第10話 夜更かしは危険!
惣領三留から電話が来たのは、夕食の材料をキッチンの床に置いた直後だった。
『もしもし、秋津君か?惣領だが』
『あ、先生、ご無沙汰しています』
『那須君から話は聞いているかね?』
『「えんぴつナイト」のことですか?』
『そうだ。那須君によれば本になったものより過激な内容らしいじゃないか。その、君があえて本にしなかった部分を読みたいと思ってね』
『はあ……でも、「えんぴつナイト」が怪物ケズリガーにかじられてだんだん短くなっていくっていう内容ですからね。むしろ省いて正解だったと思ってるんですが』
『秋津君。君は子供の感性を見くびっているよ。子供は自分の身を削ってまでプリンセスを守ろうとする「えんぴつナイト」の忠誠心を見て、自分ならどうするかをあれこれ想像するものだ。それに「えんぴつナイト」がケズリガーに全部削られてこの世から消滅してしまったら……という描写が加わることで、「死」をリアルに考えるきっかけにもなる』
『そういうものですかね……』
『とにかく、見つかり次第、読ませてもらえないか。……じつは、急がないと那須君には伝えてあったんだが、状況が変わった。来週、ヨーロッパで開催される童話作家の集まりに誘われてね。急きょ週末の便で飛ぶことになった』
『それはまた、忙しないですね。……わかりました。何とか探してみます』
『できれば、明日の夜までに見つけてもらえるとありがたいのだが……』
『明日ですか。うーん、ずいぶん早いですね。見つかるかなあ……』
『むちゃな注文だとは思うが、実は君に会わせたい人物がいるんだ。その人物の都合が明日しかつかないのだ。私もこれから数日、仕事が立て込んで来そうだし、ちょっと無理をしてでも見つけてもらえないだろうか』
『わかりました。何とか探してみます』
『ありがとう。では明日の午後八時に、『ホテル・エトルリア』のレストランで会おう。よろしく頼む』
要件を告げ終えると、惣領はあわただしく電話を切った。えらいことになった、と僕は思った。この部屋のどこかにあるのはおそらく間違いない。しかし本になっていない『えんぴつナイト』の原稿はかなり雑な状態で保管されており、見つけ出すには厖大な資料のすべてを引っ掻き回さねばならない。何時間かかるか想像もつかなかった。
これは、徹夜を覚悟しなければならないかもしれないな。
僕の肩にずしりと重いものがのしかかった。明日も午後から優名のボディガードが予定されている。キャンセルしようと思えばできないことはないだろうが、今日、見かけた怪しいミニバンのことを思うと、なんだか恐ろしくてキャンセルなどできそうもない。
仕方ない、頑張って探して、午前中に寝ればなんとかなるだろう。
僕は意を決し、作業机の上の資料の山に手を伸ばした。作業は予想通り、難航した。夕食は鍋から菓子パンへと変更され、日付が変わっても原稿は一枚も見つからなかった。
くそっ、お前は何でああいう大事な物をちゃんとわかる場所に保管しておかないんだ。
机の上や物入れはもちろんのこと、雑誌に挟んだクリアファイルや封筒、揚句は押入れの天袋やオーディオ機器の裏まで丹念に探した。が、どうでもいいようなメモやカタログの類がいくらでも見つかるのと裏腹に肝心の原稿は一向に見つからなかった。
額から嫌な汗がじわりと滲むのがわかった。時計を見るとすでに午前二時を回っていた。
畜生、あれほど大事にしていた原稿を、俺はいったいどこにしまったんだ。大体、物をしまう時は妙に凝ったりすべきじゃないんだ。何度も同じ目を見て、いい加減学習してるはずだろう。こんなことで物書きになろうなんて恐れ多い、まったく。
同じところをかき回し、やはりないと失望するたびに自分への悪態がとめどなくあふれ出した。なぜなんだ、たかが四畳半の限られた空間で見つからないなんて。隅々まで見たはずだ、見落としはないのか。いや、あるはずだ、あるから見つからないんだ、くそう。
僕があることに気づいたのは、部屋の隅に何気なく目をやった時だった。
待てよ。もうずっと触っていないもの……僕は部屋の隅にあるラックからある物を引っ張り出した。マジックで大きく『廃棄』と書いているそれは、古いプリンターだった。
そうだ、ちょうど『えんぴつナイト』が出た直後に新しいプリンターを購入したはずだ。
俊介は恐る恐る、プリンターの蓋についている原稿入れのポケットをまさぐった。
あった。
ポケットから出てきたのはまさしく『えんぴつナイト』の第一稿だった。
よかった。これで明日……じゃない、今日か。この原稿を約束通り惣領に見せることができる。危ないところだった。
僕は、原稿をブリーフケースにしまうと、ベッドに倒れこんだ。時計の針は三時半を示していた そうだ、アラームをかけなくては。優名との待ち合わせは何時だったろう。
僕はベッドの脇のテーブルに片手を伸ばした。いつも携帯電話を置いている場所だ。
だが、当然あるはずの場所に、携帯電話はなかった。しばらく記憶を弄った後、僕はあることに思い当たった。そうだ、惣領と話した後、米櫃の上に置いたのだ。
キッチンにある携帯電話を手に取るには、ベッドから一度降りなければならない。
体が重かった。原稿を探すことに疲れ切った脳が、睡眠を強く要求していた。起き上がるには一度、頭をすっきりさせる必要があった。よし、起きるんだ。起きて携帯のアラームを設定すればそれで終わりだ。原稿は用意してある。晴れてぐっすり眠れるんだ……。
朦朧とした意識のまま僕は思い切って起き上がり、キッチンに移動した。携帯電話を手に取るとアラームを設定し、携帯電話を持ったままベッドまでふらふらと舞い戻った。
よし、大丈夫だ、大丈夫……。
たちまち強烈な睡魔に襲われ、僕は消灯もせず泥のような眠りに落ちた。
夢の中で、僕は走っていた。
急がなくちゃ。優名との待ち合わせに遅れてしまう。目の前に、小学校のフェンスが見えた。あの角を曲がれば、校門だ。足を緩めかけた僕の前に、行く手を塞ぐようにいきなり一台の乗用車が現れた。白いミニバンだった。
なんだ?
ミニバンの運転席には、サングラスをした青いツナギの人物がいた。ツナギの人物が、顎で「後ろを見ろ」と示した。命じられるまま後部席に目をやり、僕は息を呑んだ。
後部席にいるのはタオルで目隠しをされ、口にガムテープを貼られたミドリだった。
「ミドリ!」
僕は車内のミドリに向かって大声を上げた。が、ミドリは一向に気づく様子がない。
僕の努力をあざ笑うかのようにエンジンがうなりを上げ、運転席の人物が片頬に勝ち誇ったような笑みを浮かべるのが見えた。
「待て!」
ミニバンは左方向にハンドルを切ると、追いすがる僕をその場に残して走り去った。
「ミドリー―っ!」
〈第十一回に続く〉
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