第8話 ボディーガードは危険!


『もしもし、秋津ですが』


『秋津君?私だけど』


 声の主は、僕の絵本を出した「憧景舎どうけいしゃ」の編集者、那須早苗なすさなえだった。


『どう?『ひゃくえんせんそう』の進み具合は?』


『あ……まあまあです。やっと材料がそろいまして』


『そう、よかったわ。ガモジラに会えるのを楽しみにしてるわね。ところで、今日、電話したのはあなたに大事なことを伝えるためなの』


『大事なこと?』


『そう。実は惣領先生がね……ひさしぶりにあなたに会いたいって言ってるの』


『惣領先生が?』


 惣領三留そうりょうみつるは、長いキャリアを持つ絵本作家だった。なかなか目が出ずに腐っていたある時、気分を変えようと使い古しの文房具で人形を作り、それを写真に撮ってネットで発表したところ、出版社から『惣領三留先生が興味を持っている』と連絡が入ったのだ。


 そこからはとんとん拍子に話が進み、ついには本の帯に推薦文を書いてもらうというこれ以上はない幸運に恵まれたのだった。


『……それでね、惣領先生に『えんぴつナイトの冒険』の原型があるらしいって言ったら『ぜひ読みたい』って言うの。それで先生にお見せしたいんだけど、手元にあるかしら?』


 意外な展開に、僕は一瞬、返答をためらった。確かにそんなものがあったような気がする。しかしもはやどこにしまったかも思い出せない。


『ええと、言われてみればそんな物の話をしたことがあったような気もします。でも、相当昔に書いたもので、どこにしまったやら……』


『まあ、見つからなかったらそれはそれで仕方ないから、とにかく探してみて。先生は今週末にも会いたいってことだから、できればそれまでに探しておいてね』


 早苗との通話を終えた後、僕はしばし呆然とした。何だか面倒なことになってきた。


                ※


 ボディーガードの一日目は、小学校近くのコンビニから始まった。


 僕が二冊目の雑誌に手を伸ばした時、自動ドアが開いて小さな人影が姿を現した。


「優名ちゃん、こっちこっち」


 僕が手招きすると、レジのあたりできょろきょろと辺りをうかがっていた優名の表情がほっとしたように緩んだ。


「こんにちは、秋津さん」


 かしこまった口調で優名が言った。自分で言い出したとはいえ、ボディガードに見守られながら下校するなど、初めての体験だからだろう。


「じゃ、行こうか」


 僕らは連れ立ってコンビニを出ると、塾の方向に向かって歩き出した。


「わがまま言ってごめんなさい」


 優名が歩き出すなり、小さな声で言った。僕は「いや、今は割と暇だから気にしなくていいよ」と返した。暇というのは嘘だったが、子供に気を遣われるのもやりづらい。


「君の言う住所だと、二十分も歩けば着いてしまうね」


 僕が言うと、優名は「そうですけど、あの……」ともの言いたげな目をした。


「実は、寄ってほしいところがあるんです。おばあちゃんのマンション」


「おばあちゃんの?塾に行く途中にあるのかい」


「はい。ここから十分くらいのところです。塾は四時からだから、おばあちゃんのうちに寄っても間に合うと思います」


「さては最初からそのつもりだったな」


 僕がたしなめると優名は「ごめんなさい」と舌を出した。


「まったく、君もだんだんミドリに似てきたかな」


「ミドリちゃんより、私のほうがずるいと思います。ミドリちゃんはいい子です」


 優名がきっぱりと言った。僕の脳裏にジオラマを見て目を輝かせているミドリの横顔が甦った。いい子なのかどうかはわからないが、純粋なところはあるのだろう。


「秋津さん」


「なんだい」


「私がボディーガードをお願いした理由、聞いてますか?」


「うん。聞いてるよ。お母さんに塾通いが危険じゃないってわかってもらうためだろう?」


「そうなんですけど……危険じゃないってことはないんです」


「え?」


「塾には通い続けたいけど、本当は一人で通うのは怖いんです。前に一度、男の人に声をかけられたことがあるんです」


「なんだって。お母さんには言ったのかい」


 優名はぶるんと頭を振った。


「言ったらもう、塾には行けなくなるから言えなかったんです。でも、本当はまた声をかけられるんじゃないかってすごく怖いんです」


 俊介はううむ、と唸った。こうなると話は別だ。母親の方を支持すべきかもしれない。


「でも、誰かはわかってるんです。狩野かりのっていう人で、雑誌の記事とかを書いている人です。女の子の写真を撮るのが趣味で、この辺の中学生とか声をかけられた人が何人かいるそうです」


