出したの」


 あの『あるべます』という喫茶店の事だなと僕は思った。


「嘘と分かった泉美ちゃんは私を罵倒したわ。カッとなった私はその場で泉美ちゃんの首を絞めて、殺してしまった」


「なんという……」


 短絡的な犯行だろうと思ったが、聖子の成り行き任せの行動を思い返し、納得した。


「泉美ちゃんを連れ去った時、私は計画の遂行に夢中で、周囲にほとんど注意を払っていなかった。……だってそうでしょ、泉美ちゃんと私との繋がりを想像できる人なんて、いないもの。だから目撃者がいるなんて夢にも思わなかった」


 ミドリがもぞもぞと身じろぎをした。特にメッセージを送ってくる気配はなく、視線はまっすぐ聖子の方に固定されていた。つまりすぐ行動を起こすわけではない、という事だ。僕は極力、ミドリに注意を向けぬよう努めることにした。


「泉美ちゃんを車に乗せて走り出した瞬間、これで彼女は九十九パーセント、私の物だと確信したわ。ただ車を発進させる直前、一瞬、後方に何かが見えたのよ、緑色の何かが。人影かなとは思ったけれど、ずっと忘れていた。つい数時間前に、百円ショップであなたに会うまでは」


 聖子は部屋の隅に移動すると、何か重いものを持ち上げた。灯油の入ったポリタンクだった。ログハウスが丸ごと薪みたいなものだと考えれば、これから聖子が何をしようとしているかは一目瞭然だった。


「私もうっかりよねえ。一度、パーティーで会ってるのに、服装のせいでわからなかったなんて。それとも、あなたの方は思い出してくれてたのかしら。……ねえ、ミドリちゃん?」


 勝ち誇ったような表情の聖子を見て、また、ミドリが身じろぎした。


 おそらくミドリは気づいていたのだ。ミドリには歩き方や匂いなど、ほんの少しの手掛かりからその人間を判別する能力がある。泉美が攫われた時、特徴と言えるほどの手掛かりを得てはいなかったにせよ、走り去るときの表情や体格、その時自分が受け取れるすべてを一瞬で記憶に焼き付けていた可能性はある。


「残念ねえ、あなた。車の色ぐらいは見ていたんでしょう?しかも、あなたのイメージカラーとおんなじ、ミ・ド・リ。まさか泉美ちゃんと同じ車で連れ去られるなんてねえ。いい記念になったじゃない」


 聖子は歌うように言うと、ポリタンクの蓋を外した。灯油の刺激臭がぷんと鼻をついた。


 何気なく横目で様子をうかがって、僕ははっとした。ミドリの目が、憤怒に燃えていた。


 それはそうだろう。これはミドリが初めて見せる、心の底からの怒りなのだ。

 色盲でさえなければ、その後に目撃した車を犯行に使われたものだと特定できたのだ。


 誰のせいでもなく、自分でもどうしようもない理由によって、ふがいない結末を招かざるを得なくなった自分への、やり場のない怒りなのだ。


             〈第三十七話に続く〉

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