「邪悪だと気づいた事を、気づかれてはいけない」
『やる気になってくれてるのは嬉しいけど、その前にちょっとばかし時間を貰ってもいいかな?』
震えそうな脚に気力を込めて、魔物犇めく方角へ足を踏み出そうとした時だった。何を思ったのか、コールマンを焚き付けた張本人が待ったを掛けてくる。
出鼻を挫かれ、鼻白む。振り絞った勇気に水を差すような真似は控えてほしい――胸元の演算補助宝珠に白い目を向け、少年は苦々しい気持ちを隠しもせずに反駁した。
「行けと言ったり待てと言ったり………今度はなんだっていうんだ? マリアの仕業なんだろうけど、今なら彼女の通った道にある程度の空隙がある。そこを一気に駆け抜けてしまいたい。人のやる気を削ぐような真似は止してほしいものだね」
『ごめんね、でもマイ・マスターの利になる事だ。やっておいて損はないよ。ほら………そこに転がっている魔導兵の頭を拾って』
「魔導兵?」
魔導兵と言われてもすぐにはピンと来なかったが、言いたいことは分かった。何せジュグジュグと気泡を立てて溶け、アスファルトの地面の上で蒸発していっているゴブリンの死体のすぐ傍には、マーリンが言うところの“頭”が転がっていたからだ。
生きている限り完全な遮断は不可能だという魔力波長。その反応を微弱ながらも感じる辺り、あの生首はまだ生きているのだろうとは思っていた。頭だけで生きているなんて、いよいよ人間離れしているようだが、そうした非常識にもいい加減慣れている。
ここで素直に従えば、なんでもかんでもマーリンの言いなりになっているようで癪に障る。嫌だと断るための方便を探すが、生理的な拒絶感しか持ち出せるものがなく、仕方がないと抗弁を諦めた。
なんだかんだ、マーリンはコールマンを強くしようとはしてくれているのだ。未成熟な反抗心に突き動かされるようでは、自らの幼稚さを自白するようなものである。
迷ったり惑ったりする時間的猶予はない。無駄は省く。人の生首を抱える行為にある種の忌避感を懐きながらも、コールマンは魔導兵というらしいモノの頭を拾い上げた。
どう持ったものか一瞬悩みそうになるが、なんとなく小脇に抱える。すぐそこの街道には多種多様な魔物が跋扈しているのだ、悠長に構えていられる度胸はない。故にコールマンは魔導兵の生首を拾うと即座に飛び退いて跳躍し、タワーマンションの上層付近に短槍を突き刺してそれを足場にした。
魔力炉心が励起している故に魔導兵が生きているのは解るため、若干気まずい思いをしながらも声を掛ける。
「………ごきげんよう?」
「………」
ガン無視である。
回収したはいいが、実はもう死んでいるのでは? そう錯誤しそうになるが、それなら別に用はない。こんなものは道端にでも捨てればいい。死体の処理は管轄外だし、何より手間が惜しかった。
そこまでなんの違和感もなく考えて、不意にコールマンは自嘲的な気持ちに駆られる。たった数カ月、半年としない内に自分も随分擦れたものだと。以前までの自分なら、こうも冷淡な料簡を持つ事はなかったはずだ。
いけない。こんな思考形態は全然全く以て紳士的ではない。リスク管理に気を遣い、リアリストに徹する余り人間として機械的になるのは好ましくない事態だ。
特に紳士的な人間でいる事に強い拘りを持つ理由はないはずだが、訳もなくそうした心の余裕を取り繕う事は必要だと思っていた。――やはりそれは、この世界に完全に馴染み切りたくはないという、無意識に懐いたささやかな反抗なのかもしれない。
そんなコールマンにとって幸運だったと言うべきなのか、魔導兵はまだ生存しているようだった。無機的なカメラアイがコールマンの顔を捉えていたのである。
次いで左右を見て、マーリンを見ると一拍の間、視線を固定する。自身の救い主であるコールマンにさしたる関心を示すでもなしに、魔導兵なる彼は機械音声を発した。
「……なんだ。貴様、妙なモノに憑かれているな?」
