ゲエンナの狼煙 (後編)





 現実離れした表現になるが、『死んでいた間に』陽は沈んでいたらしい。夜の帳が落ち、夜空には星屑がちりばめられている。

 言葉もない。ただただ綺麗だった。

 空に敷かれた星の図面が河となっているかのように燦々と燦めき、中心に座した大きな満月が金色に輝いている。圧倒されるほど、星空が地上に近い。手を伸ばせば届きそうで、しかし触れれば溶けてしまう苟且な趣きがあった。


「―――」


 微かに目を瞠る。学校で習った星座――カシオペヤ座を見つけた。学習内容の記憶に間違いがなければ、あれは確か10月末の祖国――英国で見られる星座だったはずだ。ということは今はそれぐらいの時期なのだろう。道理で少し肌寒いわけだ。

 奇妙な納得をよそに、コールマンは視線を地上に戻す。空の近さもさることながら、ウェーバー村というらしい故郷から連れて来られた際一度だけ見ていたとはいえ、この発掘闘技都市の景観もまた驚嘆に値する。


 塵一つ落ちていない清潔な道路。粗なく整備されているのか歩道と車道が分けられ、標識などもきっちり設置されている。

 元の世界と違うのは、なんと空にまで標識のモニターが浮かんでいる事か。虚空に浮かぶ青白い透明なラインは、空を駆けるモノに対する道路なのだろう。信号もある。目の前の道には鉄道のレールが敷かれていて、しかしコールマンの知るものと違いパイプのようなものがレールの役割を担っているようだった。


 キュクレインの家屋は一等地にあるとの言に違いはなく高台に築かれている。上から見下ろす形で景色を一望できた。

 そうして視力を強化して遠方を眺めていると、丁度列車が走っていくのを発見した。しかし列車に付きものの騒音はない。車輪の着いた長方形の筐体が、宙に浮いてレールを沿い進んでいるのだ。金属同士の摩擦による騒音なんて生まれる余地がなかった。

 視界の隅で、ちらほらと幾つかの馬車が空中を走っているのを識別する。

 凄い速さだ。乗用車より速い。バイコーンが空を走っている光景は、一度見たらなかなか忘れられないだろう。


(――王道の異世界中世ファンタジー文明じゃなくて、未来SFのファンタジー世界を見てるみたいだ)


 駅から発進し、そのまま進行していく列車を呆然と目で追う。

 最初に“アルトリウス”がいた村と、何もかもが違いすぎる。領都と地方の村との技術格差が途轍もなく酷すぎた。

 あのウェーバー村は中世かそれ以前といった生活水準にしか見えなかったのに、この差はなんだというのだろう。

 先進的な文明の恩恵を享受させられない理由があったのか? それは一体――いや、今はそんなことを考えている場合ではない。


(違う、そうじゃないだろ。なんでカシオペヤ座がある・・・・・・・・・?)


 再び星空を見上げる。雲が一つもないお蔭でよく見える。


 カシオペヤ座の他に、ざっと見渡しただけでもペルセウス、ケフェウス、アンドロメダの星座もあった。


 不自然だ。余りにも。異世界だというなら、星座も何もかも未知のものでないとおかしい。地球のイギリスから見える星座だなんて、この世界に存在してはいけないはずなのだ。

 コールマンは怪訝に思いながら考察した。


(ここは異世界なんかじゃなくて、平行世界とかそういう感じのものなのかな……?)


 今いる世界が元のそれとは全く別の世界ではなく、太陽系にある地球という惑星で、宇宙に列される星々も元の世界のものに準拠している可能性が高くなった。

 様々な所感が脳裏に氾濫し、混乱しかけて頭を振る。地方と都会の格差、元の世界とこの世界の星座の一致、類似する標識や信号など、気になることは多々あるが、考えるだけ無駄でしかない。

 何せこの世界では無学な身だ。考察するための材料がまるでないのである。推測を重ねるためにも、いずれしっかりとした場所で学習し、相違点と類似点の検証をおこなって、いつか元の世界に帰るための手掛かりを手に入れなければならない。

 面倒臭いな、と思う。――思ってしまった。


(………?)


