知っている人は、僕を知らない





 うまい話には裏があるものだ。

 無闇に人の善意を疑いたくはないが、誰しもが紳士的で、善良であるわけではない。

 利潤の大きな話を持ちかけられたら、その真意を探りたくなるのが人情というものだろう。

 しかし、日本の格言にこういうものがある。


 ――溺れる者は藁をも掴む。


 こういうのを、言い得て妙、というのだろう。

 僕が掴んだのは藁か、それとも幸運の女神の前髪か。はたまたもっと別の……。

 いずれにしろ、僕に選択の余地がないのに変わりはない。

 







  †  †  †  †  †  †  †  †







「アビー、誕生ortusをもう一度だ」

『了解。オペレーティングシステム再起動。初等魔法身体強化術式、オルトゥス構築工程の補助に入ります』


 発掘闘技都市の闘技場、その一室に収容されてより二度目の朝を迎える。

 所は仮想空間・第三階闘技場。生きている人間ならば誰しもが持つという魔力。魔力とは人間の生命力であり、精神力であり、想像力だという。

 その具体的な原理や理論はさておくとして、その魔力を精製するのが脳の中にある"魔力炉心"だそうな。


 脳にそんな機能があるとは知らなかった。この世界の人間だけが持つものなのだろう。少なくとも元の世界では、そんな機能が脳にあると知られていない。脳は未だ謎に包まれている部分が多いらしく、案外脳の秘密の全てが解明されればその魔力炉心がある可能性もあった。

 いわゆるシュレティンガーの猫という奴だ。観測されなければ絶対にないとは言い切れない。例えどんなに荒唐無稽でも、だ。


 コールマンは科学文明が魔法色に染め上げられる様を想像して、少しだけ笑った。元の世界でなら夢のある話である。


 精製した魔力は、本人のものであれば形を任意に変えられる。それを炉心の中で……例えるならルービック・キューブのピースだろうか? その形にして、無数のピースを組み合わせて特定の形を象れば術式として成立するのだ。

 効力を発揮した術式を炉心から全身に巡らせると、身体能力の強化が完了する。ただし強化術式を全身に纏わせるのはいいが、断じて大雑把であってはならない。内分泌系、神経系をはじめとして骨格、筋肉繊維、靭帯など強化必須部位は多岐に亘るのだ。稠密な魔法行使を怠り、強化された身体能力で無思慮に全力疾走などしようものなら、下手をしなくても急激なGに体が耐えられず即死してしまう。細胞の一片に至るまで手を抜くなど有り得ない。その事故死の様相をデータ上とはいえ知らされてしまえば、とても手を抜こうという発想は湧かないだろう。……あれは人間の死に方ではない。


 何度も繰り返した一通りの魔法行使を終え、今度こそ術式構築の感覚を掴んだ。


 魔法や魔術は体系立てて理論を作られているが、その実践は理論とはほとんど関係しないふうに思える。ほぼ感覚的なものになるからだ。何せ術式を作るのは機械でも、人間の生身の手でもなく、脳の中で想像力と感覚だけを頼りに作り上げるのである。故に文章に起こすのは至難の技で、必要とされるのはある種のセンスだろう。それがなければひたすらに反復練習あるのみ。


 膨大なデータベースを持つらしいアビーに、コールマンは自分に才能センスと呼べるものがあるかは敢えて聞かないことにしていた。センスがあろうがなかろうが、やるしかないのだ。絶対に身に付けなければならないのである。才能の有無など関係がない。

 コールマンは一日中アビーという補助輪の助けを受け、なんとか初等魔法のFlammaTonitrusをものにはした。後はこの誕生ortusだけだ。尤も初等魔法は残り十近くあるらしいが……全てを習得する気はない。とてもじゃないがそんな時間はなく、魔法を維持したまま武器の扱いを訓練しなければならないのだから。


