運命の秤が傾く先は 1





『これが作戦実行前の最後の通信だ。覚悟はいいな、クーラー・クーラー』


 信じられないことに、この段に至ってもなおクラウ・クラウは平静そのものだった。


 思えば彼は、最初から自らの死を視野に入れている節があったように思う。

 お家再興という悲願を抱え、自身の命よりも重大事であると定めていたような男が、その願いよりも使命の達成に重きを置いているのだ。

 どれほど希おうと、所詮は私欲であると自覚し、有事の際には全体への奉仕や献身を優先する――その在り様こそが“武人”であるのだと彼に心酔している者が言っていた。


 正直な話、理解に苦しむ。男の矜持だとでもいうのか。


 これまで歴戦の勇士である彼に対抗心を抱いていた。今でもそれはある。若輩の身でクラウ・クラウと張り合うのは愚かしいと分かっていても、人類全体の今後を占う大事な極秘作戦に、その資質を以て抜擢された男には対抗心を懐かずにおれなかったのだ。

 だって自覚していたから。こんな大きな作戦に参戦するには自分は力不足だし、経験不足だし、何より心身共に未熟なのだと。自分が定員二名という、余りに危険な特殊作戦に加えられた理由は、ひとえにクーラー・クーラーの持つ異能にしかない。


 努力して得たわけでもない、持って生まれた才能。それだけを見て、クラウ・クラウの庇護下に置けば上手く事を運べると見込まれた。……つまるところ、クーラー・クーラーに期待されているのはこの“力”だけなのである。これがなかったらもっと別の、優秀な軍人が選出されていただろう。

 普通の作戦なら己のような小娘など使われるはずがない。そうと自覚するからこそ、クーラー・クーラーは気負っていて。これまで心のどこかでクラウ・クラウに反発していた。


 その蟠りを今、捨てる。


 理解できない男だ。仲間達のために命を捨てる、それは分かる。クーラー・クーラーとて戦士だ。命令であれば死地に赴く覚悟だってあった。なんとなれば大切な人たちの為なら命を投げ出しても悔いはない。

 しかし今の状況で、乾坤一擲の博打を打つ必要があるのか? 甚だ疑問だった。まだ命を擲つほど差し迫った事態は起こっていないはずだと思う。確かに一つの失敗はあった、クーラー・クーラーの起こしたものだ。それは認める。だがまだ修正は利いたはずだ。打てる手はあるはずだ。なのに敵を警戒する余り、簡単に打って出るのは早まっているのではないかと思う。


 滅びの美学か? それとも自己犠牲に酔っているのか? いずれにしても気が狂っている。そんなものに巻き込まれたくはなかった。

 クーラー・クーラーはまだ死にたくない。やりたい事は山ほどある。夢だってある。こんな所で……死体すら残らないだろう場所で死にたくない。誰もクーラー・クーラーの死に様を知ることのできない、孤立無援の状況で果てたくない。

 仮にクラウ・クラウの懸念が的中していたとしよう。そうであっても危険を犯すにはまだ早い。犯す必要のない危険を犯す男の指示は理解不能だった。


 ――理解できないものに拘るのは愚かだ。クーラー・クーラーが蟠りを捨てたのは、つまるところクラウ・クラウに呆れ果てたが故である。

 この男がどんな覚悟でいるのであれ、自分は死にたくない。こんな未開の地で果てるなど論外で、故に作戦さえ上手くいけば後は独自の判断で動くまでだ。


「……問題ない。もうすぐ配置につく。そちらはどうだ」

『所定の時間になれば動く。その後の段取りは話した通りだ。抜かるなよ』

「誰に言っている」


 声に出して返答するのは迂闊だったが、クーラー・クーラーは気にしなかった。

 最早隠れ潜むのも馬鹿らしい。堂々と発掘闘技都市の表通りを歩く。街灯の明かりに紛れ不可視化の施された人工精霊端末が漂い、こちらを監視してくるのを一瞥するが、あれは単なる防犯カメラ程度の役割しか持たない事を理解している。今となっては警戒に値しない。


