第14話 家庭教師は危険!
「いったい、どうしちゃったの?秋津君」
まるで試験をさぼった生徒を叱責するような口調で那須早苗は言った。
「今説明した通りです。知り合いの子どもにボディガードを頼まれて、それを寝坊ですっぽかして調子が狂ってしまったんです」
「で、寝坊の原因が惣領先生のせいだってわけ?プロでしょ、あなた」
「はい。自覚が足りませんでした」
「自覚以前の問題だわ。いくら子供相手の商売をしてるからって、子供の使いっ走りをしてる場合じゃないでしょう」
「ええ、そうですね」
返す言葉が見つからなかった。どうしてこんなことになったのかと言えば、直接の原因は『えんぴつナイト』の原稿をいい加減に保管したせいだ。だが、それと同じくらい大きな原因となったのは、優名の一件で心がかき乱されたことに違いない。
ではなぜ、自分は忙しい中、優名達と関ってしまったのだろう。おそらく、彼らが必死だったからだ。ミドリの、優名の口調の中に、子供なりに現状を打開しようとする死に物狂いのエネルギーを感じたからだ。それに協力したことは何ら恥ずかしいことではない。
「あのね、秋津君」
早苗はふうっと大きなため息をつくと、長い足を組み替えた。この業界には珍しく、早苗はタバコを吸わない。せめて呆れ顔で紫煙でもくゆらせてくれればいたたまれなさをごまかせたのにと僕は思った。
「編集長がどれだけあなたに期待してるか、考えたこと、ある?」
「編集長の顔をつぶしてしまったことは申し訳ないと思っています」
「わかってないわね。編集長ががっかりしてるのは、何も惣領先生の機嫌をそこねたからばかりじゃないの。あなたが自分の価値をぞんざいに扱っていることに対してなの」
「僕の価値……ですか」
「ええ。おそらく惣領先生が失望したのも、そこのところだと思う。バーホーベンさんに紹介したってことは、要するにあなたが旬だってことよ。それなのにあなたは自分のキャパシティを見くびって逃げてばっかり。原稿が見つからなかったのも、おかしなアルバイトにかまけてるのも、自分の値打ちに自信が持てなくて、仕事から腰が引けてるからよ」
まったく早苗の指摘通りだった。自分の仕事に自信があれば、ほかの事で評価が下がろうと本業に致命的な影響が及ぶことはないはずだ。ようするに甘ちゃんなのだ。
「とにかく『ひゃくえんせんそう』は死に物狂いでやります」
「そうね。でもしばらく『ひゃくえんせんそう』の事は忘れなさい」
「えっ?」
「あなたがすぐ気持ちを切り替えられないことぐらい、わかってるわ。できるだけ早く気持ちの方を切り替えて、それから『ひゃくえんせんそう』に取り掛かってちょうだい」
「もちろん、そうします。でも、締め切りの事を考えたらできるだけ急がないと……」
「もちろん、そうよ。……でも、私の一番重要な仕事は、あなたに自信を持たせること。あなたは締め切りまでに自信を取り戻し、作品を完成させるの。死に物狂いでね。いい?」
※
レジ待ちの列に並んだとき、ふと俊介は雑誌棚の前に下がっている大判のポップに目を止めた。『アークトゥルス472』の一階にあるコンビニエンスストアだ。毎回というわけではないが、陶芸教室に行く前に差し入れのお菓子を買っていくのが習慣のようになっていた。
ポップには『この夏話題の映画、『ラブ・シェイド』がDVDに』とあった。真妙寺雪江が主役の映画だった。ポップを見る限り、コンビニ先行販売のDVDには、色々と特典が付くようだ。
DVDか。どうしようかな。
「秋津さん」
不意に名を呼ばれ、僕は飛び上がらんばかりに驚いた。
「誰……あっ」
入り口の近くに、優名が立っていた。
「やっぱり、秋津さんだった」
優名は表情を緩めると、俊介に歩み寄った。
「優名ちゃん……」
「さっき、信号待ちをしてたらお店に入る秋津さんが見えたの」
「ごめん……ボディガード、間に合わなくて」
「あ、あれは私が悪かったの。十分待っても来なかったから、ちょっと焦らせようと思って先に歩き出したんだ。そしたら……見ちゃったんだ」
「見ちゃった?」
「結衣ちゃんが、男の人と歩いてるとこ」
「ひょっとして、狩野ってやつか」
「秋津さん……なんでわかったの?」
優名が驚いたように両目を瞠った。どうやら図星だったらしい。
「それは……なんとなく、直感的にそう思っただけさ」
よもやそんなことはあるまいと、思いついた最悪のケースを口にしただけだったのだが。
「で、どうしたんだ?声をかけたのかい」
「結衣ちゃん?……後をつけた」
「どこまで?」
「狩野っていう人のアパートの前まで」
「アパートに行ったのか。まさか、見張ってたんじゃないだろうな」
「見張ってた。一時間くらいだけど。そしたら、結衣ちゃんだけ出てきたんで、声をかけたの。結衣ちゃん、物凄い驚いてた」
「そりゃそうだろう」
「結衣ちゃんが『何してたと思う?』って怖い顔して聞くから『写真撮ってたんでしょ?』って言ったの。そしたら『そう。でも、裸にはなってない』って」
「そうか……きっとそう思われたくなくて先に釘を刺したんだろうな」
「私もそうじゃないかって思ってた。アパートに入る前に、二人でブティックに入ったりしてたから、いろんな服で写真を撮ってただけだろうなって」
「でも、狩野と二人きりで写真を撮っていたことはショックだった」
「うん」
「僕もだ。どういうつもりで写真を撮らせているのかわからないけど、やめさせた方がいいと思う」
