第43話 MC

 九月に入った。

 詩音は相変わらずあちこちに演奏に呼ばれている。休む間もなくどんどん仕事を入れているのは、以前言っていた「間を空けるとモチベーションが下がる」からであろうか、響には考えられないようなスケジュールでガンガン働いている。

 響の方でも映画の撮影に合わせてどんどん曲が仕上がって行った。都内のスタジオで録音する時などは詩音が駆けつけてくれることもあり、響が弾く予定だったピアノを詩音がノーギャラで弾いてくれることなどもあって、仕事が殊の外楽しく感じられた。


 クリスマスのファーストコンサートの方も曲目が固まり、二人の気持ちも十二月に向けて高まりつつある

 この日も響は成城の大路家で、自分の家で飲むのとは違う薫り高いコーヒーを味わっている。


「凄いわよ、スポンサーの名前聞いたら腰抜かすかも」

「どこ?」


 花音の挙げる名前を聞いて、響が震え上がる。響が散々世話になったヤスダ電機を筆頭に、母が勤めていた乳酸菌飲料最大手、同じく母がサンドイッチを作っていたコンビニエンスストアの本体会社、二人がCMに出ていた大手菓子メーカー、響が広告塔になっているウェアラブル端末を扱う電機メーカー。

 殆どが響絡みなのだ。

 あれだけ大騒ぎになって、顔出しもすることが無くなったというのに、世間は響を見捨てていなかった。

 響が複雑な顔をするのを見て、花音はクスッと笑うと話題を戻した。


「さっきの話だけどね、二部構成にして間に休憩入れたら済む話だと思うの。そこで衣装替えすればいいでしょ?」

「衣装はどうするの?」

「知り合いの服飾デザイナーに頼んだわ。モーツァルトがいたころの宮廷音楽家みたいなイメージでって言ったら『ロココ!』って小躍りして喜んでたわよ。アビ・ア・ラ・フランセーズは覚悟しておいた方がいいわね」

「アビ……なんやねんそれ?」

「だからモーツァルトみたいな服だってば。袖口から長いレースをひらひらさせたようなシャツを中に着て、その上にベストと長い上着を重ねて膝までしかないようなパンツに白タイツ!」

「まさかバッハみたいなモコモコ白髪のヅラも?」

「せめてモーツァルトのクルクルにしようよ。あ、僕がクルクルで響はモコモコでもいいよ。あの時のパーカッショニストみたいに」

「キハーダのおっちゃんな」


 二人でお腹を抱えて大笑いするのを見て、花音も苦笑いを隠せない。こんな冗談が言えるのも久しぶりだ。


「徹底して黒と白で作るらしいわよ。『ホワイト・プリンスとブラック・ウルフ』のイメージなんですって」

「そのまんまやん」

「そうだね」

「ロココ衣装は着るのが大変だから第一部に回すと考えて……そうなると第一部はクラシックになるわね。休憩挟んで着替えとメイク直し、第二部はオリジナル曲でいいわね?」

「そやな。ステージミュージシャンはドラム、パーカッション、ベース、ギター、サックス。ペットは俺一本で行ける。パーカッションは二人欲しいから、あの時のアフロとスキンヘッドの二人組に打診してみたんや。今日あたり返事が来ると思う」


 こうしてコンサートの計画を練るのは楽しい。もうチケットはどんどん売れている。当人たちはまだ衣装すら作っていないのに。


「MCはどうするの? ずっと演奏しっぱなしじゃ流石に死んじゃうわよ?」


 それはご尤もだ。かと言ってMCとなると詩音の出番、結局詩音はあまり休めない。響にMCを任せるのは自殺行為に等しい。


「パーカッショニストのおっちゃんに頼むっちゅーのんは?」

「そのままワンマンショーになっちゃうよ」

「二人でお喋りしたらどうかしら。ほら、去年の秋に旅行番組で山の中歩いたじゃない? その時ラヴェルがお洒落で血液型がA型だと思うとか、そういうどうでもいい話をしてたじゃないの。ああいうのって、見ている方は面白いのよ。あなたたちが何をどんな風に考えるか、ファンはそれが知りたいの」

「ほんならなんかネタ少し準備しとくか」

「どんなネタがあるかな」


 三人一斉に押し黙る。そうやって考えると案外何も浮かんでこないものだ。


「ほな、チャイコフスキーのピアノコンチェルト第一番は序奏に百七小節も費やしとる話とか」

「みんなの知ってる有名な部分は序奏だもんね。案外知られていないから面白いかもしれないね」

「弾きながら説明したら面白いと思うわ。何のことかわからないかもしれないものね」

「そうだね、せっかくライブでやってるんだもんね。他に何かないかな」

「同じ流れで、やっと入った提示部はウクライナの民謡だっちゅーのは?」

「う~ん……話が真面目過ぎないかしら?」


 音楽の授業で先生から聞かされるような話など、誰も聞きたくはないだろう。それよりはもっとびっくりするようなネタがいいに決まっている。


「ほなパリのエッフェル塔が歩き回る小説をプロコフィエフが書いてたとか」

「なにそれ、僕知らないよ」

「モーツァルトがラブレターで『おしり・うんこ・うんこ』って連呼してた話とか」

「ウソだろ?」

「ホンマやって、モーツァルトどうかしてんで」


 詩音が笑い転げている。どうやら本当に知らなかったらしい。


「あとはそうやな、俺よりデカいラフマニノフ、身長百九十八センチの話とか」

「待ち合わせはラフマニノフの下で!」

「手ぇのデカい話の方がおもろいな。CからGまで十二度とか、滅茶苦茶や。俺かって手ぇはデカいけど、十度が限界やで」


 言われてみれば、詩音が緊急手術した日のラフマニノフでは、響は確かに十度を他の鍵盤に影響を与えずに弾いていた。あれからもう一年経ったのかと、花音はぼんやり考える。


 それまでの二十年間ずっと詩音が響の事を考えていたように、花音もまた響と出会ってからは彼の事ばかりを考えていることに気付いた。

 響は? 彼は自分たち姉弟の事をどう思っているのだろうか。詩音の事は「雲の上の存在、永遠の王子様」と言っていた。だが、花音の事は?


 ふと、響が「お父さんに来て欲しかったな」と呟いた。


「え? お父さん?」


 詩音と花音の顔色が変わる。


「ああ、いや、その、例の親父やのうて、俺がまだ小っさかった頃の『優しいお父さん』に来て欲しかったなって」


 姉弟は互いに顔を見合わせた。こういうことは姉の管轄だろう、詩音は目を逸らした。


「やっぱりお父さんに昔みたいに戻って欲しいのね」

「そやな。俺ん中では『お父さん』言うたら、手ぇ繋いで一緒にナガレバシ散歩しとった男やねん。あの人に俺の曲、聴いて欲しかったわ。今更しゃーないけどな」


 響の目は、詩音の向こうの遠い過去を見ているようだった。どう足掻いても埋められない隙間が響の中にある事が、詩音には焦れったかった。

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