第6話 ランチパーティーは危険!


 日曜の午後、マンションの一室は華やいだ空気に包まれていた。


 倉橋こずえが経営するサロン形式のレストラン、「キッチン・ヱシャロット」に陶芸教室の生徒を中心とする仲間たちが一堂に会したからだった。


「やっぱりセンスがいいわねえ」


 主婦仲間の一人、黒田ゆかりが言った。陶芸教室でこずえのこしらえた皿をべた褒めしていたのもゆかりだった。


「あれでしょ、倉橋さんって美術の学校かなにか出てらっしゃるんでしょ」


 別の主婦が言った。こずえはテーブルに真っ白なプレートを並べながら「いいえ、特に」と笑ってかわした。


 実際、「キッチン・ヱシャロット」の内装にはシンプルながら、美的センスを感じさせるものがあった。漆喰風の柄をプリントした壁紙や、使い込まれた古い木製家具、素焼きの壺などの素朴なディスプレイで、店内を外国の民家風に見せていた。


 マンションの一室であることを生かしたつくりは、主婦の暇つぶしとは思えない本格的なものだった。


 テーブルにはワイングラスが並べられ、「子供もいますので」と、アルコール抜きのシードルが注がれた。カルパッチョなどの前菜がならぶと、それまで部屋のあちこちを値踏みするように眺めていた主婦たちが、一斉に居住まいを正した。


「大したものはお出しできませんけど、私なりにランチメニューをこしらえました。どうぞ楽しんでいってください」


 こずえがテーブルから一歩下がった位置で頭を下げると、小さな拍手が起こった。


「もう、食べていいの?」


 首からナプキンを下げたミドリが言った。両脇には優名と結衣がやはり首からナプキンを下げてかしこまっている。彼らの役はいわばデパートに連れてこられた幼児だ。


 ランチパーティーの招待客は十人で、三つのテーブルに分かれて座る格好になっていた。


 中央の六人掛けにミドリ達三人と美咲、僕、それに招待主であるこずえ。残る二つのテーブルを他の主婦たちが囲んでいた。


「先生が来られなかったのは残念だったわ」


 美咲が言った。今日はピンクのドレスで、髪をアップにしている。娘がほぼ普段着なのと対照的だった。


「まあ、お忙しい方ですからね」


 僕は一応、フォローした。実際は主婦達のパーティーに腰が引けたのだろう。

 自分だってこのパーティーがミドリの「計画」でなければ断っていたところだ。


 乾杯がなされ、合鴨だか何だかのローストしたものが供された。僕は早くも財布の中身が気になり始めていた。招待とはいえ、値段の設定は集まる主婦たちの平均的な「ランチ代」で設定されている。つまり外のレストラン並みというわけだ。


 ホスト役はこずえだったが、場の空気を支配していたのは、陶芸教室同様、美咲だった。


 美咲はレストラン開店の裏話をこずえにせがみ、いちいち大げさに感心して見せた後、自分の陶芸教室がいかに大変かという苦労話にさりげなく持ってゆくのだった。


 優名達に目をやると、おしゃべりに熱中しつつ、目の前の肉料理をしっかりと平らげていた。主婦たちはたがいに自分が主催するサロンの話題や、夫の職場の話題などに熱中していた。座の空気が一変したのは、うにをあしらったパスタが並べられた直後だった。


