最初の師は説く、宴の前兆を
無能に甘んじてはならない。凡庸であることは許されていないのだから。
僕は有用な人材になれると見込まれた。伯爵に、マーリエルに、この異世界に。例え憎たらしくても、生き残りたければその期待に応えるしかない。
今の待遇は砂上の楼閣、失えば死。命を亡くしたくなければ、証を立て続けるしかないのである。僕には才能があると、見込まれ続けるしかないのだ。
汝が有益であることを証明せよ――世界は僕に、【価値】を求めている。
† † † † † † † †
肩口に掛かる程度の長さに整えられた金髪に、湖のように澄んだ紺碧の瞳を持つ少女は、カプセルから出るなり微塵の油断もなく歩を進めた。
短剣型の演算補助宝珠【ベレスフォード】が一瞬光る。するとマーリエルの両手に白い煉瓦じみた銃身を持つ、大口径の拳銃が二挺現れた。
黒のタンクトップにジーンズという格好には合わない。だがそれよりも、体格と比して不釣り合いである。
その火力と反動は、とてもではないが華奢な少女には耐えられまい。発砲と同時に手首は砕け、肘まで壊し、肩をも挫く。凶悪な拳銃だ。いや
当然相応の重量もあるだろうに、それを手にしたマーリエルに負担はなかった。さもあらん、使い手の少女の膂力は人間のそれではない。彼女はぽつりと機械的に呟きを溢すのみである。
「
彼女の体を、黄色の魔力が包み込む。一瞬の発光、目が眩む瞬きの間に、少女はその姿を一変させていた。
纏うのは黄色の――否、ほぼ違いは分からないが、精確に言えば
「何をしているの? 兜ぐらい被りなさい。呆けていたら死ぬわよ」
「あ、ああ……」
言われるままバーゴネット兜を被り、バイザーを下ろす。そうして腰のベルトに吊るした剣の柄に手を置いた。武骨な長剣である。
彼女が一瞬にして変身したのに、コールマンは思った。
(魔法少女みたく裸になる描写がなかった。やり直し)
そんな戯けた事を考えてしまう余裕は、実際にはない。しかし日本のサブカルチャーに汚染された少年には、余りに淡白な変身シーンにはロマンを感じられず不満だったのである。何やってんの異世界、もうちょっと頑張れよと思ってしまうのだ。マーリエルもポーズ取ってよ、などと。
戯言を胸中に仕舞い込むのとは反対に、すらりと剣を鞘から抜く。
「さあ、行くわよ」
「分かった。しかし私は何かと戦った事がないし、訓練を満足に積めてもいない。まさかそんな私に一から十までこなせとは言わないよな?」
「もちろん。今回貴方を連れてきたのは講義のため。ついでに実際の戦いを肌で感じてもらうためよ。だからほとんど見ているだけでいいわ」
「ほとんど、ね……」
何かさせるつもりなのか? 勘弁してくれと思う。怖いのも痛いのも嫌なものだ。映画やアニメでならいざ知らず、現実では見るのすら嫌なのに、何をさせようというのだろう。
乗り気でないコールマンに構わず、さっさとマーリエルは進んでいった。まさか一人きりでこの場に居座るわけにもいかず、コールマンも彼女についていく。すると背後で地響きがした。ぎょっとして背後を振り向くと、カプセルが音を立てて地上へ昇っていくではないか。
こちらの心情を察して、マーリエルは振り向きもせずに言う。
「心配しなくても、探索終了時にここへ戻ってきたら降りてくるわ。それよりアビーにはどこまで聞いてるの?」
「……ダンジョンでの魔石発掘作業についてかい?」
「ええ」
訊ねられ、記憶を探る。収容された翌日、コールマンはアビーから闘技場の登録者、ダンジョンの探索者としてのシステムを説明されていた。
曰く、
