第7話 怪獣の炎は危険!
きっかけは一通のメールだった。
ディスプレイに表示された送信者名を見て、僕は苦笑した。『ミドリ』とだけ表示されていたからだ。考えてみれば、僕はミドリの本名を知らないまま、「計画」を手伝わせれて来たのだった。
メールの内容は『相談に乗ってもらいたい。今から行ってもいいか』というごくあっさりとしたものだった。僕は『相談ぐらいなら構わない』と返した。
ランチパーティーの時は気疲れもあって「もうこの連中にはかかわるまい」と決意したが、時間が経過したことで気持ちに余裕が生まれ、話を聞くぐらいいいかという気持ちになったのだ。
ミドリが作業部屋に現れたのは、メールから三十分ほど経った頃だった。前回と同じジャージの上下といういでたちのミドリは、なぜかあの時の迫力が感じられず一回り小さく見えた。
「入っていいか」
ミドリは沓脱に直立したまま言った。やはり以前のような押しの強さがない。帰れと言ったらそのまま帰ってしまいそうだった。
「どうぞ。相変わらず散らかってるけど」
ミドリは上がりこむと、以前と同じローテーブルの前に陣取った。口調こそ変わらないが、発している雰囲気は年相応の少女のそれだった。僕が紅茶を振る舞うと、驚いたことに「すまん」と頭を下げて見せた。
「……で、今日は何の相談だい?また優名ちゃんのこと?それとも結衣ちゃん?」
ミドリはしばし、沈黙した。以前のようにきょろきょろと室内を見まわしたりもせず、じっと何かを考え込んでいるようだった。
「優名のことだ。実は、塾を辞めさせられそうなのだ」
「優名ちゃんが?……お母さんがそう言っているのかい」
「そうだ。表向きの理由は『不審者が多いから、家で勉強した方がいい』という物だが、本当の理由は塾でほかの学校の子達と交流させたくないからだ」
「ほかの学校の子たちと仲良くなると、転校したくなったり公立の中学に行きたくなったりするから……か」
ミドリは頷いた。ランチパーティーの時の美咲の反応からすれば、充分ありうる話だと思った。そこまでして公立行きを阻止することもあるまいに、というのは部外者の無責任な感想だろう。大人と子供は全く異なる行動原理で動くものだ。
「家庭教師をつけるのだそうだ。つまり平日の放課後はほぼ、家から出られない」
「それは息が詰まるだろうな。ただでさえ不満がたまっているっていうのに」
「その通りだ。……もっとも、不審者がいて危険という認識自体は誤りではない。半年前の中学生殺害事件を覚えているか?」
ミドリがいきなり、思いもよらぬ方向に話題を振った。戸惑いつつ、僕はうなずいた。
「あれだろう?M町で女子中学生が拉致されて殺されたっていう事件だろ」
確かに半年くらい前、そんな事件があり、全国的なニュースになった。犯人はいまだ捕まっておらず、M町とその周辺の町内では父兄が児童の送り迎えをするなど、半年たった今も地域に暗い影を落としている。
「殺された女の子は」
いきなりミドリが切り出した。独り言のような低い声だった。
「私の幼馴染だった。少し年上だが、遊び友達だった」
意外な話の成り行きに、僕は一瞬返す言葉を失った。
「それだけではない。事件の日、攫われる直前まで、私は彼女と一緒にいたのだ」
唐突な告白に、僕は困惑した。これから話す「相談」と関係があるのだろうか。
「事件の後、警察にもあれこれ聞かれたが、私は逮捕につながるような有力な情報を提供することができなかった。あんなことはもう起ってほしくない」
最後の方は心なしか憤りが混じっているようだった。ミドリは息を一つ吐き出すと「すまん、おかしな話をして」と言った。
「優名は母親に塾を続けたいと言ったそうだ。当然、母親は頭ごなしに拒否した。そこで彼女は言ったそうだ。『ボディガードを頼んでみる。それで一週間、変な人の姿を見なかったら塾を続けさせて』と」
「ボディガード?小学生が?」
「おそらく優名の頭にある人物が浮かんだのだと思う。協力してくれそうな大人の姿が」
「僕か。そんな大変な事をどうしてそう、簡単に考えられるんだ」