「あっ、これっ。あのお皿だっ」


 結衣が声を上げ、パスタをフォークで端に寄せた。するとパスタの下から、美しい植物の絵が現れた。パスタの乗っている皿が、陶芸教室にあった絵皿だったのだ。


「本当だ。素敵」


 ミドリも調子を合わせた。美咲が「やっぱりお皿は食べ物を乗せた時が一番、素敵に見えるわね」と満足げに言った。


「大切なものをすみません、本当に……結衣、フォークを立てちゃ駄目よ」


「わかってるって。きれいに食べまーす」


 結衣はパスタを皿のあちこちに寄せながら、現れる絵を楽しむかのように食べ始めた。


「ねえ、優名ちゃん」


 ミドリが結衣を挟んで向こう側にいる優名に、声をかけた。


「なあに?」


「竜邦にはさ、カフェテリアがあるって聞いたんだけど。パスタもある?」


 来たな、と俊介は身構えた。ミドリの口から竜邦の名が出た途端、優名のフォークを操る手が止まった。


「どうしたの?」


 優名が、カチャン、とフォークを皿の上に置いた。結衣もパスタを口に運ぶ手を止め、優名の方を見た。


「竜邦の話は……したくない」


 ミドリに負けず劣らずの名演技だった。……もっとも、言っていることは本音だろうが。


「優名ちゃん、学校、嫌いなの?」


 結衣が眉をひそめて聞いた。こちらもなかなかの女優だ。優名が黙って頷くと、主婦たちの視線が一斉に優名に注がれた。


「優名。教えてあげて。カフェテリアのお話くらい、いいじゃない」


 美咲が厳しい表情で言った。全員が、手を止めて子供たちのやり取りに聞き入っていた。


「嫌なものは……嫌」


 優名がぶんぶんと大きく頭を振った。美咲の顔の陰りが濃くなった。


「ひょっとして、いじめられてるの?」


 ミドリが話を膨らませた。優名はまたしても大きく頭を振った。


「学校の雰囲気が、嫌い」


 美咲の表情が凍り付いた。まなじりが吊り上がり、頬が痙攣するように小刻みに震えた。


「竜邦って、ほかの学校と違うの?」


 ミドリが核心に触れた。優名は小首を傾げ「わかんない」と言った後、「でも」とつけ加えた。


「前に行ってた学校とは、全然違う。前の学校の友達は、一流レストランなんか行かなかったもん。外国に毎年なんか行ってなかったもん」


 美咲の両目が大きく見開かれた。唇がわなわなと震え、優名を憤怒の形相で睨み付けた。


「優名。何、言ってるの!」


 優名は美咲の剣幕に一切、ひるむ気配を見せなかった。


「つまんないものは、つまんない。前の学校のほうがいい」


 さあ、ここだ。僕はひとつ息を吸うと、おもむろに口を開いた。


「優名ちゃん。おじさんも子供のころ、学校が嫌いだったけど、それはそれとして、卒業まで頑張ったぞ。合わない友達とは、無理に付き合わなくてもいいじゃないか」


 僕が言い終わるか終らないかのうちに、優名は「違う、違ううっ」と叫び出した。


「友達だけじゃない。全部、全部合わないの」


 優名は椅子から立ち上がると、青ざめた表情の母親をきっと睨みつけた。


「お母さん。私、中学は公立に行くっ!」


 突然の宣言に、美咲の動きが凍り付いたように止まった。



「な、何言ってるの、選抜テストはどうするのっ」


「センバツテストは……受けない」


 美咲は絶句し、ミドリが会心の笑みを口元に浮かべた。母親と主婦仲間たちの前で堂々と「テストを受けない宣言をさせる」それがミドリの立てた計画だった。


「テストを……受けないって……だ、駄目よ。そんな。それはできないわ」


 美咲が狼狽えはじめた。それはそうだろう。子供が竜邦に通っていることが、主婦仲間たちとの「絆」なのだから。


「優名ちゃん」


 ふいに結衣が口を開いた。もちろん、これも計画の一部だった。


「私もね……実は竜邦が嫌いなんだ」


 こずえの表情が一変した。怒り心頭の美咲とは異なり、いったい何が起きているのだという驚愕の表情だった。


「私はもう、進学しちゃったからしょうがないけど……学校の友達は嫌い」


 立て続けの告白に、場の空気はもはやランチどころではなくなっていた。


「私は卒業まで、誰とも仲良くしない。友達は高校に行ってから作るつもり」


 こずえが消え入りそうな声で「どうしましょう」と呟いた。


「ごめんなさい。竜邦が悪い学校だとか、そんなんじゃないんです。ただ、雰囲気になじめる子となじめない子がいるってことを分かって欲しかったんです」


 結衣は深々と頭を下げた。主婦たちの中には表情を硬くしている者もいた。ここにいる主婦たちの子供は、大半が竜邦の初等部、中等部の生徒なのだ。


「まあ、子供にとっちゃ、通いやすい学校がいい学校なのかもしれないな」


 僕はミドリの筋書き通りのセリフを口にした。これでお役目ご免だ。


「優名ちゃん、もしかしたら同じ中学になるかもしれないね」


 ミドリが駄目押しの台詞を口にした。優名も「だったらいいな」と笑みで返した。


「結衣、今言ったこと、前から思っていたの?」


 こずえが押し殺した声で訊いた。結衣は一瞬、身を固くしたが、大きく息を吸った後「うん」と答えた。


「そう。気が付かなかったわ。ごめんなさいね。話してくれてうれしいわ。今はほかのお客様もいるし、学校の事は後でゆっくり話しましょう。ね?」


 穏やかだが有無を言わさない口調だった。結衣は言い切ってすっきりしたのか、力強く頷いた。美咲は気持ちの整理がつかないのか口をへの字に曲げ、眉を寄せていた。


