第26話 隠れた名店は危険!
「ごめんください」
店の奥に向かって声をかけると、「いらっしゃい」と思わぬ方向から返事が聞こえた。
「お待ちしてたわ」
『美容室 みどり』の主、美登里は鏡の前にはおらず、来局用のソファにもたれ、新聞を読んでいた。
「先ほどお電話したように、理容の予約じゃないんですが……」
「うふふ、わかってますよ。ミイちゃんの事でお話があるんでしょう?」
「はい、そうです。どうも僕の無用意な行為が誤解を招いたらしくて……なんとかあって釈明したいんです。でも連絡がつかなくて。自分勝手だとは思うんですが、彼女を見つける手助けをお願いできないでしょうか」
「そうねえ。あなたがもっとミイちゃんのことをちゃんと知っておきたいって思ってくれるなら、全力でお手伝いするけど、いかが?」
「もちろんです。僕の知らない彼女の事を、教えていただけませんか」
「それじゃあ、私のほかにもう一人、昔からあの子を知っている人を紹介するわ。ちょっと場所変えさせてもらうけど、いい?」
そういうと美登里はまるで最初からそのつもりだったかのように素早く身仕度を整えた。
「今日はもう、お店はお休みね」
入口のところで待っていた俊介の前に、薄手のハーフコート姿で現れた美登里はそう言ってドアに掲げられた『Open』のプレートを『Closed』に変えた。
「では、出発」
美登里はこれと言った説明もないまま、僕にくるりと背を向けると、年齢を感じさせない軽快な足取りで歩き出した。
電車を利用し、約三十分後にたどり着いた場所は、僕も一度、足を運んだことのある場所だった。
「ここ、来たことあります。ミドリと……」
『西上書店』の前で立ち止まった美登里に、僕は思わず説明していた。
「あらそう。上だけ?」
「上?」
「あ、下は知らないのね。ごめんなさい。とりあえず、入りましょ」
美登里は重い硝子戸を押し開け、すたすたと店内に入っていった。
店内は以前訪れた時同様、薄暗かった。客の少なさも同様で、あきらかに勤め人ではない感じの若者が二人と、とうに定年退職し、悠々自適の生活を送っているような男性がいるだけだった。美登里は迷うことなく奥のレジの前へと進んでいった。
「こんにちは。お久しぶり」
「おや、ごきげんよう。下かい?」
店主がそっけなく言った。またしても『下』だ。下に一体、何があるというのだろう。
「ええ、ちょっとあの人たちの力をお借りしようと思って」
「まだ準備中じゃないのかな。まあ、美登里さんだったらいつでもOKだろうけど」
「ありがとう。聞いてみるわね」
そういうと美登里は肩越しに僕を振り返り、小さく目配せをした。
「本屋さんに用があるんじゃないんですか」
「今日はね。こっちよ」
美登里が目で示したのは、レジの後ろの壁に貼ってある貼り紙だった。そこには『
「いらっしゃいな」
美登里が示した先に、地下に向かって伸びるらせん階段があった。勝手知ったるとばかりにすいすい降りてゆく美登里の後を、僕は戸惑いながら追いかけた。
らせん階段が二周半ほどすると、いきなり目の前に黒光りする木の扉が現れた。なるほど、『飯処 助珠』と彫り込まれた木製のプレートが下がっている。
「まだやってないわね」
そう言いつつ、ためらうことなく美登里はドアを押した。僕が後に続くと、薄暗い店の奥から「あら?」という女性の声が聞こえた。
「こんにちわあ。『殺人事件』さんはやってらっしゃる?」
「あー、あいにくとまだ『初動捜査中』よ」
意味不明のやり取りがなされ、奥から美登里と同年代と思われる女性が姿を現した。
「今日はねえ、ちょっとお話をうかがいに来たんだけど、いいかしら?」
「いいも悪いも、あんたはいつもそうじゃない」
そう言って初老女性は豪快に笑った。美登里も小柄だが、女性はそれに輪をかけて小柄だ。おそらく百四十センチもないだろう。
風貌は何と言っていいか、淡い青のメッシュが入った銀髪をきれいに後ろになでつけている以外は、上品な印象の美登里とまるで異なっていた。
秀でた額の下からは鋭い眼差しが覗き、外国人かと思うような突き出た鼻の上には、漫画に出てくるような小さな丸眼鏡が乗せられていた。
「そういえば、後ろにいるのは誰だい?新しいボーイフレンドかい?」
いきなり鋭い視線を投げかけられ、僕は戸惑った。
「残念ながら、そうじゃないわ。こちらは、ミイちゃんのお友達の秋津さん」
僕は値踏みするような目でこちらを見ている女性に、おずおずと自己紹介をした。
「ほうそうかい。おミイちゃんがミイちゃんと呼ぶってことは、子ミイちゃんの方だね?……はじめまして、私は
麻利絵と名乗る女性は、意味不明の言葉を交えつつ、俊介に自己紹介した。
「あのう……おミイちゃんとか、子ミイちゃんって、なんですか?」
僕が尋ねると、麻利絵はあっはっは、と豪快に笑ってみせた。