「アビー、補助を解除」

『了解』


 一旦魔法による肉体性能の激成を解く。そして深呼吸をして、自分の力だけで術式を編む。集中、集中……と自分に言い聞かせ、炉心に成立させた魔法を全身に浸透させていく。

 空中に投げた針の穴に糸を投げ入れるような難度に気が遠退きかける。全身の毛穴がぷくりと開き汗が吹き出た。

 そして、成功する。自身の体が魔力を帯び、強化された感覚に安堵して。魔法を維持したまま腕をあげて掌を開閉させた。漲る力の波動に、全能感すら感じそうだ。赤い魔力が薄らと全身に纏わりついている。


『おめでとうございます。誕生ortusの発動に成功しました。習得した魔法はこれで三つとなり、晴れて"コールマン"は魔法使いを名乗る資格を得ました』


 『尤も低位の魔法使いですが』と付け足され、コールマンは顔を引き攣らせる。


「ありがとう、と言うべきなのかな? まあいいさ。ところで私が第六位階に至るまで、あとどれほど掛かると思う?」

『回答いたします。このままの上達ペースを維持できたすれば、魔道第六位階に至るのに三ヶ月ほど。魔術を一つ習得するのに専念したとなると、およそ二十五日間……特別試合に辛うじて、魔術の会得が間に合うものと推測されます。これを通常の魔法使いの成長速度と比較しますと――』

「――ああ、それは言わなくてもいいさね。私は私なりに最善を尽くしているつもりだ。他者との優劣を図り、仮に優れているにしろ優越感に浸りたくはないし、劣っていると知り焦りたくもない。このままいこう」


 これ以上独学で成長率を上げるのは無理だとコールマンは断じていた。というのも、いつぞやの兵士ジョシュアの言っていた"ネット"の利用は、このアビーを通じてしかおこなえず、それはアビーによって検閲されてしまう。

 アビーの助言と補助を随時受けながら、排泄と入浴、食事と睡眠以外はほぼ全て魔法の習得に徹していたのだから。これ以上努力しろというのは無理な話だ。


 ここまで一心不乱に研鑽を積めるのは、命が懸かっている状況だからというのもある。

 が、意外と魔法を身に付けるのが楽しいからこそこうして鍛練に打ち込んでいられるのだ。そのモチベーションを余計な情報で汚すのはナンセンスだろう。


「今の私がどの程度か試したい。銃を」

『了解』


 割れんばかりの声援が観客席から轟いているが、魔法の鍛練をしていると少しも気にならなくなっていた。自然と無視できている。

 アビーにより転送されてきた拳銃を握る。そこに魔力を流し込み、引き金に指をかけた。試しに一射放ち、その弾丸が奔るのを目で追った。魔力弾は元の世界の銃火器に遜色のない弾速を誇るはずだが――


「……見えたね。うん、いいじゃあないか。実感は湧かないが、銃弾を視認することはできた」


 目で追えたのではなく、高速で射線を疾駆する弾丸が認識できただけだ。例えるならメジャーリーガーの速球を、打席に立って視認したような弾速に見えたわけである。まあ要するに、見えたからと捉えられるわけではないのだが。純粋に技術が足りない。

 その事実を確認した上で、軽くステップを踏んで走る。闘技場の隅から隅へ走り、五百メートルを十秒で駆け抜けられた。息切れはない。踏み締めた地面が靴の形に陥没してあるのがなんとも滑稽である。明らかに人間を越えている自分が超人になったようで、自分が自分ではないようで微かに動揺した。しかしそれをすぐに圧し殺し、アビーに問い掛けた。


「質問をさせてくれよ。アビー、誕生ortusの上位魔法はなんだい?」

『回答いたします。魔法のカテゴリーでは、誕生ortusの上位は存在しません。上位互換に相当するのは魔術の領域となり、それは第五位階魔術"新生nova"となります』

「ノーヴァ、ね……」


 魔法ではなく、魔術か。では習得は一ヶ月では無理、と。

 ボロボロになった靴を脱ぎ捨てる。ついでに着ていたシャツとズボンも襤褸になっていたので、アビーが気を利かしてくれたのか新しい靴と服が転送されてきた。

 体を強化したはいいが、衣服と靴の強化はしていなかったわけである。間抜けなミスだ。嘆息して服を……服……?


