邂逅は再会にも似て、監視者は饒舌に語る






 僕はヴァイオリン。彼女はピアノ。

 奏でる旋律は友達の誕生パーティーで。小さなミュージックコンサートが、僕達に縁を結んだ。

 マリアは楽しそうに鍵盤を弾いていて。彼女と一緒にヴァイオリンを弾いていた時だけ、音楽が楽しいと思えた。






  †  †  †  †  †  †  †  †







 予期せぬ出会いだった。


 マーリエル・ベレスフォード――コールマンと彼女は特別親しかったわけではない。けれど、マーリエルにとってはどうなのかは定かでないにしろ、コールマンにとっては忘れられない友人だった。

 何せ幼年期の少年少女ときたら、異性間で話しているだけで面白がり囃し立ててくるのだ。にも関わらずマーリエルはごく普通にコールマンと接してくれて、普段から肩肘張らずに折を見て話し掛けてくれた。コールマンはその年頃の男子児童らしく気恥ずかしさを感じてはいたが、幼いながらできるだけ紳士的に応対できていたとは思う。


 何度も話をするようになった切っ掛けは、双子の兄妹の兄と妹と、それぞれが友人付き合いをしていたことだ。

 コールマンが双子の兄の方と、マーリエルがその妹と。そしてその兄妹の誕生日会にそれぞれ招待されて、その家にピアノがあったからマーリエルが演奏することになったのだ。

 すると双子の兄の方、ダニエルはヴァイオリンをコールマンが弾けるのを知っていたから、お前もやってみてくれないかと頼んできて。せっかくの誕生パーティーなのだから、それもいいかと話に乗ったら――どういうわけかマーリエルと共演することになったわけである。


 以来、マーリエルとコールマンはそれなりの頻度で話す間柄となった。同い年の友人達の中で、コールマン以外に音楽を学んでいる人がいなかったからだろう。マーリエルはどこかコールマンを他の友人とは違う接し方で話してくれていたように思える。

 また一緒に演奏できたらいいわねと、はにかんだマーリエルの笑顔をコールマンは覚えている。マリア、アーサーと呼び合う間柄になるのに時間は掛からなかった。

 コールマンとマーリエルはセカンダリースクールが別々になって以降、Whatsappというスマートフォン向けアプリで連絡を取り合うぐらいの関係に落ち着いた。いわゆるメル友という奴だろう。近しくはないが全くの他人というわけでもない、微妙な距離感だ。


 ――そのマーリエルが目の前にいた。


 三年前にプライマリースクールを卒業して以来、会っていないマーリエルが。三年前の幼い少女が、少女と大人の女の中間にまで成長している姿で、目の前にいる。

 きっとこうなるだろうとイメージしていたよりも、ずっと可憐に成長していた。さながら孵化する前の蛹で。その容貌は未成熟ゆえの魅力がある。それが不覚にもコールマンを動転させた。何よりもオストーラヴァと苗字を名乗り、コールマンに対して他人に接するような態度だったのが衝撃的だったのだ。


「……何?」

「あ……いや……」


 じっと顔を見詰められ、訝んだマーリエルへコールマンはなんとか応じる。

 ユーサーやアデライン、エイデンとディビットという例もある。なら他にも知っている人間がいても不思議ではない。そう自分に言い聞かせなんとか調子を取り繕うと、コールマンは自身がバーゴネット兜を被ったままであることに気づいた。


 両手でそれを外し、小脇に抱える。流石に兜で顔を隠したまま応対するのは失礼だ。それにこの世界では初対面でもあるらしいのだから。


「自己紹介、だったね。ああ、構わないとも。私はアルトリウス――」


 コールマンと、名前に続けて苗字を名乗ろうとして。そういえばこの世界の自分は、苗字を持っていなかったのだと思い出して一旦口を噤む。


「――ただの、アルトリウスだぁね。ここでの登録名義は"コールマン"となっているけれど」

「……なにその変な喋り方。気取ってるの?」

「……気取ってはいないよ」


 マーリエルに口調のおかしさを指摘され、コールマンは流石に無視できなくなった。

 年上の日本人の友人に教わった日本語は、基本的に読み書きは問題ない。しかし喋り方もまた彼に仕込まれたものだ。今までは何もおかしくないと思っていたが、父や兵士に続きマーリエルにまで指摘されれば怪訝にも思う。


