第11話 すっぽかしは危険!


 僕は自分の声で夢から目を覚ました。しばらくの間、自分が部屋にいることが理解できなかった。


「夢か……嫌な夢だ」


 額の汗をぬぐい、上体を起こした時、着衣のまま就寝していたことに気づいた。


 ベッドから降りかけて、ふと昨夜のことが思い返された。そうだ、明け方まで原稿をさがしていたんだった。僕は洗面所に向かおうと足を踏み出した。その時だった。


 いやに眩しいな……


 目覚まし代わりに使っている携帯電話のアラームは、大体いつも八時に設定している。しかし窓から差し込む日差しは朝の白っぽいそれではないようだった。


 僕は携帯電話を探した。ベッドサイドに置いておくのが習慣になっている携帯電話が見当たらなかった。僕は顔を洗うのを後回しにして携帯電話を探し始めた。


 作業机、ソファー、椅子の上……普段、放り出しておくような場所にはことごとく見当たらなかった。原稿探しに夢中になるあまり、おかしな所へ紛れ込ませてしまったのだろうか。そこまで考えて、ある可能性に思い当たった。


 そうだ。惣領と通話した後、夕食の材料と一緒にキッチンに置き忘れてきたのだ。


 俊介はキッチンに向かった。予想通り、携帯電話はキッチンの米櫃の上にあった。


「よかった。やっぱりここにあったか」


 ほっと胸をなでおろした直後、僕の脳裏にふと疑問がよぎった。たしか就寝前に携帯電話のアラームをセットして寝たはずだ。ならば、携帯電話はベッドの近くになければならない。なのに、携帯電話は夕方、通話を終えた場所にあった。という事は……


 僕は携帯電話を手にすると、アラーム機能がセットされているかどうかを確認した。アラームはオフになっていた。どうやらセットしたと思っていたのは、夢の中での出来事だったらしい。


 じゃあ、今はいったい何時なんだ。


 僕は恐る恐る壁の時計を見た。時刻は、午後二時半だった。


 しまった!優名の送り迎えに間に合わない!


 僕はすぐに優名に電話をかけた。が、電源が入っていないという声が繰り返されるばかりだった。僕は慌てて身だしなみを整え、アパートを飛び出した。


 優名の学校までは電車で二駅ほどだが、どんなに急いでも二十分はかかる。腕時計の表示はすでに二時五十分を示していた。優名が気長に待っていてくれればいいのだが。


 学校の校門が見えた時には、時刻は約束の三時をとうに回っていた。僕は辺りを見まわしたが、優名らしき少女の姿はなかった。もしかしたら、痺れを切らして歩き始めたのかもしれない。そう思い、僕は塾への道を前回と同じコースになるようにたどり始めた。


 時折携帯電話を取り出し、優名からのメールが来ていないか確かめてみたが、着信メールはなく、相変わらず電話も通じずじまいだった。僕は前回のようなマンションを経由するルートは取らず、まっすぐに塾に足を向けた。


 住宅地がいったん途切れたあたりで三時半を過ぎた。もう塾が始まる時間だ。せめて一人でも無事に着いていてくれれば。ふと思い立ち、僕はミドリの電話番号を入力した。


 表示画面を見ながらじっと待っているとやがて呼び出し音が鳴り始めた。


『もしもし』


『もしもし、僕だ、秋津だ。実は待ち合わせの時間に遅刻してしまった。優名はそっちに行っているかい?』


『いや……まだ来ていない』


『そうか……実は電話がつながらないんだ。どこにいるんだろう』


『電話がつながらない?電源が切れているのか』


『たぶん。困ったな、学校に戻ったほうがいいだろうか』


『そうしてくれ。私からも連絡を取ってみる。四時になっても連絡が取れなかったら塾の前に来てくれ。場合によってはお母さんに報告する必要がある』


『ああ……そうだな。もしかしたらおばあちゃんの所にいるかもしれないから、そっちにも連絡を取ってくれないか』


『わかった。ではまた後ほど』


 ミドリとの通話を終えると僕は踵を返し、学校へ引き返した。塾には来ていなかった。いったい優名はどこへ行ったのだろうか。


 待ち合わせ場所に戻っても、優名らしき姿を見つけることはできなかった。優名の学校にはまだ入ったことがない。竜邦学園初等部はヨーロッパ風の校舎を高い塀が囲っていて、中に入るには身分証明がいるという話だった。


