善意は拒めず、未来もまた拒めない





 The road to Hell is paved with good intentions. (地獄への道は善意で舗装されている)

 理性で、知性で。きたるべき時へ備え、僕が強くなるのは生き残る上で必要不可欠だと思っていた。いつか元の世界に帰れるとして、それまで死ぬわけにはいかないから、僕は貪欲に強くなるべきだと考えたのだ。

 マーリエルが僕を鍛えてくれるという。まさに渡りに船、断る理由も見つからず好意に甘えることにした。

 しかし――それはつまるところ、僕は僕より弱い人を切り捨てていたのだ。僕がこの世界に迷い込んだのが偶然ではない可能性も考えず、根拠もなく元の世界に帰れると心のどこかで楽観していたから……どこかでこの世界の出来事を、余所事だと思っていたのかもしれない。

 どうして僕は、人を助ける術を学ぼうとしなかったのか。どうして命を掬い上げる方法を学ばなかったのか――永年の悔いは、そこから始まる。







  †  †  †  †  †  †  †  †







 外に出られる。それを聞いて、前向きになれるかはさておくとしてだ。コールマンはその話に飛び付いた。

 闘技場の登録者収容施設の一室に押し込まれ二日である。たった二日、されど二日、幾らインドア趣味を持つとはいえ十四歳の健全健康な青少年だ。コールマンは訓練漬けの時を過ごす内に、自覚できるほどの鬱憤を感じていたのだから、この部屋から出られるなら大抵の話には大喜びで乗っていただろう。


「防具はそれでいいとして、まずは武器を決めましょう」

「ああ」


 マーリエルがコールマンを連れ出す先は"迷宮ダンジョン"である。武装を整えるのは当然であった。

 アビーが出した武装一覧のモニターに改めて眼を通す。しかし自分に合ったものが分からない。まさか格好いいから、なんて軽薄な理由で武器を選ぶ気にはなれなかった。命を託す武器は慎重に決めたいところである。

 そこでコールマンはマーリエルの助言を求めた。彼女は士道第六位階だという。初歩を修めた戦士の位階だ。しかし、素人ではない。この世界の常識はコールマンの想像を易々と超えてくる、たかが初歩を修めた程度、などと侮るのは極めて危険だろう。


「マーリエル、私にはどんな武器が合うか分かるかい? できれば目利きをしてほしいのだけど」

「私に訊くの? いいけど……そうね」


 マーリエルは眼を瞬き、面倒臭がるでもなく頤に指を当てて思案した。


「先に断っておくけど私は銃をメイン・ウエポンにする魔導騎士よ。サブ・ウエポンこそ短剣だけど、専門ではないわ」

「銃を? アビーは貧弱な武器だって言っていたけど」

「そうね。弾丸を見てから躱すことなんて、士道を修めれば誰でもできるもの。当たらなければなんら脅威とはならないのだから、銃は不遇な武器よね」


 つまりマーリエルも弾を見てから躱すなど容易いわけだ。思わず苦笑いしてしまいそうである。


「遠距離からの狙撃だって、当たったとしても即死はしないわ。士道を修めると人間は肉体の強度が向上するから、通常の拳銃弾が至近距離で直撃すれば……当たり所次第で昏倒するぐらいかしら。距離が離れていれば青痣ができる程度よ。狙撃なら血が出るぐらい。ヘッドショットされても死にはしないわ」

「人間辞めてるんじゃないかな……?」


 そもそも士道を修めたら肉体強度が増すとか意味がわからない。士道も魔道と同じで、なんらかの超自然的な恩恵があるのだろうか。


「失礼ね。魔族なら通常弾如き、掠り傷一つ付かないわよ。古代の科学文明の兵器、弾道ミサイルでちょっと熱いかな? ってぐらいじゃないかしら。核兵器なら大怪我はすると思うわ。それと比べたら人間なんて可愛いものじゃない」


 全然可愛くないと思うコールマンがおかしいのか。

 例えがおかしい。ミサイルや核兵器? どちらでも跡形も残らないだろう、普通は。

 それより、古代の科学文明とは……この世界の歴史は、本当になんなのだろう。最初から魔法的な文明ではないのか?