「まあ、たしかに短絡的な発想だとは思う。だが優名は必死なんだ。おそらく家庭教師をつけると言われた瞬間、出口をすべて塞がれたと思ったのだろう」
「君も僕の出口をふさいでいるぞ」
「もちろん、断る自由はある。あとは君の善意を信じるしかない」
ミドリの口調に、いつもの強引さが戻りつつあった。僕は自分が内心、ほっとしたような奇妙な気持ちになっていることに気づいた。
「君がどう見ているかは知らないが、僕は一応、社会人として仕事を持ってるんだぜ。絵本作家だから自由がきくと思っているか知らないが……まあ、多少はきかないこともないが……いやいや、とにかく自由業だってそれなりに大変なんだ。時間が余っていると思われたら心外だ」
「別に暇だなどとは思っていない。午後の一、二時間を優名のために空けてくれないか、そう頼んでいるのだ」
それが頼んでいる人間の言い方か。そう思ったがぐっと飲み込んだ。注意したところでミドリが口調を改めるとは思えなかった。
「私は……怖いのだ」
ミドリが俯き、絞り出すように言った。怖い、というのは優名が犯罪に巻き込まれることを指しているのだろう。
「友達を救えなかったことに罪の意識を感じているのなら、それはやめたほうがいい。君はただ、友達と遊んでいただけだろう」
「そうかもしれない。私が勝手に落ち込んでいるだけかもしれない」
ミドリの口調が自虐的なものになった。僕は彼女の新たな一面を見たように思った。
「わかったよ。一週間だけでいいんだな?」
僕がそう答えるとミドリの表情がぱっと明るくなった。まるで大人の仮面を外したようだ、と僕は思った。
「一週間と言っても塾は週三回、月、水、金だ。つまり三回でいいという事だ」
「それなら仕事に影響するほどじゃない。やってあげるよ」
ミドリがほっとしたように長い息を吐いた。どうやら緊張していたらしい。今までのミドリと、今現在のミドリ。一体どちらが本物のミドリなのだろうか。
「ありがとう。待ち合わせの場所と時間は後で伝える。塾までの道のりは優名に直接、聞いてもらいたい」
言い終えると、ミドリはつっかえ棒を外されたようにぐったりとなった。
「相当お疲れのようだな。……よし、気晴らしに面白いものを見せてやるか」
僕はそう言うとミドリをその場に残し、隣接している四畳半に移動した。
四畳半には畳一畳分ほどの作業台があり、その上に「ひゃくえんせんそう」で使用する予定のジオラマがあった。
ジオラマは架空の町をイメージしたもので、主に台所用品を組み合わせてこしらえてあった。建物や道路に見立てた部分には等間隔に赤いLEDが埋め込まれており、スイッチ一つで点灯する仕掛けになっていた。
俊介はジオラマをその下の台ごと持ち上げ、元の部屋へ戻った。ジオラマをローテーブルの上に置くと、ミドリが目を丸くした。
「なんだこれは。凄いじゃないか」
「なんに見える?」
「町だな。ちょっといびつな感じだが……私は好きだ」
ミドリは興奮した口調で言った。鼻先で笑われるかと思いきや、やはり子供はこういうものが好きらしい。
「よし、それじゃあもう一つ、面白いものを見せよう」
そういって僕は部屋のカーテンを引いた。元々日当たりのよい部屋ではないため、日中にも関わらず室内は真っ暗になった。
「いいか。ガモジラ登場――」
僕はテーブルの下にあるスイッチを入れた。ジオラマに埋め込んだLEDが点灯し、キッチン用品の町は一瞬にして、紅蓮の炎に包まれた。
「おおっ……これは」
ミドリが目を大きく見開いた。僕は近くの棚から『ガモジラ』を持ってきた。ガモジラをジオラマの端に置き、建物の一つから伸びている光ファイバーを口に差し込むと、ガモジラの吐く炎が町を舐め尽くしているように見えるのだった。
「綺麗だな……イルミネーションかと思った」
ミドリがうっとりした口調で言った。あまり怖がってはいないようだ。
「カイジュウの吐く炎で町が焼き尽くされる場面なんだ。物語の山場だよ」
「あ、これは炎だったのか。レーザー光線かと思った」