 小賢しいと口の中で囁いた。目には見えずとも微小な魔力反応がある。あんなものでこの私を出し抜けるものかと、劣等種族どもの浅はかさを内心嘲笑った。


 人通りは少ない。無駄に騒がしい巨人族デカブツ小人族チビの姿も見えなかった。時間帯で言えば真夜中だが、これほどの規模の都市なら夜中であっても相応の活気はあるはずなのに、不気味なほど静まり返っている。鉄道を走る列車の数も少なく、工業地域や商業地域も同様だ。住宅街の方の灯りも少ない。

 そこに不穏なものは感じるが、クラウ・クラウの言うようにアルドヘルムが手を回し厳戒態勢を敷いているだけだろう。有象無象の一般人ムシケラの姿はないが、代わりに兵隊ザコの姿はちらほらと見受けられた。


 兵士の幾人かがクーラー・クーラーの姿を見咎め、こちらを見ながら隣の兵と短く遣り取りを交わしているのを見掛ける。だがこれにも興味はない。


 奴らにはクーラー・クーラーが同族に見えているだろう。それこそが髑髏鴉の秘法なのだ。あの御方の御業を、あのような雑魚共が見破れる道理はない。

 不審に思い話しかけてきたとしてもどうとでもなる。クーラー・クーラーを見逃したとしても奴らの末路は決定しているのだ。


 一撃、一撃、一撃だ。以て三連、残らず急所を叩き、その後は大掃除の時間になる。その時が来るのが待ち遠しく、そして楽しみであった。


『クーラー・クーラー、先達としてのせめてもの助言だ。今は何を言っても頭に入らんだろうが、よく聞け』

「―――?」


 耳にではなく、直接脳に語りかける念話は聞き間違えられない。だがそれで聞き漏らすことがないかと言われればそうでもなかった。

 意識は散漫で、聞こえはしていても記憶に残ることがない。ふとした拍子に思い出すことはあるかもしれないが、少なくとも今のクーラー・クーラーは助言に傾ける耳を持ち合わせていなかった。


『作戦の成功確率が八割を超えているのなら、力尽くでも断行しろ。敵は強かだ、確実さを求める余り機を逸しては意味がない。貴様が思うほど、敵は愚かでもなければ弱くもないぞ』

「何を言うかと思えば……存外慎重なのだな、伯爵。話は終わりか? 通信を切るぞ」

『待て。貴様なんぞに言うのは気が引けるがな……幸運を』

「……ふん、そちらこそな。こんな所で死んでも咲く華はない、生きて帰ってこそだ」


 武人である彼の思考は、任官したばかりとはいえ軍人であるクーラー・クーラーには共感できない。

 しかし、同胞だ。死んでしまえとは思えないし、見捨ててやるとも思わない。自分に関わり合いのない所で幸せに生きて、家族に囲まれて死ねと悪態を吐くだけだ。


「――そこのお前、こんな所で何をしている?」


 警邏の兵がクーラー・クーラーに声を掛けてきた。夜中に小娘が一人で徘徊しているのは、彼らとしても流石に見過ごせなかったらしい。


 見れば防魔のコーティングが成された制服の上に、簡易な鎧を纏った兵が三人。離れた位置に二人いる。盾を背負い、腰のベルトに長剣を差していた。

 離れた場所に止めている車両の傍の二人はクーラー・クーラーを注視していて。接近してきた三人の内一人が接触し、その背後で残り二人がそれとなく警戒態勢を取っている。馬鹿な奴めと呆れ、嘆息した。