 ――そのことで、自身の心境に奇妙な違和感を覚えて首を捻る。漠然と、課せられた義務を果たそうかといった程度の心理。切実さに欠けた乾いた思考。

 なんだ、と思う。自分自身に向けた懐疑、その正体を探ろうとしていると――軒先でコールマンを待たせていた青年が馬車を操りやってきた。馬の嘶きと蹄の音を伴って。


「よぉ、待たせたな」

「キュクレイン……」

「乗れよ。送って行ってやるって言っただろ?」


 その馬車は漆塗りの車である。元の世界の箱バン……乗用車のそれに近い。違うのはエンジンで駆動する機械仕掛けではなく、二頭の馬が牽く代物であることか。

 灰色の馬と、黒い馬だ。乗馬の習い事をしたことのあるコールマンだが、見たことがないほど立派な体躯をしている。普通の馬よりも二回り大きい。全身の筋肉が隆起し、静止しているのに躍動的な力強さを感じる。蹄も大きく、丁寧に手入れされている鬣が風もないのに逆だっているのに迫力を感じた。

 二頭の巨馬のその瞳には、明確な知性の光がある。ただ性格の違いか、灰色の巨馬はあからさまにコールマンを見下し、黒色の巨馬は興味も示さずそっぽを向いていた。


「凄い馬だね」

「まあな。バイコーンやユニコーンとかと一緒にはすんなよ? コイツらの方がずっと速ぇし体力もある。その分血の気も多くてな。下手に喧嘩売ってみろ、大抵の奴らが痛い目を見る羽目になるぜ」

「………」


 言われなくてもそんなことはしない。馬車に乗り込むと、手綱を握っているキュクレインが軽く腕を振った。馬車が緩やかに走り出す。

 なんとなく気になって言った。


「別にこういうのに乗らなくても、走って行った方が速くないかい? 音速だって超えられるだろう」

「馬鹿言ってんじゃねえよ。オレの脚ならともかく、テメェがコイツらより速いわけあるか。そりゃあ航空騎士の連中とか、腕利きの戦士なら光に迫る速さで翔べたり走れたりするけどな、持久力で軍馬に勝てるほどじゃねえ」

「そういうものなのか……」


 前々から思っていたが、この世界のパワーバランスが全くわからない。平然と音速を超えられる人間が多い上に、それより更に上だと断言される馬ってなんだ。

 釈然とはしないものの、口に出したように“そういうもの”として受け入れるしかないのかもしれない。


「そういうもんだ。普段からそんな非常識に翔んだり走ったりしてみろ、いざって時に『疲れてるから力を出せませんでした』なんて間抜けな言い訳をしなくちゃならなくなる。本気で走り回った試しが無ぇようだから教えといてやるが、魔法なり魔術なりで強化して走り回るのと、空を翔び続けるのは案外しんどいぜ」

「へえ……」


 それは、知らなかった。しかし考えてみれば当然である。魔力は無限ではない、魔力の消耗が体力のそれと比べ一律であるわけではないのだ。

 考えてみると身体能力を強化したまま持久走をしたことがない。自身の限界を見極める意味でも、今度確かめておこうと思う。


 さておき馬車はゆっくりと走っていた。時速にして五十kmといったところだろう。これを“ゆっくり”と感じる辺り、完全に感覚が壊れている。

 現段階のコールマンでも、強化魔法を使えば初速で時速六百kmを超えられる。最大速度はその倍に近い。馬車の進みが遅過ぎるように感じてやや苛つきさえした。


「……遅い」

「せっかちさんかよ。田舎者の“コールマン”くんに、都会の景色をゆっくり見せてやろうっていう粋な心意気だ。急ぎじゃねえんだ、余裕を持ってどっしり構えてろ」

「………」


 田舎者呼ばわりが癪に触るが、キュクレインとエウェルは文字通り命の恩人だ。グッと堪える。それに間違ったことは言われてない。コールマンはともかくこの世界の“アルトリウス”は事実、田舎者なのだ。