「私も言ったの。辞めたほうがいいよって。そしたら『どうして私のすることをみんなやめろって言うの?あれもこれも。お芝居だって、モデルだって」
「お芝居?芝居をしてるのかい、結衣ちゃんは」
「映画とかドラマの脇役をしてるんだって。狩野さんの写真も別にいやらしい写真じゃないし、ちゃんと勉強はしてるんだからそれ以外の事であれこれ言われたくないって」
「別に優名ちゃんがあれこれ言ってるわけじゃないだろう」
「あれこれ言ってるのはお母さん。モデルも、脇役も、みんな反対なんだって」
僕はこずえの内気そうな顔を思い浮かべた。それほど厳しそうには見えないが。
「お母さんに言うなら言っていいよって、そう言って結衣ちゃん走って行っちゃった」
「そうか……結衣ちゃんは結衣ちゃんで色々と悩んでいるのかもしれないな。とやかく言う権利がないことはわかってるけど……狩野の事だけは気になるな」
「私も……気になる」
「今度、じっくり結衣ちゃんから話を聞いてみようか」
「うん。ミドリちゃんも一緒にね……あっ」
優名の目が僕の肩越しに何かを捉えた。
「じゃあ、結衣ちゃんと話がついたら連絡するねっ」
優名は踵を返すと、そそくさと店を出て行った。入れ替わりにドアの向こうに現れた女性が、目の前を風のように走り去った優名に向けて何かを叫んだ。僕があっけにとられていると、女性は視線を前方に戻し、くすくすと笑いながら店内に入ってきた。
女性は僕の前まで来ると、いきなり親しげな口調で話しかけてきた。
「……あのう、失礼ですけど、秋津さん?」
いきなり見知らぬ女性から名を呼ばれ、僕は面食らった。
「えっ?……は、はい。そうですが……あなたは?」
「いやだ、名乗りもしないでごめんなさい。私、優名ちゃんの家庭教師をしている
ひかりは少しハスキーな声で、自己紹介をした。
「ああ、なるほど。……あなたが優名ちゃんの家庭教師さんでしたか」
「ふふっ、優名ちゃんのボディガードだったんですよね、秋津さん」
館川ひかりは馴れ馴れしさが不思議と嫌味にならない不思議な女性だった。ココア色の髪を大きく巻き、パールのアクセントがついた洒落たワンピースを着たひかりは、ファッション雑誌の読者モデルと言っても良さそうな華やかさを全身にまとっていた。
「T大の理工学部大学院二回生です。制御工学とか、そんな勉強をしてます」
ひかりはすらすらと身上を語った。工学部だからおしゃれな学生がいない、なんてことはないだろうがそれにしても目の前の女性の華やかさと制御工学という堅い分野がなかなか結び付かなかった。
「優名ちゃんには算数と英語を教えてるんですけど、覚えが早いから余った時間はいつも二人でガールズトークしてるんです」
少し舌ったらずな喋りはわざとなのか、それとも元々こうなのか。
「優名ちゃん、この前も言ってましたよ、秋津さんがお兄さんだったらいいのにって」
「えっ、そうなんですか?」
「でも、彼女がいるなら早めに言っておいたほうがいいですよ。いくら小学生でも、変に気を持たせると本気になっちゃいますから。……あっ、それとももう、奥さんがいるのかな?うふふ」
「いや、そんな……それより館川さんこそ、もてるんじゃないですか」
「私ですかあ?私は、募集中です。……あ、でも優名ちゃんのエモノに手を出したりはしませんから、安心してくださいね、うふ」
ひかりの大きな目が迫ってきて、僕はうかつにもどぎまぎした。美咲の夫の親戚だというが、ずいぶんとユニークな家庭教師を雇ったものだ。
「それでねえ、実は優名ちゃんに今、秘密のプロジェクトをプレゼンしてるんですよ」
「秘密のプロジェクト、ですか?」
「そう。優名ちゃんが竜邦学園の内部進学をやめて、公立中学に行きたいって言ってるのは知ってます?」
「え、ええ。本人から聞きましたから」
「だけど、お母さんは竜邦の学力テストを受けさせようとしている、そんな状況なんですよねえ。優名ちゃんによると、子供が竜邦でないと親の肩身が狭いんですって。……それで私、いいことを思いついたんです。旭星中学って知ってます?」
「まあ、名前くらいは。名門中学ですよね」
「そう。実は私、旭星高校の生徒だったんです。……ちょっと訳ありで途中から竜邦に戻ったんですけど。もし優名ちゃんが旭星中を受けて受かったら、竜邦よりずっと高いステイタスを獲得できると思うんです。
旭星って名門進学校だけど純粋に学力で採ってるから、色んな子がいるんですよ。当時のクラスメートでもお金持ちの子は一人か二人くらいだったし、あそこなら優名ちゃんも楽しく過ごせるんじゃないかと思って」
「ううん……受かればいいですけどね」
「受かりますよお。優名ちゃんの頭のよさなら。それに、まだ公立中に行くっていう選択肢も残ってるし。私もね、小、中と不登校だったんです。だから優名ちゃんに、不登校の先輩としてできるだけ後悔しない道を選ばせてあげたいんです」
一方的に早口でまくしたてるひかりだったが、話す内容は不思議と説得力があった。
「そうですね、とにかくお母さんだけでも説得できれば、あとは優名ちゃん本人の問題ですし……色々な可能性を試してみるのもいいかもしれませんね」
「さっすが理解あるう。これからも優名ちゃんの事、よろしくお願いしますね。……それじゃ、授業しに行かなきゃいけないんで、これで。うふふ」
意味ありげな含み笑いを残し、館川ひかりは階段の奥へと消えていった。
〈第十五回に続く〉
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