第3話 訪問者は危険!
デジタルカメラのビュアーで捉えた『ガモジラ』は、理想的な表情だった。
「よし、いい貌だ」
思わず笑みがこぼれた。半月型の眼は吊り上がり過ぎても下がってもいけない。怒りをたたえつつ、どこかに哀愁を秘めていなければならないのだ。
結局『ガモジラ』の頭部はじょうろでなく、アウトドア用の小型ライトにいくつかの小物を組み合わせる形で完成させた。一体感に乏しい、いささか無骨なフォルムではあるが、むしろその方が僕の理想に近かった。
シャープな怪物には人は親近感を抱きづらい。むしろ武骨なフォルムのほうが子供の興味をひきつけるものだ。
二度ほどシャッターを切ったところで、チャイムが鳴った。
僕はいぶかしんだ。新聞の勧誘以外でこのアトリエを訪れる者は皆無に等しい。
「はい」
ドア越しにインターフォンで誰何した。少しの間、沈黙があった。
「わたしだ」
女性の、それも子供かと思うような高い声だった。私というからには僕と面識のある人物に違いない。しかし、心当たりがなかった。
「万引き犯を連行してきた。中に入れてくれないか」
あっと思った。数日前の捕り物が、まざまざと脳裏に甦った。
「あの時の子か」
「そうだ。開けてくれ」
僕がドアを開けると、緑のジャージに身を包んだ少女が立っていた。
「よくここがわかったな」
「連絡すると約束しただろう。私は嘘は嫌いだ」
少女は毅然とした口調で言った。相変わらず、敬意を払うということを知らないようだ。
「そうじゃなくて、どうやってこの場所を……あっ」
少女の背後からおずおずとあらわれた人影を見て、僕は思わず声を上げた。あの時の「万引き犯」に間違いなかった。さらにもう一つ、僕を驚かせたのが「万引き犯」の性別だった。スポーツキャップに半ズボンという服装からてっきり少年と思い込んでいたが、目の前にいる人物は紛れもない女の子だった。
「思い出せるように事件があった日と同じ服装にさせた。……さあ、前に出て。話をしに来たんだから」
ジャージの少女に促され、女の子は僕の前に進み出た。女の子はもじもじとためらうそぶりを見せた後、ゆっくりと顔を上げた。
「あっ……」
キャップの下からあらわれた顔を見て僕は声を上げた。
「どうして君が……」
入ってきた時は気づかなかったが、見知った人物がそこにいた。
「ごめんなさい」
秀でた額、下がり気味の眼尻。目の前で頭を下げている少女は、僕が助手をしている陶芸教室の娘、
優名は自転車で向ってきたときの迫力が嘘のようにうち萎れた表情になっていた。
「とにかく入って」
僕は二人を室内に招じ入れた。2DKのアパートは、撮影の道具で埋め尽くされている。ローテーブルを空け、床の上のガラクタを隅に寄せると、どうにかスペースができた。
「子供の飲むような物はないが、紅茶でいいか?」
「気を遣う必要はない。……座るぞ」
ジャージの少女は子供らしからぬ口調で言うと、優名を促して床の空いている場所にさっと座った。
紅茶を持ってにキッチンから戻ると、二人は僕を対照的な様子で迎えた。ジャージの少女は僕の作業机をじっと見つめ、目の前にカップを置いても表情を動かさなかった。優名は入ってきたときからずっと身を固くし、俯いたままだった。少女二人がローテーブルに向かっている様子は、ままごとでもしているかのようだった。
「さて、と」
僕は二人と向き合う形でテーブルについた。ジャージを着た少女の顔がようやく正面を向いた。テーブルに着くよう促してみたものの、いざ話をしようとするとなにから切り出してよいかわからない。
「聞きたいことは色々あるんだけど……その前に、なぜここがわかった?」
僕はジャージを着た少女に口調を強めて切り出した。
「あとで連絡すると約束しただろう。私は約束は果たす」
少女の答えは僕を拍子抜けさせた。お前は政治家か。いや、政治家は約束を果たすとは限らないな。……いやいや、そうじゃない。
「僕が聞いているのは、どうしてこの場所が最初から分かっていたかってことだ」
少女は一瞬、虚を突かれたような表情になった。……が、やがて一呼吸置くと、なるほどとうなずいた。
「そんなことか。それは簡単だ。百円ショップに貼ってあったポスターに、君の連絡先が書いてあった。オフィスの住所も」
あっと思った。確かにポスターには連絡先と作業部屋の所在地が記載されていた。ポスターを見て興味を抱いた人間から、協力が得られないかと期待してのことだった。
