第24話 よんよんまる

 それから暫くして、響が何曲かの楽譜を持って詩音の家を訪れた。

 人気のゲーム音楽やアニメソングなど子供をターゲットにした選曲で、よんよんまるアレンジを加えたものだ。これを二人で弾いてフリー動画サイトにアップし、宣伝に使おうという花音のアイディアである。

 ピアノコンチェルトを引っ提げての海外公演から戻ったばかりの詩音には丁度良い気分転換になるだろうと、彼の帰国に合わせて十曲ほどピックアップしておいたのだ。

 詩音は響の心遣いが嬉しくて、移動の疲れも時差ボケも一撃で吹っ飛んでしまった。「今日は譜面持ってきただけやし帰るわ」と詩音の疲れを気にかける響を無理やり家に引きずり込み、「今すぐやろう!」と言い出す始末。

 花音にまで引き留められて帰るわけにもいかず、特に急ぎの用事があるわけでもない響は、そのままそこで軽く合わせることになった。


「なんかこうなると、元がゲーム音楽とは思えないね」

「うん、これはフュージョンっぽくできるやろと思ってな」


 さっそく鍵盤に指を落としながら、二人でどんどん弾いて行く。


「このコード進行とかジャズっぽいね」

「ちょうどここのメロディにスパッとハマりよってな。Am7からのサブドミナントBm7-5通過でE7に繋いでん。普通はこれをドミナントとしてAm7に戻るとこなんやろけど、ついうっかりE♭6に流れてもーて。そないなったらD7ドミナントにしてGm7解決行くしかないやん」

「これ、フィールドのテーマじゃなかった?」

「そやな、えらい都会的な草原になってもーた」

「なんかニューヨークの摩天楼が見える草原だね」

「どんな草原やねん」


 こうして二人でピアノを弾いている時間は、なぜこんなにも楽しいのだろうか。ピアニストと作曲家、似て非なるもの。だが明らかに通じる何かを二人は持ち合わせている。

 それは、彼らがそれぞれに欠けていたピースを相手に見つけたような感覚に似ている。補い合ってやっと一つの完成形としての『よんよんまる』があるのかもしれない。


「こっちはかなり動きがあるね」

「ああこれな。バトルシーンやし、音圧を高めて息つく暇も与えんくらいにガンガン攻めたれ言う感じで書いてん」


 詩音が譜面片手にニヤリと笑う。


「このシンコペで半音ずつ上がるのがいい」

「ああ、dim7の駆け上がりな」

減七げんしちの和音ってディミニッシュセヴンスだったっけ?」

「そやで」

増六ぞうろくはなんだっけか」

「オーギュメントな」


 詩音は当然ソルフェージュも勉強しているが、基本的に感覚で弾いているような部分があり、どうやら理論の方は苦手らしい。これでsus4の説明を要求されたら困るだろうな、と想像して響は苦笑する。


「こっからdim7のままクロマティックでガンガン上がって、一気にグリッサンドフォールや」

「じゃあさ……このフォールなんかちょうどいい、このグリッサンドで上下のポジション入れ替わるのとか、どう?」

「椅子どないすんねん」

「要らない。最初から立って演奏」

「それおもろいな!」


 花音が紅茶を淹れてくるが、大盛り上がりの二人になかなか声がかけられない。まるでやんちゃな男子小学生が秘密基地に籠って悪戯の相談をしているような趣だ。これには姉も苦笑いするしかない。


「やってみようよ。僕が上からグリッサンドで下りて来るから、その隙に響が僕の後ろを通って上パートに移動。僕はそのままベースに移行で」

「よっしゃ、ほな行くで」


 初見とは思えない二拍三連の正確な連打、禁じ手とされている筈の連続四度、順次進行で下降していく重厚なベース、シンコペーションの減七和音が半音階で上り詰めて行き、そこに詩音のグリッサンドフォールが彗星の如く降ってくる。

 響は限界まで引っ張ったベースから即座に身を引き、一歩で高音部へ移動、ハイトーンのアルペジオまで全く音に切れ目がない。

 楽し気に視線を送りながらピアノを弾く二人に、花音は鳥肌さえ立てていた。


「うっわ、何これ楽しいー! 響と演るとゾクゾクするほど楽しい!」

「俺もや」

「響、もう結婚しようよ、僕たち」

「何言うてんねん」

「響大好き。もう僕、響なしには生きられない!」

「抱きつくなちゅーねん」


 漫才のような会話をしつつも、響は詩音に抱きつかれるまま好きなようにさせている。そこに花音が思いついたように提案を投げかける。


「ねえ、二人羽織みたいに後ろから高音部と低音部に手を伸ばして弾くとか、二人の手を交差させて弾くとか、そういうアクロバティックな演奏もいいんじゃないかしら? 響は体も大きいし腕も長いから、詩音の両側から手を出すのくらい余裕でしょ?」


 響の頭の上にビックリマークが、そして詩音の周りに花の咲くようなオーラが広がった。


「凄い! 花音、天才!」

「ホンマ天才や」

「聴かせるだけのプレイヤーじゃなくて、魅せるユニットとして売り込むのよ」

「じゃあ、どこでそれが可能か、譜面から探そうよ」

「いや、それができるように今すぐ書き換える。紅茶飲んで待っとき、直ぐやし」


 そう言うと、響はいきなり鞄からパソコンを出してソファで直し始めた。

 詩音は興味津々、隣りに座ってその作業を横で眺めた。作曲家がどんな手順で編曲するのかをその目で確かめたかったのである。

 だが、見ていてわかるものではなかった。詩音はピアノを弾きながら作曲するものだとばかり思っていたが、響の場合は頭の中でその音を鳴らしながらの作曲スタイルなので、楽器を必要としない。たまに確認のために音を鳴らす程度で、あとはずっとパソコンの五線とにらめっこなのだ。

 その作業が詩音には不思議で不思議で仕方なかった。二十年経っても彼の魔法使いのイメージは衰えることはなく、寧ろ増幅することになろうとは詩音自身も思わなかった。


「よし、これでどや」

「弾いてみよう」


 二人のセッションが始まる。景気よく弾いていると響が「次のフレーズで入れ替え」と言って低音部のスペースを大きく空ける。そこに詩音がド派手な跳躍進行で割り込んでくる。

 次のフレーズは響が詩音の後ろから弾くパターンだ。


「もうちょっと前行けるか」

「行ける」

「俺の右手にクロスや、移動するで」

「了解」


 弾きながらどんどんポジションを入れ替えて行く。まさにアクロバットだ。


「詩音、ペダル!」

「OK」

「そのままや」


 響が譜面にない音を弾き始める。


「ちょ……どこ弾いてるの?」

「即興や。気にせんと弾き。次の駆け上がりで入れ替えるで。俺がバックとるし滑りや」

「うん……わっ!」

「いてっ」


 いずれそうなる事は花音にも予測できてはいたが、案の定、入れ替えで正面衝突が発生した。抱き合ってしまっている二人が見ていておかしい。


「すまん。おでこ大丈夫か?」

「響こそ、唇切れてる。僕こう見えて石頭だから」

「はいはい、二人ともちょっと休憩しなさい」


 こんなふうに『よんよんまる』は続いて行くのかと思うと、三人とも頬が自然と綻んでしまうのを止められなかった。

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