短編 クズ

時野実

第1話

ニルヴァーナの音楽を聴いた。こんなのが流行っていた時代に生まれていたら僕は鬱病にかかって死ぬ羽目になっていただろうから二十一世紀に生まれてよかったな、と僕は思った。

 みんな出て行ってしまった。ひとりで演奏するのにメタルもパンクも淋しかったからグランジを弾いた。あっという間に気持ちが沈んだが、悲しくはない。頬がジンジンするのと、ニルヴァーナの音楽の相性の良さ。メガネがひび割れているのもグッドだった。

 女の子に平手打ちを食らったのは初めてだった。ぱとちゃんがそんなことをする人だとは思ってなかった。不器用なタイプだったが、泣くのと怒るのとを同時にやるくらいはできたようだ。一方で僕はそれなりに器用なはずだったが嘘はバレたし浮気した罪を責められビンタ付きでフラれてしまった。女の子にはけっこう力があるということと、女の子は失恋したってそうそう都合よく私が悪かったのねなんてことは考えないことを僕は学んだ。できれば知りたくないことだった。

 さすがに同じバンド内での浮気はしなけりゃよかったな、と僕は思った。ベースのぱとちゃん。ドラムのさわちゃん。作詞と作曲とボーカルのりほちゃん。なんでギターの僕だけ男の子なんだろう。だいたいぜんぶそれが悪い。

 あほらし、の一言でりほちゃんは僕とぱとちゃんとさわちゃんの爛れた関係をぶった切ってスタジオを出た。そりゃアホらしいといえばそうだけれども、こんなに乾いた発言のできる女の子がラブソングやバラードを作っていたのに気付かなかったわけだから、僕には音楽の才能がなかったのかもしれない。

 僕はバンドの解散ライブを勝手に開くことにした。ガールズデッドモンスターが荒野を走る狼について歌った曲を一度だけ弾いて、五分って長えな……と思いながら演奏を終え、自販機でポカリを買って、ペットボトルの飲み物の味は僕の心に対してあまりにも無関心だという事実を知った。渇きが癒えたら腹も減っていることに気がついて近所のコンビニでカロリーメイトを買うことにした。食べたら食べただけ元気が出てきて、これでもう無理に青春パンクやスラッシュメタルを演奏しなくてもいいし、よく思い出したら女の子の口からファックファックと連呼させていることしか取り柄がなかったようなバンドともおさらばで、歌に入るとき、エグい内股でベースを支えていたぱとちゃんを見て欲情したり、夢中でドラムを叩くさわちゃんが胸を上下に激しく揺らしているのを目撃して、演奏中におっぱいがちぎれる心配をしなくても良くなるのだということに気がついた。じつをいうとりほちゃんのお尻についても僕は撫でたらどんな声が出るんだろうと思っていたけど、ついさっきの惨状を見るに、それもたぶん、知らなくってよかったなあとなんとなくわかる。だいたいぱとちゃんだって抱きしめても大してしあわせな気持ちになれなかったし、さわちゃんのおっぱいも、揉んだり握り潰したりして遊ぶのだったらゴムボールでオーケーだったな、と後悔している最中なのだ。どうせそんなにものすごい尻ではあるまいし、百円玉をドブに落としたようなものだろう。

 帰り道、歩いていると、ヘッドホンから流れ出る音楽が止まった。瞬間、僕は息が詰まる。音楽がないと呼吸ができない。ポケットの中で、グリーンデイや、オフスプリングや、ハイスタンダードが歌っていないと、僕の呼吸器は、のどにつまったヤニをどけられない。

「タバコ、吸うの?」

「どこで、吸うの?」

「やめなよ。あたし、その臭いがキライ」

 酸欠で頭がズキズキと痛む。誰だコイツ、と思っていたら、ぱとちゃんもさわちゃんもりほちゃんも、誰ひとり僕の喫煙癖を好んでいなかったことを思い出した。つまり、誰に言われたかはわからないが、誰でもありうる。今頃みんなに肺がんになって死ねとでも思われているだろう。それはいいけど、僕の肺がコールタールに浸かりきって溺れるまであと三十年くらい生きろというのは無茶だった。

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短編 クズ 時野実 @dxtaroumaru

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