 相手をしてやる気にはなれない。無視して歩を進めようとすると、兵士達は進行方向を遮るように立ちはだかってくる。


「我々は軍の者だ。警邏に当たっている。お前の名前は? どこの家の者だ? この時間は外出禁止だと通達が回っているはずだぞ。身分を証明できる物を提示しろ」

「……ハァ」


 再度、溜め息を溢す。面倒だった。威圧的な物言いに萎縮することはない。牙の生え揃っていない子犬に等しい雑魚が粋がったところで、力の差を理解している側からすれば、ただただ彼らが憐れに見えるだけだ。


「邪魔立てしなければ今暫く寿命が伸びただろうに……死に急ぐか、虫ケラめ」

「はあ? ……ゴライアス隊長、コイツなんか変ですよ。拘束しますか?」

「そうだな……不審人物は見つけ次第捕えろと上から命令が出ている。だが女子供に乱暴するものではない。なるべく丁重に取り押さえろ。年頃の娘だ、怪我の一つでもさせてしまったら親御さんが悲しむ」

「了解」


 離れて見ていた男の一人に、兵士が指示を仰いでクーラー・クーラーに向き直る。

 三人の兵がクーラー・クーラーの腕に手を伸ばした。それに、高貴な血脈に連なる少女は露骨に不快気な表情を作った。

 眉を顰め、苛立ちの裏で計算する。もしも騒ぎを起こしたとしても――なんの問題もない。今から五分後には待ちに待った時が来るのだから。


 故に、自重する気は皆無だった。


「触れるなよ下郎。私に触れていいのは兄様だけだ」

「は――?」


 サッと身を引く。名も知らぬ兵士ザコの指先が触れそうになったのを、唾棄すべき汚物に触れてしまいそうになったかのように。

 道端に転がる犬猫の糞を眺めるような、絶対零度の青い視線。兵士はその目に射竦められたように固まった。


 風もないというのに、白銀の髪が俄かに靡く。白雪のような魔力の燐光が頭髪から漏出し、周囲の気温が急激に低下して冷気による蒸気が上り始めた。

 魔力波長が周囲領域を侵食する。兵士がギョッと体を強張らせ――瞬間、クーラー・クーラーの傍にいた三人の男達は、その全身を魂魄ごと一瞬にして凍りつかされた。

 白銀の魔力の波に触れたと同時である。“時間停止”と“空間冷却”による凍結は、概念位階に満たぬ雑兵など相手にならぬとばかりに永遠の停止を強制する。

 壮年の男が驚愕した。三人の部下が氷漬けにされ、地面に倒れるや粉々に砕け散ったのである。彼は一目で察した。桁外れの魔力濃度、これは魔法の域に収まらない。確実に魔術だ。そして突如として、人を虫ケラのように殺害してのけたこの少女は――


「何!? ま、魔術――まさか……コイツが魔族か!? て、敵発見! 敵発け――」

「ゴライアス隊長!? ぎっ――!?」


 上官の言っていたことは、てっきり突発的な演習の類いだと――魔族がエディンバーフ領の領都に侵入してきた状況という、現実的ではない設定の軍事演習か何かなのだと――そう思っていたこそ、偶然白銀の少女と出会ってしまった男達は驚愕していた。

 これは演習などではない、この都市が戦場になる。その確信が電撃的に過り、ゴライアスが大声で異変を報せるように叫びつつ運営本部に思念を放って……事切れた。


 フ、と吐き出された吐息が氷柱となってゴライアスと部下に突き刺さったのだ。腹部と胸の中心に突き立った氷の矢が、抵抗も赦さず先の三人と同じ末路を贈りつけた。

 氷像となって地面に倒れ、倒れた衝撃で五体四散したゴライアスが末期の通信を送った。薄く溶けそうな黒い魔力の波を感知し、クーラー・クーラーが煩わしげにそれ目掛けて腕を振ると局所的に吹雪が起こる。

 儚く塗り潰される念話の電信。報告が上がるのを妨害し、次いで辺りに漂っていた人工精霊の端末を魔力波長のみで圧砕する。魔力で物質に干渉し無形の手で覆って、そのまま握り潰した。