 それはさておくとして、コールマンにとってもこの都市の景観は新鮮なものである。大人しく窓から外の光景を眺めておこう。折角の気遣いだ。


「………」


 肘置きがあったからそこに頬杖を突く。ぼんやりと外を眺めた。


 夜と一口に言っても、表通りは街灯に照らされて完全な暗闇はない。多様な店舗の電子看板らしきものもある。その灯りは高度な文明圏にいる証とも受け取れた。

 ちらほらと人影もある。人間、それによく似ていながらも耳の長い爺さん、婆さん。いつぞやの受付で見た翁に似ている髭もじゃで筋肉の隆起した小人、五メートルを超える巨体の人型まで遠くにぼんやり見える。

 遠くの区画には、そんな巨人のための住居施設が立ち並んでいる。そしてもっと先には――外界から遮断しているかのように巨大な、高さ百メートルを超える城壁……。


「……キュクレイン、あの城壁は?」

「あ? ああ、第三幕壁の“メデューサ”だ」

「………」


 名前が知りたかったわけではないのだが……もしかしてああいったものは一般的なものなのか? キュクレインの答えを聞いて頭が痛くなる。

 明らかに人間の建築技術で築ける限界を超えている。全く未知の技術が用いられているのだろう。ドワーフやエルフ、巨人をちらほらと見掛けるのはいいにしろ……いやよくはないが……あんなものまであるのを目にすると本当に異世界なんだと改めて思い知らされた。

 グラスゴーフに連れて来られた際に一度見ているが、あの時は全く余裕がなかったのもあってそこまで気にしていなかった。が、こうしてみると如何に異常かがよく解る。


 この際だ、以前から気になっていたことを訊いてみよう。


「なあ、そこら中にある光ってる文字はなんなんだい?」


 道路に、建物に、なんなら武器や防具、一般的な生活器具や楽器にまで刻まれている例の青白い文字のことだ。この馬車にもあるし、都市全体にほぽ隙間無く刻まれているのである。薄ぼんやりと見える程度で、気にしなければ目に映らないがそれでも気になるのだ。


「ルーンのことか?」

「……ああ」


 ルーン。それは元の世界にもあった。現実のものではなく、あくまでお呪いとか、サブカルチャーの作品の中に。文字としては二世紀頃のもので、ラテン語に取って代わられ廃れていったはずだ。


「坊主、勉強嫌いだろ」

「……そんなことはない」

「強がりは止せって。こんなもん常識だろうが」


 この前も誰かに……確か兵士のジョシュア辺りにそんなことを言われた覚えがあり、苦々しい気分で否定する。コールマンは勉強……座学は嫌いではないのだ。

 しかし否定してみても信じてもらえない。よほどに常識的なものらしい。キュクレインは露骨に呆れていた。


「小学生かっての……。まあいいか、田舎者で無学な“コールマン”くんに、特別にやっさしい先生が教えてやるよ」

「………」

「はっは! 睨むな睨むな」


 声を上げて笑うキュクレインに、コールマンはますます苦虫を噛み潰したような表情を深める。

 一心に屈辱だった。紳士の卵として教養深く在ろうとしている身として、やはり可及的速やかなる学習が必要だと強く思う。


「いいか? ルーンってのは情報集積文字だ。世界は素粒子で構成されてるって言うだろ? 物質を構成する最小単位のあれだ。例えばナノブロックの一つ一つは単純な形状だが、組み合わせることで複雑な形のモンも作れて……あー……要は千差万別の化学反応の類いを、一文字ごとに纏めて記録した媒体ってのがルーンの正体だ」

「………」

「ざっくりとだが世界はルーンで出来てるとも言える。ルーンはそういう現象の式を内包したモンで、文字の形状で指向性を与えて人為的に現象を発生させんだよ。で、ソイツは今の文明の根幹にあってな。日用品・軍需物資・建材どれを取ってもルーンが刻まれてる。ソイツで固定したり硬質化させねえと、オレみてぇに概念位階に至った連中にとって何もかもが柔らかくて堪らねぇんだよ。――んで誰が言ったか『ルーン文明』ってのが今の時代だ。ほら坊主だって魔法使う時、炉心の中にパズルのピースみたいなの組み上げるだろ? あれもルーンだ」

