忍び寄る影

第20話 ゲリラコンサート

 東京に引っ越してからも、響は二週に一度は大阪に帰っていた。やはり彼としては大阪に置いてきた母が気になるのだろう。久しぶりに大阪で正月を一週間過ごした響は、成城の大路家に母の手作りおかきを持ってやって来ていた。

 彼の話では、餅を薄く切って乾燥させ、カチコチになったところを油で揚げ、熱々のうちに醤油や塩で味付けするらしい。

 餅も海老餅やよもぎ餅などいろいろあり、見た目にもカラフルで美味しそうだ。

 これを響は母と一緒に作ったというのだ。二十五歳にもなった身長百九十センチ近くの大男が、狭いキッチンで母と二人並んでかきもちを作っていたのかと思うと、詩音も花音も羨ましささえ感じてしまう。

 そんな母親想いの響に触発されたのか、「大阪で凱旋コンサートをやったらどうか」と花音が言い出した。


「響のお母様が、お世話になった大阪の人達に恩返しもしないまま引っ越すことはできないと仰ったんでしょう? それなら響がご恩返しをすればいいんだわ」


 ご尤もな理屈だった。だがどうやって……と聞くまでもなく、詩音がそれに乗った。


「それはいいね。僕も響のお母さんに挨拶させて欲しいよ。よんよんまるのために響を快く送り出してくださったんだから。ね、こうしない? 恩返しなんだからさ、完全無料のゲリラコンサートにするの。響がお世話になったっていうヤスダ電機とか、小学校とか、お母さんの勤め先とか。ピアノが弾ける環境ならどこだっていいよ」


 唐突な展開に、響は目を白黒させた。


「せやけど、一文の得にもならん仕事を詩音にさせんのは」

「何言ってるのよ、宣伝効果抜群じゃないの。一文どころか凄い経済効果を生むと思うわよ。ね、やりましょうよ。そうだ、サイン会もする? 響はサイン決めてあるの?」

「いや……」

「じゃ、響は早速サインの練習しといてね。で、どこを回ろうかしら。響に店の電子ピアノを弾かせてくれたヤスダ電機は絶対外せないでしょ。それから作曲の基礎を教えてくれた音楽の先生がいらしたのは小学校だったわね。それと、響のお母様の御勤め先は……サンドイッチ工場じゃあピアノなんてないわね。まあいいわ、ピアノが弾けそうなところを見かけたら直接交渉しちゃえばいいのよ。ええと、それから……」


 こうなった花音は誰の声も耳に入らなくなってしまうという事を知っている二人は、花音に計画を任せて響のサインを考える事にした。




 二週間後、『よんよんまる』のゲリラコンサートは決行された。

 響の練習場所と楽器を提供してくれたヤスダ電機高槻店、響の卒業した高槻北小学校、響がアルバイトをしていた駅前の高槻プリンセスホテル、二時間前の突然のアポイントメントにもかかわらず、どこもかしこも快く了承してくれた。それだけ響が可愛がられていたのが詩音には少し羨ましかった。


 そしてさらに詩音を驚かせたのが、どこへ行っても響の評判が『母親想いの子』で通っていたことだった。

 ヤスダ電機の店長さんは当時は冷蔵庫売り場の責任者だったが、その当時の店長から響が何故ここで電子ピアノの展示品を弾いているのか聞いていたそうで、ゲリラコンサートの時はスタッフに楽器を準備させている間に元店長を呼び出してくれていた。元店長も現店長も、響を我が子のように可愛がっていて、「立派になったな」と目を細めていた。

 小学校でも先生は随分異動になっていたが、来年定年だという司書の先生は変わっていなかった。「大神君はいつも図書室に来てたんよ、ゲーム機持ってへんくって、他の子と共通の話題が無かったんやね。でもあの子にはそれが合うとったみたい、読書家やもんね」と彼女は笑っていた。


 詩音もゲーム機は持っていなかった。だが、響とは理由が違う。詩音はピアニストになるのが夢だった。ピアノの練習は、それがたとえ単調な反復であっても楽しかった。ピアノの練習以外の事に面白さを見出せなかった。その生活に満足していたのだ。

 だが響はピアニストになろうとしていたわけではない。遊びたい年頃に友達と共通の話題が持てず、学校では図書室で本を読み、下校すればヤスダ電機で電子ピアノを弾いていたのだ。母に負担をかけたくなかったのだろう。


 詩音はふと思った。自分は自分のやりたいことを最優先に生きてきた。親の為に何かをしようとしたことがあっただろうか。自分は今まで親や姉に何をしてきただろうか、と。


 ふと隣りを見ると、新幹線のシートにもたれて眠っている響の横顔が目に入った。『よんよんまる』オリジナルの作曲、そして地元でのコンサートと、休む暇もなかったのだろうか。


 両親が離婚したと言っていた響は、それでも小一から今まで母と二人で精一杯生きてきた。料理も掃除も洗濯も裁縫も一通りなんでもできる響と、親と姉に何もかもやって貰って一人では何もできない自分。

 なんでも与えられ、恵まれた環境でピアノだけを弾いて来た。ピアノなら誰にも負けないつもりだが、それ以外に何ができる? 自分の価値はピアノ以外にあるのだろうか?


「次の仕事入ったわよ」


 電話で席を外していた花音が席に戻って来た。


「この前の旅番組、あれ視聴率が凄く良かったでしょ? それで、『まったりデート』の企画で『よんよんまる』の二人にって話が来たの。男同士だけど、別に構わないわよね?」

「え、デート番組でしょ?」

「そう。でもあれ親子ほどの歳の差だったり、女性同士だったり、偶に三人デートだったりいろいろある番組なのよ」


 日本の文化は乱れまくっているな……と詩音は笑う。


「まあ、僕は構わないけど、響がなんて言うかな」

「彼なら大丈夫よ。私が説き伏せるから」


 姉弟はぐっすり眠る相棒を見てクスッと笑った。

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