運命の秤が傾く先は 6
斯くして遊撃の立場を得たコールマンだったが、即座に出撃するわけにはいかない。何せ今のコールマンは丸腰だ。装備を整える必要がある。
そこで向かわされたのが、パッと見たところバッキンガム宮殿に匹敵する広さの武器庫であった。闘技場内の空間の間隔がおかしい気もするが、空間干渉・改竄の能力を持つ人工精霊の力で拡張されているだけだろう。
これまで散々、百十一号室の人工精霊端末アビーに頼んで、訓練の為に空間を拡張し改竄してもらっていたのだ。なんとなく“世界”の異変というものに敏感になれている。
なんというか、膨らんだ風船の中にいるような気分になるのだ。自身が自然な空間の中におらず、紙の上に描かれた絵の中の世界にいる感覚に陥るのである。破れば外の世界に出られそうな……言葉にして表現するのが難しい“感触”がする。
一括りに纏められた長物の刃物、壁に立て掛けられた刀剣は綺麗に配列され、無数のマネキンに甲冑などが着せられている。ある種、古今東西の武器の展覧会のような光景に見える。そんな武器庫で、コールマンは自身に合った武装の選別に移った。
普段なら人工精霊端末に申請して転移させるところだが、どうにも人工精霊の総意体なるシステムの中枢が破損しているらしく、システムの復旧に時間が掛かるらしい。故にこうして直接、闘技場の武器庫に足を運ぶことになったのだ。
おかしな話だが、武器庫に向かったのはコールマンだけで、監視も何もない。兵士長はディビットとエイハブを除いた登録者と、自身の部下達を連れてさっさと闘技場から出て行ってしまった。監視など付けなくとも、既にまだ生き残っている人工精霊端末が見張っているのだろう。
武器庫には古今東西の刀剣や、見たことのない仕掛けを備えた武器、そして未知の材質で組み上げられた鎧兜や盾があった。中には人工精霊が提示してくるカタログに載っていない物もある。それは決まって青白い魔力の鎖によって
だがその鎖を壊せないとは思わない。答えは分かりきっているが、敢えて疑問を口に出した。
「……マーリン、こういう物を勝手に持ち出してはいけないのか?」
見たことのない武装を指して訊ねると、首に提げた演算補助宝珠は軽く答える。
『いけないよ。許可なく持ち出せば罰せられる。なにせ特注品だからね。一定の実力を保持した精鋭に配られる装備、その予備なんだ、これは』
「……そうか」
『でも――別に持ち出してもいいと思うよ、今ならね』
マーリンの発言に、コールマンは首を傾げた。いけないと言っておきながら、今なら勝手に持ち出してもいいと言い出した理由が不可解だった。
此処に一人で来させられたんだから何を使ってもいい、なんて理屈は通らない。後から罰せられたのでは割に合わないのだ。この武器庫から装備を転移させられる人工精霊が機能不全に陥っているにしろ、いずれは復旧するはずで、その時に本来の使用者が申請しても、物が無かったとなれば問題になる。その責任を追求されたくはない。
渋る持ち主に、しかしマーリンは噛んで含めるように説いてきた。
『考えてもみなよ。マスターは普段使ってるような低品質の武器を担いで、危険が沢山ある戦場に出向きたいのかな?』
「む……」
それを言われると、弱い。思わず眉根を寄せてしまった。
『後から罰せられる……それは事実かもしれない。けどその“後”ってやつはね、マスターが生きていればこそ訪れるんだよ。まずは生き残る事に最善を尽くすべきなんじゃないかな』
「………」
『そして、わたしはマスターの生存を最優先にしたい。良い物が余ってるなら使ってもらいたいんだ。それに今なら情状酌量の余地はある。罰せられるにしても刑罰は軽く済むと思うよ?』
「………分かった。確かに不確かな未来を危惧するよりも、“
マーリンに説得されて、というわけではない。彼の言葉を受けてよくよく考えてみると、何より自身の命を優先するコールマンにとって、良い物を使って生存率を高められるなら使わない手はないのだ。
これは自分の意志で決めた。助言は聞こう、ユーモアなジョークにも応えよう、だが道具なんかに意思決定は任せない。これは自分の意志なのである。
と、マーリンがなんらかの術式を組み、それによって
『これで手に取れない武器も使用可能になった。後は好きなのを選んで良いよ』
「……どうせなら一番いい装備にしたい。マーリンはどれがいいと思う?」
自分には使用不能な魔法の行使をされても、特にこれといった驚きはなかった。
演算補助宝珠は持ち主の技術が足りなくとも、その素養が充分なら代わりに魔法や魔術を扱える。無論のこと限度はあるが、少なくともコールマンに関してはそうだ。
現に以前体験した闘技場での試合の最中、マーリンはコールマンには出来ない魔力作用による精神状態の変容や、回復魔法の行使を行なっている。
