運命の秤が傾く先は 5





 星の見える夜空が、ほんの一瞬赤く光った。その直後にフロントガラスがびりびりと震動する。いや、車体そのものも震動した。


(爆発……?)


 普通なら気にはなっても、光の正体と震源に関して正答を導き出せないだろう。それほど些細なものだった。だが少年は普通とは言えない人間である。

 後天的に獲得した異質特性により、人間なら誰しもが持つ演繹能力を二乗化させている少年は、無意識に今の光と震動を結びつけ『爆発が起こった』と直感した。そしてその発生源が自身の目指す方角であると悟ったのだ。


「―――」


 胸騒ぎがする。心臓の鼓動が一際強く鳴り、嫌な予感が背筋を駆け抜けていった。


 しかしその漠然とした不安を回避する道を、少年は思いつけない。運転する車のハンドルを強く握り締め、去来した虫の報せを無視する。気を散らしていられるほど、車の運転に慣れているわけではないのだ。

 叩き出しているのは時速100km――規定速度を大幅に超過しているが、体感速度としては恐怖を感じるほどでもない。もし仮に事故を起こしたとしても、コールマンは無傷のまま車から飛び出せるだろう。

 だがコールマンは無事でも、同乗している二人の少女は無事では済まないのだ。強化魔法を使えないなら、その肉体は完全に常人のそれである。故に車の運転を黙々と熟した。


「ちょ、ちょっとお兄さん! スピード! スピード出し過ぎ!」

「出し過ぎー! 怖いー!」


 トレーターとハンナの抗議に、コールマンは目を瞬く。ああ、とズレていたものを認知した。

 自身の体感への感性は、すっかり超人のそれへと染まっているが、常人にとってはこの速度でも充分身の危険を感じるものである。それを失念していた。

 しかしできるだけ急がねばならないのに変わりはない。減速はあくまで気持ち程度に留め、彼女達には悪いが可能な限り先を急ぐ。


 信号は黄色で点滅している。英国の街で見慣れた縦に三色並んだ物ではなく、日本の物と同じ横に配列された信号だ。

 英国にあるような、乗馬している人用の物もある。しかしそれを注視してはじめて気づいたが、空を走る類いの馬や車が、空中で静止したりできるものなのだろうか。というより障害物のない空中で、交通整備の役割を担う道路が必要になるのか?

 確かめる術はない。いや、一応はある。知的好奇心に任せるまま、物は試しでトレーターとハンナの姉妹に訊ねてみた。


「……? い、意味ならあるんじゃないかな」

「かな? だって都市の内側には結界が張られてるんだもん」

「――結界?」


 高速で走る車の速度が怖いのだろう。できるだけ外を見ないようにしながら答えてくれたのを、コールマンはオウム返しに訊き返す。

 “結界”というと、第五位階魔術の防護壁だ。闘技場にも張られていた。その強度は今のコールマンが全力で放った複合魔法で、小さな皹しか刻めない憎たらしいもの。

 結界の向こう側で、紳士を気取るヘドロのような男が拍手をしている様を幻視して、束の間――コールマンの脳裏に火花が散る。


 いや。


 些細なものですら、根源にある光景を連想してしまうなんて、必要もないのに意識し過ぎだった。

 そんなものを思い出す必要はない。憎悪は燃料だ、有限の資源だ。体力と同じで動けば損ねる。使えば減じる。言葉に出来ないながらも、人の感情が有限のものであると感覚として理解していた。


 故に蓋をしている。思い出さないでいる。憎まないでいる。

 憎むのに疲れるなんて冗談ではない。時の流れで想いを風化させ、いつしか赦しを与えてしまうなんてチープな結末を迎えるなど許容できない。

 やらねばならない理由があったのかもしれない――それがどうした?

 本人にとっても本意ではなく、辛い決断を下したのかもしれない――だからなんだ?