 出てくる生徒を片っ端から捕まえて聞いてみるか……。


 僕は校門にほど近いクリーニング店の前で、携帯電話を操作するふりをしながら出てくる人波を見つめた。上品な制服に身を包んだ子供たちには声をかけるのをためらわせる雰囲気があり、うかつに近づこうものなら不審者扱いされかねなかった。


 しばらく気配をうかがっていると、スーツに身を包んだ成人男性が姿を現した。

 子供の一人が男性に向かって『先生』と言っているように見えた。教師なら、話しかけても構わないだろう。そう決心し、僕はスーツの男性に近づいた。


「すみません、失礼ですがこの学校の先生ですか?」


「……そうですが、あなたは?」


「四年D組の樫山優名の保護者ですが……」


「樫山の?……失礼ですがお父さん、ではないですよね?」


「はい。あのう……優名ちゃんのお母さんに頼まれて、塾まで送り迎えをしている者です」


「失礼ですが、お名前を教えていただいてもよろしいですか」


「秋津と言います。自由……いや、自営業を営んでいます」


「秋津さんですか……私は樫山の担任の日下くさかと言います。樫山なら終業と同時に帰ったと思いますが……会わなかったのですか?」


「それが待ち合わせに遅刻しまして、携帯電話で連絡を取ろうとしたのですが、電源が入っていないのです。塾にも行っていないようだし、どうにも所在がわからなくて……」


「なるほど、そうでしたか。それは心配ですね……。お家の方には連絡されたのですか?」


 日下の問いに僕は一瞬、口ごもった。ボディガードの件は優名から美咲に話しているだろうと高をくくり、直接やり取りをするのを怠っていた。


 ミドリを介しての依頼という事もあったし、正直に言えば美咲と会うのが面倒だったのだ。


「えー、とりあえず塾まで送ってくれればいいという話だったので、まだ家の方には……」


「ふうむ。いや、こういう場合はですね、一応、お家の方に連絡しておくべきだと思います。何かあった時に話がきちんと通っていないと困ったことになりますから」


 日下は僕が答えに窮したことを特に不審にも思っていないようだった。


「そ、そうですね。一応、連絡を入れておきますか。先生の方で、優名ちゃんが立ち寄りそうな場所は思い当たりませんか」


「ううん、それがね。あの子はクラスの友達から距離を置いているようなところがあってね。最近では下校もたいてい、一人だったんですよ」


「すると、よく立ち寄るお店とかそういう場所については把握していないと……」


「まあ、そうなりますね。私が知らないだけで、どこかにそういうお店でもあれば心配はいらないんでしょうが……塾を休んでいるというのが気になりますね」


 日下の言うことはいちいち頷けるものだったが、具体的な手掛かりが示されないことには探しようもなかった。


「とりあえず、僕はここから塾までの間にある建物や公園をを探してみます」


「なにかあったら連絡ください。僕も担任として気になるので」


 僕は日下と連絡先を交換した。日下と別れた後、優名の家にも電話をかけてみたが、美咲は不在だった。あいにくと携帯電話の番号までは知らなかった。


 僕はコンビニや児童公園など、優名が寄りそうな場所を丹念に見ていったが、それらしい姿はなかった。


 再び塾の近くまで戻ってきたとき、携帯電話が鳴った。


『私だ。ミドリだ』


『ああ、ごめん。まだ見つかっていないんだ』


『もういい。見つかった』


『なんだって?どこでだ?』


『塾の前だ。優名を探すために具合が悪いと言って抜け出したら、優名が玄関の前に立っていたのだ』


『どうしてすれ違わなかったのかな……どこにいたのか、聞いたのか』


『いや。そのまま家まで送っていったが、青い顔をして、何を聞いても答えてくれなかった。もう塾の方には来なくていい』


『何があったんだろう』


『そのうち自分で聞いてみればいい。たまたま会えたから良かったが、危ない目に遭っていたら取り返しがつかなかったかもしれない』


『そうだな。……申し訳ない。今度から、こういうことがないよう気を付けるよ』


『気を付けても仕方がない。今回のことで、優名はおそらく塾を辞めさせられるだろう』


 僕は沈黙した。どう弁明しようと、失敗したという事実は動かしようがなかった。


『君には……失望した』


 ミドリがぽつりと漏らし、通話が途絶えた。胸に重苦しいものが広がった。


              〈第十二話に続く〉

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