士道と魔道の概念位階に達して漸く、演算補助宝珠は名の通りの補助役に回るのだ。そこに至るまではむしろ、マーリンの方こそ魔法の主役を担い続けるだろう。
――物の良し悪しは、まだ分からない。素直に助言を求めると、マーリンは然程迷う素振りもなく瞭然と答えた。言葉ではなく、実際に実物をコールマンの目の前に浮遊させて来ることで。
「………」
それは、黒い鳥を模した兜だった。うなじを保護する部位からは純白の房を垂らしている。なんとも言えない顔をする少年に、マーリンは微笑して言った。
『黒い鳥は不吉の象徴だ。戦場では運の要素も大事になる。験担ぎとして不吉な形のものを身に着けて厄を遠ざける、または不運を敵対者に押し付けるって意味も込められてる。黒い鳥、鴉を模した兜だよ。と言っても
「……ああ、そう……」
コールマンが黙り込み、ろくにリアクションを取れなかったのは、その造形には十四歳の少年の心を擽る何かがあったためだ。
他にもマーリンによって自身の目の前に移動させられ、浮遊している装備に視線を移す。細長い黒鉄の板金を重ねて構成し、胸部と腹部、肩を防護しているコート・オブ・プレートという鎧だ。見たことのない金属であるそれに触れてみると、密度が薄い。防御力に不安がありそうである。
「マーリン」
『これは“カンサスの樹海”で採れる“金属樹皮”で造られた鎧だよ。枯れた樹皮みたいに軽くて、革のように柔らかくもあるけど、非常に高い抗魔力と物理防御力を兼ね備えてる。防具としては
「………」
コールマンはエウェルに与えられ、これまで首に巻いていた蒼いマフラーを外し、それを頭に被る。マフラーとは言ってもサイズで言えばすっぽり頭を覆い尽くせる大きさだ。不都合はない。その上に黒い鳥の兜を被った。顔面を保護するバイザーが付いていなかったため、高い抗魔力と物理反発力のあるマフラーを代わりにしたのだ。
それによって視界が狭まるも、自身の発する魔力波長によって周囲を把握できるので問題はない。戦闘で視覚だけに頼りすぎないようにする意味もある。
次いで鎧に視線を向けるも、その
『はい』
マーリンは本当に万能だった。どうやったのかまるで原理が分からないが、ひとりでに動き出した鎧が分解され、コールマンの体に合わせる形で規格を縮小し自動的に装備される。そうして見た目だけは立派な戦士のそれへと変じたコールマンは、不可思議な技能を発揮する相方に目を瞑りつつ武装を選ぶ。
コールマンが手に取ったのは、一本の白い鉄棍と対で置かれていた、自分の胴ほどもある白刃を備えた大剣である。大剣の柄頭と鉄棍の先端には接続箇所があり、二つを繋げて剣槍という武器に変えられる。大剣で近接を、鉄棍と接続し剣槍で中距離を薙ぎ払う戦術が執れるのだ。
他に投擲用の短槍を二本取り、それを背部の金具に咥えさせて固定する。そうしているとマーリンが言った。
『この鎧はね』
「………?」
『カンサスの樹海、その樹木の特徴が活きてるものなんだ』
「……何が言いたい?」
『“元の形”を覚えてるってことさ。鎧その物がね。つまり欠損しても養分となる魔力があれば元の形に復元される。“自動修復機能”って言えばいいのかな?
意味深に言うマーリンだったが、性能に問題がないなら何も言うことはない。
徹頭徹尾、自己中心。それでいいのだ。自分さえ生き残り、目的を達し……元の世界に戻れたなら、何がどうなったって構わない。それこそ魔族とかいうモノに人類が負けたとしても気にしないだろう。
唯一気になるとしたら、恩義のあるマーリエルやキュクレイン、エウェルぐらいなもので。しかし彼らはコールマンなどが心配する必要のない実力者だった。
武器庫を後にする。拡張されていた空間から通常のそれへ戻ると、なんとも言えない安心感に包まれた。
やはり風船の中にいるのは落ち着かない。簡単に破裂してしまいそうに感じて、心が張り詰めてしまう。便利ではあるのだが、うっかり破ってしまったらどうなるのか体験していないだけに、いつも緊張という名の石を胃に詰めている心地になるのだ。
「そういえば」
『うん?』
「この鎧と兜、ついでに武器に名前はあるのか?」
『もちろんあるよ』
不意に気になって訊ねると、当然のように把握しているマーリンが答えた。
『あるけど、名前なんか気にしなくていいんじゃない?』
「なぜ?」
『だって“魂”の宿らない道具に過ぎないんだ。型式通りの名前なんか気にしたってしょうがない』
「………」
しかし彼の言い分も解る。道具の名前なんて所詮は記号だ。人間にもそれは言えるのかもしれないが、含有する意味合いに於いては全く異なるとコールマンは思っている。
所詮は道具、変に名前などを付けたり知ったりして愛着を持ってしまうよりは、ただの鎧や武器と認識しておいた方がいい。
必要とあらば即座に使い捨てる、そんなクレバーな判断を迫られる瞬間だってあるだろう。だから質問を取り下げる。別段どうしても聞きたいというわけでもなかった。
――しかし、改めて考えてみると凄いな。