「――あれが?」


 いつも魔法を使う時に構築する魔術式のピースが、ルーン……。その事実にコールマンは単純に驚くしかない。

 何から何までルーン。生活や戦闘、何から何まで密接に関わる、総ての技術の根幹。

 情報集積文字。これがルーン文明とかいうものの全てなのか。ということは、それについて詳しく学べば魔法や魔術に関しても長じていけるという事になるかもしれない。


「? どうして止まる」

「ここの組合長に用事があってな。依頼達成の報告をしてくる、ちょっと待ってろ」


 黒い城塔のような建物。白銀の猟犬のシンボルを掲げる建物の前に馬車を止めると、キュクレインは身軽に馬車の御台から飛び降りて入り口に消えていった。

 建物の石碑に『国営冒険者組合』と記されている。

 冒険者組合……ギルドって名前じゃないのか、と漠然と思う。「ファンタジー世界なら『ギルド』でいいじゃないか」なんてふざけたことを呟きつつ、不意に離れていったキュクレインの後ろ姿を恨めしげに睨んだ。

 置いて行かないで、連れて行ってくれればいいのに。まだまだ知りたいことは山ほどあるのだ。ここがどういう組織なのかも知りたかったのである。


 何せ『冒険者』だ。夢のない職業どころか、ほとんど鉄砲玉に近い扱いなのは知っているにしても、やはり浪漫のある響きなので知識欲を刺激されずにはいられない。

 それと打算というか、いずれ闘技場から解放された後はこの組合に所属する可能性もある。今の内に知っておいても損はないはずだ。

 いっそのこと勝手について行ってしまおうかと思ってみるが、馬車から離れて盗難に遭いでもしたら、彼に合わせる顔がなくなるので大人しくしておくしかない。


 五分ほど経っただろうか。頬杖をついて外の景色を眺めていると、不意に今まで声一つ上げなかった二頭の巨馬が嘶いた。

 地面を軽く蹄で踏み鳴らし、頻りにコールマンの方を振り返ってきている。少し困っていそうな雰囲気をなんとなく察し、それとなく巨馬達の方を窺ってみた。


「もふもふー」

「ねえねえマハちゃーん、キュクレインいるのー? いないのー?」

「セングレンちゃんほんともふもふー」

「いないの? いないんだ。ふっふふー。キュクレインは組合の中とみた! ねえねえマハちゃんウチの子にならない? 可愛がってあげるよ! ねえねえ!」

「………」


 なんか、二人の幼い少女が雄大な体躯の巨馬達に纏わりついている。

 黒馬の体をよじ登って鬣に顔を突っ込んでいる、金髪をボブカットにした七歳前後の少女。

 灰色馬の首根っこにぶら下がっている、銀の髪の後ろ髪の束を捻り上げ揚げ巻きにした、金髪の娘と毛の色以外は全く同じ容姿の少女。

 金と銀の少女達は、コールマンと同じ碧眼を楽しげに細めて、きゃっきゃと巨馬に戯れついていた。


 その光景にコールマンは困惑する。どうしたらいいのか判断できない。というより、もう暗いのにこんな小さな娘達が出歩いているのはどうなのか。

 いや案外見掛けによらず、既に成人している可能性もある。人間にしか見えないが、ドワーフの女性だとすれば小柄なのにも一応の納得はできた。

 とは言うものの、その天真爛漫な笑顔は幼気なものであった。これで中身が成人のそれだとすれば、ただただ『痛い』の一言だ。アイタタである。普通に痛々しい。やはり見掛け通りの年齢である方が精神衛生上不都合がない。


「何をしているんだい?」


 二頭の巨馬の助け舟を期待するような眼差しに負けた。逡巡しつつも声を掛けると、少女達はびくりと肩を跳ねさせる。

 恐る恐る振り返ってくる。そして車から顔を出したコールマンを見て、はっきり安堵したようだった。


「あれ? キュクレインじゃないよ」

「なんだよー。イケボで脅かすなよー」


 ……イケボ? 何語だそれは……。


「お兄さん誰? キュクレイン?」

「……キュクレインじゃない。私はアルトリウスだぁね」

「だぁね?」

「だぁね!」

「………」


 コールマンの何処をどう見たらキュクレインに見えるのか。気が抜けて、またもや癖の訛りが出た。耳聡く聞き拾った幼女達が、何が楽しいのか真似してきて顔に血が上り赤面するのを感じた。


