11話目

 易々と水の球を切り裂き、レオが地面に降りる。ついでというように僕の方にもナイフを刺してくれて、球が壊れた。

 男が思わず、というように声を漏らした。

「魔法で出来た球だぞ、それに水は弱点のはず……」

「俺の片肺は人魚のだ」

は、と僕と男は唖然とした。片肺が人魚の肺? そんな馬鹿な。普通に考えて、メラン族に人魚の一部を移植するなんて、狂気の沙汰だ。

 男は唖然とし、そして、思い出したような声をあげた。

「そうか、お前は昔、アレにいたやつか……!」

「……」

レオは何も答えない。しかし男は合点がいったのか頷く。

「だとしたらこの女……、生きているなんて知ったら、姫がなんと喜ぶか!」

「姫だと?」

「お前らは知らなくていいことだ」

「この状況で、よくそんなことが吐けるな」

既にレオは男の目の前に立ち、ナイフを首元に当てている。逃げる様子もなく、男は両手をあげた。

「どうせもう策は無い。諦めるさ」

「で? 姫ってなんだ」

「知らなくていいことだと言っただろ。けれどお前、人魚を救い出してしまったな。いつかその行動を後悔するだろうさ」

「なに?」

「我々の人肉活動が、まさか我々の欲求のためだけに行われていたとでも思っていたのか? まさか、それは副産物だ」

「どういうことだ」

本当に、どういうことだ。ウェードウェザー国の大学にいた時から、うっすらと「人狼」の噂を聞いていた。彼らは人肉主義者であり、珍しい肉を喰らうのだと。だから乾の月の前は、変わった血筋の人間は気を付けなければならないと。