「……そのどちらも効かないのなら、剣や魔術だって微塵も効かないと思うのだけどね」

「科学文明を知ってるの? 学があるのかないのか……」

「……」


 田舎の村で生まれたら学がないものらしい。思わず口を噤んでしまうと、マーリエルは詮索してはこなかったが事務的に通告してきた。


「それも特殊な事情・・・・・? いいけど、研究に差し支えがあるようなら話してもらうから、貴方もそのつもりでいてね」

「……ああ」


 話してもいいものか、判断に困る。殊にこの世界は異質特性とやらを保有している人間へ、非人道的な人体実験をするようなところである。話してしまえばどうなるか分からない以上、適当な嘘でも考えておく必要があるかもしれない。

 いや、嘘は吐かない方がいい。一つの嘘が別の嘘を作ることになる。それにこの世界に疎いコールマンでは矛盾のない話を作れるとは思えなかった。嘘を吐いたと見抜かれた場合マーリエルからの信頼は失墜する。だんまりに徹するか、正直に話すしかないだろう。その二つを避けられるとしたら、そもそも話す必要がないようにするしかない。


「科学文明の兵器は魔族に少しも効かないわ。魔力の通わないあらゆる干渉を防ぐ術が人魔問わずにあるし、現在の魔導文明も過去の兵器に劣らない破壊力なら叩き出せる。……話が逸れたわね。貴方の魔力形質はレッドカラーだから、将来的には士道位階に於いて私を超える可能性は大いにある。私自身、剣術や槍術に造詣が深いわけではないの。私が教えられるとしたら基本的な武器の扱いぐらいね。貴方に変な癖を付けたくもないから」

「……なるほどね。私は自分で武器を選んだ方がいい、というわけか」

「そうね。継続的に指導できるような人がいたら、その人に合わせて武器を選んでもいいかもしれないけど……私みたいに銃を使うタイプは滅多にいないわ。なんならアルトリウスも銃にする? そうするなら、私が色々と教えて上げられるわよ」

「……今はやめておくよ。とりあえず一通り触ってみて、銃が一番合いそうならその時は指導を頼むようにするさね」

「賢明ね」


 銃が必ずしも効果的な武器ではない以上、考えなしに銃を選ぶ気にはなれなかった。

 とりあえず取り回しを考え、平均的な長剣ロングソードを一本。サブとして小剣をアビーに転送してきてもらった。手に取ってみると、重さはまったく感じない。まるで雲でも掴んでいるようだ。


「軽いね……?」

「血迷った登録者が殺傷沙汰を起こさないように、運営側から貸与される武装は基本的に攻撃能力は持たないの。それには武器自体の重量も含まれる。制限セーフティが解除されるのは闘技場内か、ダンジョンの中だけよ。そう説明されなかった?」

「ああ……そういえばそんなことも言っていたね」


 すっかり忘れていた。試しに刃の部分に指を這わせてみるも、丸い金属を触れている感覚しかない。重さもなく、刃もなく、これでは何かに害を与えることはできないだろう。

 しかしこれでは自分に合うか判断するのは難しい。苦い表情をしていると、マーリエルがアビーへ話し掛けた。


「この部屋の端末は、人格名がアビーだったわね。アビー、セーフティを一時解除してあげて」

『私に与えられた権限の範疇を越えております。仮想空間を展開したなら限定解除権限を行使できますが、仮想空間を展開いたしますか?』

「不要よ。運営本部に問い合わせなさい。許可は下りるはずだから」

『了解。運営本部に問い合わせます。……許可されました。セーフティを一時解除します』

「どう?」


 ――どうと言われても……。


 相変わらず問い合わせてからの答えが早いよ、と突っ込みを入れたい心境である。突如として重量感が籠った長剣を手に、コールマンは困惑して苦笑いを浮かべてしまった。

 重さは二㎏ほどだろうか。この重量を生身で振り回すとしたら肉体的な疲労は免れまい。筋肉痛になる。しかし強化魔法を使えば逆に軽すぎるぐらいだろう。感覚的には爪楊枝を振り回しているようなものになると思われた。