(恨むよコウジロウ……。変な日本語教えやがってさ……)


 元凶の友人の顔を思い出しながら、コールマンは顔を顰める。今でこそ気を張っていればマーリエル仕込みの言葉遣いができるが、そうでない時はどうしても素の訛りみたいなものが出てきてしまう。なんとかするには、やはり常日頃から言葉遣いには気を遣うしかなかった。

 少女達はころころと珠のように笑って。しかし金髪のボブカットの娘がハッとした表情になる。そして不意に銀髪の揚げ巻きの娘の頭を叩く。ゴスッと凄い音がした。


「じこしょーかい! 名前教えてもらったんだからしないとだめでしょ!」

「いたひ……お姉ちゃんヒドイ……」

「ほら泣かない! ……泣くな! 泣いたらもっとしばくよ!」

「ふっ、ぐ……ふぇぇ、っくぅ……」

「わたし、トレーター! で、こっちが……ちょっと! 泣くなって言ってんでしょ! 早くじこしょーかい!」


 姉と呼ばれた少女トレーターに急かされ、必死に泣くのを我慢している様子の妹が涙を堪えた。しかし両目からは今にも溢れそうである。

 なかなか理不尽だった。哀れを誘われ同情してしまう。こういうのを見ると微笑ましい反面、自分は一人っ子でよかったと思う。姉か兄のどちらかがいたらと思うとげんなりさせられた。


 しかし、トレーターか。……英語だと裏切り者って意味だ。凄い名前である。きっと親は意味も知らずに名付けたのだろう。容姿は完全にヨーロッパ圏の娘なのに、日本語を公用語にしているのだから。


「あだじ……っ、ばんなハンナ

神の恩寵ハンナか。良い名前だね」


 嗚咽を噛み殺しながらの鼻声に、コールマンは紳士的に微笑みかけた。多分最近では一番優しい心境になっている。

 良い名前だと本心から思う。コールマンの名前のアルトリウスなんて、ケルト語で熊の男という意味なのだ。神の恩寵を意味するハンナという名前は、コールマンやトレーターのある意味凄まじい名前の意味と比べても素晴らしいものである。


「ありがど、お兄ざん」

「……お兄さん、わたしは?」

「トレーターは凄い名前だね」

「でしょー? 分かってるじゃない。すっごい強そうな名前だもん」


 褒められたのが嬉しかったのか、ハンナは泣き笑いみたいな表情ではにかんだ。

 ハンナの名前を褒めたのを聞いて、トレーターが面白くなさそうに訊ねてきたものだから、コールマンは本心を包み隠さず感想を伝えた。したり顔で喜ぶトレーターだが、別に褒めてはいない。『嘘は言ってない』という奴だ。


「それよりお兄さん、ほんと誰なの? これキュクレインの車だよ」


 トレーターがそう訊ねてくるのに、コールマンは曖昧に濁して答えた。


「私はキュクレインに恩義がある人間でね、今も世話になっている。彼が組合から出てくるまで待っているのさ」

「ふぅん」


 自分で聞いたくせに興味はなさそうだ。ハンナはそんなトレーターから逃げるようにして、車の中に入ってくる。六人乗り込める筐体の中、わざわざコールマンの隣にまでやって来てシートに座った。

 妹を追ってトレーターも入って来る。お姉ちゃんがつ! 助けて! と請うハンナに、とうの姉が柳眉を逆立てた。


「二人はこんな夜更けにどうしたんだい? 君達みたいな小さな娘が出歩くなんて、不用心じゃあないか」


 姉による妹いびりをそれとなく阻むため話題を振る。至極当然で自然な問い掛けだ。トレーターは気を引かれ、つまらなさそうに頬を膨らませた。


「わたしは別に出歩きたかったわけじゃないよ。でもハンナのバカが『お父さんを探しに行く』って言って聞かないから、お姉ちゃんとして付いてきてあげたの。人に失礼なことするバカだから、お目付け役になってあげてもいるんだよ」