 仇を討つのだ。それしか意義はなく、相手の事情を斟酌してやる義理もない。来たるその時・・・のために、今は自身の動力源を封鎖しておかねばならなかった。


 刹那の間、コールマンが粘質の闇を瞳に過ぎらせるも、情緒の幼い姉妹達はその闇を嗅ぎ取ることはなく。以前聞き齧った知識を思い出す素振りを交えて教えてくれた。


「うん。たしか……魔法とか魔術の力をサクゲンして、ハツドーを阻害するものだってお父さんが言ってたような……」

「言ってたよー。だから悪い人が暴れても大したことはできないって」


 これもまた、初耳。そんな結界が張られているのかと純粋に驚くも、却って疑問は募るばかりだった。


「それは結界内部にいる者には例外なく作用するのか?」


 するとしたら、都市側の人間も難儀する羽目になりそうなものだが。


「分かんない」

「分かんなーい」

「だってわたし達、魔法も使えないもん。習ってないし」

「習ってないしー?」

「……ハンナ! さっきからなんなの!? わたしの真似すんなっての!」


 トレーターが妹の頭をはたく。びぇーん! とわざとらしく泣き出したハンナが、構ってほしそうにちらりと視線を寄越してくるも、コールマンはそれには気づいていないふりをした。こちとら運転中である。


 都市部に展開されている結界の名称は不明だが、大凡の効能に関しては推測できた。


 恐らく認証システムか何かがあるのだ。魔力波長、魔力形質は個人の特定ができる身分証代わりにもなる。某かのデータベースがあって、そこに登録されている対象に関しては魔法・魔術の発動を阻害しないシステムになっている、とか。

 あるいは例外なく結界内部の者に制限を掛け、特定条件下――例えば暴徒の鎮圧時や犯罪者の逮捕時、戦争になれば警察や軍の関係者はそれが解除され、十全に力を発揮できるようになるという線も有り得る。

 結界内、つまり都市に入る際には検問か何かを通る必要があるとすれば、そこで魔力波長やらを登録してしまえばいい。データベースを掌握しているシステムを改竄する、またはその管理者と共謀すれば擦り抜けることも出来るだろうが、たった今コールマンが思いついた程度のことなど、とうの昔に対策が成されているはずだ。


 それなら理解できる。味方の邪魔はせず、敵となる者には大量の――ゲーム用語だが――『デバフ』を掛ける代物だと思っていればいい。

 自身がなんの問題もなく魔法を使えていたことから、コールマンは自分が都市側の存在として扱われていることにも思い当たった。

 あながち見当外れな推測ではないはずだとコールマンは思い。そしてそれは正解だった。グラスゴーフを覆う不可視の結界の機能は、彼の思った通りの効果を確かに持っている。


 問題は、結界もまた単なるシステムに過ぎず、その力の及ばない大きな魔力の持ち主にはなんの意味もなさないところだ。

 爵位を持つほどの強大な魔族ともなれば、不特定多数を対象として効果が薄まった結界などに枷を嵌められはしない。


 ――なんにせよ、面白い話を聞けた。


 コールマンは自身が都市側の人間に害を成した瞬間に、結界によってデバフを掛けられるであろうことを知れただけ収穫だと心の片隅で呟く。

 一度行動を起こしたなら、迅速に完遂しなければマズイとだけ理解しておく。今の自分にはその認識だけで充分だ。

 未だに具体的なプランはない。火事場泥棒の如くドサクサ紛れに事を起こすような、計画性のない突発的な行動を取るほど向こう見ずにもなれない。しかし忍耐強く待ち、堅実に実力を身に着けていけばいずれはチャンスが巡ってくるはずだ。


 都市の中心に近づくにつれ、避難のために早足に移動している人々の姿が増える。目的地は闘技場ではないようだ。子供連れの人間種や、ドワーフ、エルフも散見される。避難誘導に出てきた警察らしき制服を来た人間の姿もあった。

