5月のかくれんぼ

一視信乃

菖蒲と一八

 子供の頃、よく、ここらで遊んでたなぁ。


 そんなことを思いながら、新緑が眩しい公園や、神社の前を通りすぎる。


 ゴールデンウィークっつっても、遊ぶ金もないし、どこへ行っても人だらけに決まってっから、久々に実家に帰って、コンビニへ行きがてら、近所をぶらぶら散歩していた。


 懐かしいなぁ。

 オレとたくと、りょうと、それから、ひろ


 裕貴は妙に物知りで、変なことばかり知ってたっけ。


「──でね、鬼に追われた男は、菖蒲しょうぶの中へ逃げ込んだんだ。

 それでも鬼は追ってきたけど、つるぎみたいに尖った葉っぱが、鬼の体を切り裂くと、そこからどんどん腐っていって、そのまま消えてなくなってしまった。

 菖蒲には、そういう、鬼を倒すほど強い、邪気を祓う力があるんだって。

 だから、端午の節句には、子供の無病息災を祈り、心身を清めるため、菖蒲湯に入るんだよ」

「だからって、こんなとこ隠れても、すぐ見つかっちまうぞ。ヤツは、本物の鬼じゃないんだから」


 あれは、いつかの、かくれんぼのとき。

 畑の隅に群れて咲く菖蒲の中に、オレと裕貴は身を潜めていた。

 剣のように尖った葉っぱと、藤紫の美しい花。

 高さはせいぜい50センチくらいで、いくら子供とはいえ、そんなところに身を隠すなど出来るわけがない。


「おまじないみたいなもんだよ、とも。信じるものは救われるっていうだろ」


 自信満々にそういうから、腹這いになって隠れてみたけど、結局あっさり見つかっちまったんだよなぁ。


 思わず苦笑いしたとき、人気のない畑道を、誰かが歩いてくるのに気付いた。

 まるで学生服のような、白いシャツと黒いズボンの男が、真っ青な空の下、真っ直ぐこちらへ近付いてくる。

 その顔が見えた瞬間、オレは息を飲んだ。


「久しぶり、智也」


 心臓が止まるかと思った。

 あの頃は、オレのが少し低かったけど、今は向こうがオレを見上げ、無邪気に笑いかけてくる。

 色白で、ちょっと女みたいな顔は、そのまんまだが、それでもにわかには信じがたく、恐る恐るオレは尋ねる。


「……裕、貴?」

「そうだよ。何年ぶり、かな。元気だった?」


 屈託なくそういうのは、やはり、幼なじみの裕貴だった。


「8年ぶり、だ」


 よく通る裕貴の高い声とは裏腹に、ひどく乾いた声が出た。


「そっかぁ。もうそんなに経つんだ……って、どしたの? 豆鉄砲食らった、鳩みたいな顔してるよ」

「驚いたんだ。今、お前のこと、考えてたから」

「僕もなんか、智也に呼ばれた気がしたんだ。なんてねっ。でも、嬉しいなぁ。僕のこと、覚えててくれて」

「当たり前だろ。友達だったんだから」


 忘れるわけがない。

 心底からそういうと、裕貴ははにかみ、そしていった。


「だったら、また一緒に遊ばない? あの頃みたいに、何か一勝負して、負けた方が勝った方のいうこと、何でも聞くってのはどう?」


 上目遣いで尋ねる裕貴に、以前は無かった色気を感じ、少し迷ったが頷いた。


「なら、かくれんぼがいい。あの頃と同じルールで。裕貴は、覚えてっか?」

「覚えてるけど、かくれんぼなんて、いい年して子供みたいだね。じゃあ、鬼はどうする?」

「じゃんけんで、負けた方が鬼だ」

「わかった。それじゃあ、じゃーんけーんぽいっ」


 裕貴はいつも、最初にグーを出す。

 だからオレは、パーを出した。


「あーあっ、僕の負けか。じゃあ、僕が鬼だね。ゆっくり10数えるから、智也は隠れて」


 両手で目隠しし、大きな声で数を数え始めた裕貴から離れると、オレは、あの日のように、畑に群れて咲く菖蒲の中へ分け入った。


「……ち、きゅーう、じゅうっ」


 数え終わった裕貴が、手を離す。

 すぐさま、目が合った。

 当たり前だ。

 子供のときも無理だったのに、今のオレがここへ身を隠すなど、出来るわけがない。

 だからオレは初めから、菖蒲の中に突っ立っていた。

 じっと、裕貴を見つめながら。

 裕貴の大きな瞳が揺れる。


「どうした、裕貴。これは、ただのかくれんぼじゃない。見つけたって、終わりにはならないぞ」


 オレたちルールのかくれんぼ。

 それは、鬼に見つかった瞬間、鬼ごっこになるというものだ。

 例え鬼に見つかっても、捕まるまで、勝負はまだまだ続くのだ。


「捕まえに来ないのか?」


 挑発的にいっても、裕貴は動かない。

 オレと、オレを取り囲むように生えた菖蒲とを、無言で交互に見つめている。


「降参か? だったら、オレの勝ちだな」


 かなり長いこと逡巡したのち、裕貴が一歩踏み出した。


「不戦敗はイヤだっ」


 そういって、菖蒲の群れに踏み込んだ。

 その途端、整った幼い顔が苦痛に歪む。

 柔らかい菖蒲の葉が触れたところから、しゅうしゅうと煙のようなものが立ち上り始めた。

 服は破れ、むき出しになった皮膚は、どす黒く変色し、ゾンビというよりは、日に焼かれた吸血鬼のように、輪郭がぼろぼろと崩れていく。

 それでも裕貴は、歩き続けた。

 真っ直ぐに、オレだけを見て。


 ああ、そういえばコイツは、顔に似合わず、スゲー負けず嫌いだったな。

 だから、川に落ちたボールを拾おうと、最後まで諦めず──死んだんだ。


 裕貴の変化は、全身に広がっていた。

 13歳のままだった顔は、野晒しの石仏のように凹凸がなくなり、髪も歯も抜け落ちて、最早、見る影もないが、それでも、瞳の輝きだけはあの頃のまま、必死に手を伸ばしてくる。

 たまらず差し伸べてしまった指の先が、触れるかと思った瞬間、裕貴は完全に消滅した。

 跡形もなく、きれいさっぱり、消え去ってしまった。


 オレは、へなへなと、その場にへたり込む。


 お盆でも命日でもない5月の真っ昼間に、どんな理由で現れたのか、もしオレが負けたら、何を命じるつもりだったか、もう聞くことも叶わない。

 いいたいことだって、山のようにあったのに。


 すぐ目の前で、藤紫の花が揺れる。


「やっぱ、お前はバカだよ、裕貴。物知りのクセに、どっか抜けてて。これは、菖蒲じゃない。一八いちはつって別の花だ」


 菖蒲はショウブ科で水辺に自生し、一八はアヤメ科で乾燥地を好む。

 花菖蒲と形が似てるから、勘違いしたのかもしれないが、花菖蒲にしたって、菖蒲とは別物だ。

 一八にも一応、大風や火災を防ぐって俗信はあるようだけど、邪気を祓う菖蒲のような力があるかは、わからない。

 だが、アイツはこれを、菖蒲だと信じてた。

 信じてたから、逝っちまった。


「信じるものは救われる、か」


 昔アイツがいってた言葉を思い出し、苦笑する。

 まあ、オレにとっては、の賭けだったけど。

 オレは立ち上がり、ジーパンの汚れを払うと、また畑道を歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

5月のかくれんぼ 一視信乃 @prunelle

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