第12話 異邦の客は危険!


 『ホテル・エトルリア』のレストランに着くと、惣領三留はすでにテーブルに着いていた。


 待ち合わせの時刻より三十分ほど早く到着したのだが、惣領はさらに早くから来ていたらしい。惣領の隣には、顎にひげを蓄えた大柄な白人が座っており惣領と時折、何か言葉を交わしていた。


 惣領は僕に気づくと目を細めた。僕は予定外の人物が居合せたことに面食らいつつ、席に着いた。


「ご無沙汰してます」


「やあ、久しぶり。元気そうだね。今日は急に呼び出して申し訳なかった」


「いいえ。『えんぴつナイト』の第一稿がなかなか見当たらなくてかなり探しました」


「すまないね、わがままを言って。……では、見せてもらおうかな」


 僕は持参してきた原稿入りの封筒を惣領に手渡した。


「ああ、そうだ。紹介が遅れたが、こちらは私の仕事上の友人でオランダの絵本作家、バーホーベンさんだ」


 惣領が紹介すると、白人男性はおじぎをして「コンニチハ」と言った。


「実は先日、『えんぴつナイト』をバーホーベン氏に読んでもらったんだ。どうやら一目で気に入ったらしくてね。作者とじかに会ってみたいと言い出したんで、こうして一席設けた次第だ」


「そうでしたか。それは……ありがとうございます」


 僕は深々と頭を下げた。バーホーベンは相好を崩すとなぜか手を合わせてお辞儀を返した。どうやら日本語の聞き取りはあまり得意ではないらしい。


 料理が運ばれ、ワインで形ばかりの乾杯がなされた。惣領は僕が持参した『えんぴつナイト』の第一稿を読み始めた。時折、感想を求めるようにバーホーベンに原稿を見せると、バーホーベンは癖の強い英語で感想らしきものを口にした。


「秋津君。バーホーベンさんが、『どうしてこっちのバージョンを本にしなかったんだ?』と聞いてきたんだが、答えてくれるかね」


「あ、はい。やはり子供が見るものですから、過激な表現は控えたほうがいいかと思って、一部の表現をおとなしいものに変更したものを出版することにしたんです」


 惣領は僕の返答を英語でバーホーベンに伝えた。バーホーベンは僕の答えを聞くと『ンーッ、ノウ』と言って頭を振った。そして先ほどと同様の癖の強い英語で惣領に何事か早口でまくしたてた。


「秋津君、バーホーベンさんが言うには、子供は時として大人以上に冷酷な生き物だから、少々過激な描写でも、生きる真実を描いた内容ならむしろ見せるべきだとのことだ」


 僕はうなった。そうかもしれないが、日本と海外では教育事情も違うはずだ。


 その後も惣領とバーホーベンは時折、英語で何やらやりとりを交わしていたが、終始冷静な惣領に対し、バーホーベンは興奮気味にまくしたてたかと思うとしばし沈黙する、と言った風に感情の起伏が激しい様子だった。


 僕は昼間の遅刻の一件がのどに刺さった小骨のように気にかかっていた。


 いったい、優名はどこに行っていたのだろうか。あれほど塾に対してこだわりがあったのに、ボディガードが遅刻したくらいであてつけに塾をサボるとは考えられない。


 理由を言いたがらないという事は、よくない友達にでも誘われたのだろうか。


 そこまで考えて、いやな想像が頭をよぎった。よもや狩野とかいう危険人物にそそのかされて、のこのこついて行ったのではあるまいか。だとすれば無事に帰ってきたとしても言いたがらない理由にはなる。


 ぼんやり想像を巡らせていると、惣領が声をかけてきた。


「秋津君。どうしたんだね、ぼうっとして。寝不足か?」


「はあ……実は昨夜、遅くまで原稿を探していたものですから」


「それはわかるが、少々、緊張感が足りないぞ。今日、こうしてバーホーベンさんがお越しくださったのは、実は君と何らかのコラボレーションがしたいという意向があってのことなのだ。それなのに肝心の君が気乗り薄ではどうにもならないだろう」


「あ、いえ、気が乗らないとかそういう事ではありません。実は昼間、ちょっとしたアクシデントがありまして、そのことを思い出していたのです。コラボレーション自体はもちろん、願ってもない話です。むしろこちらからお願いしたいくらいです」


 慌てて取り繕うと、惣領は不満げな表情を浮かべた。


「それにしても、ほかの事に心を奪われること自体、不真面目だよ」


「おっしゃるとおりです。申し訳ありません」


 平身低頭する僕に、惣領の冷ややかなまなざしが注がれた。どうしてこういつも、僕は人の期待を裏切ってしまうのだろう。


「とにかく、今回は時間に余裕がなかったのでこういう形で引き合わせることになったが、私が海外での用事を済ませたらまた改めて席を設けよう。今日の君ではあまり実りある話はできそうもないからね」


 そう言うと、惣領はバーホーベンに話しかけた。バーホーベンはほんのすこしだけ残念そうな表情を浮かべた後、オーケイ、と笑顔を作った。


「アキツサン、マタオアイシマショウ」


 片言の日本語でそう言うと、バーホーベンは握手を求めてきた。僕が恐る恐る片手を差し出すと、ミットのような大きく弾力のある手が握り返してきた。


 その後も食事と談笑がひとしきり続いたが、僕は最後までいたたまれない気分から抜け出せず終いだった。二人を見送った後、電車のホームで僕は深いため息をついた。


 信用ってのはこんなに簡単になくせるんだな。


 惣領とのやり取りをなぞると、バーホーベンとのコラボレーションが、あたかも今夜で立ち消えになったかのように思えてくる。それと連動し、ミドリや優名に対しても、もはや名誉挽回のチャンスさえ絶たれてしまった気がしてくるのだった。


 やっぱり僕のように、目の前の事に捕われてしまう人間は気づかないうちにもっと大事なものを無くしてしまうのだろう。

 僕の脳裏に一人の女性の顔が浮かんだ。自分のわがままために、もしかしたら色々なものを犠牲にしてしまったかも知れない女性。


 僕という人間は、こうして色んな所に頭を下げ続けて行くだけの人生なのだろうか。


 ふとミドリの寂しげな表情が思い返された。あれほど居丈高に思えたミドリの態度も、自分に対する期待の表れだったと思えばむしろ応えられなくて申し訳ない気持ちになる。


 とりあえず、編集長と那須には謝っておかねばならない。新しい仕事を紹介してくれた惣領の機嫌を損ねてしまったのだ。このまま知らん顔をして済ませるわけにはいかない。


              〈第十二話に続く〉

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