 また車の数も増えている。馬車や自動車、空を駆けるバイコーンに跨った兵士が早口に誰かと通信を取っているのが確認できた。

 そうか、自動車も空を走れるなら、自分もそうすればもっと早く移動できたかもしれない。そう思いかけるもすぐに否定する。まず飛行モードへの切り替えの仕方もわからないし、そもそも地上を走るよりもずっと難易度が高そうだ。

 運転の素人でしかないコールマンが、上手く空中を走行する自動車を制御できる保証はない。安全に走れる地上にいて正解である。やはり人間、おいそれと重力と地面の加護を蔑ろにするべきではない。


「停まれ! どこに行っている? 避難先はそっちじゃないぞ!」


 そろそろ渋滞に巻き込まれるかなと見当をつけていると、赤く点滅する棒――名前は確か『保安指示灯』だった――を持った警官が、進行方向に割り込んできて停止を指示してきた。


 ブレーキを踏み車を停める。少し急停止する形になりトレーター達が小さく悲鳴を上げていたが不可抗力だ。警官の行動が事故を引き起こしかねない危険なものだったせいである。

 しかしその警官は、コールマンが咎める前に運転席側に駆け寄ってきた。そしてコールマンの顔を見て露骨に驚いた顔をする。


「……子供? 未成年じゃないか。免許証は? ああいや今はいい、それよりどこに向かっていた。避難先はここから東の方にある塔だぞ。そこから地下シェルターに――」

「待ってくれ。私は闘技場の登録者“コールマン”だ。首輪付き……と言えば分かるか?」

「………!」


 想定外の申告だったのだろう。驚いて言葉に詰まった警官が何かを言い出す前に、冷静にコールマンは言葉の接ぎ穂を繋ぐ。


「先に断っておくが私は脱走したわけではない。諸般の事情で闘技場外にいただけだ。これから闘技場に戻り避難するのか、それとも別の役割を負うのか指示を仰ぎに向かっている。……それとも貴方は、私がどうすればいいか伝えられているのか?」

「……いや、それは……」


 どうすればいいのか自分で判断できないらしい。上司に判断を仰ぐためか、無線機に手を伸ばしたのを見て一人納得する。

 誰も彼もが魔法を扱えるわけではないらしい。警官であっても念話を行えるわけではなく、無線機のような機械に頼る人間もいる。全員が全員バケモノのような超人ではない。それが確認できたのも収穫だ。


「……分かった。“コールマン”だったな、お前は行っていい。しかし後部座席にいる女の子達は?」

「闘技場に向かっている途中で拾ったのさ。どこに避難させればいいか分からなかったから、ひとまず安全だと判断できる場所まで連れて行っている。貴男あなた方、警察が保護してくれるのなら肩の荷が下りるというもの。任せても?」

「……構わない。こちらで預かろう」

「ちょっとー! お兄さんわたし達を見捨てるの?」

「薄情者ー! 一緒に逃げてー! っていうかこういう時、変に別行動するのって『死亡フラグ』になるって婆っちゃが言ってた!」


 がなり立てる少女達にコールマンは笑った。

 相変わらず日本語は難解だ。自然な流れで『フラグ』などと横文字が出てくる。しかしコールマンもすっかり慣れたもので、特に引っ掛かることもなくなっていた。

 どころか、自身も日本式の表現を交えられるようになっている。少年はバックミラー越しに言った。


「ファンキーなお婆さんだね、ハンナ。それからトレーター、見捨てるわけじゃない。私には勝手に動き回る自由がないだけだ。警察の人について行き、安全な場所でお父さんの帰りを待つといいよ」

「でもー……」

「いいから、早く降りて避難した方がいい。私も先を急いでいる、余り人を困らせるものじゃないだろう?」

「……はーい」


 渋々といった様子で彼女達は車を降りた。まだ出会って間もなくそんなに親しくしていたつもりもないというのに、どうしてか少女達は名残惜しげに視線を寄越してきたものだから、思わず年長の少年らしく笑みを深くする。


