第30話 燃えるお家は危険!


 山間の道は大きく弧を描いて、再び低地へと伸びていた。なだらかな丘陵の途中に『R町3―2』と表示のある信号が見えた。


 左に曲がれば交通量の多い繁華街へと続く道らしい。ひかりは迷わず右を選んだ。再び道幅が狭くなり、丘陵地を切り開いて造成した住宅地が続いた。


「このあたりだ……左に『森ベーカリー』というお店が見えたら教えてください」


 ひかりは上りに入った道をアクセルを踏み込んで進んで行った。やがて、ミドリが「あったぞ」と叫んだ。ひかりは左にハンドルを切り、車は住宅地の間を縫う細い生活道路へと侵入していった。


「もうすぐだ。あの交差点の向こう……うっ?」


 ひかりが呻いた。僕もその意味にすぐ気が付いた。右手の木陰から黒煙が上がっていたのだ。煙の発生位置は定かではないが、火災であることはまちがいない。交差点の向こうでは、すでに野次馬らしき人々が群がっていた。


「止めます」


 ひかりは、交差点を過ぎて少し走った路肩に車を止めた。出火しているのは、二階建ての古い民家だった。

 煙は主に二階の窓から噴き出しており、それ以外の小窓からも多少、煙が漏れていた。火の手は窓の奥にちらちらと見える程度だったが、中に人がいるとすれば一刻を争う状況と言って良かった。


「くそっ、こうなったら一か八かだ」


 ひかりはハンカチを口に当てると、野次馬の間を縫って門の内側に侵入した。


「危ないです、ひかりさん。消防に任せてください」


 僕がそう声をかけたが、ひかりは聞く耳を持たず、庭へと姿を消した。


「まずいな、これじゃあ二次被害が出てしまう」


 自分も後を追っていくべきか……そう躊躇していた時だった。


「結衣!優名!」


 ひかりの後を追いかけるようにして飛び出したのは、美咲だった。


「危ない、美咲さんっ!」


 僕は思わず後を追おうとした。するとその腰にしがみつく者がいた。ミドリだった。


「行くな、シュンスケ。落ち着けっ」


「ミドリ……」


 二人が庭に姿を消した直後、二階の窓に人影らしき姿が覗いた。子供のようでもあったが、しかとは見極められなかった。あの人影を見て美咲は飛び込んだのかもしれない。やがて、ひときわ大きな黒煙が二階の窓から吹き上がった。


 たのむ、せめて一人でも助かってくれ……


 遠くから消防車のサイレンが聞こえてくると、野次馬の輪は建物から距離を置き始めた。門のすぐ近くにいるのはもはや僕ら三名だけだった。


「おばあちゃん、少し下がってないと煙に巻き込まれますよ」


「お嬢ちゃん、下がって。そんなに近づいたら危ない」


 もう限界か……背後にサイレンを聞きながら、後ずさりをしかけた、その時だった。


「あっ、来たっ」


 ミドリが叫んだ。開放された玄関の奥、灰色の煙の中から二つの人影が姿を現した。


 人影は美咲だった。片腕で優名を抱きかかえるようにし、もう一方の手で結衣の手を引いていた。美咲は玄関から一歩外に出たところでがくりと膝を折り、地面に崩れ落ちた。


 咄嗟に結衣が美咲を抱き起こそうとしたが、やがて結衣も力尽きて地面に突っ伏した。


「美咲さんっ!結衣ちゃんっ」


 僕は二人に駆け寄り、抱き起した。ミドリは優名に肩を貸し、門の外に懸命に引きずって行った。消防隊員が駆け付け、僕らはあとを任せることにした。


「ひかりさんは……?」


 不安におののきながら建物を見つめる僕の前に、庭の方から人影が姿を現した。ひかりだった。ひかりは両腕に一人の女性を抱きかかえていた。女性は倉橋こずえだった。


「もう建物の中にはいません。これで全員です」


 ひかりはそう言ってこずえを地面に下ろすと、その場にがっくりと倒れこんだ。


「こずえさん……まさかあなたが」


 僕がつぶやくのとほぼ同時に二階の別の窓が割れ、轟音と共に炎と黒煙が立ち上った。


「結衣……」


 今しも担架に乗せられようとしていた美咲が急に起き上がり、同じく救急隊員の手によって抱きあげられようとしていた結衣に近づいた。


「おばさん……」


 結衣が薄目を開け、美咲を見た。美咲は結衣の肩をいきなり抱きしめると、泣きじゃくり始めた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、結衣……こんなに長い間」


「おばさん、どうしたの?」


 泣きじゃくる美咲の傍らに、意識を取り戻した優名が近づいてきた。優名は美咲と結衣とを交互に眺め、突然、大声で泣き出した。


「優名……結衣ちゃんはね、本当はあなたのお姉さんなのよ」


 そう言うと美咲は二人を抱きしめ、泣きじゃくり続けた。建物への放水が開始され、野次馬の輪が薄くなっていった。

 僕は「ここからは家族だけにしてあげよう」とミドリに言った。ミドリは「そうだな」と呟くように返した。


 美咲と優名、結衣が一台の救急車に乗せられ、ひかりも救急隊員にうながされ、救急車に収容された。光代も同乗し、やがて全員の姿がその場から消えた。


 ひとしきり沈黙が流れた後、ミドリがぼそりと「やっぱりすごいな、親という物は」と言った。僕はなりふり構わぬ美咲の行動を思い返し、無言でうなずいた。


             〈第三十一回に続く〉

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