「――魔力資源としての魔石は三種類発掘できる。高温を発する赤色石、水を生む水色石、高純度の魔力を精製する原料の無色石。生物型のダンジョンである此処には、ダンジョンの細胞である魔物が自動的に際限なく湧いて出て、それは侵入者を排除しようと襲いかかってくる。核となるのが魔石。モンスターを倒してその魔石を回収すればいい。赤色石、水色石、無色石は均等に一個で百万円相当の価値があり、大きさや純度によって価値が上がる。現在確認されているのは、最大で人間サイズ。それが一個一億円相当。最深部まで進みダンジョンの核を発見しても、それを破壊することは許可されない。破壊すれば死罪――だったはずだ」
「そうよ。尤も通常の手段ではこのダンジョンの核は破壊できないのだけど。補足するとしたら、ここに湧いてくるモンスターは基本的に、外部で確認されるモンスターよりも凶悪であることね」
赤黒く脈動する地面が、自分やマーリエルの足を取ろうと蠢いている。血管らしきものが薄く見えていた。
気味が悪い。血管の中を液体が流れている。血だ。このダンジョンは本当に生きているのだと感じた。マーリエルは薄暗い中をなんでもないように進んでいるが、コールマンは視界が悪いために転んでしまわないか不安だった。何せ地面は平らではないし、一定の形を保っていないのである。
常に波打っているのだ。あるいは道を遮ろうと地面が盛り上がり、壁になろうとすらしている。進行を妨げんとしているように。それにマーリエルは発砲し、マズルフラッシュの激しい光と轟音が肉の壁を粉砕した。肉壁は鮮血を噴き出し、肉片が飛び散る。うわ、と顔を顰めてしまった。
「……モンスターが凶悪?」
「ええ。私達は謂わば、巨大なモンスターの体内に侵入しているウィルスのようなもの。免疫機能が作用して、モンスターのカタチをした細胞が送り込まれてくるのよ。私達人間は長年に亘って同じことを繰り返していたから、その免疫機能が如何にして侵入者を排除するか最適化と進化を繰り返している。対戦士、対魔導師、対魔導騎士に特化した個体が多いわ。外のモンスターに比べて危険度は極めて高い。この数百年間、人間の資源回収場として利用され続けてきた弊害ね」
「……いずれ手に負えなくなるんじゃないかい?」
「かもしれないわね。でも今現在は相応の対策があるわ。一度にダンジョンに潜る人員は三名までという取り決めが対策の一つね。あんまり大所帯で潜ればそれに応じてダンジョンも大量の細胞と、強力な能力を持った細胞を送り込んでくるもの。そしていざという時が来れば、このダンジョンの活動を停止させる仕組みもある。今この
「………」
「来たわ」
マーリエルが警戒を促してくる。二挺の大型拳銃が真ん中から横に割れ、淡い魔力をガスのように噴出した。
マーリエルが囁き掛ける。「ベレスフォード、魔術複合弾装填。複合術式は【
短剣型の演算補助宝珠、その柄頭に取り付けられている黄色の宝玉が微かに点滅した。二挺の銃の真上に小型の魔法陣が現れ、それが横に割れていた銃身に取り込まれ、そして銃身が閉ざされる。
コールマンも身体強化魔法を使用し、全身を赤い魔力が包み込むと、前方の曲がり角から小柄なモンスターが飛び出してきた。
華奢なマーリエルよりも更に小さい。まるで子供だ。しかしその姿を識別すると、その印象はがらりと変わる。
醜悪な怪物だった。肌は緑、腕や足は二本ずつだが、枯れ木のように細い。指は三本。裸だ。頭だけは成人した人間並みに大きい。手には何も持っていない。
「ゴブリンね」
ゴブリン。典型的な雑魚モンスター。それが三体だ。マーリエルが三回発砲するや、その頭部が粉々に砕け散った。
頭を失ったモンスターの体が地面に倒れる。すると肉体が溶け、無色石が剥き出しとなった。回収するべきかとコールマンは思うも、マーリエルが少年の前に腕を伸ばして制してきた。
「無闇に前へ出ないで。あれは偵察よ」
「偵察?」
「あんな無能な魔物は捨て石でしかないの。後続に本命がいるわ」
魔石は地面に取り込まれていった。素早く回収しなければ手に入れられないらしい。
それにしても、偵察、無能、捨て石ときたか。あの矮躯には、かなりの力強さと生命力があるように見えたが。それにマーリエルの放った弾丸は、コールマンに視認すら許さなかった。既に強化魔法は使っているのに……。