「それじゃあ、縁があったらまた会おう」

「うん」

「元気でね。ここまで連れて来てくれてありがとう、お兄さん」


 窓越しに手を振ってアクセルを踏む。

 車を発進させて彼女達と別れると、サイドミラー越しにトレーター達を一瞥した。


 警官の男に手を引かれながら、頻りにこちらを振り返り手を振ってくるのを目にして眦を緩めるも、道を曲がると幼い姉妹達はすぐに見えなくなった。


 純粋な娘達だったな、とコールマンは少しだけしんみりとしてしまう。彼女達がなんの災禍にも見舞われず、無事に父親と再会できることを祈っておこう。

 そうして車を走らせること暫く。遂に渋滞に巻き込まれ、一向に先へ進めなくなったコールマンは舌打ちした。もう一人になったのだ、キュクレインには悪いが車は乗り捨てよう。


 決めたら行動に移すのは早い。コールマンは出来るだけ路肩に車を寄せると運転席から離れ、そのまま自分の脚で走り出す。

 魔力炉心に魔力のピース――キュクレインの言が正しければこれも情報集積文字である――“ルーン”を組み立て、身体強化魔法を発動した。

 やはり結界の影響を受けた感覚はない。強化倍率に翳りはなかった。疾風となって走るコールマンの脚を以てすれば、瞬く間に目的地にまで到達できる。


 これからどうなるんだろう。内心不安に思う気持ちを芽生えさせることもないまま、平坦な精神状態で今後について思いを馳せる。

 ここに住む個々人に対して思うところはないが、グラスゴーフという括りで見れば、コールマンにとって現在の状況は所詮他人事でしかない。情報弱者であり、社会的弱者であり、立場も力も薄弱な自分にできることはなかった。

 今はまだ周囲に流されるのも仕方のないことだ。なるようになるさと胸中に溢すと、状況に流されるのをよしとして、理性的に自身の立ち位置と状況を分析しつつ――闘技場に戻った自分が何をさせられるか大凡の見当をつける。


 普通に武器を持たされ戦闘に駆り出されるのか。

 それとも普通に避難させられるのか。


 いずれにせよ、単独で動き回らされることはないはずだ。一般人と比べればずっと強いとはいえ、コールマンなど十把一絡げの雑兵に過ぎない。

 魔法なしでのものとはいえ、ちょっと強い相手と戦えば、戦績で言うと全戦全敗である。コールマンはこれまで一度も誰かに勝てた試しがない。初戦で右腕を斬り落とされた時も、ユーサーを手にかけてしまった時も、コールマンは勝ったとは思わなかった。


 駆り出されるにしても、他の登録者達と纏められた形になるだろう。そうなれば連携の訓練をしたこともない急造の部隊となり、敵と戦うとなれば烏合の衆として蹴散らされるのが関の山だ。戦闘を強いられるようなことがあれば、できるだけ後ろに下がっていた方が賢明である。その場合は自分の命が最優先だ。


 そんな皮算用を立て、闘技場が見える位置にまで少年は到達する。そして見た。

 白亜の城壁に守られた闘技場。その上層に建てられた高層ビルのような塔。それが半ばから粉砕され、見るも無残な有り様になっているのを。









  †  †  †  †  †  †  †  †









(……何があったんだ?)