何から何まで魔力、魔力、魔力だ。主要エネルギーが魔力、頭の中にある架空臓器の炉心も魔力、都市全体の強度を上げる情報集積文字“ルーン”も魔力、魔法や魔術の発生源も魔力、挙げ句の果てには魔力があれば破損した鎧も自動修復されるという。
何もかもに密接に関わっている。ではその魔力とはなんなのだ。具体的に説明できる者はいるのか? 寡聞にして聞き齧った事がないだけで、説明できる人間はどこかにいるのかもしれない。案外どこぞの教本などに載っている可能性も高いだろう。であれば是非ともご教授願いたいものだ。
いや、存外マーリンに訊けばすんなり答えてもらえるはずだ。そう思い、間もなくエイハブやディビットと合流する事になるのを気にせず問い掛けた。
「マーリン、一ついいかな。魔力とはいったいなんなんだ?」
『………? 質問の意味がよく分からないね。もっと具体的に言って』
「魔力とは生命力であるとも言われている。しかしただの生命力にしては、エネルギー資源として万能過ぎるだろう。エネルギーとは本来、物理学的な仕事に換算し得る量のことで、位置・運動・熱・光・電磁気を総括したもの。公式で表すなら『E=∫F〜・dr〜』だ。Fは力のベクトルで、r〜は位置のベクトル、F〜・dr〜は内積となる。謂わば“エネルギー”という概念は物理学に立脚したもの。なのに魔力には物理学のぶの字もない。何せ実体がない上に、発生する源が知的生命体の脳や、モンスターの核である魔石ときている」
『長い。つまり?』
「長いって……あのね。こっちは真剣に……」
ばっさりと話の途中で切り捨ててくるマーリンに、少年は鼻白みながら食って掛かった。しかしマーリンはそんな持ち主の様子に苦笑する。
『真剣なのは解っているよ。随分と奇特なことを気にするんだね、マイ・マスターは』
「それはそうだ。奇特なんかじゃあない。自分の力の源が、どんな原理で働いているかまるで分からないなんて、不安の種でしかないだろう」
『道理だね。実はわたしも、テレビとかを見るとどういう構造なのか気になって仕方がなくなる質なんだ。気が合うねぇ……』
「マーリン……」
『茶化してるわけじゃないよ? 感心しているのさ。流石はマイ・マスター、わたしの見込んだ“人間”だよ』
「………?」
また、意味深に笑われる。嘲笑ではない。本当に感心していて心底嬉しそうである。
だからというか、不快ではない。しかし不思議ではある。感心されるようなことを口にしたつもりはないのだ。
至って普通の……例えば薀蓄語りが好きなマーリエル辺りなら、ごくごく自然に魔力というものに関心を寄せ、その根源にある原理を把握しようとするだろう。
そう思っていたのに、マーリンは薄ら笑いを浮かべたようだった。
『クスクス。クスクスクス……』
「………」
今度は嘲笑、だった。明確に、されどコールマンではない誰かを嘲笑っている。
思わず口を噤んだ。こんなふうに笑う奴だったのかと意外に感じるも、笑っている理由がまるで理解できない。――と、微かに立ちくらみがした。
視界が白熱する。よろめき、意識が遠のいて。
此処ではない何処か。
幽玄なる森の中、数億を超える髑髏で築かれた祭壇を幻視する。
祭壇の上で嗤う、黄金の貴婦人を――
『ああ。汝にはまだ早い。
『――マスター?』
束の間。コールマンは自身の立っている場所を忘却していた。
マーリンの呼び掛けに頭を振る。すると嘘のように頭の中の靄は晴れ、意識は明晰に澄み渡る。
そんな少年の様子に、演算補助宝珠は訊ねた。
『何か聞きたいことがあったんじゃない? いいよ、なんでも訊いて』
「………? 何を言っている。私が君に、何か質問したか?」
マーリンは愉しくて仕方ないといったふうに笑っている。裏表のない童女のように無邪気に、憧れのヒーローを見る童子のように。コールマンは通路の向こう側で自分を待っていた少年と、中年の男を見つけて声を掛けた。
待たせた、と。コールマンの姿を見てやや驚いたように目を瞬く彼らに、少しだけ稚気を起こして両腕を広げる。格好いいだろう、なんて。
純粋に目をキラキラと輝かせるディビットと、しょうもないものを見せられたように呆れるエイハブに、コールマンは不敵に笑う。
「さぁて……楽してズルして生き残ろう。作戦は、命を大事に、だ」
――アルトリウス・コールマンは、戦場に向かう。口を開けて待つ竜の前に立つようにして。
† † † † † † † †
一糸纏わぬ黄金の貴婦人が謳うように唱えた。
「資格ある者に艱難辛苦のあらんことを。練磨され、昇華せよ。至れずに砕けるのであらば、
――ひたすらに過酷な道を征け。そしてその旅路に災いあれ! その生に呪いあれ! 嘆きに溺れ、苦界をのたうち、それでも折れずに見事此処へと至るがいい。
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