 ――まさかコウジロウ……僕に変な言葉遣いを教えていたりする? ……有り得ないと言い切れないのがコウジロウの性格だけど……。好きなキャラクターの話し方を仕込むとか平気でやりそうだ。


 今度会えたらキツく文句を言わなければならないだろう。会えたら、だが。

 咳払いをして気を持ち直し、マーリエルを部屋の中に誘うことにする。どうにも立ち話をする雰囲気ではない。


「中に入りなよ。話があるのだろう?」

「ええ。お邪魔させてもらうわ」


 綺麗なクイーン・イングリッシュを口にしていた唇が流暢な日本語を紡いでいる。操る言語が異なるだけで、その声の響きも違って聞こえた。なんというか……エキゾチックだ。

 そういえば、と思い出す。マーリエル・オストーラヴァはこの都市でトップの魔力量を持ち、親善試合で王国軍側として出ていた。仮想空間を最初に展開した時に聞いた覚えがある。あの五月蝿い審判役の台詞でその名前が挙がっていた。


 ――マリアは軍人なのか……。


 それは少年兵という奴ではないのか。まだ十四歳だろう。そんなものが罷り通るほど、この世界の人間は切羽詰まっているのだろうか? 幾ら才能があるからと、未成年の兵士が認められるほどに。

 育った世界が違う。環境が違う。コールマンの知っているものと比べて、彼女の瞳が冬の湖のように冷めきっているのは……やはり別人だからとしか思えない。自分の中で、彼女と元の世界のマーリエルが重なろうとしていたのが、急激に乖離していく。

 乖離していいのだろう。彼女はコールマンの知っているマーリエルなのかもしれない、だが致命的に別人なのだ。あのピアノ好きな女の子ではない。


 コールマンの部屋に入り、マーリエルはデスクの前で立ち止まった。


「座ってもいいかしら」

「どうぞ」


 椅子を引いて座る動作は鋭かった。きびきびとしていて、硬質な気質が透けて見える。

 コールマンはベッドに腰掛けた。椅子は一つしかない。部屋の主人というわけではないが、一応は住人として客をもてなすべきと考え、アビーに言う。


「アビー、彼女に紅茶を」

『了解』


 受け皿ソーサーの上にカップが置かれた状態で、デスクの上に湯気の立つ紅茶が転送されてきた。

 食事の度に思うわけだが、毎度出来立てのように飲食物が転送されてくるのはどういう理屈なのか。説明は受けたが理解はできなかった。


「ありがとう。気が利くのね」

「当然のことさ」


 マーリエルはカップの取っ手を細い指で取り、軽く匂いを楽しむ仕草を覗かせつつ唇を潤わせる。猛禽類のように鋭角な所作の中に優雅な気品もあるのに、彼女の育ちのよさと教養の高さが滲んでいた。

 軍人、少年兵。そうした背景がありながら、マーリエルに粗雑で粗略、品性の欠落は見られない。どういう環境で育てばこうなるのか、興味深くはある。オストーラヴァと苗字を名乗ったということは、やはり貴族か何かなのだろう。しかし貴族の子女だとすれば、少女の身空で軍隊に入るのはどうしてだろうか。


「ごめんなさい、アポイントメントも取らずにいきなり押し掛けて」

「……?」

「訓練中だったのでしょう? 見たところ防具を選んだばかりみたいね。魔法を幾つか身に付けて、一ヶ月後の特別試合に向けて武器を選ぼうとしていたのかしら」

「ああ……」


 言われて自身の格好を見下ろす。確かにその通りだ。しかしコールマンの試合日程を知っているらしいのは気にかかった。

 それにコールマンの近況を把握しているふうにも聞こえる物言いだ。どうして魔法を幾つか身に付けたと知っているのだろう。マーリエルは都市側からコールマンのことを聞かされているのか?