 巨大な監獄を想起させる闘技場が、瓦礫の山の如くにその様相を一変させている様を目にし、少年は微かに動揺して闘技場に戻るのを躊躇した。

 コールマンが大人しく闘技場に戻って来たのは、自身の立場と実力を理解した上で、最低限度の身の安全を担保するためである。だというのにその最低限を揺るがす光景を目にしてしまえば、素直に戻るのに二の足を踏むのも当然だった。


(さっきの爆発は……やっぱりここで起こっていたって事か)


 敵の攻撃を受けたのは察せられる。しかしなぜ都市の中心部が? 聞いた話になるがモンスターは第三幕壁の内縁部に現れたはずで、中心部の方はまだ安全だったはずだ。

 もしモンスターの魔の手がここまで伸びているなら、もはや安全と断言できる場所なんてどこにもないことになる。ならどうするかを考えなくてはならない。


(いや、落ち着け。周りを見ろ、確かに闘技場の上の方……多分、元の世界で言えば市役所に該当する場所は壊されてる。けど他に被害はない。アレクシス……アレクシアの言っていたことが正しいなら、魔族とかいう頓痴気トンチキが此処に潜入してきて爆破したんだ。冷静に物を考える頭があるなら、いつまでも敵本拠地のど真ん中に居座ったりはしない。すぐにでも場所を移す。むしろ一度攻撃を受けた場所の方が他より安全だと言え……なくもない、はず)


 言えたらいいなって、僕はそう思います。――そんなふうに希望的観測を懐きつつ、コールマンは躊躇いがちに慌ただしい雰囲気の闘技場に入っていく。

 以前連れて来られた際には通ることのなかった道だ。首輪付きではない一般の登録者達が出入りする道は、上層から崩れ落ちてきた瓦礫や煤などで汚れていた。

 元々の床や壁、天井に至るまで白一色のためか、その汚れは異様に目立つ。コールマンはこの病的に白い空間が嫌いだったから、程よく黒ずんでいるのに機嫌を良くした。いい感じに瓦礫が溜まり、天井に穴が空いていたもので、このまま全て壊れてしまえばいいとすら思う。


 エントランスにまで来ると、多くの登録者達が集められていた。統一性のない鎧兜で身を固め、剣や槍、戦槌など一通りの扱いやすい武器を有した集団である。

 そして彼らを監督しているらしき兵士が十人。登録者がおよそ二十人。よく見ると登録者全員が首輪付き……『アルトリウス』と同郷の、あのウェーバー村の人々だった。最初は二十七人いたはずだが、七人減っている……。


 ダンジョンでモンスターに殺られたか、それともコールマンと同じように親、あるいは我が子と殺し合わされたのか。なんであれ人数が減っていることに、言い様のない物悲しさを覚えた。

 『アルトリウス』の寂寥だろう。コールマンとしては、さしたる感慨も懐かない相手しか此処にはいないのだから。


「“コールマン”! お前、今までどこをほっつき歩いていた!?」


 兵士が駆け寄ってくる。ジョシュアだった。以前見た姿とは異なり、全身甲冑を纏い中世の騎士のような格好になっている。兜のバイザーをずらして顔を見せてくれたから彼だと分かった。

 そのジョシュアが駆け寄ってくる背後では、突然やって来たコールマンを警戒する彼と同じ装備の兵士達と、少年の顔を見て驚いた様子の同郷の者達がいた。


(ほっつき……? 『歩く』と繋げてるから……『どこを彷徨いていた』って意味か。どこぞの地方の方言って奴だろうね。コウジロウは同じ日本でも地方が違うだけで全然言葉が違う場合があるって言っていたし……アメリカとイギリスの英語ぐらい違う感じなんだろう。もっとヒドいのかもしれないけど……)


