第36話 秘密の別荘は危険!


「前のタクシーの後を可能な限りつけて下さい」


 言ってしまってから、まるでドラマか映画のセリフだと思った。


「可能な限りって言ってもねえ」


 運転手は文句を挟みつつも素早く車を出した。一体どうやってタクシーをつかまえたのか、全く記憶にない。気が付くと乗り込み、尾行を依頼していたのだった。


「前の車が、停まるまででいいです」


 運転手は怪訝そうな顔のまま、しかし適度な距離を保ってタクシーを追っていた。


「本来なら、こんな注文はお断りするところですけどね」


 五十がらみの運転手は、ぶっきらぼうに言った。


「何かのっぴきならない理由がある場合は、例外ってことにしてるんです」


「すみません。説明している暇はないんですが……一大事なんです」


「そうでしょうね。表情を見ればわかりますよ。そういう表情をしたお客さんを何度か乗せたことがあります」


「…………」


「大抵は、親でしたね。子供が一大事ってときの」


 ミドリを乗せたタクシーは複雑に入り組んだ住宅地の中に入っていった。あまり人気のない宅地なのか、空き地が目立つ。モデルハウスが軒を連ねる一角に一軒だけ、ひどく古いアパートがあり、前のタクシーはその敷地と思しき場所に入っていった。


「気づかれない場所に停めてください」


 我ながら勝手な注文だとは思ったが、運転手はモデルルームに客を案内しようとしているかのような自然な停まり方をした。料金を払い終えると運転手は「降りたらそのまま後ろに回ったほうがいいですよ」とアドバイスをくれた。


 僕は礼を言ってタクシーを降りた。自動販売機の陰に隠れてアパートの方をうかがうと、タクシーから聖子がやはりミドリを抱きかかえるような恰好で降りてきた。


 運転手が車から半分体を出して何か言っているのが見えた。おそらく、お部屋までお嬢さんを連れていくのを手伝いますといっているのだろう。聖子が頭を振ると運転手は頭を下げ、運転席に戻った。


 タクシーが走り去り、聖子が背を向けて歩き出すのを見計らって、僕はそろそろと移動を始めた。敷地の一角が住人の駐車スペースらしく、大小の車が三台ほど停まっていた。


 聖子はミドリを抱きかかえたまま、アパートの外階段を上がっていった。古いタイプの建物であることが幸いし、二階の外廊下を進んで行く様子が遠くからでもはっきりと見て取れた。


 やがて聖子の姿が奥の部屋へと消えた。さて、どうすべきだろう。一刻も早く踏み込んだほうがいいような気もしたが、そんなことをすればかえってミドリの身を危険にさらすことにならないとも限らない。


 そんなことを考えて躊躇していると、ポケットの携帯電話が鳴った。


 画面表示を見て僕ははっとした。雪江からだった。


「もしもし、俊介さん?雪江です。今、忙しい?」


「忙しいどころじゃない。実は今、困った事態になっている」


「どうかしたの?」


 僕は現在の状況をかいつまんで説明した。話している最中、雪江が息を呑む音が何度か聞こえた。アパートに入るべきかどうか悩んでいるというと、雪江はしばし沈黙した。


「俊介さん、わたし今、レンタカーを借りてるの。ちょうど一仕事終わったところで、電話したのもこれから車を返しに行くので遅れるっていうことだったの。でも返すのは後回しにするわ。これからそこに行くから、もし相手が動いたらあなたはタクシーでまた追いかけて。私もあなたの後を追うわ」


「わかった。じゃあ、踏み込むのは待てってことだな」


「私の考えはそう。あとはあなたが判断して」


「よし、じゃあ何か動きがあるまで、僕はここで張り込んでいるよ」


「ありがとう。お願いね」


 通話を終えた後、僕は天を仰いだ。なぜ、聖子が?……待て、そういえばさっき百円ショップで聖子が言っていた。『パーティーの時はジャンパースカートだったのに、今日は緑色のジャージなんだ』と。