 マーリエルが二歩下がる。視線で促され、試しに一振りしてみた。左手に持った長剣を、左から右へ薙ぐ。


「左利きなの?」

「ああ」

「……太刀筋がメチャクチャね」


 それは仕方ないだろう。今まで剣を振る機会なんてなかったのだから。


「脱いで」

「え?」

「脱ぎなさい。私に貴方の体を見せて」

「あ、ああ……」


 鎧を外しタイツを上だけ肌蹴る。まじまじと体を這うマーリエルの視線になんとも居たたまれない気分になった。

 少女は嘆息する。失望したというより、単なる事実を事実として認識しただけのように。


「筋肉量は田畑に向き合う村民の子としては普通ぐらいね。可もなく不可もなく、特別鍛えていたわけではない、と」

「……強化魔法を使ったら、これぐらいの重さの武器なんて簡単に振り回せるさね」

「そこは無知なのね。なんというか、知識のバランスが偏っていてどう指導したらいいか悩ましいわ」


 ふぅ、と露骨に嘆息したマーリエルは、カップを取り紅茶で唇を潤わせた。


「いい? 士道を修めた戦士は武器の重量も操れるように、最低でも第六位階魔術"加重weighting"を修めるものよ。一流の戦士なら第五位階魔術"新生nova"と併用して身体能力を強化し、武器の重量を増大させる。百トン以上の衝撃を持つ斬撃と、強化された戦士の膂力、重ねた研鑽からくる技倆……それらを融合させた戦闘術。それが想像できる? ちゃちな強化魔法しか使えないアルトリウスなんて相手にもならないわ」

「……へえ。とことん化け物じみてるね」

「――"化け物を殺すためなら、我もまた化け物足らん"」

「……?」

「王国と帝国による人類連合軍の標語よ。人間離れするのを恐れていたら、とっくの昔に人類は滅んでるわ」


 化け物を殺すためなら、我もまた化け物足らん……。その標語には、人類勝利のための執念が滲んでいた。

 勝利を。人類に勝利を。希求するのは一心に勝利のみ。それを手にするためならば人としての倫理など踏み越えよう。――そう言っているのだ、この世界の人類は。


「嘗ての大戦士、士道第三位階の戦士ヘーラクレスは、爵位持ちの高位魔族がおこなった隕石落としを正面から切り裂いた……。アルトリウス、貴方もそれができるようにならないといけない――なんて無茶は言わないけど、それを目標にすると言ってのけるぐらいの男気は見せてくれてもいいんじゃないかしら」

「……」


 簡単に言ってくれる。それが容易くできるようなら苦労はしない。そう返すのはなんだか負けた気がするので、コールマンは渋々頷くだけ頷きはした。

 しかし、なんだ。隕石落としって。なに? 魔族ってそんなこともできるの? ほんとう、何が目的なんだろう。人類滅ぼして何がしたいのだろうか。ファンタジー世界に登場する魔族のお約束、世界征服が目的とは思えない。


「体、鍛えた方がいいわよ」

「え?」

「数学的な話として、貴方の肉体性能を二としたら、強化魔法"誕生ortus"の強化倍率は十になるの。今の貴方の性能はたったの二十が最大値。体を鍛えて基礎値が五や十にまでなれば、百以上の性能を手にできる。その差は天と地よ」

「……分かったぁね。ちなみに後学のために聞くけれど、魔術のカテゴリーでの強化倍率は幾つになるんだい?」

「百ね。ああ、魔術からは個人差が激しくなるわ。術者の力量次第ってこと。百というのはあくまで目安でしかない」


 倍率が百。しかもそれが目安……。

 コールマンは気が遠くなるのを感じた。心に固く誓う、魔導師や格上の戦士とは絶対にことを構えまいと。一瞬で挽き肉にされる未来がありありと目に浮かんだ。







  †  †  †  †  †  †  †  †







 部屋から出ようとすると、アビーが警告を発した。


『お待ちください。"コールマン"の外出は禁じられております。規定通り次の特別試合まで室内で過ごしていただく予定となっております』

「煩いわね。アビー、警告する前に運営本部に問い合わせなさい。それぐらい先回りして確認しておくものよ。無能が過ぎるとあなたの人格、デリートして別の人格に書き換えるように要請するから」