 つい条件反射のように日本語に関する考察を挟んでしまう。これも標準語を話してるくせして、唐突に方言らしき言葉を混ぜてくるジョシュアが悪い。

 コールマンは掴み掛かってくる勢いの青年に対して肩を竦めた。


「さあ、どこを彷徨いていたと思う? 脱走したはいいもののモンスターに襲われ、安全地帯を求めて戻ってきたとは思わないのか」

「混ぜっ返すな、話は聞いている。何者かに殺害され、エウェル・エリンに蘇生してもらっていたんだろう。なんで蘇生後すぐに戻らなかった!」

「――ジョシュア。そんなことは今はどうでもいい。“コールマン”が戻ったのなら、早く武装させろ。彼もまた大事な戦力の一部だ、無駄にしている時間など無い」


 離れた位置にいる、彼の上官らしき兵が横槍を入れてくる。尤もな台詞にジョシュアは口ごもり、コールマンはげんなりとした気持ちになった。

 どうやら戦闘に駆り出される流れらしい。同郷の人々が集められているのを見た瞬間から察してはいたが、面白い流れではなかった。

 強さで言えば雑兵でしかない首輪付きの登録者に何を期待している。肉壁か? だとするなら身の安全は保証されない。むしろ高確率で死に至るだろう。どうしたものかなと思案していると、ジョシュアはバツが悪そうにしながら元いた場所に戻った。代わりに駆け寄ってきたのは、隅の方にいた非武装の男だ。


 闘技場の受付をしていた男である。名前は知らないし、興味もないが、顔だけは覚えている。どうして彼が? 首を傾げていると、どこか虚ろな目でコールマンに声を掛けてきた。


「ああ、“コールマン”。待っていましたよ。オストーラヴァ中尉から貴方に渡すように言われていた物があります」

「……マリアに? いや、それより何故貴方は此処にいる。避難しないでいいのか?」


 不思議だった。ここには登録者と兵しかいない。スーツ姿の彼だけが浮いている。

 非戦闘員の彼が此処にいるのは、率直に言って場違いだった。預かり物があるにしろそれを渡そうとするのは今でなくても構わないと普通なら考える。事態の収拾がついた後で良いはずだ。

 ジョシュアをはじめとする兵士が彼を退去させていない点から、なんらかの理由があるのだろうが、コールマンにはその理由に思い当たるものがなかった。敢えて挙げるなら、マーリエルの名前が出たからだろうか?


 そんなコールマンの問い掛けが聞こえていないように。

 ――まるで機械のように・・・・・・

 単調な様で、名前も知らない彼は言う。


「こちらです。訓練メニューがメインとなりますが、現在の状況下であれば、添付されているオペレーティングシステムの戦闘モードが役に立つでしょう。オストーラヴァ中尉は自身の戦闘データを参照し、助けにしてほしいと仰っておられました」

「あ、ああ……ありがとう……」

「後は、こちらを」


 様子がおかしい。明らかに。当惑を交えて相槌を打つも、押し付けられたUSBメモリらしき小型の筐体を受け取る。

 普通じゃない男性の押しの強さは、そうする以外の行動をプログラミングされていないロボットのようで、ひどく気味が悪かった。


 そして。


 彼が懐から取り出した物を見て、コールマンは更に困惑を深める。


「落とし物です。魔力派共鳴式魔導管制杖インテリジェント・デバイス……闘技場の外に落ちていたそうですよ」

「―――」


 それは、蒼い宝玉だった。ネックレスみたいに首へ提げられるように、細いチェーンをつけられている。

 なんで、と思った。なんでそれが? と。

 闘技場の外に出た直後、遭遇した魔族らしき少女にコールマンは殺された。その際に身に着けていたものは全て破損し、粉々になった。だからコールマンは眼が覚めた時に裸だったのだ。


 あの時は、演算補助宝珠も身に着けていた。だからてっきり、それも失われたのだと思っていたのに。


(――落とし物・・・・、だって?)


