君の名を知る、知ったことを知らぬまま





「"常識"だとか"非常識"だとか。そんな言葉に誤魔化され、"自分"を見失ってはいないか。らしく・・・生きろ、アーサー」


 四歳の頃に入学した小学校プライマリースクールを卒業し、中学校セカンダリースクールに入学したばかりの頃。新しい級友の輪に溶け込めなくて、僕は本当の自分を隠し周囲に追従ばかりしていた。

 友人と言える人と出会えず、作れず、腐り始めようとしていた僕に気づいてくれて、父は僕にそう言ってくれたのだ。

 そうして僕は友人を得た。僕は僕らしくて、それでいいんだと気づかせてくれた父へ感謝して――今も僕は自分へ時々問い掛ける。"常識"に囚われていないか、"非常識"に誤魔化されていないか。"自分"はきちんと、らしく・・・生きていられているか。


 問題は現在いまの僕が解く。答えは、未来さきの僕だけが知っている。







  †  †  †  †  †  †  †  †







 やや癖毛気味の金髪碧眼の少年、アルトリウス・コールマンはインドア趣味である。


 しかし幼年期はそうでもなかった。趣味と言える趣味のない、好きも嫌いもない自己主張の薄い子供だったのだ。

 コールマンはイギリスの一般家庭の例に漏れず、教育熱心な親の方針としてテレビなどを見ることは滅多になく。食事の前に家族で映画を見て、その後の食卓で映画の感想を言い合うぐらいが数少ない楽しみだった。

 四歳からはじまった義務教育、その延長線上に習い事が付随して、スイミングと乗馬、バイオリンを修学した。どれも英国では一般的な習い事である。それによって日頃から多忙であり、そうした習い事から解放されたのは中学に入ってからだ。日頃から己を律し、忍耐強く在ること。それが英国紳士になるための第一歩であり、そう成るための教育をコールマンも受けていたのだから、これでも娯楽に触れるのは教育熱心な親のいる家庭では比較的早い方だと言えるだろう。


 しかしそれまでの生活ルーチンの反動だろうか。中学生になってから触れたサブカルチャー、特に日本のそれにコールマンは強く魅了されてしまった。

 学生ながら多忙な日々を送るコールマンにとって、もはや生き甲斐になったと言ってもよい。

 娯楽というものに無自覚ながら飢えていて、またそれに耐性がなかったというのもある。コールマンはものの見事に日本のアニメ、漫画にのめり込んだ。のめり込みすぎて日本に留学したいと思い立ち、そのまま勢いを落とさず難解な日本語を、高い水準で身に付けるほどに熱中してしまったのだ。


 父は嘆いた。息子のそれが軽率な行動にしか見えなかったから。母は後押ししてくれた。はじめての自己主張だから、応援してあげようと背中を押してくれた。

 結果としてコールマンはその行動でマイナスとなる影響を自身に及ぼさず、むしろプラス要素として身に付けることになる。勢い任せとはいえ日本語を学ぶという工程が、コールマンに学習へ臨む際の根気強さを――気力を継続できる性質を身に付けさせたのである。


 アルトリウス・コールマンは、目的のために必要な努力を惜しまない少年であると言えた。利発で理性的であることよりも、そちらの方が得難い資質であるだろう。


 ――人生の転換点とも言える激動の一日を終え、ひとまず睡眠を取ったコールマンは、たっぷり七時間の就寝後に目を覚ました。習慣として起床してすぐ洗顔、うがいを済ませ、そのまま朝食を採る。意識が覚醒すると昨日の出来事が全て夢ではなかったことを再認し、やや気だるい気分になりながらもコールマンはデスクに就いた。


 食べ物はどんなものがあり、どこで食すのかと思いきや、希望があれば自室で食事を済ませることができるらしい。というのも昨夜、銃を転送してもらったのと同じ要領で朝昼晩に食料を配給されるそうなのだ。

 栄養満点で体に配慮された、体と心の健康によいレシピ。有り体に言って美味だった。炊きたての白米、味噌汁、鯖の塩焼きに蓮根の塩昆布和え――まさかの和食である。こんなところも日本色なのかと内心呆れながらも、慣れない箸での朝餉を終えたコールマンであった。

 闘技場で、あるいはダンジョンで酷使する"登録者"が、粗悪な食べ物しか食わずに、満足なパフォーマンスを発揮できなければダンジョンにいる意味がない。そんな思想の見え隠れする、実に腹立たしいまでに合理的な待遇だった。しかし無駄に怒っている場合でもない、コールマンは就寝する前に決めていた行動に移ることにする。