 不可視化の解けた人工精霊が地に落ちる。掌大のサイズの少女型――俗に言うフェアリー・タイプ――が、その残骸を地面に散乱させる。これで、端末ではない人工精霊の本体が事態を察知しただろう。

 凶行の瞬間の映像は消せないが、それでいい。今の映像が閲覧され、緊急事態を発令するまでに掛かる時間は、早くて三十分といったところだ。それまでには全てが始まっている。何も問題はない。


 ふとクーラー・クーラーは四散した五人の雑魚の遺体を一瞥し、冷笑して嘯く。


「莫迦め、所詮は低能共か。寿命が五分縮んだな」


 嘲笑いながらもクーラー・クーラーは意識を改めていた。不意打ちだったろうに、ゴライアスと呼ばれていた男は、即座にクーラー・クーラーの正体を察して上層部に報告を上げようとしたのだ。その判断の早さは大したものである。

 下っ端に過ぎない雑魚でこれなら、なるほど……あながちクラウ・クラウの懸念も馬鹿に出来たものではないのかもしれない。


 クーラー・クーラーは全身に白銀の魔力を纏い、身体能力を強化した。膝下まで届く癖のない銀髪を靡かせ、颯爽と駆け出す。

 都市部で魔術を使えば見つかるだろう。故に出し惜しみはしない。偽装した衣服を置換し漆黒の軍服に形を戻して、家屋の屋根から屋根と飛び移っていく。

 一分ほどして騒ぎが起こった。魔力反応を検知してゴライアスらを殺害した現場に雑魚どもが駆け付けたのだろう。バラバラに砕けた氷漬けの死体を五体発見し、異常事態の発生を察知したらしかった。


 だが遅い。壁面を凍りつかせながら垂直に駆け上がり、クーラー・クーラーはこの都市を一望できる第三幕壁“メデューサ”というらしい城壁の上に降り立った。

 励起していた魔力炉心に火を入れる。ピースを組み合わせ高度な魔術式を作成し、城壁の上にいた無数の兵士達がこちらに気づいた瞬間に解き放つ。


「時間稼ぎが精々だが、貴様らには上等だろう――“時間テムプス・氷結コンゲラーティオー”」


 新人類には魔人共が宿す概念位階の力はない。あれは魔人どもの神、裏切り者の神の王が己の身を贄として、庇護下の魔人どもの力を強化するために遺したものだからだ。

 だがそんなものがなくても我々人間は強い。血統からして得意とする氷雪系の魔術で時空その物を凍らせるや、クーラー・クーラーを中心に半径百メートル以内の世界が色彩を失いモノクロと化す。


 その中で唯一色を持つ少女は、懐に呑んでいた懐中時計を取り出し時間を確かめる。クラウ・クラウの指示してきた時間に合わせるとなると、すぐにでも始めなければならない。


 精神を落ち着かせ、静かに発掘闘技都市を――高貴なる白い公爵を辱める冒涜的な都市を見下ろす。

 新人類から学び、模倣した技術などで“ルーン文明”を築いた魔人。紛い物の都市。偽物しかないと嫌悪に眉を顰めた。

 くだらぬ都市だ。打ち壊すのに躊躇いはない。そう断定し都市部の三点を見る。

 潜伏していた間に仕掛けを施した地点だ。それは第三幕壁の内側、北と南西、南東の門付近に仕掛けてある。クーラー・クーラーにだけ識別できる特異な魔力反応を確かめて――今、クーラー・クーラーは静かに口を開いた。


「始めよう。故郷に錦を飾る為。同胞達に輝かしき勝利を贈る為。そして私と私の大切な人達が、戦場に立つ必要のない泰平の世を築く為に!」


 虚空に視線を上げ、目を閉じ、頭蓋の内にある魔力炉心に術式を構築する。そうして自身にも認識できない領域に魂が接続される感覚を、今は亡き至高の神に抱き締められたような多幸感として感じ、恍惚としそうになった。