「そうか、そうだったね。説明しなくちゃあね。こっちのお婆ちゃんは、おミイちゃん。なにせ六十年前からそう呼んでるんでね。変えようがないのさ。子ミイちゃんってよんでるのは、あんたがたが『ミドリ』って呼んでる女の子さ。子供だから子ミイちゃん。わかったかい?」
僕は頷いた。なるほど、この人ならミドリの事をよく知っていそうだ。
「で、何を聞きたいんだい?さあさあ、そんな所に突っ立ってないで、席にお座り。話を聞かせるからには、コーヒーの一杯でも注文してもらわなきゃね」
「あ、そういえば、なんでこのお店の事を『殺人事件』なんていうんですか?」
「それはね、簡単だよ。ひっくり返してから英語に直してみな。駄洒落だよ」
しばし考え、僕は理解した。なるほど、駄洒落だ。
「実は、ミドリに対して誤解を招くようなことをしてしまって、会って誤解を解きたいんですけど連絡が取れなくて……」
「あら、立派な大人の男性が、あんな小さな子の扱いには弱いのねえ」
麻利絵がコーヒーを乗せたトレーを手に、僕たちのテーブルにやってきた。
「そうですね。ちょっと変わってる子ですし……」
そういうと、麻利絵はいきなり大声で笑いだした。
「変わってるどころじゃないわね、あの子は。でも、あの子とお友達になるあなたも相当なもんだわ」
「自分でもそう思います。でもきっと、本当は傷つきやすい子なんじゃないかと思うことも時々あって……だから誤解を解かなきゃと。妻にもそう発破をかけられました」
「妻?ほう、奥さんがいるんだね?」
僕は一瞬、躊躇すべきだっただろうかと自問した。だがもう遅いようだった。美登里も俊介の口から初めて出された「妻」という言葉ににわかに興味を持ったように見えた。
「います。……でも、今、ちょっと事件に巻き込まれてまして……」
「事件だって?事件と聞いちゃあ、放っておけないね。……ねえ、あんた」
麻利絵がカウンターの内側に呼びかけると「なんだい」と野太い男性の声が返ってきた。
「なんだか、この秋津さんの奥さまが事件に巻き込まれているんですって。力を貸してあげられない?」
「むちゃ言うな。なんで飲み屋の親父が事件にかかわんなきゃならないんだ」
カウンターに身を乗り出すような形で姿を現したのは、顔つきも体つきもごつい巨漢だった。僕も背が高いほうだが、男性はもっと高い。百九十センチ近くはあるだろうか。
見てくれは若いが、かなり白髪があるところから見てすでにリタイヤをしている人物かもしれない。が、筋肉の盛り上がっている二の腕や、引き締まった口元から見ても働き盛りの中年にしか見えなかった。
「事件だか何だか知らねえが、まずは子ミイちゃんの話からだろう。……ったく、お前ら女どもは面白そうな話になるとすっかり本題を忘れちまう」
「ああ、そうだったわね。それじゃ、奥さんのお話は後の楽しみにとっときましょうか」
麻利絵に促され、僕はミドリとの出会いからをかいつまんで話した。時折、麻利絵が「へえ」とか「くくっ」などの感嘆符を挟んだ。
「あなた、相当あの子に気に入られてるわねえ。これはちゃんと、向き合わないとだめだわ」
「わかっています。僕が浅はかでした。……で、そのエスニックパーティーのあとで僕が家にいたら、ミドリがやってきて……」
「家って、その作業部屋の事?」
「違うんです、実はほかに妻との生活のために借りている部屋があって……」
「ああ、そちらのほうが本来の『家』なのね。わかったわ。で、奥さんはどんな方?」
「妻はその……」
僕は思い切って妻の名を一同に明かした。最初、何とも言えぬ沈黙が漂ったが、やがて麻利絵が「その話、詳しく聞きたいねえ」と言った。
僕は雪江とのなれそめから、今回の事件までを一気に聞かせた。いつのまにか全員が僕を前に取り囲むような位置に移動していた。
「なるほどなあ。しかしなんだ、その奥さんの方の事件はそれほど複雑な事件じゃねえって気がするけどな」
「ようするに、その女優さんを突き落としたのはアリバイのない人よね。だったら、関係者の中で犯行が可能だった人と、その人物とねんごろな人物とをあぶりだせばいいのよ」
「つまり、真犯人と、真犯人のために動いてくれる人間を探せばいいってわけか」
「そういうこと。これだったら動機さえわかれば、そう難しくはないわよね、シュウさん」
麻利絵とシユウは、事件について流れるようにすらすらとやり取りを交わした。
「昔のあなたならねえ、こんな事件、ものの一週間くらいで解決したんじゃないの?」
麻利絵が言うと、シユウは「くだらないこと、言うんじゃねえ」と睨み付けた。
「そんな無理言っちゃ駄目よ、麻利絵ちゃん。おんなじ腕利きでも、いまは腕利きの料理人。殺人課の刑事じゃあないんだから」
「どっちにしても、この事件は警察がきちっと捜査してるんだから、俺たちみたいな素人があてずっぽうな推理をする必要はないんだよ」
シユウは昔の事には触れられたくないのか、しきりに軌道修正を試みているようだった。
「たしかに妻も『事件の事は自分で片をつけるから心配しないで』と言ってますが……」