「へえ、そりゃまた、危険なやつがいたもんだ」


「その人、警察から目をつけられてるっていう話です。半年前の、女の子が殺された事件の犯人かもしれないって」


「確かにそんなことをしてたら、目をつけられるだろうな」


「結衣ちゃんからうわさだけは聞いてたんです。でも、小学校にまでは来ないっていうから安心してたんです。そしたら二週間くらい前に、塾の近くで声をかけられて……」


「一人だったの?」


「はい。『いろんな服を着てみたくない?』って。どういうことですか?って聞いたら、『写真を撮らせてほしい』っていうんです。『裸とかじゃ絶対ないから』って。でも、気持ち悪いから『いいです』って言いました。そしたら、時々、歩いてる後ろをその人っぽい人がつけてくるようになって……」


「ううん、そいつはほとんど犯罪者すれすれだな。危ないところだったかもしれない」


「だから、今度声をかけられたら走って逃げようと思ってるんです」


「そうか。それじゃ、僕と一緒でもそいつは現れるかもしれないな」


「秋津さん、追い払ってくれますか?」


「まあ僕も本職のボディガードじゃあ、ないからな。やっぱり大声を出すくらいしかできないと思うよ」


「じゃあ、二人で大声を出して、逃げましょう」


 優名はそう言うと、やっと安心できたという表情になった。


「もし姿を現したらすぐにわかります。痩せてて、女の人みたいになよっとした体の人だから。変装しててもわかると思います」


「うん。じゃあ、そういう人がいないか、時々後ろを振り返って見てみることにするよ」


 狩野という男性の話をする時の優名は、実に気味の悪そうな表情になった。それにしても、もしその男性が犯人なら、もっと早くに捕えられていてもよさそうなものだが。


 優名の祖母のマンションには、彼女の言葉通り十分足らずで到着した。


 玄関のインターフォンで優名が来意を告げると「あらー、いらっしゃい」と快活な女性の声が返ってきた。声の感じからすると、祖母と言っても若い雰囲気の祖母なのだろう。


 優名は「鍵は開いてるって」と言い残すと、飛び跳ねるような足取りでマンションの階段を上がり始めた。低階層マンションなのでエレベーターは設置されていないようだった。


 僕が息を切らしながら追いつくと、優名はすでにドアを開けて待っていた。


「どうぞ、お入りください」


 優名に続いてドアをくぐると、七十歳くらいの品のいい女性が姿を現した。


「あらー優名、わざわざ来てくれてー。学校の帰り?」


「そう。塾までまだ時間があるから、来ちゃった。あ、それでね。この人、優名のボディーガードなの。一週間だけ雇ったんだ」


 優名が得意げに言った。戸惑っていると女性が「まあまあ、それは」と深く頭を下げた。


「優名の祖母の光代みつよといいます。大変でしょうが、優名の事をよろしくお願いしますね」


 はあ、と僕は曖昧に返した。よろしくと言われても、塾まで送っていくだけの事だ。


「この前ね、結衣ちゃん家でランチパーティー、やったんだっ」


 リビングに足を踏み入れるなり、優名が言った。さては転校騒ぎの顛末を聞かせて、祖母を味方に引き入れようという魂胆か。


「あら、いいわねえ。お友達をお招きしたの?」


「そう。ミドリちゃんと、ここにいる秋津さん」


「なんだか楽しそうねえ。たしか結衣ちゃんのママって料理がお上手なんでしょう?」


「そうなの。すっごく美味しかったっ」


 優名は塾の事を忘れたかのように興奮した口調でまくしたてた。光代はいったんキッチンに消えると、クッキーと紅茶の乗ったトレイをたずさえて再び姿を現した。優名はそれらが並ぶより早く、待っていましたとばかりにダイニングテーブルに飛びついた。


「あのねえ、パスタでしょ、カッパルチョでしょ……」


 微妙に怪しい記憶っぷりながら、優名はランチパーティーで供されたメニューの数々を「すっごく美味しかった」だの「最高」だのと言った感想を交えながら饒舌に語った。


「ふうん。それは楽しそうねえ。私も行きたかったなあ」


「うんっ。今度はおばあちゃんもご招待するねっ」


 優名は上機嫌だった。母親に内緒で訪問するくらいだから嫁姑の仲が微妙なのかと思いきや、ランチの同席がOKという事はそう不仲でもないらしい。


「そう、ありがと。首をながーくして待ってるわ」


 光代はにこにこと穏やかな笑みを絶やすことなく言った。美咲は僕の印象では今どきの派手好きな主婦という感じだったが、光代の物腰の上品さと言い、優名が祖母を呼ぶとき「おばあちゃん」と敬意を込めて呼ぶ折り目正しさと言い、家庭の雰囲気は案外保守的なのかもしれないと思った。


              〈第九回に続く〉

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