 あの反応から察するに聖子はミドリのジャージ姿を見たことがなかったのだろう。そしてその姿を見た途端、ミドリを連れ去った。仮に発作的な行動だったとしても、彼女を行動に駆り立てる何かが、ミドリのジャージ姿にあったわけだ。


 そこまで考えて、僕はひとつの仮説にたどり着いた。それはあまりにも突飛な考えだったが、これまでの聖子の行動を理解するにはその仮説以外無いように思われた。


 つまり泉美ちゃんを誘拐した犯人は聖子で、かつて聖子が泉美を誘拐した時、一瞬、運転席から「緑色の人影」が見えたのに違いない。


 そんなことを考えていると、再び聖子がミドリを抱きかかえてドアから姿を現した。


 僕は聖子から見えないよう、注意深く身を潜めた。外階段を降り切った聖子は、ミドリを抱えたまま駐車スペースへと移動した。

 聖子は並んで駐車してある車の一台に近づくと、後部席のドアを開けた。その車を見て、僕はあることに思い当たった。


 薄緑色の車だ。僕はそっとその場を離れると、聖子の乗り込んだ車を見失わないよう意識を払いつつ、タクシーの姿を探した。やがて、聖子の乗った車がゆっくりと駐車場から道路に向けてハンドルを切った。


 やばい。見失ってしまう。パニックに陥りかけた僕の前に、一台のタクシーが姿を現した。いささか急な止め方だったが、タクシーは僕の前を数メートルほど走りすぎたところで停車した。タクシーに乗り込みながら、僕は聖子が乗った車がどちらの方向に曲がるかを目で追った。


 テールランプが片方、破損している……あれが、ミドリが目撃した車か。


 先ほどと同じように後をつけるよう頼むと、幸運にも運転手は快く了承してくれた。


 少し遅れたことが功を奏したのか、タクシーは程度な距離を保ちつつ、聖子の車を追う事が出来た。


 走り始めてほどなく、雪江から電話があった。


『今、あなたに教えてもらったアパートの近くにいるわ。案内して』


『いや、実はアパートからもう離れているんだ。北へ向かっている』


 僕は現在位置を雪江に教えた。雪江の車との時間差は十分程度だった。


『聖子が自分の車に乗り換えたのは、人に見られたくない場所に移動するためだろう。警察にも通報したほうがいいかもしれない』


『次に停まったら、通報しましょう。万一危険な素振りがあったら、私たちの手でミドリちゃんを助け出さないと』


『そうだな』


 聖子が何をしようとしているのかはわからないが、ミドリの口を封じようとしているのなら、武器の一つくらい所持しているかもしれない。相手は女性一人とはいえ、ミドリを盾にされたら動きようがない。失敗は絶対に許されなかった。


 幹線道路を二十分ほど北上すると住宅がまばらになり、農地の比率が増え始めた。このままいくと、聖子の車はかなり広大な田園地帯に出るはずだ。

 さらにその一部は高低差のある一種の山道になっており、そのどこかで凶行が行われれば、にわかには気づかれにくい。いわば、山道に入られてしまうかどうかか運命の分かれ目でもあった。


『そろそろ道が細くなってきた。正直、気づかれていると思う』


『そうね。覚悟したほうがいいかもしれない。警察に通報するわ』


『たのむ。タクシーでの追跡もそろそろ限界だ』


『そこからちょっと行くと、左手に私道があるわ。そこに入り込まれないよう気を付けて』


『私道だって?その向こうには?』


『小さな私有地があって、ログハウス風の別荘があるの』


『どうしてそんなこと、知ってるんだい』


『昔、お世話になった音楽プロデューサーの所有物件なの。仲間たちと一緒に招待されたことがあるわ。今はもうほとんど手入れもしていないそうだから、不審者が入り込むにはうってつけかもしれない』


『そうか……じゃあ、その道に入ったら、もう車での追跡はできないな』


『私道はたしか三百メートルくらいだから、歩いても別荘までたいして時間はかからないと思う』


『了解した』


 はたして本当に雪江が言う私道とやらはあるのだろうか……そう思いかけた時、聖子の車が減速した。どうする?こちらも速度を緩めるか?そう考えた途端、聖子の車が左に大きくハンドルを切った。車体が吸い込まれるように消え失せ、僕の乗ったタクシーはそのまま聖子の車を追い越した。