 言い様のない違和感に、コールマンは背中に冷や汗が噴き出すのを感じる。

 偶然破壊を免れていた。キュクレインがそれを見落として回収していなかった。そう考えるのが妥当なのに、どうにも作為的な思惑を感じ取らずにはいられなかった。

 だが受け取らないわけにもいかない。これがあるのとないのとでは、自分の戦力が全く変わってくる。


『やあ、久し振り。また会ったね。いや久し振りって言うほどでもないかな? マイ・マスター』

「マーリン……」


 ダーム・デュ・ラック・マーリン。魔力派共鳴式魔導管制杖の補助人格の名前。魔力を通して起動させ、その声を聞くと以前彼から感じた違和感を思い出す。

 ある頃からマーリンが別人と摩り替わったかのような、そんな違和感。そのせいでどうにも彼へ友好的になれず、半ば無視するようになってしまっていた。

 だが今は、それがない。一番最初に言葉を交わした時のように、直感的に好きになれると感じた雰囲気がある。


 男のようであり、女のようでもある、そんな艶のある声。不吉さを感じながらも、心の何処かで安心を覚えてしまう。


「君は……破壊されていなかったのか」

『運が良かったんだよ、きっとね。それよりいつもの口調はどうしたのかな? わたしはそっちの方が好きなんだけど』

「気を張ってないと素が出そうではある。でも何度もからかわれては流石に改めるさ。拙い言葉遣いを揶揄されるのは、あまり愉快な体験ではない」

『あら。知らない間に声変わりも終わっていたんだね。まあ? 見た目で言えば普通に話した方が格好はいいんだろうけど、ねえ……?』


 うっそりと微笑む気配は、まるで本物の人間みたいに感情豊かだ。

 今も思わせぶりに笑っているが、不快じゃない。不快じゃないが……。


(――なんだ。その最近までの持ち主・・・・・・・・を知らないみたいな言い方は)


 記憶と感覚の不一致により噴出したものが、明確な疑念として形になる。コールマンは顔と心の上に鉄を置き、表情を変えないままマーリンに意識を向けた。


『………』

「………」


 マーリンも、コールマンを“視て”いる。そんな予感。確信。腹の中を探り合うような沈黙は――しかし次の瞬間には破られた。

 時間的な猶予のないコールマンが口火を切ったのだ。


「どうやら壊れているらしい。マーリン、君は私の近況を忘れているようだ」

『うん? ああ……そうかも。随分と久し振りに会った気がするのに、そうでもない気もするからね。参った……けど安心してくれていいよ。わたしの機能にはこれといった欠損はないから』

「そうだと願いたい。なんであれ、騒ぎが収まれば修理に出す必要がありそうだ」


 用意周到で仕事の出来るタイプという印象から、どことなく迂闊そうな印象へと更新される。コールマンは嘆息した。マーリンもまた都市側の物。製造された側。根っこの部分では信頼しきれていないとはいえ、何もかもを疑うのも疲れるだけだ。

 普通に考えて、マーリンは機械だ。壊れもするだろう。人間臭い感情のせいで勘違いしそうになるが、そこは間違えてはならない。記憶を蓄積する領域が欠損している、それだけだ。今の都市側に、コールマンを謀って得になることはないはずで、だからこそ疑うだけ無駄だと理性的に判断するべきである。

 マーリンもすんなりと認めた。なら今はそれでいい。彼の言う通り、魔法の補助さえ的確に熟してくれるなら問題はないのだから。


 と、ふいにコールマンの魔力がマーリンに吸われた。


「マーリン?」

『ごめんね。わたしの動力源はマスターの魔力なんだ。今まではそれとなく、気づかれない程度に貰っていたけど、マスターと離れていたせいか流石にそろそろ電池切れなんだよ。充填させてほしい』

「吸い取る前に言うべきだろう、それは」


 呆れて嘆息するコールマンは気づかなかった。自身から魔力を吸い上げるなり、青白い魔力光を発するマーリンが独断で未知の魔術・・を組み上げていた事に。

 そして構築した魔術式が人知れず効力を発揮したのを、この場にいる誰もが察知できなかった。


「“コー……ルマン”。話は、済んだな」


 声を掛けてきたのは、この場にいる兵士の長らしき男。彼は立ちくらみでもしたのか少しふらつき、そして虚ろな眼・・・・で少年を見詰める。

 卓越した直観力。人間の無意識が取捨選択する情報を、効率的に処理する演繹能力に長けた少年は、言語を超越した部分で違和を嗅ぎ取るも外見上は特に変わった部分があるでもない。首を傾げたくなるのを抑え、彼はその男に向き直る。

