第22話 プロポーズ?
詩音にとっても視聴者にとっても思わぬサプライズとなった昼食の後、腹ごなしをしようかという事で、園内の池で手漕ぎボートに乗る事にした。流石にカメラさんまで一緒に乗り込むことはできず、別のボートで追う事に。
「手漕ぎボートなんて初めて乗るよ」とはしゃぐ詩音に響はクスクス笑う。それはそうだろう、森や海で遊んだこともない男だ、池でも遊んでいないに違いない。
「上手いね響。何度か乗ったことあるの?」
「子供の頃に一度だけ親父に乗せて貰ったことあるけど、自分で漕ぐんは初めてやな」
「僕もやってみたい」
「ええよ。筋肉痛にならんようにな。ピアノ弾かれへんよって」
だが、なんと言うべきか、詩音はかなりの運動音痴らしい。曲がってばかりで一向に進まない。
「なんでこうなっちゃうんだよ~?」
「詩音は子供時代に決定的に遊び足りてへんな。ちゃんと遊んどる奴は、初めてでも漕げるもんやで、しゃーない俺が漕ぐわ」
再びオールが響に戻る。カメラさんが笑いをこらえている。
「ねえ、ここ、ネッシーいないかな?」
「おったらおもろいな」
「お父さんと二人で乗ったの?」
「いや、三人や。小っさかったし、母さんの膝のとこにおった。動き回って落ちたらかなんし」
その頃は家族三人仲良く暮らしていたのだろうか。ふと響の横顔に寂し気な影を見た詩音は、意識したわけでもなくボソリと呟いた。
「これからは僕が側にいるよ」
「それプロポーズ?」
先程の表情は何だったのかというほど明るく響が切り返す。詩音も負けじとおどけて見せる。
「そうだね、こんな料理上手な嫁なら、この際オトコでもいいや」
「この際ってなんやねん」
二人で声を上げて笑った。俺こんなに声出して笑えるんやん、と響は少し驚いた。詩音にとっても、響の大笑いは新鮮だった。
一時間後、詩音と響は、カメラさんとアシスタントと四人で観覧車に乗り込んでいた。
詩音と響が隣同士で並んで座り、それを向かい側でカメラさんが撮っているという構図だが……流石に男四人だと圧迫感がある。
「さっきの池が見えるよ。僕たちもこうやって観覧車の人に見られてたのかな」
「そやな」
「どうしたの? いつにも増して口数少ないね」
心なしか響に元気がない事に、詩音はうすうす気づいていた。
「俺な……実は高所恐怖症やねん」
「ええっ、なんで乗る前に言わないんだよ、大丈夫?」
「いや、おもろそうやったし。詩音と一緒やったら平気かなーって思てんけど、やっぱあかんわ」
と、隣りに座る詩音の腕を掴むものだから、詩音も面白がって響の肩に手を回して抱き寄せる。
「こういうの、女子ウケする?」
「冗談言える余裕ないわ」
響がますます服にしがみついてくるのを見て、これはシャレにならないと踏んだのか、詩音が話題を変えた。
「あ、川が見える。ナイル川かな」
「相模川やろ」
「今、一番高いとこだから、エッフェル塔も見えるよ」
「んなわけあるかい」
「ねえ、響」
詩音の口調が甘えた声音に変わった。
「普通はデートで観覧車って言ったら、天辺まで行って誰にも見られなくなったタイミングでキスっていうのが鉄板なんだって」
「俺には一生無理やな」
「こっち向きなよ。キスしてあげるから」
「やめい」
「あはは、冗談だってば」
響の恐怖を少しでも紛らわせようとして、詩音が面白おかしく話してくれていることに全く気付かないほど、彼はテンパってはいない。
自分が危機に陥ると、必ず詩音は助け船を出してくれる。あくまでもスマートに。これが大路詩音のプリンスたる所以なのだろう。響は心の中でひたすらに詩音に感謝した。
その後、詩音は花音へ、響は母へのお土産をそれぞれ買って、家路についた。
勿論、登戸までの切符は『切符購入初挑戦』の詩音が買い、仲良く電車で帰ったわけだが。
撮影が終わり、登戸駅で解散になった後、二人は迎えに来た花音の車で帰った。
二人とも遊び疲れたのか、車に乗った途端に眠ってしまった。
「なんのかんの言ってまだ子供なんだから」と二人の寝顔を見て花音は苦笑い。和泉多摩川の家の前でやっと響を起こして下ろしたが、その間も詩音はずっと爆睡したままだった。
成城の自宅に到着し、詩音を起こしている時に、花音は後部座席にトートバッグがあるのを発見した。寝ぼけた響がそのまま忘れて行ったのだろうか。
「ねえ、詩音。これって響のかしら?」
「ん? ああ、それ響のだ。お弁当箱と水筒が入ってる」
中を検証してみるが、特に貴重品や家の鍵が入っているわけではなさそうだ。恐らく響はとっとと寝たいだろうという事で、翌日に花音が響の家に届ける事にした。
「詩音の方から響にメールしといて。洗って明日持って行くからって」
「わかった。多分もう寝てると思うけど」
「でしょうね」
その晩に響からの返信は無かった。
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