「優名ちゃんもお家に帰ったら、お母さんと学校の事、たくさん話してみたらいいよ」


 ミドリが微妙な空気になっている母子に、助け舟を出した。


「そう……そうね。あとできちんと話しましょう、優名。今はランチを楽しむ時間ですものね」


 リーダー格としてのプライドがよみがえったのか、美咲は思いだしたように居住まいをただした。


「子供は子供で言いたいことがあるでしょうけど、ここから先はそれぞれのご家庭の問題ってことにしませんか」


 こずえが美咲に向かってとりなすように言った。美咲はしぶしぶ頷いた。


「でも悩みを打ち明けてくれて、親子で話しあういいきっかけにはなりましたよね」

 僕が言うと主婦たちが大きく頷き、期せずして拍手が起こった。


「さあ、それじゃあデザートを準備してきますね。みなさん、楽しみにしていてください」


「わあい、デザートだ」


 ミドリが大げさにはしゃいで見せた。とりあえず「計画」は完了したらしい。


 やれやれ、これでようやく『ひゃくえんせんそう』に腰を据えてとりかかれる。

 ミドリの特異なキャラクターに飲まれ、色々なことを手伝わされはしたものの、それはそれで面白い体験だったといえなくもない。


 ミドリという少女は、優名や結衣と比べてみても、態度や知識が明らかに違う。どんな家庭に育ち、どんな学校生活を送っているのか。いたく興味をそそられる子供だった。


 時間をかけてパスタをやっつけると、デザートを盛った皿が運ばれてきた。

 デザートはシフォンケーキだった。ホイップクリームが添えてあり、上品な感じだ。


「これといって工夫のないケーキですが、どうぞ召し上がってください」


 こずえが薦めると、子供たちがわっと手を伸ばした。数秒後、緑色をしたケーキに手を伸ばした優名が「あっ、これ抹茶味じゃない」と驚いたような声を上げた。


「わかった?抹茶の代わりにヨモギを使ってみたの」


 優名は目を丸くした。俊介も一切れ口に運んでみた。草っぽい香りが口の中にふわりと広がった。懐かしい風味だが、今どきの子供にはあまりなじみのない匂いかもしれない。


 美味しい、という賛辞がささやかれる中、結衣だけが人形のように動きを止めていた。同じことにミドリも気づいたのか、「結衣ちゃん、ヨモギ苦手?取り換えてあげようか」と言って自分のモカ味と素早く交換した。結衣はにっこりとほほ笑むと「ありがとう、ミドリちゃん」と言った。


「ふーん、結衣ちゃん、ヨモギ苦手なんだ。私なんか、おばあちゃんが小さい頃よくヨモギでお餅を作ってくれてさあ。嫌いになる暇もなかったよ」


 優名が言うと、結衣は「嫌いってわけじゃないの。ただ、なんとなく食べられないだけ」と小声で返した。この真面目な少女は、嫌いなものを嫌いと主張することさえ、ためらうタイプのようだった。


「ところで、次のパーティーはどこで開きましょうか」


 すっかり立ち直ったらしい美咲が言った。これだけ食べて、次のパーティーのことまで考えられるとは、女性は怪物であると言わざるを得ない。


「秋津先生、どこか美味しいお店、ご存じじゃなくて?」


 美咲がしなを作るようにしていった。残念ながらお安いお店しかご存じではない。


「私、実はエスニック料理のお店を始めようと準備してたんですけど……」


 背の高い島谷しまたにという主婦が言った。あら、素敵という声が数人の口から漏れた。


「実はお隣が津久井つくいさんのサロンで……あまり賑やかにしないでと言われているんです」


 ああ、あの占いの……と誰かが呟いた。津久井という陶芸教室にもたまにやってくる主婦は、趣味を生かしてマンションの一室で占いの店を開いているらしい。


「でも、占いとエスニックならいい組み合わせではなくって?お隣からスパイシーな香辛料の匂いがしてくれば、お香をたく手間が省けるでしょ」


 画期的なようでどこかずれた意見を、誰かが口にした。すると島谷が眉をひそめた。


「問題は匂いじゃないんです。津久井さんはできるだけ、人気のない静かな環境で占いをしたいっていうんです。だから、パーティーなんてもってのほかなんです」


「融通が利かないのねえ。……いいわ。それじゃ、私から津久井さんにちょっと話をしてみるわね。実のところ私、あの人の占いの常連なの。お得意さまってわけ」


 へえー、という驚きの声があちこちで上がった。


「色々なお店がマンションにあったほうが、これからも楽しめますでしょ?みんなで協力し合えば、きっとうまくいくと思いますわ」


 美咲が改めてその場を取り仕切った。島谷も苦笑いを浮かべて「それじゃあ、お願いします」と言った。エスニックに占いか……僕が感心していると、ミドリが口を開いた。


「優名ちゃんや結衣ちゃんも、占ってもらえばいいよね。せっかくだから」


 一瞬、妙な緊張が一同の間に走った。僕は「あんまりおかしなことを言うなよ」と釘を刺すつもりでミドリを見たが、ミドリはその視線を平然と受け流した。


「まあ、そういうお話はまた、改めてという事で……」


 美咲が流れを断ち切るように、「こずえさん、お会計、お願いします」と言った。


 どっちにしろ、もう俺は拘わらないぞ。僕は財布の中身を確かめながら思った。


 だが、ほんの数日後には、また新たな事件が僕を悩ませることになるのだった。


               〈第七話に続く〉

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