「構わないさね。ここへ収容されてまだ二日だけど、そろそろ気を紛らわせる何かが欲しかったところだから」

「そう。……やっぱり変な喋り方。ふざけてるみたいでもないし、素でそれなのね」

「……まあ、そうだね」


 まじまじと珍種の動物でも見るような目を向けられ、コールマンも少々座りが悪かった。曖昧に相槌を打つ。


「私の名前を知ってるということは、私が貴族階級の人間だというのも知っているはずよね。それで敬語を使おうともしないのは何故?」

「……気に障ったかな?」

「別に。敬語というのは敬意を払うに値する人物に使うべきだと私は思ってる。立場上そういうわけにもいかないけど、プライベートでなら気にする必要はないわ。貴方も私に敬語なんて使いたくないでしょう。……ただ気を付けた方が賢明ね。公の場で目上の立場、身分が上の人にその話し方をすると顰蹙を買うわよ。例え本人が許していても周囲が咎める。印象が悪くなるのは避けられないわ。敬語が苦手でもきっちりした方がいいわよ」


 その通りである。全面的に同意だ。問題はその敬語が単純に苦手なことにある。

 日本語にある丁寧語、敬語は似ているようでニュアンスが異なるらしいではないか。その違いがいまいちよく分からないでいるのだ。


「自分の意見ははっきり言ってもいい。ただし礼儀正しく控え目で、話し方はソフトでないといけない。例え無礼講だと言われても社会的地位の高い人、年上の相手に対して忘れてはならない作法があるわ。どのような場でも"平等ではあっても対等ではない"のよ。それを心得た立ち居振舞いには、言葉遣いも含まれる。教養とはそういうものなの。分かるかしら」

「分かるさね。ただ私は……自分で言うのもおかしな話だけど、少々特殊な事情があってね。こうした話し方しかできないのが悩みどころだぁね」

特殊な事情・・・・・?」


 反駁はあくまで平坦だ。しかし心なし好奇心が鎌首をもたげたのか、カップをソーサーの上に戻したマーリエルが探るような視線を向けてきた。


「……確認だけど、私の肩書きは知ってるわよね」

「軍人で、ここで最も優秀な魔導師なのだろう? きみが闘技場の登録者なのかは知らないけれど」

「ダンジョンの探索者としてなら、一応名義だけ登録してあるわ。あくまで名前だけね」


 ふとマーリエルの着ているタンクトップから、スポーツブラらしきものが垣間見えて、コールマンはそれとなく視線を逸らす。

 ……些か無防備に過ぎる。仮にも異性の部屋に来ているというのに、それではあらぬ誤解をする者もいるかもしれないだろう。諌めるべきかとも思ったが、口にしないでいる方が今はいい気がした。

 黒いタンクトップが白磁の肌の白さを強調している。小柄な体格には不釣り合いな胸元の膨らみが、黒地のそれを盛り上げていて――どうにも、正視しがたい。


「本題に入る前の前置きになるかは分からないけど、これは自慢よ。けど嫌味ではないから誤解しないで」

「ああ……」

「私は魔道第四位階、士道第六位階の魔導騎士。対人、対魔族の実戦経験もあるわ。加えて二年前に王国軍魔導騎士中尉に昇進してる。数えで十四歳で中尉よ。人材の層は薄くない中でこれなのだから、私はどう控えめに言ってもトップ・エリートね」


「……それが?」本当に自慢されるとは思わず、微かに鼻白みながらも先を促す。

 マーリエルはあくまで淡々としていた。事実だけを箇条書きにして、それを羅列しているだけのように。


「比喩も歪曲的な言い方も避けて、直截に言わせてもらうけど……アルトリウス、貴方は弱いわ。私と戦闘に移ったら数秒保たないと断言できる。それこそ私のような人材が構う価値が、今の貴方には寸毫足りとも存在しないほど力の差は歴然としているわ」