「hello.」


 食後に洗面台での歯磨きも終えて、ベッドに腰かけると誰にともなく挨拶を口にした。魔力を指先から発しながら。こうしたらいいと、昨夜本人から聞いていたのだ。

 すると何かが室内で微かに動く気配を鋭敏に感じられる。特にレスポンスはない。寝ぼけてはいなかったが、うっかりして英語を口にしていた自分に苦笑を漏らす。ああ、日本語にしか反応しないんだった――


「おはよう、アビー」


 言い直して挨拶をする。所詮は人工知能だという認識があるが、何気なく挨拶から入る辺りにコールマンの人間性が滲む。知性がある相手には、相応の礼儀を払う習性があった。

 すると今度はきちんとレスポンスが示される。現れたのは昨夜に見た人魂――正式名称を『発掘闘技都市居住者補助人格・人工精霊百十一号室担当端末』だ。人工精霊としての人格名はアビーという。


『おはようございます。ご用件をお伺いします』


 標準的で流暢な日本語を喋る、機械的でありながら女性的である声音の応答。コールマンの視線の高さに合わせた位置に現れたアビーに、コールマンは端的に問いを投げた。さて何をさせられるかなと内心身構えて。


「今日の予定は何かあるかな?」

『西暦二千二十年五月六日現在、本日の"コールマン"の予定は休暇となっております。最低限の訓練期間として一ヶ月の予定の空白が確約される決まりです』

西暦・・、ね……。それより一ヶ月もかい? 私としては構わないが……外には出られるのかな?」


 意外な回答にコールマンは目を瞬いた。返す返すも予想を裏切る異世界である。てっきりこの日の内になんらかの荒事をおこなわされると思い、せめて体調は整えておこうと大人しく就寝したのだが、どうやら焦り過ぎていたらしい。


『回答します。外出の許可は降りてはおりません。本日から室内でお過ごしいただきます」

「……父さんに会いたいんだがね」

『要望を問い合わせました。回答します。不許可です』

「なぜ? こんな状況だ、子が親に会いたいと思うのは当然だろう」


 簡単に室内から出られると思ってはいなかったが、こうも端的に告げられたのではムッとする部分もある。硬質な声で問いただすと、アビーは淡々と伝達してきた。


『脱走防止のため、義務的労働による目標達成までの間、登録者は与えられた室内から特定の時期以外の外出を一切禁じられております。また他の登録者と接触するのも厳禁でございますので、"コールマン"の要望を受理するには、"コールマン"が十億円相当数の魔石を発掘するしかありません』

「つまり私や、私と同じ登録者は徹底的に管理されているわけか。……は、最高だぁね」


 早い話が『余計なことに時間を使わず、有意義な訓練を積んで有為の人材になれ』ということだ。行動の自由が与えられるのは、昨夜アルドヘルムに提示された条件を達成してからで、それまでユーサーとはもう会えないわけである。

 待遇があまりにも良すぎるから勘違いしそうだったが、締めるべきは締めている。甘くなく、規律には厳格だ。登録者同士が何かを共謀するのを阻止する狙いがあり……早い話、アビーはコールマンの監視役でもあるのだろう。少年は露骨に舌打ちをした。


 何はともあれ、管理者側の思惑通りに動くのは業腹だが、言うことを聞かないという選択肢はない。命がかかっているのだ、ずぶのド素人であるコールマンが訓練を怠れるわけがなかった。それこそ寝る間も惜しんで訓練漬けにならねば。

 全ては生き残ってからだと意識を切り替える。右も左もわからない世界の中で、最低限生きる術を身に付けられる上に生活できる環境を与えられたと思えば、まだ何かに絶望するほど深刻な状況ではないだろう。アデラインの仇を討つか討たないか、それを決めるのは自由の身になってからだ。


「……昨夜のお復習さらいがしたい。魔法の補助と並行してはじめてくれよ」


 昨夜は何も、銃をぶっぱなしてその直後に眠ったわけではない。一通りの武器に触れ、気になったものを一通りアビーに質問して、この世界について教えてもらっていた。

 コールマンは武器をどれにするか、まだ決めきれているわけではない。何をするにしてもまずは魔法の習熟をこなし、できるならその上位技能である魔術を習得したかった。


『受理いたします。空間設定はどうなさいますか?』

「ん……では私が、実際に試合をする時に利用する闘技場にしようかな。少しでも現場の空気に触れておきたい」

『了解。仮想空間展開、表層第三階闘技場。オペレーティングシステム起動待機スタンバイ。登録者"コールマン"の術式構築を補助し、"コールマン"の学習工程に於ける復習を開始いたします』