「お父さんは仕事か何かに出掛けているとか……? お母さんはどうしたのかな」

「お母さんはいないよ。遠くに行っちゃったって、お父さんが言ってたもん」

「……そうか」


 なんだか闇の深そうなことを聞いてしまった気分になる。仕事で遠方に出張に出ているだけだろうと思うことにした。

 ハンナがぽつりと呟く。


「お父さん、いつもなら帰ってくる時間になったのに、帰ってこなくて……だからね、あたしが見つけて、連れて帰ってあげようと思ったの」

「偉いね。でも迂闊だ。大人しく家で待ってるか、誰か大人の人に連絡して早く帰ってきてほしいと伝えて貰えばよかったんだよ」

「……ぁ」


 その手があったかと、ハンナは目を丸くする。トレーターは呆れていた。


「わたしもそう言ってたのに……」

「え? ……聞いてなかった。ごめんなさい」

「いいよ。けど次からは気をつけなさいよね」

「うん」


 仲直りしたのだろう。手を繋いだ姉妹の横で、コールマンは微笑んだ。


「二人のお父さんは冒険者か何かなのかい? ここに来たってことはそうなんだと思うけれど」

「ううん、お父さんは冒険者じゃなくて、兵隊さんなの。今日は警邏ってお仕事してるみたい。だから彷徨いてたら見つかると思ったんだ。でねでね、お父さんたくさん部下を持ってるんだって! すごいでしょ!」

「ああ、凄い。それでお父さんの名前は? 私が君達のことを伝えて、早く帰るように伝えておいてあげるよ。だから二人は早く帰ったほうが良い」

「いいの? ありがと! お父さんの名前はね、ゴライアスっていうんだよ!」


 ゴライアス? ……どこかで聞いた名前だった。どこで、だっただろう……。

 聞き覚えがあったから、思い出そうと記憶を掘り返していく。しかしいまいち記憶を検索してもヒットしない。相当に昔に聞いた誰かの名前か、はたまたどうでも良い日常会話の中で聞いたのかもしれない。

 まあ思い出せないなら仕方ない。そもそも覚えのあるゴライアスとかいう名前が、この娘達の父親のものである確証はないのだ。


 後でキュクレインに言って、闘技場に戻ったら受付にでも言っておこう。それで一応義理は果たしたことになる。というか、それ以上出来ることがない。今はとにかく、この娘達に家へ帰るよう誘導するだけだ。


 そう思いながら組合の入り口に視線を向けると、ちょうどキュクレインが出てくるところだった。ナイスタイミングと言いたくなる。

 が、キュクレインの隣にいる少年を見て、コールマンは露骨に渋面を作って「げっ」と漏らした。


「――恍けるな。私の財布をスッたのは貴様だろう? いい加減に返せ。依頼でやったんだろうが、貴様の依頼主の思惑は果たされている。もう必要はないはずだ」

「ダァァアッ! しつけぇ! テメェの財布なんざ持ってねえって何回言わせんだ! 依頼主に渡した! オレは持ってない! 以上! 終わり! とっとと国に帰りやがれ脳筋野郎!」

「野郎とは失礼な。ではその依頼主に会いたい、アポを取れ」

「守秘義務があるんですぅー! ってこれも何回も言ってんだろ!」


 がやがやと騒がしくしながら馬車に戻ってきたのはキュクレインと――よりにもよってあのアレクシスだった。

 アレ・・は冒険者だったのか? キュクレインにしつこく絡みながら此処まで来たのを見て心底嫌な気分になる。

 そのアレクシスはちらりと馬車を一瞥し、そして二度見した。耽美な印象のある絶世の美少年は、コールマンを見つけるなり破顔する。


「ああ、アーサー! 奇遇だな、この男の車になど乗ってどうした? ……いやそもそも首輪付きの君がどうして外に? もしかして自由の身になったのか! そうだとするなら最早私達の間に障害はないな!」