『……』


 ぴしゃりと、冷酷にマーリエルは言う。

 するとアビーは、あたかも恐れたように無言となった。気持ち、人魂のような形状の球体が揺らいでいる。

 感情があるのか? コールマンにはその間が怪訝なものに見えたが、アビーはいつにも増して機械的に応じた。


『……問い合わせました。"コールマン"の外出は、監視者がついている場合のみ許可されておりました。行ってらっしゃいませ』

「ええ。アビー、次までは許すわ。けど三度目はないから、覚えておきなさい」

『……』

「行くわよ、アルトリウス」

「……分かった」


 なんとなくアビーが可哀想になったが、コールマンはそちらより己の好奇心を優先させた。所詮アビーもコールマンにとっては自分を縛る管理者に過ぎないのだから。

 廊下に出る。一度見た時も思ったが、高級ホテルのような通路だ。質のいい絨毯を踏み締めてマーリエルへ問う。


「マーリエル。人工精霊の端末というのは、感情を持つものなのかい?」

「そうね。この都市の人工精霊に限らず、基本的にあれらは感情を持ち合わせているわ。AIの知性に感情は要らないのだけど、魔導文明の根幹にある主要エネルギー源は魔力だから……魔力は生命体の持つ根源的なもの。それによって形成され、動力としている以上、知能を持つ道具はなんらかの感情を持ってしまうのが魔導文明の欠陥の一つかしら」

「高度なAIに感情を与えた結果として、反感を買うと反逆される恐れが出るものなんじゃないかい?」

「安い映画みたいな話ね……それはないから安心していいわよ。魔導師の演算能力を上回る人工精霊は存在しないから。尤も魔族の擬態である嫌疑が完全に晴れてるわけじゃない貴方には、詳しいことは話せないけど」


 「私は個人的に、アルトリウスは白だと思うわ。疑ってるわけじゃないけど、守秘義務という奴ね」と、マーリエルは淡々とした調子で言った。

 彼女自身は話しても構わないと思っているようだが、その公私の線引きはきっちりしてあるようだ。――が、何を以て疑っていないと言い切っている。先導するために前を歩く少女の華奢な背中を見ながら、コールマンは慎重に考えを纏めた。


 ――マリア……いや、マーリエルは僕を監視する任務に就いてる軍人だ。無意味に警戒させないために、自分は味方だとでも思わせたいのかな? ……それはないか。話してみた感じ、とても聡明に見える。そのつもりなら言わなくてもいい台詞が幾つかあった。意図してのものじゃないとしたら迂闊でしかないけど……ダメだな、どうもなんのつもりなのかが見えてこない。どうでもいい情報を小出しにして、僕が彼女の真意に気づかないように誘導されてるのかな……?


 有り得そうな話だ。マーリエルもこの都市側の人間なのである。日本の諺に曰く『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』というほどではないが……アルドヘルム・ハルドストーンの部下であるのに変わりはない。幾ら元の世界の友人に似ているからと、安易に心を許すのは危険だと自分を戒めることにした。考えすぎなだけの可能性もあるが……。

 そんなコールマンの警戒を感じているのかいないのか、少女はふと思い出したように歩きながら視線を向けてきた。


「そういえば、貴方は演算補助宝珠は支給されてるかしら」

「演算……補助――ほうじゅ?」


 脳内で日本語を漢字変換するも、最後の『ほうじゅ』がどの漢字をあてるのか分からずに戸惑ってしまう。

 演算補助、それは分かる。ほうじゅ……法、砲、宝……。受、授、呪、咒……。ダメだ、分からない。文脈からニュアンスを読み取って繋げようにも無理だった。


 ――頼むから英語を話してくれ! それが無理ならせめて専門用語を垂れ流すな! もう少し僕に優しくしてくれてもいいんじゃないか!?


