第27話 怪獣のハートは危険!


 植物園は最寄りの駅から歩いて十五分ほどの場所にあった。


 市立体育館の隣だという麻利絵の言葉を頼りに探し歩いたところ、駐車場を挟んだ体育館の北側に温室のような建物を見つけることができた。

 かなり年季の入った建物で、入場料は大人が三百円、子供が百五十円だった。


 退職した公務員といった風情の職員に入場料を支払い、受付の前の細い通路を抜けると、最近ではあまり見なくなった熱帯ジャングル風の植物園が姿を現した。


 ジャングルと言っても、巨大なソテツやマングローブなどで視界が遮られているだけで、数メートルも行けば次のブロックになってしまうような、ごくこじんまりとした作りの施設だった。


 なるほど、あたり一面『ミドリ』だ。


 そんなとりとめないことを考えながら歩を進めていると、どん詰まりの一角に、緑色のジャージが見えた。こちらに背中を向け、ハイビスカスのような赤い花を見つめているその姿は、まぎれもなくミドリだった。


「ミ……」


 声をかけようとした途端、ミドリがこちらを振り返った。


「シュンスケ……どうしてここへ?」


 さして驚いた様子も見せず、ミドリは言った。


「あ、その……『助珠』を知ってるかい?あそこの麻利絵さんに聞いたんだ」


「『助珠』まで行ったのか?何のために?」


「それは……君のいきそうな場所を知りたかったから。どうしても誤解を解いておきたくて」


「別に誤解しているようなことは、何もないと思うが」


「……ほら、彼女の事も言ってなかったし」


「ああ。神妙寺雪江さんの事か。確かに驚いたが、別に言う必要がなかったから言わなかっただけの事だろう?」


「いや、やっぱり僕は、隠しているんだ。君からだけじゃなく色んな人から、彼女の事を」


「それはそうだろう。あれだけの有名人だし、うっかり人に知れたらおちおち生活していられないだろうからな」


「確かにそうなんだが、彼女自身は別に、僕との生活を知られることを恐れてはいない。世間に知られるならむしろ、早いほうがいいと思っているくらいなんだ」


「そうなのか……」


「で、君が彼女の事を隠してたことでがっかりしたのなら、謝ってきたほうがいいって言われて、その通りだと思ったってわけだ」


「さっきも言ったが、べつにがっかりなどしていない。驚いただけだ」


「うん、それはわかった。どっちだとしても、とにかく黙ってたことを謝らせてくれ」


「…………」


「ミドリ」


「なんだ」


「実は君を探していたのには、もうひとつ理由がある。今から、僕の家に来てくれないか」


「どっちの『家』だ?」


「作業部屋の方だよ。色々と見せたいものがある」


「わかった」


 僕はミドリを伴って仕事部屋へと移動した。ミドリは電車に乗って移動している最中も、どこか所在なさげに見えた。考えてみれば、ミドリにとって他人に完全に主導権を握られることなどめったにないことなのかもしれない。


 仕事部屋に入ると、ミドリはいつものようにローテーブルの前に陣取った。僕は作業机から段ボール箱を取り上げると、ミドリの前に置いた。


「ちょっとお茶の前に頼まれてくれるか。新作の写真に使う人形を作るんだ」


「ああ、構わないが」


「良かった。これを、二つに切って組み合わせてくれないか」


 そういうと、俊介は赤と緑のパプリカをミドリの前に並べた。


「なんだこれは。サラダでもこしらえるのか?」


「赤と緑のパプリカを半分づつ切って、真ん中で貼り合わせるんだ。『ガモジラ』軍の下っ端で『パプリア』っていう雑魚さ」


「半分づつ……」



 ナイフを目の前に置かれ、ミドリは沈黙した。パプリカは四つあった。一つ一つを手に取り、しげしげと眺めた後、ミドリはやおらテーブルに手をつき、頭を左右に振り始めた。


「だめだ……この作業は私には向いていない。すまないが、他の作業にしてくれないか」


「ミドリ……」


 やはりそうか。僕は確信した。


「ミドリ。……君は、色盲だな?」


 僕の問いに、ミドリははっとしたように顔を上げた。しばらく挑むような眼差しを向けてきた後、がっくりとうなだれ「そうだ」と言った。


「だから、泉美ちゃんを連れ去った車を再度目撃した時、形の記憶には自信があったにもかかわらず、同じ車だと断定することができなかったんだ」


「ああ、そうだ。あの車の車体の色が薄い緑色だと知ったのも、人に聞いた後でのことだ。私には、一部の色がはっきりと見分けられないのだ」


「その分、形は人よりも良くわかる。優名のお婆ちゃんが摘み取った植物の葉がヨモギの形ではないと遠くからでもわかるほどに」


「そうだ。その通りだ」


「なぜそれを気に病む?君のせいじゃないだろう」


「わからない。ただ、自分が許せないのだ。……私は色盲だけじゃなく、赤ん坊の時からすでに目の病気を色々と持っていた。

 それで両親は、私の手術や日常の訓練などにいつもひどく気を遣っていた。四つ上の姉も、両親や私に気を遣ってわがままを言うことなく、手がかからないようにと心がけてくれた。