「左に道が……すみません、引き換えしてください」


 運転手は来た道を数メートルほど引き返し、道路わきに停車した。確かに左の方にけもの道のような未舗装の道が長く伸びていた。


「運転手さん。ここまででいいです」


 僕は運賃を払うと、タクシーから降りた。もはやここからは歩いて後をつけるしかない。


 この道に入っていったということは十中八九、雪江が言っていた別荘に行くのだろう。僕は携帯電話で雪江に歩いて後をつけることを告げ、歩き出した。


 十分ほど歩くと、くだんの別荘と思しき建物がすぐ姿を現した。別荘と言う響きからするとかなり小さな建物だった。普通の二階建て民家とほぼ同じ大きさで、夫婦者がよく経営しているログハウス風ペンションと言った風情だった。


 敷地は広く、長く管理を怠っているのか雑草が伸び放題だった。別荘の前に聖子の緑の車が停められており、建物の中に入っていったことは間違いなさそうだった。


 僕は慎重な足取りで敷地をぐるりと一周した。玄関から数メートルのほどの場所に大型の焼却炉と立木があり、僕はその陰に身を潜めて中の様子をうかがうことにした。


 私道は僕のいる位置とは反対の方向に伸びているため、建物に出入りする者があったとしても、こちらに注意を向けられる可能性は低いように思われた。


 僕は張り込みを覚悟すると同時に、少しでも中でおかしな気配があればすぐにでも飛び込もうと身構え続けた。


 雪江はどこから来るのだろう。あの私道を建物の正面まで来れば、確実に気付かれてしまうはずだ。どこかで回り込み、気づかれにくい林の中にでも車を止めなければならない。


 それとも雪江も自分同様、私道を徒歩でやってくるのだろうか。


 そんなことを考えていると、建物の周囲で動きがあった。玄関が開け放たれ、聖子が姿を現したのだった。聖子はリュックサックのようなものを背負い、あたりを用心深げに見まわすと、やがて私道へと姿を消した。


 聖子の後ろ姿が完全に私道の奥に消えたことを確認すると、僕は焼却炉の裏から出た。


 幸いあたりに人影はない。僕は注意深く歩を進め、ほどなく玄関の前にたどり着いた。


 さて、問題は鍵だな……。


  僕はドアノブを握ると、思い切って手前に引いた。すると予想に反し、あっけなくドアが開いた。なんだこれは、施錠されていないじゃないか。いくら周囲に人影のない別荘とはいえ、不用心な。


 僕は首をひねりつつ、中へ足を踏み入れた。木の質感を重視した十畳ほどの空間が目の前に広がった。丸太を加工してこしらえた家具、薪ストーブ、使いやすそうなキッチンがコンパクトに収まっている。こんな時でなければ気に入ってしまいそうな間取りだった。


 僕はあたりに注意を振り向けつつ、部屋の奥へと足を進めていった。テーブルの角を回った瞬間、視界の端で何かが動くのが見えた。はっとして近づくと、黒い影が僕の足元をすり抜けていった。猫だった。


「猫か……」


 ほっとしつつ、僕はこの部屋にミドリの姿がないことをいぶかしんだ。部屋の奥には隣室へと続く扉があった。おそらく寝室だろう。僕はある覚悟をもって取っ手に手をかけた。


 一気にドアを開け放った瞬間、僕の目の前に、恐れていた光景が出現した。


「ミドリ!」


 猿轡を噛まされ、電気のコードで自由を奪われたミドリがベッドに凭れて座っていた。


「大丈夫か?今、助けてやるからな」


 僕はミドリを救出すべく、寝室に足を踏み入れた。次の瞬間、ミドリが大きく目を見開くのが見えた。どうかしたのか、そう言おうと口を開きかけた瞬間、僕は首筋に強烈な衝撃を受け、その場に崩れ落ちた。


〈第三十七回に続く〉

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