あれは通常弾ではないということだろう。銃が貧弱な武器だという認識は改めないといけない、どんな武器も使い手次第なのかもしれなかった。
しかし、考えてみればおかしな話だ。銃器というのは誰が使っても性能の増減などない。にも拘わらず、魔術が介在することでその原理が覆っている。威力、弾速、共に大幅な上昇が認められた。
マーリエルは後続がいると言った。しかし数秒待っても、やってくる気配はない。少女は煩わしげに嘆息し、少年を一瞥すると歩き始める。ついて来いということだろう。
ゴブリンが出てきた曲がり角を進む。すると、おもむろにマーリエルは唱えた。スクトゥム、と。
「【
半透明の黄色の魔力盾がマーリエルの前方に現れる。ほぼ同時にそこへ無数の石礫が飛来した。通常の銃弾に比する礫の弾幕だ。
魔力盾へ石礫が激突し、凄まじい衝撃が鳴り響く。大砲が砲弾を打ち出したかのような爆音に、コールマンの着ている鎧が鳴動した。呆気に取られるコールマンを尻目にトウテーラと続け様に唱える。
「【
魔力盾が自動的に動き始める。飛来する石礫を悉く、自ら迎撃して地面に叩き落とし始めたのだ。
待ち伏せを予期していたマーリエルは怯む素振りもなく両腕を上げ構える。轟音。二挺拳銃が火を噴いた――しかし着弾音が聞こえない。外したのか? マーリエルは露骨に舌打ちする。
「出鼻でいきなり……。ツイてるわね、アルトリウス」
「……?」
「希少種よ」
言い捨て、黄銅の魔導騎士は銃で連射し弾幕を張る。そうしながら講義をはじめた。
「見える? 先頭の二体、あれはゴブリンメイジ。魔法を使うゴブリンよ。特徴は土属性の魔法を得意とすること。上位個体に魔術を使うゴブリンセージがいるわ」
歪曲した樹木のような杖を持つ二体のゴブリンがいる。肌は黄色。殺意に染まった眼光がマーリエルを睨んでいるが、その頭がマーリエルの弾丸に食らいつかれて消し飛んだ。奥にいた四体の緑のゴブリンの頭も同様に。
更に奥、そこには一体の大柄なゴブリンがいる。マーリエルとほぼ同等の体躯をしていた。肌は黒い。白い髪と豊かな白髭を蓄え、隆々と盛り上がった筋肉が特徴的だ。黒目のない真っ白な眼球が充血している。燃え盛る敵愾心が、コールマンの心臓を鷲掴みにした。
「あれはゴブリンブレイブ。魔力に由来する属性を全て無効化するわ。もちろんどんな能力にも強度があるから、それを上回る魔力を叩きつければ突破できるけど、今の貴方には無理な話ね」
マーリエルの銃弾の嵐が全て黒いゴブリンに着弾するや消えていた。一切の痛痒を覚えた様子もなく、殺意を漲らせ咆哮する。
反響した大音声に鼓膜が破れそうな衝撃を受け、コールマンは顔を顰めて両手で耳を塞いでしまう。
両手に握り締めた大剣を手に、大柄なコブリンが走り出した。マーリエルは二挺の銃を虚空に現した魔法陣に放り込み、あくまで淡々とした調子で短剣を抜きながら講義を続けた。
「ゴブリンブレイブの能力は魔道無効化能力……と呼称されてるわ。私ならそれも力押しで無効化を無効化できるけど、今回はそれはなし。別のアプローチの仕方を教えてあげる。あくまで魔道のやり方で攻略するのを見ておいて」
黒いゴブリンがコールマンを遥かに上回る速力でマーリエルに接近する。大上段に振りかぶった大剣が、地面を蹴り抜いた力を利して振り下ろされた。
目にも留まらぬ超速の剣撃。唸りをあげて迫る分厚い刃にコールマンは声を上げそうになった。危ない、と。しかしマーリエルは冷静にそれを短剣で受け止める。黒いゴブリンの突進、明らかに化け物じみている膂力、得物の重さと大剣の推力。全てを巧みに乗せた剣撃は、しかしマーリエルの短剣に簡単に受け止められていて。小柄な少女の足が地面に沈んだのに、なんら堪えた様子もなく無造作に受け流した。