 私の手術費用がどのくらいだったかは知らないが、姉がいつも可愛い恰好をせずに緑色のジャージ姿で通しているのを見ると、私は自分のせいなのではないかとやりきれない気持ちになったのだ」


「お姉さん、亡くなったんだそうだね。麻利絵さんに聞いたよ」


「私が小学校一年生の時だ。姉が遊んでいたボールが、交差点に飛び出していった。私は信号をよく見ることなく飛び出していった。姉が後ろから「戻りなさい」と叫んだが、私はボールしか目に入っていなかった。そこへトラックが突っ込んできた。姉は私を突き飛ばし、トラックに撥ねられた」


「その時、交差点に飛び出したのは信号の色がわからなかったからだ……そう思っているんだな?もしかしたら、あの時の信号は赤だったのかもしれないと」


「周りの人は、トラックの信号無視だと言った。でも、私にはそれを信じ切ることができなかった」


「それで、色に関する失敗には極度に敏感になったというわけか……」


「どうにもならないことくらいはわかっている。しかし、私は自分で自分が許せないのだ」


「エスニック・パーティーの時、グリーンカレーの飛沫がかかったのを見て君は「血しぶきみたいだ」と言った。あれは、赤いカレーと緑のカレーのどちらのしぶきかわからなかったからなんだな」


「よく見ているな。ああいう時「私は普通の人と同じではないんだな」と思うのだ」


「いつだったか、ここで『ガモジラ』のジオラマを見せたろう?あの時、君はガモジラの吐く炎に見立てたダイオードの光を「イルミネーションみたいだ」と言った。僕はおやと思った。真っ赤な一筋の光が口から出ていれば当然、炎だと思ってくれるはずなのに、とね。今思えば、君には炎と言うたとえが思いつかなかったんだな……」


「すまない。その通りだ。でも美しかったことに変わりはない。もう一度見たいくらいだ」


「よし、それじゃリクエストにお応えしてもう一度、お見せしよう。前より派手なやつを」


 僕は机の前に移動すると、ミドリに手招きをして見せた。作業机の上には以前、ミドリに見せたジオラマとほぼ同じ大きさの街のジオラマがあった。


「すごい迫力だ」


「でも前と違うだろう?前の奴では、まだガモジラが街を破壊していなかった」


「ああ、たしかに。そしてガモジラもこんな風にうずくまってはいなかった」


 今回のジオラマではガモジラによる街の破壊がかなり進んでいた。そしてミドリが指摘したようにガモジラは前回のように歩こうとはしておらず、街の中心で膝を折ってうずくまっていた。


「これはなんだ?ガモジラの胸にくっついているのは」


「女の子さ。結晶化爆弾で固まったガモジラの体に、よじ登っているんだ」


「なぜ、よじ登る?」


「あらゆる兵器を結晶化する爆弾でも、ガモジラが人間と同じ生き物なら心臓は結晶化されずに生きている。そのことを自分で確かめようとしているんだ」


「むちゃだな。……で、これが心臓と言うわけか」


 ガモジラの胸の中に、ハートに角が生えたような形の物体がつりさげられていた。


「そうだ。……で、このシーンが一瞬にして変わる。カーテンを引いてくれ」


 僕が命じるとミドリは机から離れ、カーテンを引いた。部屋が暗くなり、僕は戻ってきたミドリの目の前に、前回と同じようにスイッチをかざして見せた。


「では、こけら落としをどうぞ、お嬢さん」


 ミドリは手渡されたスイッチを、一呼吸おいて押した。次の瞬間、二人の前に白い輝きが広がった。


「うわあ、すごい」


「これが『ひゃくえんせんそう』のクライマックスさ」


 崩れかけた街並みのいたるところに樹木のように張り巡らされたダイオードが、樹氷のように白く輝いていた。それは、ガモジラを中心に町中に広がった白い光の森だった。


「これなら、色は気にならないだろう。真ん中のところを除いては」


 ミドリは頷き、ガモジラの胸の中で輝いている心臓を凝視した。


「これはたぶん、赤いのだろうな」


「心臓だからね。では、こっちの女の子の服の色は?」


「……緑色か?」


「正解。どうしてわかった?」


「やけに大きい眼鏡をかけているからな。……モデル料を請求するぞ」


 ミドリが珍しく照れくさそうに言った。


「『ひゃくえんせんそう』だからモデル料も百円でいいな」


 そういうと僕は、机の引き出しから白いリボンを取り出した。蝶に見立てて撮影した物の一つだった。

 僕はリボンをミドリの髪に何の予告もなしにつけると「よし」と言った。


「なんだこれは。私がこんなものをしていたら周りの人間に笑われてしまう」


「そんなことはない。いいアクセントだ。僕が保証する」


「保証はいい。取りあえずこれは君の前でだけつけることにする。恥ずかしいからな」


 ミドリはそう言ってリボンを外した。ほんの少し変わってきたな、と僕は思った。


             〈第二十八回に続く〉

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