「……」


 ムッとする。

 コールマンが彼女より弱い、能力を比較すると確かにその通りなのだろう。しかし仮にも男子が女の子から自分よりも弱いと言われ、反発してしまわないわけではない。

 コールマンに対人戦闘の経験がないのもそれに拍車をかけているのかもしれなかった。そう簡単に遅れは取らないと、無意識の内に根拠が薄弱な自信を持ちつつあったのだ。

 反論するのは至って簡単だ。しかしつまらない感情を振り回して険悪な空気を作るべきではない、そう判断できる程度にはコールマンは冷静だった。克己心と自制心の強さは、英国紳士の卵として強い方だと自負している。

 それに、ここで反論すると自身の格が落ちる。素直に認めておいた方が、英国男子としてのプライドに傷はつかない。そういうところが、英国の人間はプライドが高いと言われる由縁でもあるのだ。


「……まあ、そうかもしれないね」


 感情的に、挑発を交えて「やってみないと分からないだろう」とでも言うと思っていたのか、マーリエルは少年の相槌に意外そうな顔をした。

 少しあてが外れたようで、少女は嘆息する。もしかすると腕試しをする流れに持っていきたかったのかもしれない。


「ドライなのね。とても閑散とした村の子に見えないわ」

「情けないところを見せたくはないだけさね。私にも意地がある、単なる見栄さ」

「ふぅん。……そういうところが異質なのだけど」


 そう言われても、返す言葉はない。マーリエルは自身のこめかみに人差し指をあて、そこから黄色の魔力を引き出す。

 それは一枚のモニターとなっていた。黄色いモニターにはデータが記されてある。――そこにはコールマンに纏わる記録が余さず記入されていた。

 あれは何だろうと小声でアビーに訊ねる。アルドヘルムが似たようなものを使ったのを見た覚えがあった。すると人工精霊が答えるのに合わせてマーリエルも教えてくれた。


『回答いたします。第六位階魔術、プラエテリトゥムとなります』

過去praeteritumは術者が以前に見聞きしたデータをコピーして、映像として抽出できるものよ。本人が忘れているものであっても可能ね。似た魔術に目にしたモノを記録として脳に取り込み、知識として蓄えるモノがあって、例えば本を読んで大量の知識を一発で記憶したい場合に使うと効率的とされているわ。尤も術者側にその情報量を処理できるだけの能力がなければパンクして……まあ、死ぬわね。物理的に頭が破裂して。――ああ、この魔術を悪用すれば洗脳も可能よ? 倫理的にアウトだし、法でも禁止されているけれど、可能ということが立証はされてる。なら悪用する人間は必ずいるわ」


 平坦な声音でそう言う。しかし言葉数は多かった。マーリエル・ベレスフォードは一度喋り出すと長く、蘊蓄語りが好きなきらいがあったのを思い出す。

 このマーリエルもそうなのだとしたら少し可笑しく思えるが……怖い話だった。ゾッとする。テスト勉強が楽になる、ずるい、などとバカなことを考えてしまったが、そんな間抜けなことを考えられる次元ではなかった。


「……洗脳への対抗手段は、ないのかな」

「あるに決まってるじゃない。魔導師は自身の力量より下の者から受けた精神干渉、毒、麻痺、その他のあらゆるデバフを無効化できるの。そうでなくてもその手の異常な状態に陥った場合、専用の設備でスキャンしてしまえば一目瞭然になる。解除術式による特効薬があるわ」