「………」

「あん? テメェら知り合いかよ」


 喜色満面の少年をガン無視する。キュクレインが訝しげにするのを横にアレクシスが歩み寄ってきた。そしてコールマンの座っている席の方のドアを、嬉しそうな笑顔で開こうとして来たものだから、すぐさまドアのロックを掛け未然に阻止する。

 あ、と声を漏らし、アレクシスは寂しそうに笑顔を曇らせた。

 普通なら意地悪なことをしたと申し訳なくなるところだが、この少年に関してはまるで罪悪感を覚えない。さっさと消えろとばかりに無視を続行する。


「お兄さんヒドくない?」

「ヒドい。友達じゃないの?」

「友達? 誰が? ああ、キュクレインならすぐ友達になれそうだ。けど他に人はいないだろう?」

「……いや、流石の私も存在を無視されるのはキツい。あの時のことは謝るから赦してくれ。それから、君は大きな誤解をしている」

「………」


 何かが何かを言っているが聞く耳は持たない。悍ましい記憶が刺激されるから黙っていてほしかった。


「キュクレイン、早く行こう。ついでにこの娘達も家に送ってやったらどうだい?」

「ってトレーターにハンナじゃねえか。なんだって人様の車に勝手に乗り込んでんだ? いいけどよ……“コールマン”、今アーサーって呼ばれてたよな?」

「ああ。“コールマン”というのは登録名で、本名はアルトリウスだ。悪かった、あの時は訳が分からず君のことを警戒していた。アーサーは愛称だよ。すまない、本名を名乗らなかったこと、悪く思っている」

「気持ちは分からなくもねえが、気分の良い話じゃねえぜ。今回は水に流してやるが、次からは不義理な真似はすんなよ」

「ああ。本当に、すまなかった」


 テメェとか坊主とか、厭味ったらしい君付けしかされなかったから忘れていた。気づいていたら本名を改めて名乗ったところだったのだが。

 案の定キュクレインはやや機嫌を害したらしい。しかしさほど気にしている風でもない。彼がおおらかな性格でよかった。


「その……無視しないでくれないか……?」

「ハッ。テメェも人から無視された事がないタマだからな、ちったぁ堪えたろ。懲りたんなら、これからは脊髄反射で行動するクセ直しとけ」

「……そうだな。まさかこの私をこうまで無下にする人間がいたとは……うぇへへ、肩をお揉みしましょうかアルトリウスさん」

「キャラ壊し過ぎだろ……」


 あからさまに媚を打ってくる姿に、横目で見ていたキュクレインは呆れた。コールマンも同じ気持ちである。

 というより本当になんなのか、コイツは。身分の高い存在だと分かっている分、一寸の躊躇いもなく胡麻を擂る様におかしなものを感じずにおれない。

 そこまでしてコールマンと親しくなろうとするアレクシスの打算がどこにあるのか解せず、却って不気味な行為にしか見えなかった。


 容姿で言えば、キュクレインとタイプは異なるとはいえ凄まじい美形なのだ。そんな彼がこうまで媚びてくると薄気味悪い。そうされるだけの何かが自分にあるとは到底思えないからで、その真意を理解させもせず迫ってくるアレクシスは、依然お近づきになりたくない少年でしかないのである。


「――ハァ。肩は揉まなくていいよ。というか触れないでくれ。話をするだけなら別に構わない。それでいいだろう」

「いいとも。この私のコミュ力を以てすれば、凍えた鉄の心の持ち主とでも打ち解けられる自信がある! というかまず君の誤解から解くことから始めたいんだが、今は時間大丈夫か?」