「人魚の血というのはお前が思う以上に、意味のある血なのさ」

「詳しく聞かせろ……っ、こいつ」

レオが詰め寄った時には、男の身体が痙攣を始めた。急ぎ仮面を外すと口から泡を吹き、白目を剥いている。

「毒を飲んでいたのか」

舌打ちをして、レオは男を投げ捨てた。ほどなくして痙攣が止まる。ため息をつき、レオがフユを包んでいる球を切り裂く。

「どういうことだろうね」

猫から人間に戻り、レオに尋ねる。レオはフユを抱えて、首の脈を触っていた。

「さあな。今、死んだ組織だ。もうどうでもいいだろう」

「フユは?」

「大丈夫だ」

レオが着ていた上着をフユに羽織らせる。フユはレオの膝の上で、すやすやと寝ている。

「……片肺が人魚のって、まさかフユの?」

「それは違う」

「……じゃあなんで」

「知らない。勝手にされて、勝手に生きた。だから俺はフユを殺さないといけなくなって、フユに救われた。だから、こいつを守ると決めたんだ」

「殺さないといけないって、どういうこと?」

「こいつから聞け」

レオが起きないフユにため息をついて、彼女を背負う。しかし背負った瞬間、ぐらりと身体が揺れて倒れ込んだ。

「レオ!?」

慌てて寄ると、意識が無い。フユは今の衝撃で逆に起きたようで、きょとんとレオに馬乗りしたまま、呆然としていた。

「……どういう状況? カプリス君」

「えーっと、フユを救い出したらレオが倒れた」

「もうちょっと詳しく欲しいな。レオ、何かした?」

「別に何も……。水の球に閉じ込められて、そこから出て、男に詰め寄って……」

「それだ。水の球だ。レオ、確かに水が平気だけれど、その時平気なだけなんだ。身体に無理をさせているのと同じだから、倒れることもある」

レオから降りて、フユが指先を、レオが持っていたナイフで切る。血が溢れた指をレオの口に突っ込んだ。

「これで、回復するでしょう……」

「便利な血だね」

「面倒な血さ」

フユがこちらを振り向く。僕を見送った時と同じ優しい顔で、笑っていた。

「助けてくれたんだ」

「帰ったら、レオに殺されるかもしれないけど」

「ありがとう」

思わず顔を背ける。深々と頭を下げた。

「ごめんなさい」

「うん、許してる」

しばらく経ったらレオも起きるし、このままいようか。

 僕とフユはそのまま、そこで座っていた。




 無事レオも起きて、帰ってきたところ。

 僕を呼んだレオは、フユが座ってる椅子の前の床を指差した。

「そこに這いつくばれ、そしてフユに媚びて詫びろ」

「レオってば……」

予想以上の暴言に閉口する。僕が悪いから何も言えないんだけれど。

「そしてもしも、フユに許されたらだ。次は俺の前に来い、両手を結んで無抵抗のまま殴り続ける」

「それはひどいよ、レオ」

「お前、殺されかけたんだぞ、こいつに!」

「いいじゃないか」

「よくねえだろ!」

「というか僕の命に対して、僕が良いと言っているんだ。どうしてレオが指図するんだい」

レオは何も言えないようで、言葉に詰まる。

「……っ、もっとちゃんと生きろ!」

「僕は一度死んだ身だって言ってるだろ」

「今生きてるから生きようとしろって言ってんだ!」

「レオに関係ない」

「関係あるだろ、住んでる!」

「ただの共同生活だ」

「……っ!!」

絶句しているレオを無視し、僕はフユの前にひざまずく。

 ちゃんと言わないと。

 あなたに助けられたのだと。

「カプリス君?」

「フユ、まずはごめんなさい。僕は、僕が生きるために、あなたを売った。売ってもいいと思った。今まで僕がされてきたことをあなたに対して行うことは、悪いことだと思ってなかったんだ。あんな目に合わせて、そして小指も、ごめんなさい」

「うん、許す」

「小指だぁ?」

許さない人がいた……。

 レオがフユの両手を掴みあげる。左手を見た瞬間、毛が逆立った(人間の毛が逆立つところを初めて見た)。

「おい小僧……」

「待った待ったレオ! 大丈夫、これ治るから! 治す方法あるから!」

しゅううう、と音がするように毛が戻る。

 それより、フユの言葉に驚く。

「治るって、ほんと……?」

「本当だよ、カプリス君。ちょっと面倒だけどね」

よかった。小指は気がかりだったから。

 言うことはまだ終わっていない。咳払いをして、僕は続けた。

「そして、フユ、ありがとう。初めて、両親以外に出会ったんだ。こんなにも優しい言葉をかけてくれる人に。許すと言ってくれる人に」

「うん」

本当に、初めてだった。だって皆、僕を売って、売って、売って、売って、売って、……。

 なのに、フユは……。

「だから、ありがとう。本当に、本当に」

「泣くな、カプリス!」

軽やかにフユが笑う。僕は涙を拭って、ますます頭を垂れた。

「……スペラ」

「え?」

「僕の本当の名前、スペラ。スペラ・ファーブラ。カプリスは、偽名」

「やっぱり偽名か」

「分かってたの?」

「言ったでしょ? ただのお人よしじゃないって」

「ごめん……」

「こっちも偽名だからね。お互い様さ」

え、と顔をあげると、フユが不貞腐れた顔のレオを指さした。

「レオは名字が無いように名乗ってるけど、本当の名前は、レオナルド・マクガーデン」

「立派な名前なんだ」

「文句あるか」

「そして僕は、フユ・タカツカサと名乗っているし、昔の名前は捨てたから、これが本名ともいえるけど……。まあ取り敢えず、昔の名前は、ナダルピス・フルクティクルス」

……え?

 フルクティクルス?

「フルクティクルスってまさか」

「ウェードウェザー国元第一王女、ナダルピス・フルクティクルスです」

立ち上がったフユが、凛としたお辞儀をする。まさか王女だったとは。だから人魚の血も濃いのか……。

「今は捨てた名だから、フユって呼んでくれ、今までの様に」

「うん。びっくりした……」

「誰にも内緒だよ? スペラ君」

本名を呼ばれ、心臓が飛び跳ねる。フユはにこりと笑っていた。

「偽名で呼び続けた方がいいかい?」

「いいや、本名で、お願い」

本名の驚きで吹っ飛んだけど、僕が言いたいことは謝罪とお礼だけじゃないんだ。跪いたままフユの手を取って、口づけをする真似をした。

 僕を救ってくれたあなたに。心からの謝罪と感謝をこめて。そして今後の忠誠を誓う。

「フユ、これからもここにいさせてくれませんか。あなたのために、命を支払ってもいい。だから、置いてくれませんか」

「僕のために命は使わなくていい。でも、いていいよ。構わない。レオもいいでしょ?」

「俺はしばらく許さねえぞ」

「でも、いいんでしょ?」

「……好きにしろ」



「……けど、僕、しばらくここにいないからね」

「なんでだ」

「無くなった魔法を取り戻さないと」

「どこまで行くんだ」

「この星の四半周先、師匠の国へ」

「……ついていく」

「いいって」

「また何かに巻き込まれたらどうするつもりだ!」

「僕が猫になってついていくよ」

「お前は信用ならない」

「レオ、もうちょっと寛容になったら?」






 少し前、僕は退学を言い渡された。

 昨日、フユを売った、

 そして、今日。


 今日、感謝を抱えて生きている。

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トリオノーツ キジノメ @kizinome

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