第31話 思い出の味は危険!
事件から三日が経過した。僕はミドリから「光代さんの家でヨモギもちパーティーをやるそうだ。顔を出してくれ」というメールを受け取った。
もうあの人たちは元気になったのだろうか。いくばくかの不安を抱きつつ、僕は光代のマンションへと向かった。
「いらっしゃい、秋津さん、ミドリちゃん。さ、どうぞテーブルに付いて」
にこやかな光代に迎えられ、僕とミドリはテーブルについた。リビングにはすでに他の客たちが勢ぞろいしていた。優名と美咲、ひかり、結衣。火災から数日が経過しているせいか、皆、そろって穏やかな表情を浮かべていた。
「さあ、召し上がれ。いくらでもあるわよ」
そう言って光代がテーブルに運んできたのは、手作りのヨモギもちで埋め尽くされた大皿だった。
「さすがにこのあたりで採ると、おかしな植物と間違えちゃうことがあるから、お友達に頼んで山の中まで連れて行ってもらったの」
光代はそう言うと、ミドリに目配せをした。
「さ、食べよ、結衣ちゃん」
優名が先に手を伸ばした後、結衣を促した。結衣はおそるおそるヨモギもちを手に取ると、手に中のそれをじっと凝視した。
「この匂いだ……」
そう言うなり、結衣は両眼に涙をあふれさせた。
「十年ぶりなんだ、結衣ちゃん」
優名が結衣の顔を覗き込んでいった。まださすがに『おねえちゃん』と呼ぶにはためらいがあるのだろう。
「ずっと、これをあなたに食べさせたかったのよ」
光代も眼鏡の奥の瞳を潤ませていた。美咲は耐えられなくなったのか、ハンカチで顔を覆って嗚咽していた。
「わかる……全部わかる。かすかな記憶の中の『ママ』も『ばあちゃん』も。そして……」
結衣は言葉を切ると、ひかりに視線を向けた。
「みっちゃん……光利おにいさんも」
ひかりは本名で呼ばれ、照れくさそうに頬を掻いた。
「それにしても、危ないところだったわ」
美咲が言うと、それまで柔らかな笑みを浮かべていた光代が口元を引き締めた。
「わざと結衣をさらった家を指定してくるなんて、こずえさんも大胆だわ」
「こずえさんは、死ぬ気だった」
ひかりが声を低め、呟いた。ひかりの話によると、ひかりと美咲が火災のあった家に飛び込んだ時、こずえは二階の部屋で意識の朦朧とした結衣と優名を両手で抱きかかえるようにして放心していたという。つまり、最初から心中するつもりで二人を呼び寄せたのだ。
「そんな勝手なこと、絶対に許さない」
美咲が怒りを露わにして言った。あの時美咲は一切躊躇することなく、炎の噴き出す窓に向かって行ったのだ。当然だろう。同じ人間に自分の子供を二度までも攫われたのだ。
「結衣ちゃんと優名ちゃんを連れて部屋から出ようとする美咲さんと出くわしたとき、美咲さんは私にこう言ったんです。『この子たちは私が助ける。あなたはあの人を助けてあげて』と。美咲さんは自分の子供を攫われてもなお、犯人を助けようとしたんです」
ひかりが言うと、一同の視線が美咲に注がれた。美咲はふうっとため息をついた。
「死んでしまったら、私の知らない結衣の十年を教えてくれる人がいなくなるわ」
美咲はそう言い切ると、かつて見せた事のないような険しい表情を見せた。
「あのマンションで十年ぶりに再会するまで、私の中で結衣は四歳のままだったの。中学生になった結衣を初めて見た時、私はこの上ない喜びと、悲しみを同時に味わったわ」
美咲の激しい告白に座が一瞬、静まり返った。結衣は身を固くして、俯いていた。
「だからその時、私は思ったの。私はこの人を許さない。失われた月日を、私は絶対に返してもらうんだと」
「……お母さん、寂しかったんだね」
優名が不意に言った。美咲ははっとしたように顔を優名に向けた。
「違うわ、優名。あなたが生まれた時、私はやっと生きてゆかなくちゃと思えた。あなたがいなければ私はここにいない。寂しい思いを抱えていたのは古い、若かった頃の私。あなたといるとき、私は一度も寂しいなんて思ったことはないわ」
「よかった。……ごめんなさい、お母さん。考えてみたらお母さんには私の知らない、私が生まれる前の時代があったんだよね」
「そうよ、優名。でもあなたにあえて話すようなことじゃなかった。こんなことでもなければきっと一生、話さなかったと思う」
「話して、お母さん。今だからこそ聞きたいの。若い頃のお父さんとお母さん、ひかりさん、そして……」
そこまで言うと、優名はすぐ隣にいる結衣を見た。結衣は照れくさそうに俯いていた。
「私の素敵なお姉ちゃんのことを」
〈第三十二回に続く〉
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