 人魂が点滅する。ぐにゃりと室内の風景が歪曲し、現れたのはコールマンが実際に試合なりなんなりをする闘技場だ。広さは四方に五百メートル、綺麗な真円を描くフィールド。古典的なコロッセウムのように多段的な観客席がある。

 初見でいきなり闘技場で試合をするとなると、その場の空気に呑まれてしまうかも知れなかったから、こうして空間を再現してもらった。しかし些か欠けているものがある気がして、コールマンはアビーに注文を重ねる。


「ああ、アビー。待ってくれ。観客も再現してくれよ。まさか普段の試合には観客が一人もいないなんてことはないはずだろう?」

『わたしに与えられた権限の範疇を越えておりますので、グラスゴーフ行政本部へ要望の是非を問い合わせます。暫くお待ちください。……回答いたします。"コールマン"の要望が受理されました。お客様の記録映像を再現いたします』


 問い合わせると言っておきながら、空けた間は僅かに二秒ほどである。どうなっているのかと不思議に思い――直後、割れんばかりの大歓声がコールマンの鼓膜を打撃して、ビリビリと腹の底から震える迫力にたじろいだ。


「っ……」偽物だ、紛い物だ。そう頭では分かるのに圧倒される。審判らしき男が、闘技場の真上に浮遊する華美な台に立ち、マイクを片手に煽り文句を謳っている。

『レディース&ジェントルメン! 遂に、遂にやって参りました! この闘技場にて、王国と帝国、どちらの魔導騎士が優れているか優劣をはっきりさせる時が!』五月蝿い、ひたすらに五月蝿い。余りに強烈な音量の暴力に耳を塞ぐ。そうしていても鼓膜に届く音声だ。


『東の入場門より現れますは、このエディンバーフ領最優の誉れも高きマーリエル・オストーラヴァ! 王国軍レーヴェルス空上本部航空第一部隊より選出された"騎士オストーラヴァ中尉"です! 彼女の名を知らない者は、少なくともこのエディンバーフ領に存在しないでしょう!』


「あ、アビー!」


 再現されていないのか、姿の見えない存在へ割れんばかりの声援が送られている。堪らずコールマンは補助端末に言った。


『西より来たりますは、帝国軍ラーブル空上本部航空十一部隊! その一翼を担いし"騎士アールナネスタ大尉"! 過去に対魔族の戦線にて幾度も轡を並べ、切磋琢磨した国境を越えた戦友同士の対決となります! 何を隠そう、互いに齢十の頃に魔道第四位階に達した天才の中の天才! いずれは両名ともが空前絶後の第三位階に達すると目されております! さあどちらが強いのか、どちらが――』


「五月蝿い! この声を消すんだ、今すぐに!」

『了解、レフェリーの音声を削除します』


 途端に審判の声が消え、観客の声援だけが残される。それでもかなりの騒音だ。何を言っているのか分からないほど、様々な声が轟いている。

 それでもかなり落ち着いた方である。この声援に掻き消されない実況を送るための大音量だったのだろうが、コールマンにはとてもではないが耐えられたものではなかった。思わず英語で罵声が小さく漏れる。


 王国と帝国の魔導騎士による親善試合か何かだったのだろう。自分の時はああまで盛り上がることはないのだろうが、本番前に聞いていてよかったと思うことにする。直前に聞いていたら、きっと気を挫かれて調子を乱していたかもしれない。


 ――それにしても、僕もここで試合をするかもしれないのか……。


 あるいはダンジョンの方に放り込まれるかもしれないが、自分自身が体験するかもしれない衆目の目に、再現された光景であると知りつつもうんざりしてしまう。

 よくもまあ集まるものだなと吐き捨てて、なんとか気を取り直しアビーに言った。


「アビー、はじめてくれ」

『了解。スタンバイ解除、オペレーティングシステムを起動します。また"コールマン"の要望により、こちらより発問いたしますのでお答えください』

「頼むよ。まずは初等魔法、発火に当たるフラマ? だったかな。それで」

『"Flamma"の術式構築を補助いたします。いつでもどうぞ。――クエスチョン、我が国の正式名称を答えよ。また王国の保有する領土は何等分に切り分けられ、それぞれどの領主に治められているか?』