 ――今ではない何時か、自身の直感を信じるようになったコールマンなら、この時の不自然さを決して見過ごさなかっただろう。

 だがそれは“今”ではない。理性的な思考に重きを置く常人である彼は、何よりも自身の感覚を信じられるようになる経験が足りなかった。端的に言えば、コールマンはまだ“常識”というものに――この世界のものではない思考形態に縛られたままだったのだ。


 故に兵士長が告げた言葉に不思議さ、おかしさを感じはしたが、特にこれといった疑念を深めようとはしなかった。むしろ都合が良いとほくそ笑む。


「私に何か命じることでもあるのか?」

「ああ。お前には、コイツらとは別行動・・・を……してもらう」

「……なんだって?」

「隊長!? いきなり何を――」

「黙れ、ジョシュア。もう決まっていることだ。“コールマン”、お前は我々とは別れて動き、逃げ遅れた避難者の救出と、モンスターの撃破を……しろ」


 悪くない話だ。コールマンはそう思った。

 何せ別行動を赦されるのなら、無理に戦わされることなく難を逃れられる。勝てそうにない相手には挑まず、自分より弱い敵を倒し、そして同程度の強さなら単独で戦って、負けそうなら逃げればいいのだ。

 本当に都合が良い。コールマンは自然と笑みを浮かべる。断る理由が何処にもない。二つ返事で了承したい。いや、する。うまい話過ぎて裏がある可能性を疑いたくもあるが、全員が纏まって動いているよりは自由が利くのだ、確実なリスクより不確定のリスクを取るべきである。


 しかし隊長と呼ばれた男は、コールマンの一瞬の無言に気後れでもしていると思ったのか、更に好条件を足してくれさえした。


「……単独で動くのが不安なら、一人……いや二人、首輪付きを付けてやる。同郷の人間だ、気心も知れているだろう」

「……いいのか? なら」


 コールマンはもう決めていた。別行動を赦されるなら、そちらを選ばない手はない。更に単独だった場合に得られない仲間からの支援も手に入るなら、文句など出てくるはずもなかった。

 少年は、同郷の人々を見渡す。一様に見返してくる彼らは、この話の流れに取り残されて困惑し、近くの者と何事かを小声で囁き合っている。そんな中でコールマンをはっきりと見たのは一人だけだった。


「――ディビット。それからエイハブさん。私と来るか?」


 コールマンにとってはただの知り合い。それ以上でも以下でもないが、『アルトリウス』にとっては幼馴染である。特に意識していたわけではないが、自然と彼を誘っていた。

 エイハブ……この都市に連れて来られた際、一緒の馬車にユーサーと一緒に乗っていた男にも声を掛けたのは、単にディビットの隣にいたからだ。

 そのエイハブはあからさまに戸惑っていた。即断できず、視線を彷徨わせてしまう。しかしディビットはさほど迷った素振りもなく頷いてみせる。


「アーサーがいいなら、行く。エイハブさんはどうすんだ?」

「お、おれか……? そんな、いきなり言われてもな……」


 流石に逡巡している。だがエイハブはふと、辺りを見渡し。その中にユーサーや、仲の良い者がいないのを見て寂しそうに眼を細めた。


「……分かった。ガキ二人だけじゃあ不安だしな。おれが責任持って守ってやるよ。……ユーサーと、ジョナサンの分も」


 エイハブの意志も決まった。

 彼の口から父の名が出たことに、コールマンの表情が消える。ディビットもまた、忌々しげに顔を顰めた。

 その遣り取りを見て、上の空でいるような声音で兵士長が決定する。


「決まったんならそれでいい。“コールマン”、お前は装備を整えろ。目についたモンスターは全て殺せ。逃げ遅れている避難民は逃がせ。役目を捨て逃げてもいいが……その場合、事が終わった後の待遇に響くとよくよく心得ておけ」



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