「……これは、なんだい?」


 転送されてきたのは、タイツだった。真っ黒い。重量感のあるタイツ。靴まで真っ黒だ。顔を引き攣らせて問うと、アビーは常のように淡々と告げる。


『魔導十一式バトル・スーツ、魔導九式アーミー・ブーツとなります。魔法・魔術との親和性が高く、防弾・防刃・衝撃吸収の機能もあり、主に防具の下に着込む形となります』

「……」

『魔道第六位階に達して以降は着用する者のいない、魔法や魔術に不馴れな訓練兵、もしくは魔道適性のない者が主に着用するスーツとブーツですので、今の"コールマン"にはこれが相応しいかと』

「ああ、そう……」


 物凄く嫌になるほど……不格好だ。端的に言ってダサい。機能性と性能だけを求めたスーツである。

 しかし四の五のと文句を垂れられるほど、コールマンは上等な能力を持っているわけではない。嘆息して諦め、渋々着用することにした。

 襤褸となった衣服を脱ぎ捨て、のそのそと黒い全身タイツを着る。靴も履き替えた。自分がどんな格好をしているか、あまり直視したくなくて、コールマンはアビーへ要求する。


「……防具を身に付けておこうじゃあないか。装備していても違和感を感じなくなっておきたいからね」

『了解。では一覧を。どの防具を選択なさいますか?』


 目の前に展開されるモニターに目を通す。

 日本の武士が着る甲冑や中世の騎士が纏う全身甲冑。古代ギリシャの戦士が着るようなものから、剣闘士が着るようなものまである。

 この中から選ぶのかと内心辟易する。これでも立派な現代人なのに、こんなものを着るのには抵抗感があった。この世界の科学レベルは元の世界よりも高いはずが、どうして未だにこんな骨董品を使用しているのかが謎だ。それとも魔法・魔術的な処置の施された代物なのだろうか。


 まあそれはいい。防禦は固めたいが、あまり嵩張らせて体の動作が鈍くなるような物は避けておきたかった。強化魔法なり魔術を使う手合いが相手なら、こんなものは拘束具にしかならないという恐れもある。

 それでも最低限の防具はつける。気休めにはなるだろう。

 板金鎧プレートアーマーを選択する。ただし胸部と背部、腹部を守る胸当てブレストプレート、肘を守る肘当てコーター、前腕のヴァンブレイス、手首のガントレット、大腿部のキュイッス、膝を守るポレイン、脛を守るグリーブのみを装備する。バイザーのついたバーゴネット兜もつけた。


「……こんなものをつけても、実際に役立つとは思えないんだがね」


 ぼそりと溢すと、人工精霊の端末はその認識を正すように解説する。


『そのようなことは有り得ません。役に立たないのなら装備する意義は皆無となります』

「それはそうだろうけど……ただの金属鎧にしか見えない。魔術で強度をあげたとしても、同じ魔術に対して有効かな? 強力な魔術を使う魔導師には無力なんじゃあないか?」


 例え装備を整えたとしても、この鎧ではコールマン程度の魔法すら防げないだろう。

 その懸念は誤りだった。


『魔道位階にも達していない魔法使いの干渉は、この鎧に組み込まれてある防護術式を突破することは叶いません。従って最低限の抗魔力は期待できます』

「……コウ・・魔力?」

『魔法、魔術への抵抗力です。人類共通の敵、悪魔ストリゴイは存在するだけで有害な魔力を発しております。これに対する措置として開発されました。抗魔力がなければ近づいただけで呼吸不全を引き起こし、最悪死に至ります。ですので魔法使いの魔法程度ならば、なんら脅威とはなりません。また魔術に対しても、ある程度は威力を軽減することが立証されております』


 ――『対』の『抗』の字で抗魔力か。分かり辛いな……。

 癖のある金髪を掻き、コールマンは解説を促す。


「物理攻撃にはどうなるのかな?」

『士道第五位階の戦士の一撃に、辛うじて耐える程度の強度があるのは立証されております』

「へえ、なら案外無力というわけでもないのか……」

『その通りです。なお第六位階魔術に防護術式甲冑バリア・アーマーを生成するものがございますが、そちらは術者の力量次第で強度や機能、形状を自由に設定可能であり、それを会得している者には無用の物となります』

