第21話 まったりデート

 『まったりデート』の番組撮影は二月に入ってすぐに行われた。

 旅番組の時と同じように、ただカメラが追いかけるだけでスタッフは一切割り込まないというパターンだ。一度経験しているので、以前ほどの緊張感はない。

 今回は待ち合わせからカメラが回っている状態なのだが、成城と和泉多摩川に住んでいることがバレるといろいろ厄介なので、登戸の駅で待ち合わせすることにした。

 詩音は花音の運転する車で登戸に来るため、本来なら響の家の前を通る時に彼を拾って来ればいいのだが、この番組は待ち合わせからカメラを回すのでそうはいかない。響は「登戸なら1キロもないから歩いて行く」と言って徒歩でやって来たのだ。


 先に到着していた響を女性たちが遠巻きに眺めているところから既にカメラが追いかけている。勿論、カメラマンやディレクターが少し離れたところで待機しているので、誰も声をかけることはできないのだが。

 そこに詩音が登場。当然のように周りはざわつく。スマホで写真を撮っている人もいるが、詩音はそれらを完全にスルーして当たり前のように二人で電車に乗った。

 電車の中でもカメラは二人を追い、乗客は何事かという顔をしながらも彼らをチラチラと目で追う。


「ねえ響、実は僕、切符って買ったことが無いんだ」

「え、そうなんや」

「うん。さっきも響が先に来て買っておいてくれたから、未だにわからない。帰りの切符は僕に買わせてね」

「わかった。教えたる」

「響と一緒にいると、何もかもが冒険みたいで楽しいよ」


 『よんよんまる』というユニットを知らない人が見たら、このちぐはぐな二人組はどのように見えただろうか。

 一人は白っぽい上品なハーフコートにベージュのカシミアマフラー、中にはアイボリーのハイネックセーターがチラリと見える。足元はコルクブラウンのカラージーンズにウォルナッツのウィングチップ、どれも仕立ての良さが伺える。髪の色に合わせたのか、柔らかい茶色からベージュの印象が強い。

 もう一人は黒の革ジャンにハードウォッシュのブラックジーンズ、珍しくサイドゴアブーツを履いている。烏の濡れ羽色の髪や猛禽類を思わせる鋭い眼と相まって、かなりハードな印象を受ける。


「詩音、降りるで」

「はーい」


 どう考えても詩音の方が地元なのであって、大阪府民の響はアウェイの筈だというのに、何故かこの構図になってしまう。

 響に連れられて、到着したのはなんと植物公園。広い敷地にたくさんの花が咲く憩いの場である。


「ここ、どうしても来たかってん。春先に来たらもっとええ思うんやけど、二月には二月の花が咲くやろし」

「僕、こういうところ好きだよ。行こ行こ!」


 詩音の言葉は社交辞令ではなかったようだ。池を覗いては「鯉がいるよ」と手招きし、一面のスイセンに「こんなの初めて見たよ」と目を輝かせ、紅白の梅の香りに感激し、手に負えないほど浮かれている。

 温室を覗くと珍しい熱帯の植物が咲き乱れており、大盛り上がりで「写真撮ろ!」と喜ぶ詩音に根負けして、響も一緒にフレームに入り込んだ。


「これインスタに上げよっと」

「詩音、ホンマにデートみたいになっとるなぁ」

「デートしに来たんだから当たり前だよ。あ、見て見て、蝶々が飛んでる」

「ん? ああ、オオゴマダラやな」


 どうやらこの温室内で放し飼いにしているらしい。


「金ピカのさなぎがそこいらにぶら下がっとるんちゃうかな、ほらそこ」

「え、うわ、凄い。本当に金ピカ」

「不思議やな、なんでこないな色になるんやろな」


 不思議なのは響だよ、と詩音は心の中で笑う。蝶を一目見たくらいでその種類がわかるとか、蛹の状態を知っているとか。

 ふと、響の通った小学校の司書の先生の言葉を思い出す。――大神君は本ばかり読んどったからねぇ。特に図鑑が好きやったもんねぇ――

 そうしている間にも響の頭に蝶が一匹とまる。虫が響を全く警戒しない。


 唐突に響がフンフンと鼻歌を歌いだした。「それ何の曲?」と訊こうとして、詩音はハッと口をつぐむ。

 彼は今、作曲しているのだ。この花々と蝶のメロディを。

 どこまでも作曲家なんだ、それが大神響なんだ、そんな男を自分の相棒として独占している。その事実が詩音にとって何よりの誇りであり、彼を有頂天にさせた。

 作曲する響の隣でその時間を共有する、なんという贅沢であろうか。彼は自らを激しく刺激する優越感に浸り、陶酔の中に身を委ねていた。

 が、作曲は唐突に終わった。


「な、昼飯食わへん?」




 この植物公園にはレストランがある。だが、響は何故かそちらに行かず、休憩所の方へ向かった。理由は簡単だった。昼食持参で来たからなのだ。


「今日はデートやって言うし、弁当作って来てん」

「え? 響の手作り弁当?」

「うん」


 響のトートバッグの中から三段の重箱が出てきた。いや、重箱のように重ねたプラスチックの密閉容器だ。


「何これ凄い、男子の作る弁当じゃないよ!」


 一段目には小さなおにぎりがぎっしり詰まっている。しかもカラフルだ。おかかの茶色、ワカメご飯の緑、シソの赤紫、黄色いのはカレーチャーハンおにぎりにも見える。

 二段目はメインディッシュだろうか、出し巻き卵(さすが関西人)、鶏の唐揚げ、アスパラのベーコン巻、根菜の煮物。

 三段目はサラダ仕立て。ウズラの卵とキュウリ、プチトマトと茹でたブロッコリをそれぞれピックで刺したもの、残りのスペースにはスマイルカットのオレンジとウサギさんに切ったりんごが入っている。


「こんなんしか作られへんけど」


 という響の言葉を聞いているのかいないのか、詩音は興奮して「凄い」を連発しながら写真を撮っている。仕事だという事を忘れたかのようなはしゃぎっぷりだ。そのすぐそばで、カメラさんもヨダレを垂らしている。


「まだ写真撮る? 食ってもええか?」

「あ、うん、ごめん。いただきまあす!」


 バッグからコップと水筒まで出してきて、甲斐甲斐しく詩音に緑茶を注ぎ分けてくれるところなど、デートと言うより寧ろお母さんのようだ。


「響、僕のお嫁さんにならない?」

「こんなごっつい嫁がおるかい」


 冗談など言って笑いつつも、お互い割と本気で「それもいいかな」と思っていたことを口に出しはしなかった。

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