ミドリが率直な感想を口にした。僕は少しばかり肩を落とした。大火災に見えるよう、LEDをバランスよく配置したつもりなのだが……まあ、感覚は人それぞれという事か。
「これはいい。これは売れる……ええと、アキツ」
ミドリが初めて僕の名を口にした。心なしか少しばかり照れているようにも見えた。
「俊介でいい」
「えっ」
「そう言う呼び方のほうがミドリらしい」
「あっ。……ああ。ええと……とにかくこれは絶対、受けると思うぞ、シュンスケ」
ミドリはテーブルに肘をつき、うっとりとジオラマを眺めた。子供らしく目がキラキラと輝いていた。もう少しこんなミドリを眺めているのも悪くないな、と僕は思った。
「もういいか?それとももうしばらく見ているか?」
「あ、いや……もういい。面白かった、ありがとう」
カーテンを開けるとミドリは眩しそうに眼をしばたたき、元の冷静な態度に戻った。
「それじゃあ、月、水、金だな。用意するものはなにかあるか?」
「特にない。拳銃でも持ってくるか?」
「台所用品で作ったピストルならあるが、役に立つかな?」
「わかった。余計なものは持ってこなくていい」
ミドリが呆れたように言った。また関係が元に戻ったようだ。ミドリはすっくと立ち上がると、改めて室内を見まわした。
「シュンスケ。あれは何だ」
ミドリが壁の一角を指で示した。何の変哲もないカレンダーだった。
「カレンダーだけど?何か珍しいのかい」
「
ミドリがとある女優の名を口にした。俊介は「ああ」と頷いた。真妙寺雪江は主に映画とテレビの単発ドラマ、CMなどで活躍する若手女優で、男女、年齢を問わずそこそこ人気がある。
「ファンなのか、彼女の」
「ファンというか……人間的に尊敬してる。……まあ、ファンってことかな」
意外なところに食いつくなと思いながら、僕は答えた。
「ふうむ。私も嫌いではないが……もっとマニアックな趣味かと思った」
ミドリが意外そうに言った。たしかに真妙寺雪江はどの層にも好感をもたれる女優だ。
大学に在学中、スカウトされてCMでデビューした彼女は、その後ある映画で新人章を獲り、一躍注目の的となった。まだ二十七歳だが海外の映画祭などでも激賞されており、内外の巨匠から熱いまなざしを注がれているという。
「こんな女性もいるのだな。どうやったらなれるのだろう」
「えっ?どうやったら?……まあ、生まれつきの素質とか、色々だろうな」
憧れているのだろうか。ミドリに普通の女の子のような憧れがあるとは思いもしなかったが、考えてみれば、別に不思議なことでも何でもない。
「生まれつきか……そうだな。人は所詮、生まれつきの宿命には逆らえないのだな」
妙に重々しい口調で、ミドリが呟いた。そこまで深い話だろうかと思いつつ、僕はつい頷いていた。ミドリはカレンダーに見入った後、僕の方を見て「帰る」と言った。
「そうか。帰ったら連絡をくれよ。でないといつ、どこへ行ったらいいかわからない」
「わかっている。くれぐれも優名をよろしくたのむ。では、これで失礼する」
ミドリが辞去した後、僕はしばらく真妙寺雪江のカレンダーを眺めていた。
初めて真妙寺雪江という女優を意識したのは、彼女の初期の映画を見た時だった。
OLを辞めて田舎で焼き物を始める女性が主人公の映画だった。土をこねる雪江の手つきを見てすぐに「かなりやっているな」と分かった。そして手つき以上にその真剣な眼差しに強く惹かれた。それから、彼女が出演している作品を意識して追うようになったのだ。
カレンダーの写真は、僕が一番気に入っている三月の物をそのままにしてあった。花びらが舞う中を雪江が本を抱え、歩いている写真だった。
――そう、僕の最初の本が書店に並んだ時、ちょうどこの写真が文庫キャンペーンのポスターとして店内に貼られていたのだ。
そんなことを思い返していると、不意に携帯電話の着信音が鳴り響いた。
〈第八話に続く〉
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