「……アビー。きみは話に何かオチをつけないと気が済まないのかい?」


 今防護術式甲冑バリア・アーマーについて言う必要はなかっただろう。折角鎧を着ているのも無駄ではないと思えていたのに……。

 淡い光の球体を半目で睨みコールマンは露骨に嘆息する。無駄ではないのだが、いまいち釈然としない。身体能力を解除していないから重さはほぼ感じないが、やや動き辛くはある。慣れるために運動しよう。武器も決めておかなければならない。


「……蘊蓄はここまでとしよう。次は武器を決め――」


 その時だった。闘技場が凍りついたように静まり返る。

 完全に騒々しいだけだった観客席の再現音声、それがぴたりと止まってしまったのだ。

 何事だと辺りを見渡すと、不意にこの場へ不釣り合いな音が響いた。木製の扉を叩く、ノック音が聞こえてくる。


「……」

『お客様です、"コールマン"』

「分かっているよ。だが誰が私を訪ねてくる? お客人はどこのどなたなのかな。まさかここの運営者側の者ではないだろうね? 登録者同士の接触は厳禁のはずなのだから」

『室外のこととなりますと、アビーには分かりかねます』

「……室外、ね」


 仮想空間を流し見て、暗にこれを"室内"と言い張るアビーが可笑しかった。だがまあ、あながち的外れではない言い方なのかもしれない。

 謂わばこの仮想空間は、コールマンのいた部屋の上に貼られた一枚のテクスチャなのだ。お絵描き自由の白紙である。そこに闘技場やら観客やらを置いているだけで、殊更に特別な説明は必要ない。

 だからコールマンは、厳密に言えば室内に貼られたテクスチャの上で自主的にトレーニングを積んでいるだけと言え、この百十一号室担当の端末を自称するアビーが室外のことは知らないと言い張ればそれで終わりだ。


 また、小刻みにノックがされた。几帳面な内面の覗く、細やかなリズムと力の強さで。


 ――だから扉をノックされればその音が聞こえる。テクスチャ内で発生した音などは外部に漏れないが、その逆はそうでもない。って、アビーは言っていたけど。


「訓練は中断だぁね。お客様を接待しなければ、ね」

『了解。仮想空間、結合解除。ドアロックも解除しました』


 空間が折り畳まれるようにして閉じ、元の部屋に戻る。

 コールマンは身に付けたばかりの軽装の鎧姿でドアまで歩いていく。その途上に姿見で自身の鎧姿を一瞥し、軽く肩を竦めながら声をあげた。


「どちら様?」


 誰何しながらも、扉を開く。

 不用心だが構わなかった。ここ数日、部屋の中から一歩も出ずにいたのだ。なんらかの刺激があるならアルドヘルム・ハルドストーン以外なら誰でも歓迎するつもりだった。


 扉の外にいたのは、ふわりとした金砂のような髪と白磁の肌、紺碧の大きな瞳に鋭利な光を点した少女である。

 コールマンよりもやや身長の低い、成熟しきっていない美貌の持ち主。タンクトップとジーンズといった、無防備な格好をしている。その可憐さと合わせて目を奪われそうになるのに――秀出した容貌にこそコールマンは驚愕した。


 コールマンは、その少女の名を知っていた・・・・・


マリア・・・……?」


 呼ばれた少女は目を瞬く。しかしすぐに冷淡な貌をして、コールマンへ告げた。


「私を知ってるみたいね。けれど一応"はじめまして"なんだから、気安く愛称で呼ばないで」


 その冷たさに面食らう。よくよく見知った間柄だったからこそ、他人にするような態度が衝撃だった。


「自己紹介をするわ。初対面のひととする、大切な儀式よ。――私はマーリエル・オストーラヴァ。貴方は? 知ってるけど、貴方の口から聞かせて」


 マーリエル・ベレスフォード・・・・・・・

 元の世界で、小学校プライマリースクールに通っていた頃。三年間同じクラスだったからと、それなりに親しく話してくれた聡明な少女が、姿形をそのままにそこにいた。



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