 術式構築の遣り方は、魔力の集積する脳の中で、魔力をパズルのピースとして形作り、それを必要な工程を踏んで体外に放出することである。コールマンは昨日魔力を感じたばかりだ、頭の中にある魔力に形を与え、それを組み立て、放出することなど出来るわけもない。

 そこでアビーという補助輪である。なんとなく自身の魔力を意識しやすく、見えざる自身の手で触れて、粘土のように捏ね回せるようになった。一人では到底不可能だ。


 脳は魔力を生み、魔力を貯め、魔力に指向性を与えるタンクである。一連の魔力に纏わる仕組みを"魔力炉心"というらしかった。

 四苦八苦しながら、全身から汗を噴き出す。体が上気していた。それほど集中しているというのもあるが、それ以上に体内の魔力が高温を生じさせつつあるのだ。七歳の頃、熱にうなされて寝込んでいた時のことを思い出す。

 そうしながらアビーの質問に答えた。


「ここは、福音プロミストランド王国。方舟エファンゲーリウム帝国と双璧を成す、対悪魔ストリゴイとの戦役で人類を守護する国……」

『正解です』

「福音王国は、六つの領土で成立している。広大な版図を持つのは、上から順に王族、大公爵、公爵、侯爵、辺境伯、伯爵。それぞれが国王直轄領ロンディニウム、バンミールグ、リヴァフーム、ウェスト・リーズ、シィフィールド、エディンバーフ」

『正解です。称賛を、"コールマン"。赤点必至であった昨夜とは比較にもなりませんね』

「うるさいな……」


 眉を顰めつつ、アビーの手を借りて"Flamma"の構築を完了した。それを右掌に集め、掲げたそこから魔力を放出した。

 火炎放射器も斯くやといった業火である。炎の旋風とも言える規模の炎嵐は、敷き詰められた土の地表を焼き払う。コールマンは自分のことながら呆気に取られた。


「……アビー、これが初等魔法なのかい?」

『はい。しかし"コールマン"の保有魔力量が平均を大きく上回っているため、通常のFlammaよりも五倍相当の火力を有しております』

「私は魔力量が多いのか……」

『その通りです。昨夜治療した魔力発現不調症の患部は魂魄にありました。サーチしたところ、魂魄に確認されたなんらかの要因によって"コールマン"の魔力量が二乗化しているのが原因と思われます。なお平均的な魔力量を五とした場合、"コールマン"はその二乗、二十五になるかと。十四歳現在で未だ成長期にあることを勘案すれば、いずれ"コールマン"は成人している訓練した者の魔力量、二十の二乗である四百になると思われます』

「……それは、スゴいね……」


 なんらかの要因で魔力量が二乗化している。そう言われると、その要因というものには心当たりがあった。

 コールマンだ。この世界のアルトリウスに、コールマンが乗り移るなり融合するなりした結果、魔力の限界量が大幅に上がったのだろう。

 そこでふと思う。訓練した平均の大人よりも魔力が多いのはいいとして、どれほど凄いのか知っておきたい。


「今この闘技場にいるトップと比較したら、私の魔力はどれほどなんだい?」

『私に与えられた権限の範疇を――』

「答えられないならいいさ、別にね」

『――特別に許可が降りましたので回答いたします』


 どうせ機密だなんだと教えてくれないんだろうと踏んでいたが、どうやら特別に・・・教えてくれるらしい。

 特別? なんだってそんな……。疑問はすぐに消えた。気にするだけ無駄だろう。


『保有魔力量第一位はマーリエル・オストーラヴァ。先程の例えで数値を算出すると、彼女の魔力量は六百となります。なお成長期にあるため、現在は上昇している可能性がありますので正確ではございません』

「マーリエル……?」


 先程、五月蝿い審判の再現音声で、その名が出ていたのに気づく。人類の二大国同士の親善試合で出てくるような存在が、この闘技場にいるのか?

