第19話 二人のユニット

 二人の田舎旅行が放送されたのは、街がカボチャとおばけで溢れるころだった。

 毎週二人のゲストが一緒に旅をする人気番組だが、詩音と響の回は驚くほどの高視聴率をマークした。番組内で見せた二人の予想外に素朴な一面が視聴者に受け、ハートを鷲掴みにされた女性ファンが急増、詩音と響は一躍『時の人』となった。

 それからというもの、二人の人気に目を付けたテレビ局や企業から二人セットで起用されることが増え、彼らは仕事でよく顔を合わせるようになった。


 こうなってくると更なる戦略を考えるのが花音である。敏腕マネージャーと言われる彼女のことだ、この流れを見て何も考えないほど愚鈍ではない。早速驚くような提案を持ち出したのだ。


 二人でピアノユニットを組んではどうか、と。


 詩音はそれを聞いて、姉の有能さに改めて震え上がった。彼女をマネージャーに持って、これほど感謝したことがあっただろうか。

 一人でも十分過ぎるほど詩音の名前は世界に知れ渡っている。だがそこに大神響の名前が加わる事で生まれる効果は計り知れなかった。


 一方、響は慎重だった。それは詩音を信頼していないからではなく、自分が彼の足を引っ張るのを危惧したためだ。

 放っておいても詩音は一人で響の何十倍も稼いでいる。知名度も詩音と自分とでは天と地ほどの差がある。彼と組むのは願ったり叶ったりではあるが、得をするのは自分だけで、それこそ彼に何もメリットはないのではないかと遠慮してしまっていたのである。

 そんな響ではあったが、詩音と花音の熱心な説得に加え、母にまで説き伏せられて、一週間悩んだ末やっと首を縦に振った。


 ユニットを結成するとなると、これから何かと相談事が増えることになるだろう。一緒にピアノを弾く機会も出てくる。そこへ来てちょうどまた映画音楽の仕事が入ったので、この際響は詩音の近くに引っ越した方がいいだろうという事になり、母を大阪に一人残して響だけが東京に移住することになった。

 勿論、響としては母が心配だったため一緒に東京に連れて行きたかったのだが、母がそれを良しとしなかった。響を連れて父の家を出た後、母子家庭だった自分たちを支えてくれたのはこの土地の人だ、ここから離れることはしたくないと言う。

 尤もだと思った。だからこそ響は母を東京へ来るように無理強いはしなかった。


 響は小田急線の和泉多摩川の駅近くにあるワンルームの部屋を借りた。和泉多摩川なら歩いてすぐ多摩川に出ることができる。スタジオを借りなくても、河原さえあればトランペットが吹けるのだ。しかもここなら各停しか止まらないから、家賃がかなり安く上がる。

 何より重要なのは、小田急線である事だった。和泉多摩川なら成城学園前までたったの三駅だ。晴れていれば自転車でも行ける。世田谷通りを真っ直ぐ三キロほどで、詩音の住む成城二丁目だ。響が引っ越して真っ先に自転車を買った理由がそれだとは、詩音は知る由も無かったのだが。


 それから響はCM収入と映画の仕事だけに絞り、他の仕事を一切せずにひたすらシンセとPCで二人の為の曲を書いた。

 何曲か溜まると詩音のところへ持って行き、一緒に弾いてみて手ごたえがありそうなものをピックアップしていった。これを宣伝活動に利用しようというのだ。


 ユニット名は驚くほどあっさりと決まった。響のトランペットケースに入っている音叉を、たまたま詩音が見つけたのだ。「これを使ってチューニングしている」という響に、花音が「それ、440ヘルツ?」と訊いたのがきっかけだった。


 よんよんまる……彼らのユニット名だ。


 ピアノは大抵442ヘルツでチューニングされている。勿論ピアニストの好みもあるが、現在では日本のほとんどのコンサートホールのピアノの調律は442ヘルツとなっている。

 これに対し、ラッパ吹きの主流は440ヘルツ。中高の吹奏楽部でも440ヘルツで統一しているところが少なくない。

 それだけでなく、ISOによって定められた国際基準のAの音も440ヘルツとなっているのだ。我が国の国営放送の正時を知らせる時報も五秒前からのカウントダウンを440ヘルツ、正時は1オクターヴ上のAである880ヘルツで鳴らすことになっている。

 『二人の音楽を世界標準に』という願いを込めて、花音が付けたユニット名なのだ。


 花音は積極的に『よんよんまる』をPRする戦略に出た。響の書いた新曲を二人に弾かせ、それを録画して動画投稿サイトにアップした。

 『よんよんまる』の動画は、アップした初日から百万アクセスを記録し、凄まじいまでの勢いで拡散された。

 花音の戦略は大当たりだった。この動画を見た企業から問い合わせが殺到し、CMの出演依頼が倍増したのだ。

 詩音は自分のリサイタルの合間を縫って『よんよんまる』の仕事をこなし、響もまた、詩音が自分の仕事でよんよんまるに構っていられない間にせっせと曲を書き溜めた。


 クラシックを『ちょっと手の届かない世界』としてきた層の人々を、二人はあっという間にこの世界に引きずり込んだ。彼らがクラシック界に与えた影響は、決して小さくはなかった。

 そして響のジャンルを選ばぬ音楽性は、クラシックだけにとどまらずジャズや民族音楽にまで波及していった。その為、『よんよんまる』は他の楽団やユニットとのコラボレーションの誘いを受けることも増え、彼らの知名度を上げるとともに、映画音楽では然程騒がれなかった大神響という作曲家の存在を、日本中に知らしめることになったのである。

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