 そうは思うも、コールマンの反応に何を誤解したのか、少女は腰に巻いたベルトに吊るしてある短剣を指先で撫でた。


「正式名称は開発班の趣味で、現代語に古代のセンスでルビを振ってあるわ。魔力波共鳴式魔導管制杖インテリジェンス・デバイスって言うのだけど……俗称として演算補助宝珠って呼ばれてる。これよ、私のは短剣型ね」

「……支給された覚えはないね。それは何かな」


 仕方ないので会話の中から探るしかない。いや、いっそのこと素直に教えてもらう方が見苦しくはないのか。

 それにしてもインテリジェンス……これにも知性があるらしい。とてもそうは見えない。


「名前は"ベレスフォード"。この子は寡黙なタイプよ。滅多に喋らないの。私には道具とお喋りする趣味はないから有り難いことだけど」

「……それは私にも支給される物なのかい?」

「ええ。基本的に戦闘を前提とする立場の人間は全員が所持を義務付けられているわ。これがあるのとないのとでは、戦闘の負担がかなり違うから当然の措置よ。具体的に言うと、戦闘機動中に術式の構築は難儀になりがちなんだけど……例えば高速戦闘中に身体強化魔術や防護術式甲冑バリア・アーマーを維持してくれたり、登録した魔術を独自の判断で展開して持ち主を助けてくれたりするわ。私の場合は飛行術式、防護術式甲冑バリア・アーマー、身体強化の維持をほとんど丸投げしているの。指示を出せば弾幕も張ってくれる」

「……凄いね」

「実際とても便利よ。古代の魔法使いでいうところの魔法の杖ね。なくてもいいけど、あったら助かるわ。使い続けると持ち主に最適化されるし、愛着も湧くから肌身離さず持ち歩く軍人は多い。勿論冒険者だってそう。私もその一人ね」


 ――うん、これは話を聞いていても字は分からない奴だ。間違いない。素直に訊いておいた方がよさげだね。


「ちなみにだけど、ほうじゅ、っていうのはどんな字を書くんだい?」

「え?」


 なんだその、馬鹿を見る目は。仕方ないじゃないか分からないんだから。コールマンは胸中にそう溢す。


「……学のない村民なら仕方ないにしても、貴方は"特殊な事情"で字が読めるのよね。でないと教養の基盤はできないもの。話しているとわかるけど、アルトリウスには高い知性があるわ。生来頭の回転は早いんでしょう? 学問に触れて磨かれた高水準の知性がある……なのに分からないのね」

「生憎と『ほうじゅ』という単語にはお目に掛かったことがないのさ……」

「ふぅん……たから、たま、と書くわ。たからで、宝。珠と書いて"じゅ"と読むの」


 マーリエルは指先を虚空に走らせ字を描く。その軌跡を目で追って、それで宝珠と読むのかとやっと理解した。

 続いて"魔力波共鳴式魔導管制杖"と虚空に描き「これでインテリジェンス・デバイスよ」と親切に教えてくれる。

 流石日本語、ルビからはまったく読み取れない漢字だ。意味が分からない。ハイセンスである。色んな意味で。

 

「……うん、そうね」


 収容施設のある一角から出ると、はじめてアルドヘルムが出迎えてきたフロントに出た。するとマーリエルは意を決したように一人頷いた。訝しげな視線を彼女に向けるコールマンである。何が「そうね」なのか、訊ねようとして――

 受付席には二人の男性がいる。身なりのいい、スーツとネクタイで身を固めたエリートらしき男性達だ。アルドヘルムといた面子ではない。

 彼らはマーリエルを見るなり同時に立ち上がると、右手を胸の中心に当てるや綺麗な敬礼を示した。


「マーリエル様――」

「ストップ。さっきの人達とは交代しているみたいね。もう一度言うけれど私は軍属よ。本当は休暇中だけど、伯爵閣下からの要請を受けて任務に就いてる。そのつもりで接して」

「――畏まりました。では騎士オストーラヴァ中尉、そちらの登録者が"コールマン"ですね? これからどちらに向かわれるのでしょうか」

「ダンジョンへ。彼の異質特性を解明する前に、その素質を見るわ」

「拝承致しました。念のため確認します。監視者が"コールマン"の活動を補助し、獲得した魔石は"コールマン"が入手したものとはカウントできないとされております。また如何なる事情があれ、"コールマン"の起こした問題の責任は監視者に帰することとなります。ですのでその点に留意し行動なさってください。ではどうぞ」

「ありがとう」


 言いつつ、スーツの男は手元のパネルを操作していた。

 するとコールマンの足元の床が音を立てて開く。純白の鱗が螺旋状に畳まれ、左右に開いた床から筒状の匣が飛び出してきた。

 思わずたじろぎ、それを注視する。

 似ている物が何かと問われたら、酸素カプセルだろうか? それを縦に立てた形である。真っ白で、そして人間が三人入れる大きさである。そのカプセルがガラス張りの扉を開く。マーリエルは身振りでコールマンに中へ入るように促した。