「ほら、やっぱりそうでしょう。あなたね、ようするに過保護なのよ」
「過保護ですか」
「あなたから見れば、大事な小鳥を育てるように奥さんを守っているのかもしれないけど、あなたがそうやって絵本の中の騎士みたいに守っていたら、彼女はいつまでもあなたの人形でいなきゃいけない。あなたが気付いてないだけで、本当は彼女はあなたが思っているよりずっと大人で、自分にとって何が一番大切か、もうとっくに選び終えているはずよ」
麻利絵の的を射た指摘に、僕は沈黙するほかなかった。
「そうです。僕が……彼女を守ることで手元にとどめておきたいと思ったから……彼女が何を望んでいるかなんて、怖くて聞けなかった。それもこれも、いつも僕が自信がなくて彼女の言葉の一つ一つに不安ばかり感じていたからなんです。つまり……」
「正面から向き合えなかった」
「ええ。今がその時なんですね」
「わかったら、できた妻のことよりお友達の事を考えなさいな」
「そうだ、ミドリは……いつもどんなところにいるんです?美登里さんの話だと、あなた方は昔からミドリを良く知っているとか」
「そうねえ。子ミイちゃんがお姉さんとよく、私の店に来てた頃からだから……」
「お姉さん?ミドリに姉さんがいるんですか?」
「そうよ。五年ほど前に亡くなってしまったけど。妹以上に頭のいい子だったわ」
「そうだったんですか……」
「それからよ、あの子が緑色のジャージを着るようになったのは。あれはね、あの子のお姉ちゃんが着ていたものなの」
「お姉さんのジャージを?どうして」
「あの子はねえ、なんでも自分のせいにしちゃう子なのよ。お姉ちゃんが事故で亡くなった時も、一緒にいた自分が目を離したからだって、ずっと思い続けてるみたい。それで、自分が亡くなったお姉ちゃんの学年を超えるまであのジャージを着て、事故の事を忘れないようにするんだって言ってたわ」
「あのジャージにそんな理由があったんですか」
「女の子なんだから、たまにはもう少しかわいらしい恰好でもすればいいのにねえ。ピンクのワンピースでも着てみれば『ミドリ』なんておかしなあだ名で呼ばれることもなくなるのに」
「あだ名?ミドリってあだ名なんですか?」
「ああ、いけない、私ったらつい、本人差し置いてしゃべりすぎちゃうのよねえ」
「あの子はねえ、ほんとはもっと無邪気な子なのよ。あの子は周りの人が大変な目に遭うと、自分が解決しなくちゃって必死で頭を使うの。だからあんな喋り方になっちゃうのね。ほら、よく目が見えない人が鼻が利くようになったりとかするでしょ?人間は、何かを抑えつけておくと、他のところが発達するものなの」
「でも、子供は子供らしいのが当たり前じゃないですか。少々、気が利かなくたって誰が責めるわけでもないでしょう」
「そうなんだけど、あの子は「自分には人として足りない物がある」って思い込んでるみたい」
「足りない物って?」
「さあ。……それはあなたがご自身であの子に聞いてごらんなさい。とにかくあの、泉美ちゃん?……の事件の時も、せっかく怪しい車を見つけたのに『車体の色に自信がない』なんて警察みたいなことばかり言って……仕方がないわよねえ、よくわかんないんだから」
「だいたいな、あいつは切れすぎんだよ。そういう能力は大人になってから使えってんだ」
車体の色……僕の脳裏に、いくつかの光景が甦った。ミドリ……まさか。
「みなさん、貴重なお話をありがとうございます。ちょっとミドリを探しに行ってきます」
「行くったって、どこに行くんだい、絵本の旦那」
シユウが呆れたように言った。僕は出ばなをくじかれ、黙らざるを得なかった。
「あの子が一人で行くところって言ったら、ほら、あそこじゃないかねえ。植物園」
美登里がふと思いついたように言った。とたんに麻利絵が反応した。
「ああ、そうねえ。よくみんなで行ったわねえ」
「植物園?どこのですか?」
「ここからそんなに遠くはないわよ。行ってみるなら地図を描くけど」
「お願いします、美登里さん」
「会えるといいわね、『ミドリ』ちゃんに。……ただあの子は危険な子だから、扱いには十分、気を付けるのよ」
「危険……ですか。ミドリが」
「そうよ。あの子の頭の良さは普通じゃないわ。いたずらに正義感や責任感を持たせたら、どこまで突っ走るかわからない、危ない子」
「そうね、子ミイちゃんとあなたを足して二で割ったらちょうどいいかもね。私はシユウさん、あなたにももうちょっと危険な男の香りをかもしだして欲しいわあ」
「秋津さん。あなたならあの子を、昔みたいなのんびりした子に戻せるかもしれないねえ」
「僕にもし、できるのなら。……それじゃ、失礼します」
僕は美登里たち三人に深々と頭を下げると、らせん階段を勢いをつけて駆け上がった。
〈第二十七話に続く〉
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