 夢見心地で、うっとりと紡ぐ。自身に秘められた全てが引き出されていく全能感はひどく甘美で、骨の髄から蕩けてしまいそうだ。




「――“嘗て此処彼処ここかしこさかしき女ども座せり”」




 星天は恐ろしい黒い空の中へ無数の光点を咲かせている。同じ星の光でも、悍ましき者共の領域から見れば、酷く冒涜的で吐き気を誘われる光であった。

 もうすぐさよならだ。酷薄な笑みが、口元を歪ませる。




「“ある者は戒めの鎖を整え、ある者は腐り飯をこさえ、ある者は毛髪を毟り取れり。勇多き男ども、己が女のため指し示して曰く”」




 既に賽は投げられたのである。勝つか負けるか、伸るか反るか、生きるか死ぬか。全ては自分次第で、そして憎たらしいながらも頼りになるなかま次第。


 ――ルーンを用いた魔法や魔術は通常、詠唱の類いを必要とはしない。だが何事にも例外はある。


 高次元の超越存在、造物主が極僅かの被造物に賜わした加護。或いは持って生まれた異質特性・・・・。それらの力を引き出す際に詠唱を必要とする場合がある。

 言うなれば、それは儀式なのではないか。高次元、または自己の裡から奇蹟を汲み上げる工程として、常同的行為としての詠唱を行なう意義が生じてくるのかもしれない。魔力炉心としての脳が舌と声帯に魔術的な連結作用を生み、言葉を言霊として昇華して呪文とするのではないか――選民の頂点に近しき座にある髑髏鴉はそう分析していた。


 少女のそれは神に与えられたものではない。持って生まれた異能の力を行使する為にこそ、魔的な力を持つ言霊を紡ぎ詠唱する。




「“『戒めを脱し、悪しき者の手より逃れよ!』”」




 時空すら凍りつかせる氷雪の業。原理はともかく現象としては無限収納空間アイテムボックスに近いが、異なる点は少女は生物であっても輸送・・できる事である。独自の異空間を開き、有機無機問わず物質を収納し、収納したモノの時間を凍結して任意に解凍するのだ。

 収納するモノの量や種類は一切問わない、異質特性“揺蕩えどフルクトゥアト・ネク沈まず・メルギトゥル”――それこそが白銀の少女の異能である。




「――〈Unio Mystica/神意合一ウニオ・ミステカ〉――」




 異空間に収納し、凍結していたモノを解凍して、異空の世界を開門する。そうして少女は決然と唱えた。




「一節。“此処に屍を礎として三門を築く。男ども、門を開きて三界を得よ。

〈Vere ac libere loquere. /正しくウェーレ・アク・自由に語れリーベレ・ロクェレ〉!”


 二節。“凍えた愛を掻き捨て仏門を叩く。女ども、門を潜りて生命を得よ。

〈Memento vivere. /お前は生きる事をメメント・ウィー心に留めよウェレ〉!”」








  †  †  †  †  †  †  †  †








「近隣に不審な反応はない。警察や軍の方からはそう報告が来ているのだろう?」

「強いて言えば闘技場の裏通りで、“首輪付き”の死体が見つかった程度だ」

「ただの脱走者かもしれないだろう。殊更に重要視する必要があるのか疑問だ」

「今の時期に上げられた唯一の異常です。警戒するに越したことはないのでは?」

「件の首輪付きはエリン氏に蘇生されたのだろう。確か“コールマン”とかいったか? 詳しく話を聞くためにも事情聴取した方がいい」

「そちらは例の“の槍”が聞き出し、闘技場へ連れて来る予定になっている。今は別の線を協議するべきだ」

「新しい情報は上げられているのか? 警察や冒険者組合もフルに回せ。もう一度徹底的に洗い出すんだ」

「警備部の機動隊と特殊車両隊をグラスゴーフに戻すべきじゃないか? 空挺部隊を含めた第二十七師団と合わせて、レーヴェルス空上本部から出向してきているオストーラヴァ中尉も警備に回した方がいい」