「……それ、組織ぐるみでやれば、洗脳が露見しにくくなるんじゃあないのかな……?」

「そうね。でも少なくとも正常な判断ができる組織ならやらないわ。理由? 簡単よ。魔法・魔術・魔具などで洗脳された人間は著しく知能が低下するの。……判断力も悪くなって成長できなくなるわね。使えてせいぜいが使い捨ての駒かしら。それでも実行した場合、かなりの確率で悪事の足がついてしまう。やっぱり賢いやり方とは言えないわ」


 そうなのかと、安心できるわけではない。コールマンの立場では、能力不足も相俟って抵抗できないだろう。

 洗脳されたら終わりだ。誰も助けてくれない……そう考えると恐怖が過る。そんなコールマンにマーリエルは冷めた眼を向けていた。


「心配しないでも、アルトリウスを洗脳させるようなことはないわよ」

「断言できるのは……何故と聞いても?」

「伯爵閣下は有為の人材を意味もなく潰すようなひとではないから……とでも言えばいいのかしら。ここ、発掘闘技都市よ? ダンジョンからの魔石の発掘、闘技場からの人材の発掘……それらに存在意義があると言っても過言ではないわ。その存在意義の一つを無為にしたりはしない、才能は最大限努力して伸ばすところなんだから。――安心した?」

「……さあ、ね」


 アルドヘルム・ハルドストーン。彼の遣り口によって母を殺され、凄まじい憎悪を感じているから素直に安心したとは言えない。

 コールマンの態度にマーリエルは一瞬、やるせない表情になった。しかしすぐにそれは消える。彼女は淡々とモニターの文字を読み上げ始めた。


「――福音プロミストランド王国エディンバーフ伯爵領ホグワン市、ウェーバー村出身。西暦2006年生まれ。現在十四歳。父ユーサー、母アデライン。種族は人間。現時点の身長は163㎝、体重54㎏、魔力発現不調症によって、幼少期から魔力の扱いは不得手だった」

「――」

「闘技場に登録されて以降、魔力発現不調症は人工精霊により治癒。貴方が人工精霊にした質問などの履歴は常識的なものから魔力の扱い方まで多岐にわたる。後者は生来の疾患からして仕方ないにしても、王国領をはじめ人類の勢力圏にいたら当たり前に知っていることも知らなかった。グラスゴーフ運営本部はアルトリウス、登録名"コールマン"は魔族が人間に擬態し、人類側の情報を収集している可能性を提起。ただちに調査すべしと唱えた」


 それは、この世界のコールマンのデータだ。そうも調べられていた事実に慄然とする。鳥肌が立ち、総毛立った。

 コールマンは慎重に言葉を選ぶ。下手なことを言えばどうなるか分からず、不安に声が震えた。


「……それを私に告げるということは、その嫌疑は晴れていると受け取っても?」

「一応はね。元々魔族側がそんなスパイを送るような真似をしたことはないもの。それに魂魄と肉体、魔力形質と魔力波長を改竄・隠蔽可能な能力は実在し得ないから、貴方が魔族ではないかと疑うのはちょっと無理がある。アルトリウスは賢人族エルフでも小人族ドワーフでもなく、純血の人間だって証明されているわ」

「それならいいのだけどね……」


 ホッと安堵するも、エルフだのドワーフだのという名称が聞こえて好奇心を抱いた。それについて聞いてみたい欲求に駆られるも、それに被せるようにしてマーリエルは言う。


「――けれど今までがそうだったから、これからも有り得ないと決めつけるのはナンセンスよ。もしかしたら魔族はそれを可能にしているかもしれない……疑わしきは罰せよ、というほど行き過ぎた対処はないにしても、監視がつくのが当然の措置よね?」

「……それが、マーリエル?」

「ええ。例え相手が魔族であっても、迅速且つ確実に処理できる能力があり、さらに現在手隙の人材と言えば私ぐらいなものだから。仮にアルトリウスが爵位持ちの魔族並みに強大な存在だったとしても、単騎で足止めができるとなれば私が最適なのよ。私の任務は貴方を半年間監視することで、人工精霊は過度に貴方が知識を入手できないように管理する。完全に嫌疑が晴れれば、それはなくなるわ。――というのが、私がここへ来た理由の一つよ」