微かに体が泳いだ黒いゴブリンの下顎に、少女の小さな拳が叩きつけられる。ゴッ、と鈍い音がした。顎が砕け、たたらを踏んだ黒いゴブリンの腹部に激烈な蹴撃が吸い込まれ、その筋肉質な体が吹き飛んだ。
地面を転がり遥か前方に倒れ伏した黒いゴブリンは、それだけで虫の息だった。コールマンは呆然とする。
(つ、強い……マーリエルは、こんなにも強かったのか……)
「アルトリウス、あれに魔法を打ち込んで」
「え?」
「ほら、早く」
「……分かった。――
どういうつもりなのかを判断できる状況ではない。完全に場の空気に呑まれていた。
生き物に向けて、殺傷能力のある力を向けるのに抵抗はある。しかしコールマンは思い悩まなかった。元々こうしたことに手を染める時が来ると理解していたからだ。覚悟は、その理解の前には必要がない。
戸惑いながらもコールマンの手から紅蓮の炎が放たれる。それは烈火の如き大火炎。火炎放射器のそれを上回る火力。しかしそれは、黒いゴブリンに触れた先から消えていた。
「あれの能力がまだ生きているのは分かってくれた?」
「……ああ」
「そ。なら私のやることがちゃんと有効なものだって理解できるわね。見てて、ああした手合いにはこうするの」
マーリエルが片手を上げる。すると一陣の風が吹いた。
巻き上げるのはゴブリンメイジが撃ち放ってきた礫だ。地面に散乱していたそれが、マーリエルの目の高さまで浮遊する。微かに黄色の魔力が風となっているのが視認できた。その風が礫を浮かせているのである。
少女が開いた掌を握り込む所作を見せる。そうすると、礫が風に圧縮されて粉々に砕け、砂となる。更に反対の手で指揮し、ゴブリンメイジの杖と、黒いゴブリンの大剣を風で絡めとると自身の許に飛ばしてくる。そうしてそれを、礫同様に圧砕した。
粉々となった鉄と木、そして石。それらをサッカーボールほどのサイズに圧縮すると、マーリエルは指を弾く仕草で風を操り黒いゴブリンへ放った。着弾するや、黒いゴブリンの頭部が抉り取られて絶命する。
「分かった?」
「……魔道は効かない、だけど魔道で物理の弾を作って、それを飛ばせば判定は物理攻撃になる?」
「そうよ。ちなみに知ってるかもしれないけれど、生き物の発している【魔力波長】は自身の領域でもあるわ。魔力波長の及ぶ範囲ならどこからでも魔術、魔法を使用可能よ」
それはつまり、コールマンに分かりやすく言うなら、どこからでも
マーリエルは満足げに頷いて言いつつ、再び人為的な風を操り、黒いゴブリンの遺体から南瓜サイズの赤い魔石を抜き取った。それを掴み取り、コールマンに投げ渡してくる。
「それ持ってて。魔力を通してはダメよ。熱が発されて、貴方の手を焼いちゃうから」
「っ!」
「――いい? 何事も臨機応変が大事なのよ。魔道無効化能力持ちには今みたいに。士道無効化能力……物理を無効化する手合いには魔道で。両方持っているタイプには……例えば周囲の酸素を奪い窒息死させ、不死の手合いは粉微塵にして封印する。そんな感じで対処するの」
簡単に言うが、コールマンにそれができるのか甚だ疑問である。マーリエルは肩を竦めた。
「戻りましょ」
「……もう、戻るのかい?」
来たばかりだろう。それに自分は何もしていない。不満と言うより、肩透かしを食らわされた気分だった。
しかしマーリエルには不満げに見えたのか、気持ち宥めるような表情で告げてくる。コールマンとしては、あまり嬉しくはない情報を乗せて。
「ええ。ここ、全十層なんだけど、その一層目でいきなりあのレベルの個体が出てくるなんておかしいわ。たぶん十年に一度あるかないかの【モンスター・バース】の前兆かもしれない。報告に行かないと」
もしかしたら、貴方にとっては稼ぎ時かもね――なんて宣う。稼ぐ前に死にそうなので勘弁願いたい。
マーリエルの実力をまざまざと見せつけられただけの一幕だった。
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