「そうだな。もし仮にユーヴァンリッヒ伯爵閣下のご懸念が当たっていた場合、警戒態勢を継続するのは後一ヶ月だけだ。魔族が我らの許に潜入し、我々の眼を掻い潜っているとしても、人類圏にある大気は奴らにとっての猛毒……潜伏していられる限界期間の半年はもうすぐなのだからな」

「都市部での戦闘を想定して各地点に狙撃兵を配置し、都市全体の監視と対応力を強化しよう。隙を見せない我々に業を煮やした魔族が真っ先に狙うとしたらどこだ?」

「狙う場所を想定するのではなく、狙われたらマズい所の防備を固めるべきだ。例え市街や国民に被害が出たとしてもやむを得ない犠牲コラテラル・ダメージと割り切り、被害を最小に留めるプランを練ればいい。事が起こった際に無傷で済ませられるなどと安易で楽観的な見方は排除しなければ」

「同意見だが、せめて国民達の避難をスムーズに済ませられるように手配しておこう」




 ――喧々諤々。アルドヘルムの懸念を前提として参謀達が意見をぶつけ合い、もしも・・・の時に備え策定を進めている。




 グラスゴーフ運営本部の一室、参謀会議室での光景を、アルドヘルムは冷めた目で眺めていた。


 関心がないわけでも、会議の内容に失望しているわけでもない。彼らは優秀だ。一見荒唐無稽の、前例のない事態が発生する可能性を提唱したアルドヘルムに異を唱えず、真剣にプランを練ってくれている。彼らの纏めた案なら信頼して用いられるだろう。

 “有り得ない”は有り得ない。今の人類に存在しない技術を、魔族が開発できるわけがないなどと侮る無能は、少なくともこの場にはいなかった。過去存在した様々な脅威を教訓として、主君アルドヘルムの知性が弾き出した直感を真摯に検討している。


 アルドヘルムにとっても有り難いことだ。素晴らしい人材達である。様々な視点・角度から見て考え、練り上げたプランの穴を埋めていく……その工程は文句の付け所がなかった。


「閣下。何か疑念でも?」


 主人の様子に目敏く気づいた、傍らに侍っていたバークリーが耳打ちしてきたのに、アルドヘルムは小さく首肯した。参謀達の会議を邪魔しないように。


「たった今キュクレインから念話があった。件の首輪付きの遺体は“コールマン”のものだったという。そこに運命的なものを感じていたんだ」

「“コールマン”ですか? 例の再現不能の異質特性を持つという?」

「ああ。彼は限界集落のウェーバー村出身だ。私が切り捨てた民達の中にいて、そして闘技場に登録された経緯がある。……よりにもよって魔族の不審な動きを警戒していた私の許に、このタイミングで異質特性持ちが現れ、更に現状唯一明確な異常事態とも言える闘技場内――いや正確にはダンジョン内から外に出る事態を起こした。しかも百人に一人の割合でしか持っていないとされる蘇生適性まであったという」


 ウェーバー村の人々には、酷な事をした。今は亡き神王も、アルドヘルムの所業を決してお赦しにならないだろう。

 だが必要だった。後少しで完全にウェーバー村のあった土地を人類側に取り戻せただろうが、ああして焦土にする必要があったのである。

 何故ならアルドヘルムの考え得る限り、魔族がグラスゴーフに潜入するための経路として、または事を終え撤退していこうとする場合には、あの村の付近を通るのが最短距離になるからだ。あの村を焼いたのは、最悪あそこが戦場になるからで、そうなった場合戦いやすくするためでしかなかった。