「………?」
ここで。もしコールマンが日本語のニュアンスの違いを正確に理解できていたのなら、
しかしコールマンは、咄嗟にそれを理解できなかった。この世界の公用語である日本語と、元々は馴染みの薄い世界と国で生まれ育ったのだ。日常会話に支障はないにしろ、細かい意味合いまでは網羅していない。完全に日本語のニュアンスを把握できるようになるまで、今暫くの時を要するだろう。
そんな魔導兵の硬質な声と、諦念に支配され疲れ切っている様子に首を傾げ、どうしたのか訊ねようと口を開きかけるのに――意図したわけではないのだろうが、マーリンが興奮したように割り込み嗤い出した。またもコールマンの認可なしで魔力を行使し、魔導兵の魔力波長をスキャンした直後にである。
『は、はは、ハハハハハ――!!』
「………マーリン?」
『マスター! マイ・マスター! 君って奴はサイコーにツイてるねぇ! まさかまさかの大当たりだ。偶然魔導兵が堕ちてきたと思ったら、その魔導兵が彼の竜殺し、福音王国に名高きシグルド中佐だなんて!』
「………」
『殺しに殺してドラゴンに転じてしまった、異形化の末路を辿った英雄なんだよ彼は! 今頃自前の体は研究施設の肥やしかな? 悲劇的だ、でも奇跡に近い。終わった物語の主役が、次の舞台に続くバトンを渡しに来てくれたよ!』
その歓喜の所以は、どこから生じたものなのだろう。少年は眉を顰め、魔導兵は沈黙する。
――コールマンは終ぞ知る事はなかったが、魔導兵シグルドとは王国屈指の魔導騎士の一人だった。
生身の肉体を持っていた過去。彼は多くの竜種を屠り、その道のりの果てに強大な竜を討ち滅ぼした。その際に身体陵辱呪詛を浴びた事で、肉体が竜へと変じてしまったのだ。
彼の肉体は元がエルフであり、人類であるが故に概念位階の恩恵に与っている。その肉体をベースに竜へ成ってしまったがために、脳がまだ人類の物である内に摘出され、今の機械の体へと移されたのである。
シグルド本来の体は、マーリンが口走ったように、防衛省魔導技術研究本部のマッドサイエンティスト達がいじくり回しているだろう。
『英雄の条件には運の良さも含まれるっていうけど、まさに! マイ・マスターはご都合主義じみて運がいいね! それでこそだよ!』
「………私の運が、いい? 戯言も過ぎれば耳障りだ。本当に運がいいなら………」
こんな事にはなっていない。
喉元まで出かかった本音を呑み込んで、コールマンは兜の内で不愉快げな渋面を作る。最近は愉快な気持ちになれた試しがない、眉間に皺が寄ったままだ。
しかし主人の感情の変化に気づかないほど、マーリンは膨れ上がる“期待”に昂ぶっているようで。彼、あるいは彼女は、男とも女とも取れる中性的な声で喝采する。
マーリンがマシンに搭載されたAIであるとは到底思えないほど、生々しい心の波が、コールマンの精神へ波濤となって押し寄せてきた。
『いいかい、マイ・マスター。彼は脳以外の全てが機械の体に挿し替えられた、機械仕掛けのカラクリだ。精神は摩耗して、
このシグルド中佐はね、竜なんだよ。今や過去の遺物として処分されるだけのエンシェントなんちゃらとは訳が違う、当代における最新の竜種なんだ! だからね……ああ、うん……その因子を、今から君に植え付けようと思う』
「………? ………そんな事をして、なんになる? 私をどうしようとしているんだ、マーリン」
『心配しなくてもいいよ。体にも精神にもなんら害はないから。他の“人間”ならいざ知らず、他ならぬマイ・マスターに変調をきたすような事は一切無い。むしろ良いこと尽くめだ。まず肉体強度が上がる、魔力量が増える、呼吸しているだけで魔力が回復するようになる。ついでに肉体面に依存する才能が軒並み底上げされるんだ。ちょっとばかし精力が強くなるけど男の子なら別にデメリットにはならないよね。ああ、ああ、そうだ。器の拡張………これが主目的だよ。端的に言えば君を強くしたい。ろくに抵抗も出来ない魔導兵なら、ちょっとは足しになるかなって程度の期待だったけど、まさかまさかのウルトラスーパーレアを単発ガチャで引き当てたが如き所業に、流石のマーリンさんも驚きと興奮を抑えられない!』