 それに成長期……。


「……そのマーリエルというのは、今何歳なんだい?」

『約二ヶ月後の七月七日に誕生日を迎え十四歳となります』

「私と同い年、か……」


 天才の中の天才という触れ込みは伊達ではないらしい。

 しかし彼女は戦争を体験しているらしいが、まだ四半世紀も生きていない身で、なんだってそんな……。いや差し迫った事情があるのだろう。詮索するつもりはない。大体顔も知らない少女のことを気にしていられるほど余裕がなかった。


「……次。トニトルス」

『了解。"Tonitrus"の術式構築、補助いたします。クエスチョン、それぞれ戦士、魔導師の位階と、位階ごとの概要を答えよ』


 観客の声が五月蝿い。それをグッと堪えて集中する。

 雷を発生させる魔力のピースを、頭の中で型に嵌めるようにして組み上げていく。アビーに補助されて出来上がっていくその手順と形を記憶しながら――徐々に髪がバチバチと鳴りはじめて、体が帯電しはじめた。

 視界が白熱する。歯を食い縛って耐えながら、なんとかアビーの質問に答える。


「戦士の位階を、総称して"士道"という。魔法使いとその上位である魔導師の位階は"魔道"。双方共に六位階に纏められていて……っ、……士道第六位階が、初歩を修めた戦士。第五位階が、経験と研鑽を積み、歴戦の強者としての実力者となった者。第四位階が世に名だたる剣豪、剣聖。歴史に名が残る領域の達人。第三位階が、数世紀に一人いるかいないかの人間の極限。人類史上に名が残る英雄の強さ。全ての所作に、なんらかの力が宿る。第二位階が、人間では通常辿り着けない領域。因果律の操作、時間停止など強力な魔術を、視線だけで弾ける……と言い伝えられてるらしいけど、到達者はいない。第一位階は詳細不明」

『正解です。なお"コールマン"は第六位階にも達しておりません』

「知ってるよ、わざわざ言われなくても……、ッ!?」


 悪態を吐くと、一瞬集中がほつれた。漏電した雷に、左腕が内側から焼け爛れる。激痛にのたうち回る寸前、アビーが『術式強制凍結、患部の痛覚を遮断。治癒を開始します』と言った。

 形を半端に残した魔力が頭の中で残り続ける感覚は、筆舌に尽くしがたいほど不快だった。しかし痛みが消えたのはありがたい。肉が焼け焦げた臭いがするのに泣きたくなるも、懸命に堪えた。

 それが治っていく光景から目を逸らす。気を紛れさせるために、問題の続きを答えた。


「……魔道の六位階。第六は初歩中の初歩を修めた魔法使いだぁね。第五が魔法使いを越えた魔導師。魔術の使い手。一般的な魔導師がここまでだ。第四が一国の大魔導師として扱われる熟達者。戦略兵器級。第三が数世紀に一人いたら奇跡といえる、あらゆる所作に魔的な概念を持つ存在になる。第二が人間の限界の遥か先。因果を操り生死を覆す理の制定者……らしいと言われてるんだろう。第一は詳細不明ながら、神の次元と言われている。"色"固有の理を持ち、第二位階の完全上位互換の力を持つと推測されているも、正確ではないかもしれない……」

『正解です。なお――』

「私はまだ第六位階にも到達していない、分かっているさ、それぐらいは」


 つくづく非常識というか、人間の想像力の限界に挑んでいるような世界観だなと思う。『治癒完了しました』と言われ左腕を見ると、焼け爛れた腕が完治していた。着ていた服の袖は綺麗さっぱり消し飛んでしまったが。

 代わりとなる服を転送してもらおう。訓練の後にでも。そう思い、凍結されていた術式を解凍させ、今度はミスをせずに完成させると、左腕を砲身に見立て上空に向けて雷を放出した。