 まだ推測の範囲を出ていない。憶測で焼かれた人々は、今もアルドヘルムが地獄に落ちないかと怨嗟の声を上げているに違いなかった。


「……閣下は彼の者が魔族かもしれないとお疑いになられていましたね。念のため拘束なさいますか?」

「それには及ばない。彼は白だと確信したよ」


 アルドヘルムは口元を緩め笑みを象る。そう、“コールマン”は白だ。何せ彼は敵地に潜入してきたにしては矢鱈と目立っている。わざわざアルドヘルムの目に留まる言動をし、更には充実した訓練成果を上げてのけた。

 彼が魔族ならそんな真似をする意味は絶無だ。わざとそうして、アルドヘルムの油断を誘おうとしているのだとしても、そもそもわざわざアルドヘルムに気に掛けられることは無駄にリスクを負うだけで、却って監視の目も強まる。囮としてやって来たにしても彼一人を監視するだけで他へ向ける意識が散漫になるほどこちらは迂闊ではない。そんなことは魔族も承知のはずだ。


 総合的に見て“コールマン”の行動には、魔族にとってのメリットがまるでないのである。


「バークリー、君は知っているか? 蘇生適正とは、蘇生魔術の使い手に曰く『何かに愛されている』ことだという」

「存じ上げております。一説にはその『何か』とは神々の内のいずれかではないか、概念位階に至った者が口を揃えて言う例の発言に類似するものではないか、と言われていますね」

「その通り。マリアも言っていたし、私も感じたことがある。まるで『何かが引き上げてくれた』かのような……概念位階に達した瞬間に、確かに感じたことのあるもの……もしも蘇生魔術を扱える者が、蘇生適性を持つ者に触れた時に感じるものが同一なら、何か途方もなく運命的なものを予感せずにはいられない」

「……閣下は、“コールマン”が特別な存在だと思っておいでで?」

「さあ、どうだろうか。私には分からない。分からないが――」


 もしも運命なんてものがあるとすれば、それを背負える者は人間ではない。世界の命運を左右するほどの何かは、紛れもない“兵器”でしかなかった。


 その言葉を呑み込む。言っても詮無きことだ。

 代わりにアルドヘルムは、バークリーに訊ねた。


「マリアは?」

「は、間もなくこちらへおいでになられるかと」

「そうか」


 マーリエル。私人としてのアルドヘルムが最も愛し――公人としての立場故に隠し通すしかなかった――最愛の女と・・・・・最も親しい友・・・・・・の娘。

 血の繋がらない義理の娘は、アルドヘルムを実の父だと思い込んでいるだろう。既にこの世に生きていない男と女は、その姓をベレスフォードという。マーリエルの演算補助宝珠と同じ名前だ。あの宝珠はマーリエルの実父と実母の形見なのである。


 アルドヘルムはマーリエルを娘として愛している。しかしその愛は、愛した女の娘だから抱いたものなのだろうか。


 煩雑とした感情を、瞑目して押し殺す。

 参謀達の協議から意識を外し、会議室の外へ意識を向け耳を傾けた。

 すると暫くして、コツ、コツ、と規則正しい軍靴の足音が聞こえてくる。この歩調はマーリエルのものだとアルドヘルムにはすぐに分かった。

 扉をノックする音まで一定のリズムである。くすりと微笑み、入りなさいと促した。


「――航空騎士マーリエル・オストーラヴァ中尉、招集に応じ参上しました。閣下、私に何用でしょう」


 わざわざ呼び出したりせず念話で命じてもいいのにと、その無表情の裏で言っているような気がして笑みを深めた。

 アルドヘルムは硬質な容貌を引き締める。発掘闘技都市の戦力は充実しているが、その中でもマーリエルと……帝国から招いたアレクシア、そして冒険者として市井にいるキュクレインの三人は突出している。


 彼女を遊ばせておく余裕はない。早速とばかりにアルドヘルムは命令を出そうとして――瞬間。グラスゴーフ運営本部が、紅蓮の炎に包まれた。






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