 恐る恐る、中に入る。するとマーリエルもすぐに入って来た。隣り合う華奢な少女の香りは花のようで、ほんの少し胸が高鳴ってしまう。


「……これで、ダンジョンに行くのかい?」


 気を紛らわせるために問いを投げるのと同時に、カプセルの扉が自動で閉ざされる。マーリエルは受付の男達が敬礼して送り出すのに軽く目礼を返してからコールマンの質問に答える。


「そうよ。ダンジョンは地下にあるから」

「……ちょっと待ってくれないかい? 私にも心の準備というものがだね……」

「四の五の言わないの。貴方にとっては突然なんでしょうけど、これでも段階は踏んでるわ。安心していいわよ? 私がついている以上、私が死なない限りそう簡単にはアルトリウスを死なせはしないから」


 確実に守れるとは言わないけど、と怖いことを言うマーリエルである。

 その物言いからして、マーリエルであっても死の危険があるらしいではないか。それでどうやったら安心できる。

 色々と文句やら泣き言やらを言いたくなるも、グッと堪えた。考え方を変えるのだ。本来ならマーリエルというエリートを供にダンジョンに出向けなかった、今回は通常のそれより難易度が下がっていると考えるのである。

 そう自分になんとか言い聞かせ、コールマンは自分を落ち着かせようと深呼吸をした。そんな少年に、マーリエルは言う。


「提案があるわ」

「? ……なんだい?」

「魔力量二乗化の異質特性を持ち、魔力形質がレッドカラーである貴方は才能がある。将来的には強くなれるでしょう。戦線を同じくしたとしたら、きっと頼れる戦士になれる素質があると思ってる」

「……」

「異質特性持ちというのは、それだけ稀有な存在なのよ。アルトリウスには投資する価値がある。なんなら私が色々と便宜を図ってあげるし、不足しているものも補ってあげる。まずは……そうね、演算補助宝珠を早い段階で支給されるようにしてあげる。それから貴方のそのヘンテコな喋り方も矯正して、勉強や訓練にも協力してあげるわ」

「……至れり尽くせりじゃあないか。私にそこまでする価値があると?」

「ええ。だからというわけではないけど、私の研究には最大限協力的になってちょうだい。無駄に反発されたり、反対されると手間取りかねないもの。私は可能な限り物事を円滑に進めたいの」


 匣が真下にスライドし、床の中に入っていく。そのままじわりと下降していくGを体に感じながら、真っ暗闇に閉ざされた中でマーリエルと言葉を交わした。

 彼女の申し出は何から何まで文句なしにコールマンにとってはプラスだ。断る理由は見つからない。


 しかしながら、どうにも気になって彼女に問いかけた。


「……どうしてそこまで親身にしてくれるんだい? 無理矢理言うことを聞かせることもできるんじゃあないか?」

「できるわ。けど、私は同じ人間同士で事を荒立てたくないのよ。……切った張ったをする相手は、魔族やモンスターだけで充分。貴方もそう思わない? 同じ人間を手にかけるよりはずっと気が楽よ。それに他人に親切にするのは……特に困ってる人に手を差しのべるのは、人として当然のことだと思うから」

「……そう、だね」


 微かに、ほんの微かに苛立つ。お前が言うなとコールマンの中の誰かが叫んでいる気がした。母さんを殺した奴の手下のくせに、なに綺麗事なんか言ってるんだ! ――そう心が叫ぶ自分に戸惑いつつも、彼女に対してコールマンは友好的に接するべきだと判断する。

 どろりとした感情がコールマンを支配しようとするのを、理性で押し留める。そんなコールマンに、マーリエルは淡々と告げた。気づけば、下降している感覚がなくなり、コールマン達を乗せた匣は停止しているようだった。


「――着いたわ。ここが"生きている迷宮"の入り口、内臓部第一層よ」


 扉が開く。

 コールマンの目に飛び込んできたのは、赤黒く脈動する地面と床、天井のある空間だった。


 それはあたかも――少女の言ったように、生きている・・・・・かのようで。


 少年は、息を呑んだ。






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