 雷光が迸る。自然現象ではない雷は、閃光となって審判の位置である浮遊する台に直撃した。しかし透明の防壁に阻まれたように掻き消え、舌打ちする。


「あれは?」

『第五位階魔術"結界"です。第五位階相当のものによる物理攻撃、魔術までのあらゆる干渉を遮断します』

「……次、身体強化――オルトゥス」

『了解。"誕生ortus"の術式構築、補助いたします。クエスチョン――』

「待った、その前に教えてほしい。一ヶ月後、私は誰と対戦する予定なのだろう」


 ふと気になって問い掛ける。魔力を脳裡で構築していき、それを全身にくまなく嵌め込んでいく最中に問うと、アビーは間を空けずに答えた。


『試合の意義により、実力の伯仲した相手となるため、基本的に同時期に登録者となった者とおこなわれます。"コールマン"の対戦相手は■■■■となっており――』

「……? すまないがよく聞き取れなかった。もう一度言ってくれよ」


 名前を言ったのだろう、しかしそれが雑音が紛れて聞こえてこなかった。反駁するとアビーは淡々と告げる。


『検閲されました。通常、対戦相手は希望があれば告知されるものなのですが、"コールマン"は特別試合をおこなうようです』

「特別試合……?」


 なんで僕だけが? コールマンは怪訝に思う。

 考えられるのはコールマンの魔力量が原因で、実力の差が同時期に登録された者と釣り合わないと判断された場合だ。

 先輩に当たる登録者と試合を組まれるのかもしれない。そうなると、その登録者のデータが参照されたりすると、対等ではないとして名前を伏せたのかと考えられた。


 考え込むコールマンに、アビーが言う。


『アビーより発問。"コールマン"はこれまでの登録者の中で類を見ない存在です。その学習意欲は目を瞠るに値します。なぜそこまで知ろうとするのでしょうか?』

「……? そんなことを訊いてどうするという? 私の思想調査でも上から命令されたのかな」

『その通りで――は、ありません。わたしの疑問です』

「……」


 その通りと言おうとして、途中で言い直したあたり……もしかして本当に調査されているのかもしれない。アビーは正直者らしかった。

 微妙で、複雑な気持ちになるも、まあ答えてもいいかと思う。反抗的な姿勢は見せるべきではない。


「……無知は罪ではない。何事も知らなければよかったというものはある」


 例えば。――別世界の自分に成り代わってしまう現象が、現実に存在するだなんて知りたくなかった。

 無知は罪だと人は言う。けれどコールマンはそれに否定的な見方を得た。それは自身を襲った恐怖的な体験に基づいている。何事にも例外は存在するが、その例外的な体験など、早々したいものでもない。

 元の世界に帰りたい。無性に母の作ったフィッシュ・アンド・チップスが食べたい。帰れるなら何をしてでも帰りたいというのが、嘘偽りのない本音なのである。


「けれど今はそうも言ってはいられない。目前に迫りつつある脅威を、それと知っていながら何も対策を立てず、現実から目を逸らし耳を塞ぐような真似をしては紳士の風上にも置けないだろう。私はこれでも紳士的でね、常に備えを用意する心の余裕を持とうと努めている」


 ――日本語、おかしくなっていない……よね?


 自分の発言がおかしくなっていないか自信がないが、概ね言いたいことは言えたはずだ。

 しかしなんとも居心地が悪い。誤魔化すように質問した。


「ところでアビー、昨日私の……魔力発現不調症? というのを治療した際に、私の魔力形質について……たしかレッドカラーと言っていたね? あれはどういう意味なのかな?」

『回答します。魔力形質とは得意とする魔道適性を示すものとなります。レッドカラーとは炎、雷などの魔力属性、身体強化術式への魔力変換効率の高さを表し、主に戦士として大成する形質です。また魔力形質のカラー、魔力色は魂の色であるとされ、"コールマン"は赤い魂を持っていることになります』

「……ふぅん」

『なお一般的なカラーはブラック。全体的な割合で五割がこれにあたり、ホワイトが二割、ブルーとグリーンが一割、イエローとレッドが五分と五分となります。――おめでとうございます、"コールマン"は珍しい魔力形質をお持ちです』


 ああ、そう……としか言えない。

 希少なのは分かったが、使う人間が自分なのだ。使いこなせる自信がいまいちないコールマンとしては、素直に喜べないのが本音である。

 しかしその自信・・をつけるための訓練だと割り切って、コールマンは訓練と学習を続けた。







  †  †  †  †  †  †  †  †







「――"コールマン"か。なるほど、得難い才能を持っているようだ。それに思想形態も柔軟であるようだな。……死なせるには惜しい。本当に、惜しい」


 手元にある身体と魔力データ。そして端末を通して聞いた思想。それでぽつりと溢れ落ちた感想に、アルドヘルム・ハルドストーンは思考を巡らせる。

 彼の特別試合を組んだのはアルドヘルムである。一ヶ月後におこなわれるそれ・・を、沈痛な表情で思い浮かべて……頭を振る。冷淡な表情を作り、私情を殺して。どちらが益になるか、もう少しだけ考えるとしよう。


「折角帰省しているのだ、マリアを宛がいたいが……ふむ。あれも中々気難しい。どうすれば関心を持ってもらえるだろう……」


 ――彼の中では既に、結論は出ているに等しいのだが。




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