「大丈夫じゃない。トレーターとハンナを送って行って上げないといけない上に、私自身も速やかに闘技場に戻る。話があるならまた今度の機会にしてくれ」

「大して時間は取らないから。だから、な?」

「………」

「赤毛のお兄さんしつこーい」

「そんなだと嫌われちゃうぞ。賭けてもいい、ハンナのくまさんパンツを」

「お姉ちゃん?!」


 キュクレインも車に乗り込み、さっさとドアを閉めた。騒がしい少女達に対してやれやれと嘆息し、馬車の外に放置されているアレクシスを一瞥する。

 アレクシスは仲間に入りたそうにコールマンとキュクレインを交互に見比べてきた。その切なげに潤んだ瞳は、まるで捨てられていた猫の様。哀れを誘う眼差しだった。


「どうする? 乗せてもいいか」

「嫌だけど、いいよ。それから人任せで恐縮だけどトレーターとハンナを頼みたい」

「おう、知らない顔じゃねえし気にすんな。そんで……ほら乗れよ脳筋騎士。時間が押してんだ、さっさとしろよ」

「うん、ありがとう」


 かなり粗略な扱いなのに、アレクシスは全く意にも介さない。高貴な身分だとは思えないほど寛容で、さっぱりした態度のせいで逆にそれらしい印象が霧散してさえいた。

 以前闘技場で会った時の、エイリークとの遣り取りで彼が貴族なのは分かっている。今更ながら失礼な態度だったと思い返していたところだが、欠片も敬意を払う気になれないのは如何なものか。自身の感情はともかく、ここはきちんと礼節を示した方が賢い態度だろうと思うのに……どうしてかそんな態度を取る気にはなれなかった。

 そんな気になれずとも、本心を隠してきちんと礼儀正しくするべきだ。幾ら嫌悪に値する少年だとはいえ、いつまでもその感情を表に出し続けるのは余りにガキ臭い。ここは大人の応対をするべきだろう。絶対にあの時のことは忘れないが。


 アレクシスが車に乗り込んできた。コールマンの前の席である。シートの背もたれに腕を回し、上体を捻って真後ろのコールマンに振り向いてくる格好だ。

 ふわりといい香りがする。香水、ではない。自然な感じだった。それがなんとも不快だが、努めて不快感を押し隠す。


「さて、早速だが君の誤解を解く。もし真実を知れば、君は私への嫌悪を瞬く間に解消するだろう。賭けてもいい」

「誤解だって?」

「ゴカイってなに?」

「勘違いしてるって意味だよお姉ちゃん」

「あ、そうなんだ」


 脳天気な姉妹の遣り取りが横からして、アレクシスが近くにいることに体を強張らせていたコールマンは毒気を抜かれる。

 優しい気持ちになって笑みをこぼすと、アレクシスもまた苦笑していた。


「おチビちゃん達、私はちょっと大事な話をしているところだ。少し茶々を入れるのは我慢してくれないか?」

「はーい。……チャチャって何?」

「邪魔するってことよ、ハンナ」


 小声で言い合っても聞こえるのだが、指摘するだけ野暮というものだろう。アレクシスと顔を見合わせ苦笑を交わした。

 キュクレインが馬車の御台に座り、手綱を手に取った。緩やかに馬車が走り出す。

 それを見計らってか紅い少年が話の続きをしようとする。しかし、不意にアレクシスが何かに気づいたように顔を正面に戻した。


「………キュクレイン、何か聞こえなかったか? こう……獣の遠吠えのような……」

「ああ? 獣だぁ? そんなもん聞こえる訳が……いや、確かになんか聞こえるな。なんだこりゃあ?」

「二人してどうしたんだ? 私には何もおかしなものは……」


 コールマンには何も聞こえないのだが、アレクシスとキュクレインには聞こえたらしい。

 訝しげに耳を澄ませている表情が、どこか真剣なものに見えて口を噤む。その双眸が徐々に剣呑な色合いを帯びていくのを目にしたから。

 纏っていた緩い雰囲気が一変した様を見て、脳内に赤いランプが点灯する。

 嫌な予感がした。唐突に脊髄に氷柱を差し込まれたかのような寒気を感じ、ぞくりと身震いしてしまう。


 なんだ、と無意識的に呟く。何かが来る、と。


 まさにその時だった。


 けたたましい警報が、都市中に反響する。

 ゔぃぃ、ゔぃぃ――と。さながら、大津波を報せる不吉な音色が。

 不安を掻き立て、危機的状況を強制的に知らしめる破滅的な地獄の調べが。

 轟く。


 瞬間、どこかで夥しい轟音が鳴り響き、地震のような地響きがした。


 途轍もない破滅の気配を伴って。長い、途方もなく長い夜が幕を上げる。運命の砂時計が、その砂を落とし始めたのをコールマンは確かに感じた。






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