「……まだ理由があるとはね」


 うんざりさせられるような任務だ。道理でアビーからの情報統制が徹底されているわけだ。コールマンは未だに人類の国家全てを把握できているわけではないし、この都市の機構すら不透明で歯痒く感じていたのだが……意図してのものなのだから当たり前の状態というわけである。

 何より気になるのは、人類共通の敵だという魔族について何も知ることができていない点だ。どういった存在なのか、知りたいのだが。


「それで、他の理由は?」

「貴方の持つ異質特性について研究することよ」

「いしつとくせい……?」


 また新しい専門用語かと頭を抱えたくなる。

 『遺失』……いや『異質』か。『特製』ではなく文面にすると『特性』の方が正しいように思える。『異質特性』だろう。他の人間にはない性質を持つ、特性。となると考えられるのは一つしかなかった。


「アルトリウスは魔力量が二乗化しているわね。他の人間には見られない現象よ。これが貴方が魔族ではないかと疑われる一因であるのは確かだけど、同時にそのメカニズムを解明して魔術式に落とし込めば、他の人間の魔力量も飛躍的に向上する絶好の研究対象にもなる。そうなれば対魔族の戦争もずっと楽になるわ」

「……」

「研究対象にされるのはいい気はしない?」

「……それはね。人として当然の感情だと思うけれど」

「そう。でもかなり良心的な待遇よ。五十年前までの人類なら、確実に人体実験されて、徹底的に解き明かそうとしていたわ」


 顔を顰める。嫌な話を聞かされてしまった。できるなら知りたくはなかったことである。

 訊いてもいないのにマーリエルは例を挙げた。本格的に蘊蓄語りが好きらしい。


「例えば二百年前、無限収納空間アイテムボックスという異質特性を持つ人間がいたわ。その人は帝国に捕まり、その異質特性を万人が利用可能なシステムに落とし込むために、徹底的に実験された。あらゆる手を尽くしてね。それによって一つの都市につき一つの無限収納空間が設置可能になり、そこへ多数の物資を種類を問わず保存可能になったわ。食べ物や飲み物は腐らず、物質は朽ちず、完璧な保存が可能になったの。さらに百四十年前に現れた異質特性持ち……対象の技能を奪ったり、白紙状態にリセットしてしまえる人が現れた。……魔族に同じことができる存在がいたわ。当時最高峰だった、魔道第三位階の魔導師が無力化されてしまっている例もあった。人類は総力を結集してその人を捕まえて、意識を奪うと眠らせ続け、彼を研究することで対処するための術式の開発に成功。研鑽を積んで獲得した技能の剥奪を防ぎ、能力の白紙化やコピーをされることがなくなった。他にもあるけど……聞きたい?」

「いや……いいよ。充分良心的なのは良く分かったから」


 この世界の人類は――全力で戦争に勝とうとしている。それも何百年も続く戦争に。そうまでして、なおも勝てていないどころか劣勢であるのも伝わった。

 嫌になる。夢と希望のファンタジー世界ではないのは察していたが、ここまで末期戦じみているとは。いや、それにしてはまだしも文明的か。


 コールマンが倦怠感も露に溜め息を溢すと、マーリエルははじめて微笑む。しかし顔が強張っていた。普段笑わないから、人を安心させるための笑顔が苦手なのかもしれない。

 しかしコールマンを安心させようとする意図は伝わった。その気持ちが今はありがたい。


「アルトリウス、悪いことばかりではないわよ? 貴方には私がついた……有為の人材になれる素質があると認められている証でもあるの、これは。貴方を研究する過程で、私が貴方を鍛えてあげるわ。ついでに外にも連れ出してあげる。ダンジョンで実戦を積めるとしたら、まだ前向きになれると思うわ」


 それは果たして、前向きになれる材料なのか。

 コールマンはお先真っ暗な気がしてならず、深々と嘆息した。





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