第13話 顎の骨

 翌日は午前中にステージセッティングを終え、午後一番からリハーサルに入った。リハーサルの最中も音響スタッフがステージをうろうろしている。モニタリング作業に余念のないミキシングルームとインカムで連絡し合っているのであろう。特に電子音に頼らない民族楽器のマイク設定に重点を置いているようだ。


 パーカッショニストは二人。一人はアフロヘアで一人はスキンヘッド。明らかにこの集団の中で浮いている。この二人も黒の上下に蝶ネクタイをするのだろうかと、詩音はどうでもいい心配をしてしまう。

 そして彼らの周りには、コンガやタンバリン、ウィンドチャイムなどのよく見かけるラテンパーカッションに紛れてとんでもないものがチラチラ見える。

 セネガルで買ったというジェンベや、アラベスク模様の美しいエジプト製のダラブッカ、ウドゥと呼ばれる素焼きの壺、どう見ても何かの動物の顎の骨にしか見えない謎の楽器、しまいには二人の手では足りないのか、サランガイというインドの舞踏用の足鈴までつけている始末だ。

 わざわざそれを指定してくるくらいだから響は当然知っているだろうし、その音色や効果も熟知しているのだろうが、歯の並んだ動物の顎の骨なんか見せられても詩音にはそれが楽器にはとても見えない。おっかなびっくりを覗き込む詩音を見て、パーカッショニストたちは文字通り歯を見せて笑っている。


「これ……何ですか?」

「ああ、これはキハーダっていってさ、スペイン語で顎の骨のこと。実際、顎なんだ。草食動物だから前歯はちょこっと申し訳程度にしか付いてねえんだ。だけど臼歯がガッツリ並んでるだろ?」


 アフロの方が骨を持ち上げて、詩音の方によく見えるように差し出してくれる。


「このまま歯のところをこうやってこすってやるとグィロみたいな音もするしさ、顎の横んとここうしてブッ叩くと顎の骨の隙間で歯が震えるだろ? この音がおもしれえ。ま、言ってみりゃヴィブラ・スラップのご先祖様みたいなもんだ。大神さん、よくこんなマニアックな楽器知ってたなって二人で笑ってたんだ」


 確かにそれは言えている。響がどれだけの楽器の、また音楽のジャンルについての知識を持っているのか、詩音には全く見当もつかない。実際のところ、今の説明も半分は謎の呪文にしか聞こえなかった。とにかく響の知識が途轍もない情報量であるという事だけは、漠然と理解できた。


「そこの平べったくて大きいのは?」

「こいつはオーシャンドラム。中にアルミのビーズが入っててさ、ゆっくり傾けると中のビーズが少しずつ移動するだろ。これで波打ち際の音を再現すんだよ」

「へえ……面白いですね」


 話し好きらしいアフロのパーカッショニストは、実演して見せながら陽気に解説してくれる。


「似たようなヤツで、レインスティックってのもあるんだ。サボテンの中身をくりぬいてさ、そこにサボテンの棘を刺して、中に小石を入れとくんだ。その小石がパラパラと落ちる音で雨を表現すんだよ。今日は持って来てないけど」


 そこにミキシングルームからパーカッションのマイク調整の指示が入り、詩音はアフロに礼を言ってその場を離れる。

 雨や波の音まで楽器で表現する……言われてみれば、グローフェの有名な組曲『グランド・キャニオン』の第五曲『豪雨』の中でも、吹き荒ぶ暴風を表現するためにウィンド・マシンが使われていた。ラヴェルの『ピアノ協奏曲ト長調』でも、曲の冒頭にむちの音が使われている。あれは楽器の名前があるのだろうか。


 ちょうどやってきた響に、詩音はそれを直接ぶつけてみた。彼の回答は明快だった。


「スラップ・スティック言うらしいです。二枚の細長い木の板の端っこ留めてあって、それをこうパシンと合わせるだけの楽器。パーカッションの人ならみんな知ってはると思います」


 昨夜の夕食のメニューを聞かれたかのようにサラリと答える響に、詩音は軽い眩暈さえ覚える。自分には作曲家など絶対にできそうにない。

 試しに、パーカッショニストの衣装についても訊いてみた。

 

「彼らには彼らの正装があるらしいです」


 西アフリカ・マリ共和国にはボゴランフィニという伝統的な染布がある。ボゴは『泥』、ランは『~による』、フィニは『布』、泥を使って染め上げた布という事らしい。そのボゴランで作ったダシキと呼ばれるプルオーバーシャツと、ソコトというパンツを合わせるのだという。

 普通ダシキと言えばV字の襟元を派手な刺繍で彩るものだが、流石にそれではステージで浮いてしまうという事で、黒地に白い柄の地味目のボゴランを使って刺繍の入らないダシキを作ったらしい。彼らもオケとの共演が多いせいか、ちゃんとその辺りはわきまえている。

 だが、結局のところ今回はオケ以外のプレイヤー(ベーシストやギタリストたち)と共に黒シャツに黒ボトムという事で指示が出ているらしい。

 響が「ホンマはダシキが着たかったって、さっきツルツル頭の方のおっちゃんが言うてはったんです」というのを聞いて、詩音は思わず吹き出してしまう。


「ところで大神さん、今日はこの後どうされるんですか?」

「まあ、本番始まってしまえば俺の出番はもうないやろけど、一応最後まで見届けてからホテルに戻ります」

「良かったら僕と一緒に食事しませんか?」

「え、打ち上げ行かへんのですか?」

「僕は賑やかなところが苦手で。それより大神さんにお話があるんです」


 あのプリンス大路詩音と食事――響は目一杯身構えるが、話というのも気にならないと言えば嘘になる。了承の返事をすると、詩音はにっこり笑って言った。


「じゃあ、終わったら僕の楽屋へ来てくださいね。待ってますから」

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