「てっきりスマートな事務所だと思っていたのだが……いい意味で予想外だった」
少女は眼鏡の奥の瞳をくりくりと動かして言った。そういう表情は子供らしいといえなくもない。
「君はどうしてあのショップにいたんだ?彼女と一緒だったのか?」
僕は優名の方を見ながら言った。優名は身を固くしたまま、俯いていた。
「同じ店にいたのは偶然だ。見かけたのは彼女が盗みを働く前だが、声はかけなかった。挙動がおかしかったからだ」
「ということは、何かをしでかしそうだと思ったってことか」
「そうだ。色々と悩んでいることは以前から聞いていたし、清算もしていないのにビニール袋を下げているのが怪しいとも思った」
「なるほど。それで声をかけるのをためらっていたら、店を出てしまったというわけか」
「そうだ。私としたことが不覚だった。アクセサリーを袋に入れた瞬間、私には彼女が盗みをはたらくことがわかっていた」
「勘か。友達ならではの」
俊介の問いに、ジャージの少女は大きく頭を振ってみせた。
「違う。私にはわかるのだ。その人間がどんな心理状態にあるかが。優名の場合、匂いがいつもと違っていた」
「匂いだって?」
「そうだ。アクセサリーを袋に入れた瞬間、彼女の匂いが明らかに変化した。うまくは言えないが、黒っぽい塊が渦巻くような感じのにおいだ。そして歩き方も変わった。歩幅が狭まり、前屈みになった。ひどく気になることを抱えている人間の歩き方だ」
「本当かい。そんなことがわかるものかなあ」
「わかる。理解してもらおうとは思わない。私は私がわかることを知っている」
少女は頑迷だった。異を唱えても仕方がない。僕は負けを認めることにした。
「まあ、そういうならそうなんだろうな。……で、僕と一緒に追いかけたってわけか」
「そうだ。店の前に自転車を停めてあったので、それで追いかけた。結果的に少々後れを取ることになったが、君が彼女にプレッシャーをかけてくれたお蔭で、追いつくことができた。正直、いくら大人とはいえ足で追いつくとは思わなかった」
「あのデジカメは?いつも持ち歩いているのかい」
「そうだ。たまたま役に立った」
「あんなことをしたら確実に転ぶだろう。危ないと思わなかったのか」
「まだ速度が出ていないから、さほどの怪我もしないだろうと思った」
「それにしても、友達だろう?少し思いやりが足りないんじゃないか」
少女が黙り込んだ。反省しているというより、何か考え込んでいるようだった。
「いいんです。ミドリちゃんは悪くないんです」
それまで身を固くして二人の会話に聞き入っていた優名が、ふいに口を開いた。
「ミドリちゃん?」
思わず聞き返すと、ジャージを着た少女が「私の事だ」と言った。ミドリというのか、この子は。上下とも緑色のジャージなのは、名前に合わせた恰好ということなのか。
「私を止めようとして、一生懸命だったんです。怪我をしてもしかたないです」
「まあ、確かに君の……ミドリ君のお蔭で僕も怪我をせずに済んだわけだし、結果的には良かったのかもしれないが」
「ミドリでいい」
「えっ?」
「くんはいらない」
「ああ、そういうことか。ええと、とにかくミドリく……ミドリのお蔭で僕は怪我せずに済んだ。そのことは感謝している」
「いや、礼には及ばない。必要があってやったことだ」
どうも調子がくるってしまう。いったいどんな育ち方をしたら、こんな物言いの子供に育つのだろう。
「ところでせっかく自転車を止めたのに、どうしてその場で彼女を捕まえなかった?お店に謝罪するなら早いほうがいいだろう」
「それは……とりあえず、本人に気持ちを整理してほしかった。親が出てきて叱られる、という展開をできれば避けたかった」
「それは共犯ってことにならないかい?」
「違う。違うのだ」
ミドリの眼に、初めて動揺するような色が見えた。
「謝罪の前に彼女と話をしたかったのだ。それを共犯と言うのなら……そうかもしれない」
僕はおやと思った。ミドリの話し方が妙だった。それまでとは打って変わって歯切れが悪くなったのだ。
「話したかったというのは、万引きの理由を聞きたかったという事かい」
「万引きの理由は……大体想像がついていた。そのことも含め、色々だ」
ふうん、と僕は相槌を打った。どうもアクセサリーが欲しかったからなんていう単純な話ではなさそうだ。
〈第四回に続く〉
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