「………」
勝手に一人で舞い上がり、早口に捲し立てるマーリンに、いよいよコールマンの不信感は一気に臨界まで高まった。
論理的な思考力を持つコールマンだ。未だこの世界の事柄に関して無知の範囲を出たばかりとは言っても、基礎的な知識は入手している。ましてやその直観力は人語を絶する域にまで達しているのだ。飛び出してくる言葉の節々に不穏なものが漏れてくれば、嫌でも悟ってしまうものがある。
コールマンはこの瞬間に、マーリンを
だが、それを口には出さない。何故だろうか、言葉にして問い詰めると、よからぬ事をされるような気がするのだ。
沈黙は金とはよく言ったもの。コールマンは口を噤み、密かにマーリンを破棄する事を決める。
“マーリン”が何者であるのか、まず第一に考えられるのはグラスゴーフの人間だ。すなわちコールマンにとっての仇敵である。そうではないにしても、あからさまなまでに怪しい物品を、いつまでも所持していられるほど図太い神経は持っていなかった。
マーリンとの付き合いは、この騒動に片がつくまでだと決意する。片がついたら有無を言わさず、不意打ち気味に破壊してしまうのが最善だろう。いくらマーリンが有用で、自分を強くしてくれるとはいっても、信頼できない相方などコールマンには不要だった。
少年はシグルド中佐と呼ばれた魔導兵の頭部に視線を落とす。マーリンが言うところによると、これからマーリンは彼の因子を抜き取りコールマンへ植え付けるらしい。そうした後、彼はどうなるのだろう。それが気にかかる。
「………マーリン。彼はシグルド中佐といったね。魂から因子とかいうものを抜かれて、この人は大丈夫なのかい?」
『えっ? 魔力炉心や魂へ密接に繋がってるものを切除して、他人に移し替えるんだよ? 例えはおかしいけど、脳みその中にある心臓を他人へ移植するようなものだ。死ぬに決まってるじゃないか』
「………」
なんでもないように、マーリンは言う。本当に、なんでもないように。
ゾッとした。背筋が凍る。
『彼が生身のままだったら出来っこなかったよ。本人の意志でもどうにもならない抗魔力とか、その他諸々が阻んじゃうからね。でも魔導兵になって心身が摩耗して、生身の体を失くした事で全耐性が劣化してるから、わたしならセキュリティを突破できちゃうんだ。――まさか今更
「マーリン。君は……なんだ? 君の行為や物言いは、演算補助宝珠の領分を逸脱しているように見える」
『あはは。何を言ってるのかな? そんなわけないじゃないか。短期間で劇的に強くなりたいっていうマスターの希望に、わたしは全力で応えてるだけのつもりだよ』
今更取り繕ったところで遅い。何を言っても白々しいものにしか聞こえない。グッと唇を噛み締め、外道とも言える案に乗る。
本心では嫌だったが、それよりもマーリンを怖いと感じていた。実際コールマンにとって利益になりそうな事が、今は筆舌に尽くし難いほど悍ましい。
「……ふん。要するに俺は小僧の餌か」
くだらない演目を眺めているように、他人事の如くシグルドは呟いた。
人間にとって生身の肉体というのは
英雄と呼ばれるに足る実力を有するシグルドといえども例外ではなかった。彼はもう、自らの生死にすらも関心がないのである。発する言葉や戦闘行為の全ては、かつての名残として行なうだけのシステムに過ぎない。
故にその最期の
「まあいい。どうせ俺の英雄譚は終わっている。……小僧、精々身の振り方には気をつけるんだな。さもなければ俺のように、他者から食い物にされ使い潰されてしまうぞ」
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